素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

四温は何処に

2022年02月23日 | 日記
 立春を過ぎて三寒四温になってきたねと喜んでいたのに、ここ1週間の冷え込みと風の強さは少し緩んだ心と体にこたえる。北海道付近に居座る強い低気圧が原因。ジムへ行く気が失せてしまう。週間天気予報の最高温度と最低温度の表を見てため息ばかりが出ていたが、どうやらあと2日の我慢すれば小春日和を楽しめそうだ。

 となると元気が出て粉雪ちらつく寒風の中、ジムへと自転車を飛ばした。しばらく通っていないうちに梅の花がたくさん開花していた。寒風に梅の花は良く似合う。
 

 冬眠生活で体重アップを覚悟していたが微増で済んだ。ランニングの回数と距離を減らしても去年末の体重73.6kg±500gで維持したいと思っている。

 
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街角のベンチ

2022年02月22日 | 日記
 2022年2月22日だが「2の付く日」のことは、うかつにも2月2日に書いてしまったので「スーパー猫の日」、承久の乱(1221年)後に北条氏が実権を握り始めた頃以来800年ぶりの2が6つとか「忍者の日」などのことは二番煎じになるのでこれぐらいにしておこう。

 先日、樋口恵子さんの「街角にベンチを」という話に関連していろいろ書いたが、私の暮らしている地域は交野市の中で高齢化率がトップでしかも坂が多いため樋口さんと同じ思いの人は多い。

 10年ほど前から町内のあちこちで散歩の途中でちょっと休むところがあったらありがたい。大階段、若い頃は走って上がったものだが今は、途中で息が切れてしまうのが情けない。などというぼやきをよく聞くようになった。

 この声を受けてKさんを中心に、自治会内の要所にベンチを設置する取り組みが始まった。一脚の材料費として有志に1000円の募金を呼びかけた。私も当時60代前半だったのでピンとこなかったが主旨は理解できたので協力した。

 その後左膝が悪化した時期にはベンチの存在の有り難さが実感できた。今はベンチのお世話にならないで済んでいるが脊柱管狭窄症、変形性膝関節症、脳梗塞などで歩行に支障のある方々がうまく利用しながら歩く力を回復している姿をよく見かける。
 

 運転免許証の返納をしている人が急増している。生活の足をいかに確保していくか、みんなの知恵を寄せ合いたいものだ。
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国連殿の5か国

2022年02月21日 | 日記
 自治とは生活圏を共にする人々がお互いに快適に暮らしていけるように身の回りに生じる課題について話し合い、取り決めをしていくということから始まったのだろう。集団生活でお互いに支え合わないと生きていくことができない人間の生みだした知恵である。

 しかし、集団が大きくなるにつれ利害関係も複雑にからんでくるのでルールづくりが難しくなってくる。国レベルになると困難を極める。内部における民族間の争い、同族の中での権力闘争。さらに宗教が絡んでくると厄介さは倍増する。

 さまざまな争いを繰り返しながらどうすれば共生できるかということを生みだしてきたのが人類の歴史だと言ってよい。2度の世界大戦を経てようやく国際秩序を維持するための装置、国際連合にたどり着いた。しかし、地域の紛争は絶えず、その限界も見えている。

 昨今のウクライナを巡る各国の動きを見ていると大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で描かれている世界と根本的には同じだと思ってしまう。源頼朝の死後、幕府内で始まった権力闘争、重臣十三人による合議制を取りながら陰謀、駆け引き、裏切りの中、北条氏が実権を握っていく。第二次大戦後にできた国連は中華人民共和国(1971年10月25日以前は中華民国)・フランス・ロシア(1991年12月25日以前はソビエト連邦)・イギリス・アメリカの5カ国が安保理常任理事国となり拒否権という強力な切り札を手に運営の中心を担ってきた。戦後の様々な紛争は「国連殿の5か国」の主導権争いが根にある。

 イギリスのEU離脱、アメリカ国内の分断の深まり、米中の対立などの機に乗じてロシアが動きを強めている。その接点がウクライナである。どのような駆け引きをし、どう決着をつけていくかはわからない。

 ただ、ウクライナには現在15基の原発があり、そこには「国際原子力機関(IAEA)」が策定した「国際原子力事象評価尺度(INES)」でもっとも深刻な「レベル7」に分類された原発事故を起こしたチェルノブイリもあるということをニュースで知った時、ここが戦場となったら大変なことになると恐怖を覚えた。

 外交の裏側を知るよしもないが、早く落ち着いて欲しいと願うのみ。オリンピック、パラリンピックの成功に向けて全力投球している中国が終了後にどう動くかも気になるところ。一番嫌なのは、ロシアと共同歩調を取って台湾への圧力を強めること。

 「歴史は繰り返す」ではなく「歴史から学ぶ」とならないものか。
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『皇恩』変じて『五輪恩』?

2022年02月20日 | 日記
 樋口恵子さんの『老~い、どん!』の中に次のような記述がある。
「冬季夏季のオリンピック・パラリンピックが日本で開催されるたびに、何らかの不自由を伴う人の交通手段が目に見えてよくなります。私がオリンピック・パラリンピックファンである理由の一つです。」

 1964年の東京オリンピックの時、東海道新幹線の開通や首都高速道路の建設で様変わりした日本橋付近の様子を写真で見た時、中学生の私の中にオリンピックのもたらすものはすごいなという思いを持った。以来、明治、私の中には大正、昭和前期の人々が行幸によって地域のインフラが整備されるのを『皇恩』と感じたように『五輪恩』のようなものが存在してきた。

しかし、光には影があるようにオリンピックの施設整備や再開発のために半ば強制的に立ち退きを強いられた人や街路樹や公園の木々が伐採されるということが「五輪のために」という名目のもとに強行されるという事実がある。ということを見聞するようになり単純に『五輪恩』と考えてはいけないのではと思うようになった。

 樋口さんのいう社会インフラの改善は、五輪があるからではなく、五輪があっても無くてもと考えるべきではないか。逆に、五輪を招致し、開催するために使われた巨額の資金を回せばもっと充実したのではとも考える。

 もっと大切なのは五輪後の施設の使われ方、維持管理費だろう。長野冬季オリンピックではその後の施設の管理運営に自治体が苦慮してきたと報じられていた。「恩」ではなく「禍」である。

 経済の活性化に五輪を利用する時代は終わったと思う。
 
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『老~い、どん!』(樋口恵子著・婦人之友社)より”老いて歩けば”

2022年02月19日 | 日記
 健康寿命の延伸には、食生活、適切な運動、そして人と出会う社会参加の三本柱が必要ということから高齢者に外出をすすめる傾向が強くなってきた。30年来、変形性顎関節症という持病を抱えている樋口さんにとって出歩く生活をするためにはエレベーター、エスカレーターなどの設備の充実、駅、公共施設、商店街、街角に高齢者に使いやすい清潔で安全なトイレの整備が欠かせないという。

 車椅子のプロショップ『イフ』(https://e-if.jp/)のトピックスにバリアフリー法についてのわかりやすい解説がある。

 バリアフリー法(バリアフリー新法)とは、「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律 」の通称で、高齢者や障がい者が肉体的・精神的に負担なく移動できるように、街や建物のバリアフリー化を促進することを目的に、2006年(平成18年)12月20日に施行された。

 それまでは、病院や百貨店、ホテルなどといった不特定多数の人が利用する公共的な建築物を対象とする「ハートビル法(高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律:平成6年6月29日施行)」と、鉄道やバスなどの公共交通機関を対象とする「交通バリアフリー法(高齢者、身体障害者等の公共交通機関 を利用した移動の円滑化の促進に関する法律:平成12年11月15日施行)」が、それぞれ別な施策として行われていたものを、一体的に整備を行うために「バリアフリー新法」が施行された。

 しかし、施行から12年が経ち、いくつかの課題が顕在化してきた。加えて、2018年12月の「ユニバーサル社会実現推進法(ユニバーサル社会の実現に向けた諸施策の総合的かつ一体的な推進に関する法律)」の公布・施行や、オリパラ東京大会を契機とした共生社会実現に向けた機運醸成等を受け、『心のバリアフリー』に係る施策などソフト対策等を強化する必要が生じていたことを背景に、政府は2018年11月「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律の一部を改正する法律」を制定し、令和2年6月19日に一部施行、令和3年4月1日に全面施行することになった。


 私がランニング等でよく使っている寝屋川公園もトイレの改修工事が進み使いやすくなった。また樋口さんは街角にベンチがあれば一息つくことができるのでありがたいと書かれている。

 『街角に椅子を、ベンチを、高齢者も出歩きやすい街づくりをと心から願っています。ベンチまたは椅子に座っている時間というのもなかなか快適です。ぼんやりと人の往来を見て、歩く人々が巻き起こす小さな風を吸い込む。世の人々と共に生きてある自分自身を実感する。これぞ一種の年寄りの社会参加です。』という発想は面白い。

 

 
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