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shuの花日記

山や近所で見かけたお花をエピソードを添えて掲載しています。お花の説明は主にウィキペディア、花図鑑を参考にしています。

2018年の山納めは丹沢三山(蛭ヶ岳~丹沢山~塔ノ岳)主脈縦走を満喫

2018-12-30 12:28:46 | 山行・旅行


今年最後の山行は、1年8ヶ月ぶりの丹沢。目指したのは丹沢山地の主脈(蛭ヶ岳~丹沢山~塔ノ岳)縦走登山、24kmでした。
健脚者なら、1日で走破できる距離ですが、千葉県からでは交通の便が悪く、縦走路にある唯一の無人避難小屋「黍殻避難小屋」で宿泊する計画としました。

さて、12月28日(金)は冬型の気圧配置で南関東は乾いた晴れが約束された中、自宅を7時45分に出発。山行としてはずいぶん遅い出発です。
都心の地下を都営新宿線で南北に縦断し、京王電鉄相模原線終着駅の橋本から、三ヶ木(みかげ)往きのバスに乗りました。終点の三ヶ木で11時に同行者と待ち合わせです。
無事に同行者と合流し、昼食を下調べをしておいた牛丼チェーン店で摂って、1日2本しか運航されていない月夜野往きの最終バス(12時10分発)に乗り込み、「焼山登山口」で下車しました。


焼山登山口から目指す最初のピークの「焼山」(1060m)までは緩やかな尾根道で、高度を上げるに連れ落葉した木々の間から奥相模の山並みや谷あいの街並みが見えてきます。
焼山は、昔この山一帯が将軍家の御猟場で、狩猟の妨げになるのため毎年火が入れられていたのが名前のの由来だそうです。山頂にの境界を示す祠がありました。
山頂付近は混合樹林帯ですが、東側に展望が開け、しかも30年ほど前に立派な展望台が作られたので、都心・太平洋・筑波山などが一望できました。






焼山から先は、東海自然歩道として整備されたなだらかな道を歩き、重い荷も苦にならず快適でした。
「黍殻山」(1273m)の山頂を踏んで、「黍殻避難小屋」までは20分ほどで到着。4時を回って気温も下がり、小屋に着いたときはマイナス6℃で、指先がかじかみました。









小屋に入り、すぐにガスストーブ(ガスコンロ)に火を入れ、指先を温めました。
夕食のメニューは、黒コショウが効いたハムステーキ、卵とほうれん草のスープ、ミックス野菜サラダ、ガーリックフランスパン、カップケーキ、コーヒーと贅沢なもの。
この日の小屋は他に宿泊者がなかったので、ラジオで音楽を聴きながら山談議に花を咲かせ、しばしの間ゆったりとした時間を味わいました。
と言っても寒いので、その後は早めに寝袋に入り、7時前には就寝しました。

翌朝、4時ごろから何度も目が覚めたものの、辺りが白むのを待って6時に起床。
ダブルチーズバーガーとコーヒーで朝食を済ませ、手早く準備を済ませて、7時過ぎに「蛭ヶ岳」を目指して出発しました。
稜線上は心配していた強風もなく、穏やかに晴れ渡って、この日の三山(蛭ヶ岳~丹沢山~塔ノ岳)縦走の平穏無事が予想されました。




丹沢主脈縦走路は、「姫次(ひめつぎ)」(1433m)で東海自然歩道と別れ、南西に歩いてきた道を真南に変えます。姫次の名は、戦国時代に敵兵に追われた旗本の娘がこの地で自害したことより、姫突きが転じて姫次となったそうです。
そんな歴史とは関係なく、私たちは、この日初めて見る富士山との対面を前に、知らず知らずの間に、速足となっていました。その富士山は、雲一つ纏うことのない、壮麗で優美な姿を見せてくれました。


三山縦走の間、富士山が常に私たちの右側に見え、特に午前中は正面から陽を浴びて白く輝き、決して見て飽くことがありませんでした。


「蛭ヶ岳」(1673m)には10時に到着しました。この山には、かつて毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)が祀ってあり、毘盧ヶ岳が転じて蛭ヶ岳となったそうです。
蛭ヶ岳の山頂で、登頂記念の写真を撮りましたが、人を入れずに標識を撮るのを失念しました(よくあることです)。代わりに山頂からの富士山はたくさん撮りました。手前に青く光っている湖は山中湖です。




蛭ヶ岳を後にし、次は「丹沢山」(1567m)を目指します。
深田久弥氏は「日本百名山」に「丹沢」を選んでいますが、「丹沢」とは丹沢山を含む一帯のことであり、決して丹沢山そのものではありません。今回、主脈縦走路を歩いてみて、まさにそのことを実感しました。


丹沢山への途中、「鬼ヶ岩」と言われる岩場があり、鎖がついていました。そこから振り返って見ると右手に蛭ヶ岳と歩いてきた道が、左には富士山と遠くに南アルプスの山々がきれいに見えました。
その後、「不動ノ峰」(1614m)などいくつかの小ピークを越えていきますが、荷物が軽くなったにもかかわらず、私の脚が思うように前に進みません。同行者よりかなり遅れて丹沢山に着きました。




丹沢山で昼食の予定でしたが、私は水分補給だけに留め、最後のピークである「塔ノ岳」(1491m)へ向かいました。


「塔ノ岳」は表丹沢を代表する山の一つで、多くの登山者が訪れます。塔ノ岳の名前は、かつて山頂に尊仏岩という岩があり(関東大震災の余震で転落して今はない)、お塔と呼ばれ信仰されていたことに由来するそうです。
丹沢山からはなだらかな下りの道が多いので、私の脚も復活し元気にピークを踏むことができました。巻頭の写真は塔ノ岳付近から見た丹沢主峰「蛭ヶ岳」です。
「塔ノ岳」山頂には数十人の登山者がいましたが、山小屋の手前の一角はぽつんと空白になっていました。

ここで遅い昼食を食べました。
富士山には西に傾き始めた陽が差して、その日私はここでカメラをザックにしまいました。




「塔ノ岳」から下山する「大倉登山口」までは全長7km、標高差1200mの大倉尾根で、別称「バカ尾根」と言われる長い下りです。
途中に山小屋がいくつもあり、休憩を重ねながら下山しました。
「大倉登山口」には日が暮れる間際の4時30分に下山し、バスで小田急線の渋沢駅に移動し、駅前のラーメン店で反省会ならぬ次の山行計画を話し合い、小田急線の人となりました。
今年最後の山行を無事に終え、年賀状も書き終えていないことを反省しつつも、満足の行く旅を感謝の気持ちで終えたいと思います。


コメント (10)
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