前橋市内で催された演奏会を聴くため同地を訪ねた。そして空き時間に市内を流れる広瀬川の河畔を散策し、川沿いに建つ前橋文学館を訪ねた。
広瀬川は利根川から取水し、赤城南麓一帯の農地を灌漑し、再び利根川に注いでいる。前橋市内にあっても流れは急だった。
前橋文学館付近は広瀬川「詩の道」と名付けられていて、河畔に多くの文学碑が立てられている。それらを見ながらゆっくり散策した。一部を紹介したい。
世界ぢゅうを泣きつくすには ヒトの一生ではとても足りない 吉原幸子(詩集「発光」より)
そこからどんな 清々しい空がひろがってゆくか 見えないどんな 生き物たちがそこに降りてくるか 渋沢孝輔
水底を覗くと しずかに 一輪の紅い蓮が浮いてくるところ 舟べりから手を伸ばして わが知らぬ想い出を折りとった 財部鳥子
厩橋まで歩いて橋を渡り、対岸を戻ってきた。ちなみに厩橋は前橋の語源となっているとのことだ。
前橋文学館の対岸に萩原朔太郎記念館がある。
そして、その横に「青春の碑」がある。少し長いが全文を引用したい。
青春 サムエル ウルマン
青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、炎ゆる情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖、失望により気力は地に這い精神は芥になる。
六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷にとざされるとき、二十歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、八十歳であろうと人は青春にして已む。
作山宗久 訳
前橋文学館は9時に開館する。一番で入館した。
文学館では萩原朔太郎について多くを学んだ。詩集『月に吠える』が我が郷里の文人室生犀星により発行されたのを初めて識った。
そう言えば金沢と前橋は、けっこう似ているところも多いように思った。
広瀬川は利根川から取水し、赤城南麓一帯の農地を灌漑し、再び利根川に注いでいる。前橋市内にあっても流れは急だった。
前橋文学館付近は広瀬川「詩の道」と名付けられていて、河畔に多くの文学碑が立てられている。それらを見ながらゆっくり散策した。一部を紹介したい。
世界ぢゅうを泣きつくすには ヒトの一生ではとても足りない 吉原幸子(詩集「発光」より)
そこからどんな 清々しい空がひろがってゆくか 見えないどんな 生き物たちがそこに降りてくるか 渋沢孝輔
水底を覗くと しずかに 一輪の紅い蓮が浮いてくるところ 舟べりから手を伸ばして わが知らぬ想い出を折りとった 財部鳥子
厩橋まで歩いて橋を渡り、対岸を戻ってきた。ちなみに厩橋は前橋の語源となっているとのことだ。
前橋文学館の対岸に萩原朔太郎記念館がある。
そして、その横に「青春の碑」がある。少し長いが全文を引用したい。
青春 サムエル ウルマン
青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、炎ゆる情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖、失望により気力は地に這い精神は芥になる。
六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷にとざされるとき、二十歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、八十歳であろうと人は青春にして已む。
作山宗久 訳
前橋文学館は9時に開館する。一番で入館した。
文学館では萩原朔太郎について多くを学んだ。詩集『月に吠える』が我が郷里の文人室生犀星により発行されたのを初めて識った。
そう言えば金沢と前橋は、けっこう似ているところも多いように思った。
と言っても、群馬県の県庁所在地とのイメージは
あるんですが、街のことはなにも知らない私です。
広瀬川、
のんびり綺麗な水が流れていますね
そして、青春の碑、
青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。
こうありたいものですね^^
そのためか大型連休中は閑散としていました。
広瀬川河畔の散策は朝早かったためか観光客は少なく、地元の方が歩いておられました。
前橋文学館には2時間もいたのですが、他の来客は2組ほどだったと思います。とにかく空いていました。
「青春」からはあらためて元気をもらいました。
このブログの読者の方には、「青春」まっただ中の方が多いですね。
私自身は、今が一番若いのですから、身体が動けるうちにやりたいことをやろうと思っています。
前橋へは自然探索ではなく、芸術・文学に浸るために行かれたのですね!
普段と趣の違う投稿、じっくりと拝見しました。
本を読むのは大好きなのですが、最近は軽いものばかりを読み散らしています。
「青春」、いいですね!
この年になると、この文章すべてが深く、心にじわっと浸透します。
まだまだいけるかも・・・いかなくっちゃと思いました!
前橋には娘たちが住んでいて、よく出かけています。
音楽を聴く機会も多いですが、そのことはブログに書いていません。
今回は空いた時間に散歩したことを書きました。
川沿いで観たお花を上げようかと思ったのですが、ほとんど観られませんでした。
シダレヤナギがきれいでした。
「青春」っていいですね。
少し忘れていましたが、元気が出ました。
もちろん、なつみかんさんはまだまだ行けますよ。
前橋を流れる広瀬川の流れをとても嬉しく又懐かしく拝見しました
私も前橋生まれの前橋育ちです
前橋文芸館にはまだ行けていません
ゆっくり訪ねてみたいものです
朔太郎記念館はだいぶ前にホセと敷島公園で訪ねた事があります
母の親友のお宅は正に川沿いで、お庭に流れる小川が広瀬川に注いでいました
常に詩情豊かな流れの広瀬川ですね
サミュエル・ウルマンの「青春の詩」は心の友です
岡田義夫訳 、松永安左エ門訳の「青春の詩」をスマホに入れて持っています
萩原朔太郎の月に吠えるは、私はジョアン ミロの月に吠える犬を連想してしまいます。ぜんぜん関係ないのですが--。月に吠えるまでが同じなので--。
mariaさんは前橋市のご出身でしたね。広瀬川界隈についてはよくご存じですね。
私は金沢市内を流れる用水を思い出しました。
お庭に水を引き入れたりしているのも同じですね。
https://www.youtube.com/watch?v=xHazFRHpagk
前橋文学館へは初めて入りました。4階建ての立派な建物です。
3階にはホールがあり、孫のピアノの発表会もここで行われました(私は参加できませんでした)。
サムエル ウルマンの「青春」は、複数の日本語訳があるようです。
今回引用したのは、萩原朔太郎記念館の横にある石碑から写しました。
萩原朔太郎記念館は、2017年敷島公園から現在の場所に移転されたそうです。
敷島公園はバラが見頃だとお聞きしました。
ジョアン ミロの作品に「月に吠える犬」というのがあるのですね。知りませんでした。
萩原朔太郎については、恐らく国語の教科書でしか読んでいません。室生犀星はよく読みましたがあまり覚えていません。