仕事が忙しいというのか、安らぐ時間が少なくなってきましたが、3月に入り閉校が決まっている母校に入ってみたいという思いが高まっていた。とにかく、いつか休まないと母校は帰ってこなくなると思い、小学校に電話し午後から訪問した。ちょうど、3月の雨がダウンコートを濡らし春が近づいているそんな季節感を感じた。
小学校を卒業してからは、の行事で時々この校庭で朝ソフトボールを楽しんだ。ちょうど、長男が小学6年生頃まで、ここで地区の人たちと交流を深めたものです。
ちょうど、小学5年生に木造の校舎から鉄筋コンクリートの新校舎に移りましたが、白く輝くような校舎でしたね。2階にはベランダがあり、遊んだ記憶があります。
玄関に入ると副校長先生が出迎えてくれ、多目的ホールの方を案内してくれ、優しい人柄が出ていまししたね。油絵は、げいび渓ですね。
束稲山は、母校の象徴ですね。ここは、和紙と葉たばこの産地・故郷なんです。
1991年の航空写真ですね。母校は分校が二つありましたが、少子化の影響でひとつになりましたが、記憶では900人ぐらいいた時期もありました。1学年150人ぐらいですね。今は、その10分1程度になり統合されることなったと思いますが。淋しさ感じますね。
雪でマウンドも見れませんでしたが、在学中はその当時の東磐井郡で準優勝を2度経験しました。叔父さんに買ってもらった、スパイクの感触は未だに忘れることがありません。
サッカーなんて、全然考えられない時代だったですね。
必読30冊!。私の時代もあったかもしれませんが、嫌だったのが「走って東京まで行こう」っていうやつでしたね。昼休み時間は、走るのが普通でした。
たぶん5年生に入ったのが私達が最初だったと思うので、撮っちゃいましたが今は複式学級になっているんですね。
音楽室も昔のまんまでしたね。
昔は、表彰とかそういうことについて、個人を対象にするのがいかがかと思ってましたが、子供達に自信をつけてもらうために、必要なツールだと思います。
今、小学生と一緒にサッカーして楽しんでおりますが、教育という意味で一番大事な子供達を預かっている気がします。ひとりでも多く、少しでもいいから自信を持って将来に向かって欲しい。そんな思いですね。
「母校」という単語もいいですね。
「3月9日」 レミオロメン
閉校式は、3月21日。もう少しです。
最後に、校歌をもう一度歌いたかったな。
頑張って行きましょう。