OB戦の観戦を終え、実家の墓参り。地震の影響で基礎が壊れている墓もありましたが、お世話になった方々へのお礼ですね。もっと時間があれば、ゆっくり歩けるんですがしょうがありません。
一関から山越えし、陸前高田へと。
まだまだ傷跡はありますが、瓦礫は大分整理され仮店舗等・コンビニ等が再開し、予想以上に復旧していましたね。
陸前高田駅跡ですね。
陸前高田駅から直ぐは、湿地に変貌し、海もすぐ傍まで来ていました。
復興計画の中で駅の位置が決まると思いますが、山の方に街も移動するんでしょうか。
高田松原野外活動センター前の交差点ですが、駐車場・グランドは瓦礫の山で、照明が位置を物語っています。
ホテル1000も、すっかり海に囲まれました。3男小学4年時は、ここで合宿。増田県知事と一緒だったりしましたね。
野活の屋根も、そして、道の駅屋外ステージの屋根も壊されましたね。
高田松原の海岸も無くなりましたし、ユースホステルも。堤防もどれかわかりません。
松の木もすっかり、海に沈んでしまいました。
高田松原野球場も海の中に。
いつもどおり、綺麗な海なんですが。
釜石に向かう大平のサッカー場は、仮設住宅に。隣の野球場から、バットの金属音が響きわたり不思議な気がします。
球場の建設予算。そして、いざとなると使えない。
釜石警察署の駐車場は、廃車で満杯。
JR釜石駅は、大丈夫だったようですね。釜石駅を通り過ぎ、初めて新しい仙人トンネルと通り、遠野市内まで。
夕方5時ごろの遠野市内は、墓参りで人が多かったですね。
結構一関からは遠回りしましたが、着々と復興に向けて進んでいること感じました。
遠野市民サッカー場には、自衛隊の姿はなくなりましたね。
遠野道の駅風の丘駐車場前には、「支援ありがとう!」の看板。
「生きる希望をありがとう」綾織中学校の生徒会のメッセージですね。
「私にできること、精一杯頑張ります」
一言一言でつづられていますが、生きる希望をありがとう。そんな思いですね。
職員・生徒合わせて46名。組織は、数じゃない。そんな気がします。
宮守の叔父さん宅により、猫から歓迎。
そして、ここでも励まされました。
「顔晴れ!岩手!」。顔が晴れますように。学区は宮守のはずですが、遠野中学校の看板でした。
どうして一関市には無いんだろうか!?。と思ってしまうわけで・・・。
やはり、遠野は人情豊かな温かい街なんだと思いますね。
「
遠野物語」
いつ聞いてもいい歌ですね。
頑張って行きましょう。