コンクリート詰め殺人事件が起こったのと、同じ頃か。
他のもたくさんあったのかも。
子供を生めなくなって、子供を育てる保母さんになったり、自ら被害者のいケアを行ったり。
最初は省略していますので、詳しくは直接観てください。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180926-00237493-toyo-soci&p=1略
■「あのとき、殺されておけばよかったんじゃないか」
けれど帰国後、エリさんは30代の前半を混乱の中で過ごすことになる。交際相手との婚約がきっかけだった。病院でのブライダルチェックで判明した不妊の可能性。担当した女性の医師が言った。
「若いときの性病を放っておいたんでしょう」
どうせ遊んでたんでしょうとでもいうような、見下した言い方。子どもが大好きなエリさんは、結婚したら早く子どもが欲しいと思っていた。でも、もう無理かもしれない、自分が望んだわけでもない性暴力が原因で。その現実を突きつけられたとき、事件の記憶を押し込めておけなくなった。あのとき、殺されておけばよかったんじゃないか。いっそ殺してと思ったあのときの気持ちがよみがえり、死を願うようになった。
仕事に行けなくなり、自殺未遂をした。婚約者は支えようとしてくれたが、彼が上司から「そういう女性はやめたほうがいい」と言われていると知ったこともあり、破談――。
その後は数年間、入院と通院が続いた。3年連続で入院したのは、松尾スズキの小説『クワイエットルームにようこそ』のモデルとうわさされる精神病棟だ。入院する時期は決まって2月から3月。被害に遭った季節が近づくと不安定になり、リストカットやオーバードーズを繰り返した。
「年が明けると『今年こそは入院したくない』と思うけれど、やっぱりその時期が来ると”死にたい病”になる。それでいつも、桜が咲く頃に退院するんです。当時は桜を見ると『今年も生きてる』ってホッとしました。桜は生きているという象徴だった」
カウンセラーには、しばらく性被害を話せなかった。父との死別、幼くして祖父母に預けられたこと、母に懐けなかった子ども時代、ネグレクトぎみだったこと、姉の家庭内暴力。いろんな話をするうちに、カウンセラーから「男性に対してなにかあるよね」と指摘され、ようやく少しずつ話すことができた。
「私はたまたま性被害について話せて、カウンセラーもそこを拾ってくれたからよかった。でも同じ病棟にいた女性の中には身内からの性虐待の過去があり自死してしまった人もいました。入院中の雑談で、性被害の経験を話す人は多かったです。でも本人が『大したことじゃない』と思おうとしていたり、カウンセリングでも性暴力よりも家庭環境が原因だとされていたり。精神医療の現場でも、性暴力がクローズアップしてケアされていないことがある。それが不思議でした」
■最後の自殺未遂と変化
ある年の春。今度こそ確実に死のうと思い、入念に計画して薬を飲んだ。でもやっぱり、死ねなかった。3日後病院で目が覚めると、病室の床には寝袋にくるまった母の姿。
退院後も、EMDR(※2)による治療やメールでのカウンセリングを続けてきた。40代になってからは通信大学で教育学を学び保育士資格も取得した。今はフラワーデザインの仕事と並行しながら非常勤で働いている。「子どもができないなら、仕事にすればいい」と、チャレンジすることにしたのだ。
※2 眼球運動を利用することでPTSDのケアを行う心理療法
自身の回復について、エリさんは言う。
「周りの支えもあって、随分強くなったと思う。力を奪われてしまったと思っていたけれど、奪われたわけではなくて、自分にも力があることを思い出したり、信じられるようになったりして、私の場合は変わったと思う」
性被害はひどく軽視されることがある一方で、二度と立ち直れないような重たい被害だと決めつけられ、腫れ物やタブーのように扱われることもある。両極端だ。当事者のエリさんは、「回復にはたくさんの時間がかかる。でも癒やされる日は来る」の両方を伝えることが必要だと信じている。
「今も地獄からよく這い上がったなって自分を褒めて、褒めて。複雑だけど、そういう過程を社会はもう少し理解してほしい」
■自分の力を信じている
以前、カウンセラーから「加害者のことをどう思うか」と聞かれたとき、「殺してやりたい」と答えたエリさん。もし日本に性犯罪の時効がなければ今から訴えたいとも思う。罪悪感のかけらもなかったあの加害者たちは、きっと親になっている。何を子どもに教えているのかと思うと悔しい。自分には子どもがいないことが悔しい。
昨年の刑法改正は一般的に「厳罰化」と言われるが、「集団強姦罪」は廃止になった(※3)。廃止の理由は罪を軽視したためではないが、それでも当事者のエリさんにとっては、集団強姦の被害者の気持ちが置き去りにされたような悔しさがある。
※3 強姦罪(現・強制性交等罪)の懲役の下限を3年から5年に引き上げることにより、集団強姦罪の量刑(懲役の下限4年)を超えたため。
一方で、最近受けた治療で同じことを聞かれたとき、自分では思ってもいなかった言葉が出た。
「彼らを子どもに戻して私が育て直したい」
それが本当に自分の本心なのか、半信半疑だとエリさんは言う。
「なんだかきれいごとに聞こえるし、犯罪者に許しを与えるみたいで許せないって思う人もいるだろうから、誰にでも話せることじゃない。私も半分は『本当にそんなこと考えてるの?』って思っています。でも、今自分が保育士の仕事をしていることとつながるから、納得できる部分もあるかな……」
花で表現する力、海外で働く力、40代からさらにチャレンジする力、回復の過程を言葉にする力。一つひとつ、丁寧に自分の力を探してきた。昔の自分のように居場所のない子どもに寄り添いたい気持ちもある。たとえ自分の子ではなくても、愛情を注ぐ力。きっとその力もあると信じている。
後から聞いた話では、母は医師から「もうこのまま目が覚めないか、後遺症が残るかのどちらか」と告げられていたという。でもエリさんは生き残った。
「母の姿を見て、そこで吹っ切れたんです。これだけやっても死ねないんだから、生きるしかないんだなって。それからは、主治医の指示もありそれまで処方されていた睡眠薬などを飲むのもやめました。離脱症状で10キロぐらいやせたけれど」
それからしばらくして、性被害に遭った人の話を聞く支援員になるための講座に申し込んだ。20代の頃は、頑なに避けてきた性暴力の話題。30代で通院するようになってからは、ネット検索をして支援団体のHPをのぞくこともあった。そして40代に近づく頃、この問題に自分からかかわっていくことを選んだ。
被害直後の人の話を聞くことに不安もあったが、講師は「あなた自身にとっても癒やしになるといいね」と背中を押してくれた。講座終了後、問題を1つクリアしたような気持ちになった。