散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記180422日(将棋番組 ジム・ランニング・限界速度)

2018年04月24日 21時01分07秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低  25.1  14.7℃ 薄曇時々晴 
午前中、将棋の番組を見て時間を取られた。
少しだけと思って見るが、すぐに集中して最後まで見るというのが最近の日曜日午前中のパターンである。
将棋を見るようになったのは藤井聡太6段のブームが起きてからで、それまでは囲碁の方が中心で、将棋の方は、もうひとつピンとこなかった。(小中学生の頃は友人たちとよく将棋を打っていたが、定跡も知らず進歩がなかった。)
しかし、半年以上将棋番組を見ていると、かなり慣れてきて、将棋の面白さや手筋が多少分かるようになってきた。

この日は、午後SNSを見たりして過ごし、炊飯・冷凍ご飯10食余りの製作政策もおこなった。
夕方には湯家谷は、遅れていた昨日記を書き、夜になってジムに行きランニングを行ない、約3.5km程走った。
インタバルと低速走行を組み合わせた走りだが、トータル3.5km余り走った。
最高時速12kmで約150m走り、約2分間歩き、再び時速12kmで100m走り、その後休みなく時速8kmから8.5km前後で走った。
今のところ、走りの限界速度は、時速12.5km~13kmと思っている。(それ以上のスピードになると足がついていけない。<こける>時速13kmの走りはせいぜい数十m程度しか走れないだろう。)

コメント

昨日記180421土(西天満 美術鑑賞に飽き? 歩行)

2018年04月24日 20時25分50秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低  25.9  14.8℃   快晴
午後から久しぶりに、西天満に出かけ、ギャラリーを回った。
以前貧困生活者には、交通費や美術館の入館料も含め、美術鑑賞の趣味は無理ということを何度か書いたことがある。
それ以降、真剣に現代美術に向き合おうという意欲が急速に萎えてきた。
同時に現代美術がなんとなくパターン化して見えてくるようになった。

実は本質的美術論とも関係がある話である。
美術は視覚による表現であることには間違いないが、現代美術には単純に視覚芸術と言えない要素がある。
特にコンセプチャルアートの場合、視覚と同時に思考や想像力や連想が入り、時にはその人の生き方さえ表現に含まれることもあり(特にパフォーマンス)、その表現傾向もあらゆる可能性を含んでいて、謎解きの側面があり、作家自身も分からないことがほとんどである。
これは、コンセプチャルに係わらず、すべての現代美術に共通することである。
特に最先端の芸術の場合は、作家も鑑賞者も何かわからぬまま新しい表現を見、それを共有しつつ何かを感じ、考えているのである。
しかしその作品の、表現を鑑賞する背景は、色彩であり質感でありフォルムでありリズムや奥行きやイリュージョンであり、そうした物には20世紀までの絵画なり造形がはぐくんだ、表現における暗黙の了解事項が無数に含まれている。
こうした議論・言説を展開するには、それぞれの実証的具体例と分析考察哲学的評価が必要であり、いくら紙面があっても足りないし、そうしたことが出来れば一冊の本になる。
とても片手間のブログで触れることではないのでやめておく。
芸術鑑賞するには、立ち止まって作品と対峙する必要があるが、貧困の場合そうした余裕もないし、美術鑑賞の場合は、美術館なりギャラリーという作品の展示場所まで行かねばならず、その交通費がないので見る範囲は、ごく狭い場所に限られる。
また、美術館では、大きな展覧会の場合、カタログが販売されていて、そこに最新の知見や考察が記載されているが、とても購入して読むこともできない。
こうしたことを考えるたびに、美術鑑賞への意欲がなえてしまうし、現実に物理的に美術鑑賞をできないことが多いので、中途半端な状態で美術鑑賞を続けるのも無駄ではないかと思っている。
一応大阪市内の美術鑑賞であれば、時間が空いていれば(食事関連家事でどうしても自炊しなければ食事が出来なくなることが多く、物理邸に行けなくなることが最近多い。)行くようにはしている。

西天満の帰りに歩いて天満橋のファストフードに行き、読書をし、淀屋橋まで歩き、地下鉄で帰宅した。
これで、この日3km以上歩いたことになる。
最近歩行トレーニングをできるだけやっている。
ジムに通うか、歩行トレーニングをしていると体調がよい。
ジムだけで、歩行トレーニングをしていないと、歩行の時に歩行が安定しない。
トレッドミルのマシンの上を走るのと、現実の凸凹の有る道路を歩くのでは、使う筋肉がかなり違うようで、やはり歩行は健康の基礎運動と考えていて、おろそかにできないと思っている。

コメント