この週末、福岡での日本看護科学学会に参加してきました。
テーマは「ケアリング・サイクルと看護科学」でした。
シンポジウムのすべてを聞いたわけじゃないけど、東京医科歯科大学の宮本真巳先生の講演が印象に残っています。
ケアリングをわかりやすく紐解いて下さった後、ケアリングを支える感性を磨く技法として、「異和感の対自化」を述べておられました。
「異和感」とは、主に対人関係場面で体験される「しっくりこない」という曖昧な不快感のことをいいます。
そうそう。その「異和感」、日常のケアではしばしば感じられること…。
以前にもありました、患者さんの体のつらさや心の痛みがさまざまな言葉で言い表される時。患者さんと医療者の関係性の中で、患者さんの信頼が得られるというのはとても大切なことです。しかし、信頼が得られているとはいえ、つらい状況にある患者さんとの関係性は、いとも簡単に壊れてしまう、と感じる時があります。
関係性が壊れてしまうきっかけというのは、医療者の言動や病院のシステムのあり方など、病気による苦痛そのものではないことがあります。
不信感や釈然としないことを話していただけるのは、その人の性格や生き様も関係しているのかもしれません。でも、話していただけるということは、その患者さんのケアをさらに充実させるためにも、私たちが気づけなかったことに気づかせていただく、という意味でも、ありがたいと思います。
が。
いつも、いつも、「ありがたい」とばかり思っているわけではありません。
内心、「どうして、あなたにそんなことを言われないといけないの。」と思うことを言われたりします。
それでも、患者さんのつらさや現状を思い遣ると、患者さんがそういっているのではなく、病気がそういわせているのだと考えるようにすることが必要だと思っていました。
私は、そう思えるまでに時間を要することがしばしばあります。ロジャースのいう、「自己一致」とはかけ離れた状態でケアをすることがあるということです。
そんな「異和感」を察知した時、それをよく吟味した上で、「異和感」の中に含まれている感情を言語化して、相手に投げ返すことができる、と宮本先生はお話されていました。
つまり、自分の感情を私メッセージに乗せて、相手に伝えるということでしょうか。売り言葉に買い言葉ではないことは当然のことです。
「異和感」の中に含まれている感情を言語化して、相手に投げ返すって、より人と人との関係性に迫るものだと思います。
でも、これができるって、現実にはとても少なくて…。
やっぱり、相手を思い遣って思い遣って、「受容・共感機能付きサンドバック役」を引き受けなければならないことの方が多いと思います。
それができないなら、「異和感」の中に含まれている感情を言語化して、相手に投げ返しても、本当のケアじゃない気がしています。