自分の気持ちや考え、行動などを文字にして誰かに伝えるって、予想以上に難しく感じる時があります。
看護記録には、自分たちが患者さんをどうアセスメントし、ケアの計画を立て、実施し、どう評価したのか、つまり一連の看護過程の展開を記載しなくてはなりません。
看護師なら、一度は…、いえ、よく、「カルテに記録する」ことに困ることがあると思います。
実際に、よく起こっていることは、カルテを読んでも、患者さんの状態がわからないということです。
患者さんのケアの介入の依頼を頂いた時には、カルテで情報収集するだけでなく、必ず、スタッフにもお話を聞くようにしています。
そこで、いつも思うのは…。
どーして、そこまで情報を持っているならー、カルテに書いてほしいー。

看護師の多くは、患者さんのことを尋ねると、患者さんのその人となりやケアについて、それぞれの思いを持っています。
そんなこんなは、カンファレンスの場やちょっとした時間(休憩の時、夜勤の時など)に会話の中にとても多く聞かれることです。
看護師によっては、たくさんの思いを持っているにもかかわらず、カンファレンスの場ですら、意見をいわない人もいます。
ああ。残念。
それが、戦場のように忙しい一般病棟なら記載の時間が足りないというのは理解できることですが、緩和ケア病棟でそうならば、残念極まりないことです。
カルテ記載には、「事実を書くこと、憶測は記載しない」というルールがありますが、緩和ケア病棟でそれを完全に実行していると、患者さんのありのままの姿がすっかり消えてしまいます。
『この場面で、患者さんの言葉を聴き、自分はこう思い、こう言葉を返した。そして、自分はこう、言葉を返した。そしたら、患者さんの反応はこうだった…。』
そんな記録があってこそ、その場面に居合わせなかったスタッフも文脈を感じ取り、共有し、次のケアにつなげることができるのではないかと思います。
やはり、情報はカルテに記載することが一番だと思います。
申し送りは当てになりません。ある内容を申し送り続けていると、3日後には、伝えた人の意図とは全く違う内容が申し送られていた、ということが多々あります。
そして、ある人は情報を持っているけれど、ある人は持っていないというのでは継続したケアを行うことは困難です。
私はスタッフとケアについてお話をするのですが、大切な内容については、
「今、話した内容をカルテにがんばって書いてくれない?」とスタッフにお願いしています。
患者さんのケアで大切な場面は、スタッフ全員で共有しないとっ。
それでも、人と人のかかわりを、その人の感じ取ったことすべてを、カルテに記載することには限界があります。
あまり長い記録になると読む側も時間がかかって大変ですから…。
うちの緩和ケア病棟だけの傾向かもしれませんが、ながーい記録ほど、記録の中での患者さんは生き生きと、ありありと表現されていて、その記録は、大切なものになっているような気がします。
