終末期のがん患者さんのお世話をさせていただいていると、必ず死というものに向き合わなくてはなりません。
それは、患者さんやご家族が向き合うという意味もありますし、
なにより、私たち、医療者も同じように死と向き合わなくてはなりません。
いろんな文献を読みながら、自分のこれまでの経験を思い出しつつ、そして、目の前にいる患者さんの生き様から学ばせていただきながら、
自分の命の限りが近づいてきていることが確実になった人の心の在り様ってどんなだろう?ということを感じとらせていただいてます。
自分が感じ取っていることは、目の前の患者さんが経験し、感じていることとは比べ物にならないくらい、些細なものであることは自覚しています。
私は、目の前にいる患者さんにはなれない。
だから、患者さんのことはちゃんと理解することはできないだろう。
この気持ちも大切だし、
私は目の前にいる患者さんにはなれないけれど、
患者さんの気持ちを知ろうとすることはあきらめないでいよう。
この気持ちも大切だと思います。
「こんな状態で生きていて、何になるっていうんですか」
「こんな状態なら、死んだ方がましです。みんなに迷惑をかけてしまって」
「こんなにナースコールを鳴らしてしまって、みなさんに迷惑をかけていることはわかっています。だけど、押さずにはいられないんです」
「何も悪いことをしていない私が、何でこんな目に合わないといけないんですか」
こんな患者さんのお気持ちを聴かせていただくことは多々あります。
教科書的には、こんな患者さんの気持ちを聴くときには、
「そんな風に感じておられるのですね」と言うとよいですよ、と書いてあります。
確かに、その一言は患者さんの気持ちを受け止めるうえでとても大切ですが、じゃ、その先は何と会話すればいいんでしょう。
これがとても悩ましいのです。
教科書にはこう答えようと書いてありますが、私はそんなときの会話は、患者さんと自分の関係性や状況などなどを考えると、『患者さんを思う気持ち』、『患者さんを思いやる気持ち』があるのなら、正解は決められないと思っています。
だから、私はいつもこう言ってしまいます。
「生きるって、大変やなぁ。」
「自分と付き合うって、大変やなぁ。」
患者さんは言います。
「そうなんよぉ…。」
最近、病棟が激しく忙しくて、自分の気持ちの余裕が崩壊しつつある今日この頃。
終末期のがん患者さんのお手伝いをしていると、自分自身を振り返らざるを得ないことが、趣深くもあり、もどかしさも感じます。
生きるって、大変なことやわぁ。