SMILES@LA

シェルターからやってきたミックス犬のニコとデカピンのニヤ。どちらの名前もSMILEの犬姉妹の思い出を綴ります。

あるパパから娘への手紙「君のピットブル」

2014-12-16 23:49:48 | まじめな話
今日はニコニヤの日記じゃなくて、先週Facebookで見かけたあるブログの記事のお話。

このブログ記事をシェアしていたのは北カリフォルニアのピットブルの保護団体BAD RAPのFacebookアカウント。
BAD RAPはマイケル・ヴィックのところから保護されたピットブルを多数引き取り、犬たちの査定~リハビリに大きく貢献した団体です。
少し前に天国に行ったヘクターもBAD RAPの出身。
うちのブログでのBAD RAP初出記事はこちら

さて本題。シェアされていたのは The Dad Letters(父の手紙)というブログで、5人の男性が交代で自分の子供たちに宛てた手紙という形式で書いています。テーマはその時々でいろいろです。

そして紹介されていた記事はライアンさんという筆者が娘のリヴァーちゃん宛に書いた手紙です。
手紙のタイトルは「Your Pit Bull」


「長いんです。すみません。」

はい。すみません。
紹介したかったと言うよりも、自分で訳してみたかったんですよ。
やってみたら予想以上に手こずったので、ヘッポコ文章になっちゃったんですが
元のブログは素敵なんですよ。


愛するリヴァーへ

君の犬、ゾーイーのことで話しておきたいことがあるんだ。
はじめ、僕らは収容センターのケージの中で丸くなって震えていたゾーイーをみつけた。
ゾーイーは他の犬たちのように吠えたりしていなかった。
ただ、そこにうずくまって僕らのことを見上げていたんだ。
ケージに付けられたタグは「ラブミックス」、そしてこの犬は一週間後に殺処分にされる予定だと書かれていた。
僕らはそれを見て心を決めた。自分たちはラブミックスを引き取ったんだと信じたままで。

ゾーイーはラブじゃない。彼女はピットブルだ。

ゾーイーが大きくなるにつれて、僕らはセンターが嘘をついていたのだと悟った。
僕は怖かった。こんなタイプの犬を我が家に入れたことに対して、無責任なことをしたと感じた。
ステレオタイプなものの見方、偏見、そして不安、それら全てが僕の心を埋め尽くした。
ゾーイーをセンターに戻すべきだろうか?世間は僕らのことをどんな風に思うだろう?

ゾーイーは普通に生きる権利を奪われた者の代表者だ。
初めて来客を迎えた時、僕らはゾーイーをケージの中に閉じ込めた。
それは彼女が危険だからではなくて、僕らの、言葉にできない恐怖のためだ。
ゾーイーは見知らぬ人たちから疑わしげな眼差しを投げられる。
それはまるで、あやふやで神経質な臆病さを覆い隠そうとしているかのような眼差しだ。

彼らの心の声は、実際に聞こえてきそうなほどだ。
「あの犬、撫でたほうがいいのかな?」
「あの犬と目を合わせちゃダメだ!」(僕ら全員がピットブルに関して教えられている通りだ。)

そしてゾーイーはその壁を壊し始めた。彼女は自分が何をしなきゃいけないか知っている。
人が訪ねてきたら、ゾーイーは僕の前でジッとする。僕は指をあげてパチンと鳴らす。
ゾーイーに必要なのはこれだけだ。パチンの合図でゴロンと横になりお腹を見せる。
そして全員に、彼女が自分の場をわきまえていて、一緒にいても安全なのだと示すんだ。

ゾーイーはそうして橋を築いたんだ。痛ましいことだよね。

リヴァー、周囲が不信を装い、即座に壁を作ってしまう人生を想像してみて欲しい。
無実であることが証明されるまで有罪だとみなされるような生活。
ふれあおうとすると、ためらいがちで用心深い態度が帰ってくる毎日を想像してみて欲しい。
それがゾーイーの生活なんだよ。

それでもゾーイーはピットブルとして、そんな人々が間違っているんだと証明することに頑固でいる。
君が産まれた時、僕らは病院から家に君を連れて帰ってきた。
その時、ゾーイーの強くて優しい魂が輝きを見せたんだ。
彼女は君のことを2回フンフンと嗅ぎ、許可を得るために僕の方を見た。そして君の足元に横たわった。
ゾーイーは圧倒的な筋肉とスピードで竜巻みたいになることだってできるんだ。
でも彼女は一度だって君のお姉ちゃんに飛びかかったり転ばせたりしたことはないんだよ。
彼女は優しくて、強くて、君たちを守ろうとしていて、愛情深い。
僕はゾーイーを疑ったこと、ピットブルの権威とやらの言葉を鵜呑みにしたことを恥ずかしく思う。

中流階級の白人の女の子として生まれた君は、ゾーイーのような経験をすることはないだろう。
君を避けるために道路を渡って向こう側に行く人はいないだろう。
空港で嫌な思いをすることも、国境付近を運転していて取り調べを受けることも、
店の中で店員や警備員につけ回されることも、警官に質問されることもないだろう。
(君が悪いことをしない限りはね。)
「推定原因」(警官が犯罪が行われていると信じるに足る証拠があれば逮捕状無しでも逮捕できるという法律用語)は君にとっては無関係の言葉だろう。

リヴァー、君が成長すればゾーイーのような立場のたくさんの人々に出くわすだろう。そして君は選択をする。
愛情を持ってそんな人々を受け入れるか、それともシャットアウトするか。
美しく、強く、愛情深く、優しい人々は君の周りのどこにでもいるんだよ。

ゾーイーはピットブルで、それは事実だ。2年ほど前に僕は彼女のことをピットブルだと考えるのを止めたんだ。
その代わりに僕は、彼女のことを単純に僕の犬だと考え始めた。
彼女を犬種で定義することを止めて、犬という生き物として定義し始めた。

同じことは人間にも言える。白人なのか、黒人なのか、イスラム教徒かクリスチャンか、そんなことよりも前に皆人間なんだ。
それぞれに個々の犬。それぞれに個々の人間。それぞれに恐怖や希望や夢、痛み、そして愛を抱えて生きている。

でも、そこで止まってはいけないんだ。ほら、遅ればせながら僕はゾーイーの犬種を愛し始めたし、感謝もしている。
自分の犬に満足するために、ゾーイーの「過去」の犬種(ラブミックス)を彼女の中に見る必要もなかった。
ピットブルを飼っていることを誇りに思った。ゾーイーの強さ、注意深さ、優しさに感謝し始めた。

もちろんゾーイーはそんな違いのことは知らないけれど、ゾーイーを彼女の犬種から切り離すことはできない。
それは彼女が誰であるのかという不可欠な部分だし、僕が彼女を愛しているたくさんの理由の中のひとつでもある。

そしてそれこそがゴールなんだ。

すべての人に対して、大きな愛と尊敬の気持ちを追い求めて欲しい。
もちろん誰かとのつながりのために個性や人間性を重視することも必要だろう。でもそこで止まらないで欲しい。
その人の丸ごと全部の、美しさや独自の個性の驚異に触れて前進して欲しい。
イスラム教徒の友人のその独自の美しさ、またブラックの友人の個性、それは何なのか?
数ある中でも、特にその人種であったり宗教を信じることで輝くこと、他と際立つことは何なのか?
ある一人の人について、その人個人からと、その人が属する大きなコミュニティの両方から君は何を学べるのか?

リヴァー、ゾーイーのように君は平和のハリケーンになることができるんだ。
君は橋を築き、恐怖を打ち砕き、君の属するコミュニティに調和を織り込む力を持っている。

君の心のすべてで愛するんだ。周りのものを観察して学ぶんだ。そして平和の代表者となるんだ。
君の内なるピットブルを解き放て。

愛を込めて
パパより



「リヴァーちゃんのパパ、いい人だね。」

ピットブルのくだりはもちろん心にグッとくるんですが
パパが渾身の力を込めて書いたのが伺える、人種や宗教、それら全てを包括して一人の人間であり
全てを含んだ存在として人を尊重し学んで欲しいというメッセージ。
これはこの数ヶ月アメリカでずっと世論を騒がせている、警官による黒人男性への発砲や暴行から死に至った事件が背景にありますね。
本文中に出てきた「推定原因」というのは、相手が黒人男性だったり中東系の人だったりするとしばしば拡大解釈されて、不当な過剰捜査のもとになりがちです。

21世紀の現代のアメリカでも、白人かそうでないかで、感じる温度や空気はそれぞれに違うんですよ。
白人男性という、そういう温度に最も鈍感になりがちな立場であるこの筆者がそれを娘さんに伝えたというのは大きな意味があることなんです。

この文章の原文はこちら。
The DAD LETTERS "YOUR PIT BULL"
↑クリックして頂くと、ゾーイーちゃんの画像もたくさんアップされています。
ゾーイーちゃんの表情がニコにとてもよく似ていて、またまたグッと来たのでした。


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コメント (9)
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