(1)世の中、国際的にも「独裁者」ということが普通に使われるようになってきました。ちょっと前までは、ごく限られたひと・場合などだったように感じていましたが、このごろはアメリカの大統領が率先してその道をひた走っています。
(2)その内容は「専横」・「専断」・「傍若無人」・「勝手放題」・「思いつきのまま」。要するに、これが「アメリカ・ファースト」であり「MAGAネライ」そのもの。
しかし、「アメリカ」といっても、この「アメリカ」は「アメリカ国民全体ではない」。「トランプ氏」や「マスク氏」のような立場のアメリカ国民。
(3)いまアメリカの大統領選挙をやり直したら、違う結果になることは、もうすでに確かです。バイデン氏やハリス氏よりも良い政策をトランプ氏に期待したアメリカ国民でしたが、いかに「貧」したからといって、トランプ氏がこんなに「貪」した態度で国際社会に迫らなければよい政策ができないと考えるとは思わなかったでしょう。
(4)でもね、私、今まで見た西部劇や開拓劇物の映画やテレビのことを思いながら、いくらか経済史の本を見直してみました。
ペリーが来たころ、つまり日本の幕末にようやくフロンティア〔西部〕が消え、その時にはまだ50州が今のように確立していなくて、その後一応の国の形がとれるようになってからも、自由どころか、ひどい抑圧が続いていた国です。
先住民のインディアンの権利だけでなく、他国からの移住民、アフリカからの奴隷や黒人一般などなど、社会の重要な構成員であり、むしろ国の根底を支えている(白人でない)多くの人々の権利をないがしろにしながらやってきた国です。その中には、根拠もなく死刑に処された人さえいます。あの国会侵入事件を思うと、今でも法秩序優先ばかりの人でないことがわかるでしょう?
(5)アメリカがそういう国だということ、いや、世界のどの国もそういう暗黒の時代を克服しようとしてきたこと、そして、日本もそうで、日本はだから新憲法を制定して、平和国家を目指してきたこと、これを今こそ考える必要があるわけです。
いまの日本は軍事費ばかり増えて、物価高で生活が苦しいのに、国民のための政策費が増やされないで、負担ばかり増やされる。本当に日本はアメリカから自立しないといけないところへ来ています。
(6)ちなみに、「~~ファースト」なんてインチキです。
政府の政策は、とりもなおさず「国民ファースト」に決まっています。そして、その「国民とはまず97%を占める勤労者大衆」に決まっています。なぜなら、生産されたものを買うのは結局その97%の国民だからです。もうドンドンそうなっていますが、この人たちが買えなくなれば、結局「過剰生産」ですから、経済は行き詰るしかないからです。
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人なつこいトリで、じっと見送ってくれていました。
【コレクション 173 小林多喜二】
きのうの「小林多喜二全集」のほかに「小林多喜二名作ライブラリー」がありますから、これも紹介しておくことにしましょう。
これは、小林多喜二の代表作を取り上げたものです。全4冊、1994年11月刊行です。
パンフレットの大きさはA4判大4㌻、A3判の用紙を二つ折りしてできています。下に4㌻とも載せましたから、とくに説明は付けません。
1㌻
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多喜二さんの顔がどう見えますか? ゆったりしてる? きつい?
2㌻
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つぎの3㌻と見開きで続いてます。
3㌻
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4㌻
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右下に「美和書店」の印が見えます。美和書店は代々木の日本共産党本部前にある書店です。
じつは、1990年頃、代々木の日本共産党本部にほど近いところの予備校に教えに行っていました。
このころの忘れられないこととして、1995年1月17日に阪神淡路大震災があります。今年はその30周年に当り、つい先日、追悼式典・行事が行われたのは記憶に新しいところです。
その17日、午前の授業を終えた私は、行きつけの中華飯店に行き、いつもの定食を注文して、ぼんやりとテレビニュースを見ていました。阪神淡路大地震が起きたのは朝5時46分でしたが、朝のニュースも見ずに出て、まだ地震のことを知りませんでした。
すると、テレビの画面に、異様な黒煙が上がる様子が映し出され、横倒れした高速道が見えてきました。そこで、ようやくどこかで震災があったことを知ったのでした。
このパンフは、そのころの自分の居場所を思いださせる「歴史的なもの」です。
以上です。
今日はここで。
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うめ?もも?:宮内公文書館玄関前で
揃いのヤッケを着て、旗を持ったリーダーと思しき人に導かれて移動していきました。
奉仕の人たちかもしれません。奉仕といえば、手塚英孝「落ち葉をまく庭」という作品がありました。
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