神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No182 「魂のピアニスト、逝く」 

2024-05-26 22:39:37 | 余録


(1)先ほど〔26日21:00〕、NHKスペシャル「魂のピアニスト、逝く」でフジコ・ヘミングさんを取り上げることがわかり、運よく見られました。
 運よくというのは、実は、まだつい最近、フジコ・ヘミングさんが60代くらいの頃?をとりあげたドキュメンタリー番組の再放送があったばかりです。それで、てっきり追悼番組として再々放送するものとばかり思いこんでいて、最初の方だけもう一度見るつもりでいたところ、見ているちに別仕立てとわかったというわけです。

(2)2回分を見て、思うのは、苦労した人だということ、努力した人だということ、自分の哲学〔基本となる理念・考え方〕を持っていた人だということです。
 苦労と努力と哲学に裏打ちされた信念の音を奏でた人だと思いました。

(3)驚いたのは最後の場面です。
 スタッフがなんとかしてフジコさんの気を奮い立たせようとしてピアノの前に向かわせました。すると、しばらく鍵盤の位置を探るようにして指をなじませていましたが、ゆっくりと弾き始めました。
 もちろん、目もよくみえず、耳もよく聞こえず、椅子に寄りかかっていたのでは、ショパンもリストも無理だったでしょう。いわば極限状態のフジコさんが選んだ曲がモーツアルトのピアノソナタ第11番イ短調でした。

(4)これは私の聞き間違いでないことを祈りますが、この曲は私の好きな曲です。
 この曲の冒頭は、Andante grazioso〔アンダンテ グラッツィオーソ:優雅にゆったり〕です。平たくいうと、朝、ゆったりと朝食をとるとか、新聞を読む、という感じです。
 フジコさんは、この冒頭をいくらか引いて、自らピアノを閉じました。これがピアノに接する最後となったそうです。
 ちなみに、この曲に終わりの方に例の「トルコマーチ」があります。

   
    ホタルブクロ

(5)27日(月)は朝早くにお出かけすることになりました。天気が心配です。
   18:00頃の西の空。
   

   18:30頃の西の空
   

 大丈夫かな? ではここで。
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No.181 あかい花

2024-05-26 04:38:50 | 余録
(1)庭のアジサイが咲き出しました。
   ときおり、風をさそって一斉に揺れ、「撮って、取って」と、てんでにアピールします。
   そして、カメラを構えると、この通り、しとやかなふりをします。
  

(2)ちょっと大きくしてみましょうか。
   すっかりよそ行きのかっこをしています。
   
    きれい、きれい

(3)この時期はいいですね。いろいろなものがどんどん新しい姿を見せてくれますから、歩いていても飽きません。
 こうなると、私の頭の中では、
 「あの山の野イチゴ、もう花が満開だろうな、もうちょっとすると赤くなるな・・・。」
 と、気になり始めます。
 来週は、行く予定です。
 
(4)先おととい〔No.178〕載せたユリも色を変え始めました。
 もうすぐ、後ろのサツキに負けないほどに濃い赤い姿をみせて楽しませてくれるはずです。待ち遠しいですね。
 早く見たいという方は、No.104で去年の姿を鑑賞することができます。
   

(5)赤い花といえば、小さいながら、年々あちこちに種を飛ばして数を増やしている元気な花があります。名前は・・・。
 もともと、私は名前を覚えるのが苦手、人の名前はとくにそうです。 
   

(6)そうそう、たしかガルシンに『あかい花』(岩波文庫)という短編小説がありました。
  えーと、どんな作品だったかというと・・・、ちょっと棚から取ってきましょう。
 帯に、
 「悪との戦いに身を滅ぼす狂気の青年を描いた”あかい花”は、前世紀末〔19世紀〕に生き、一点の良心の灯を守り通した作者自身の姿をうつす」
 とあります。
 そうでした。ほかに「信号」もありました。

(7)ロシアの「一点の良心」とはどういうものだったか、久し振りにこれを読んでふりかえってみることにします。
 いま、悩めるロシア人は「なにをなすべきか」と考えているでしょうから、それを知る手掛かりが得られるかもしれません。かつて、チェルヌィシェフスキーが『なにをするべきか』を書きました。いまのロシア人はどんな本を書くのか・・・。私はまだ若い。ぜひそれを見たい。
 今日は、空が少しどんよりしていますから、家にいるにはちょうどよいかも・・・。

      
 
(8)西の空に雲が多かったようです。彩光もかすかに見えました。
     

 では、ここで。
    

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No.180 およそ半年

2024-05-25 04:51:57 | 追憶
    西の空:2023.5.24、18:11。

(1)昨年の2023年11月26日付けでこのブログを始めて、きょうでおよそ半年です。
 もう何度も書きましたが、このブログは、『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー』日本林業調査会(JーFIC)の宣伝・紹介を目的のために始めたものです。
 この本は、高価なために個人では手を出しにくい本です。同時に、発行部数は限られています。さらに、この本の価値が本当に理解されるまでは、編著者の判断として、10~20年はかかると見ています。そうすると、気が付いたときには入手困難ということになりかねません。
 そこで、必要とされるであろうところの、公立機関、図書館・公文書館、大学や研究機関などの関連部署・団体の皆さんに、なくなる前に、要不要を早めに判断していただけることを願って始めたという次第です。

(2)この間の総閲覧数15、960件(1日平均89件)、総訪問者数10935人(1日平均61人)でした。
 途中の50回目のところで2日中断しましたが、「情けは人の為ならず」と同様「自分のため」にその後も書き続けて今日に至りました。
 毎日、およその制限時間を設けて、思いついたテーマで書いていますが、なかなか書けないものです。
 かけない理由の一番は、いろいろなことを思いつきすぎることです。
 思いついたらそのテーマですぐに書き始められるわけではなくて、「これは後で」、「これは明日」、とやっているうちに時間がなくなります。
 あれこれ迷ったすえに、せっぱつまって仕方なく「エ~イ今日はこれだ」と決めて書き始めますが、そうすると、「これはどうだった」、「なにか参考になる資料があったはずだ、載せたい」、となります。
 もちろん、文章もそれなりに推敲しますが、そのために削り残しが出たり、パソコンが勝手に反応しているのに気が付かなかったりで、思わぬものが出ていたりということもありました。
 それだけではありません。
 文章が終って、あるいはその前に、写真選びが実に楽しいのです。ブログを始める前は、写真は撮りっぱなしで、撮ってもボケたのを消去したり、気に入ったのをいくらか選択するくらいしかやりませんでしたが、見ているだけでも楽しいものを、並べるとなると、またいくらかの前後関係を考えたり、文章に合わせてなどと考えますから、いくらでも楽しめます。そうして、結局、時間に迫られて「これで行こう」となります。

(3)今日も、結局、「たいした意味のない前置き」を書いてここまでになりました。
 といって、いつも「それではザンネン」とばかりにと本論を書き始めるので、手間もかかり、長くなるわけです。
 「〽わかっちゃいるけどやめられない!」

   
    きのうのアジサイのきょうだいです。

(4)ちょっとだけ書きます。
 日本でラジオを聴くことは少なくなっていましたが、留学した時は、耳慣らしのために持参したラジカセでいろいろな番組を録音して繰り返し聴いていました。すると、わりあいよくラジオから流れてくる曲が4曲くらいありました。どれも軽快な曲でした。
 あとから、次の3曲がわかりました。残り1曲は、ドイツのザクセンを歌ったもののようですが、いまも不明のままです。まだ一部はメロディ
 2,Chiquitita.
 3,Woman in love.
 
 どれも有名な曲です。
 なあ~んだ、と思われるかもしれませんが、しかし、歌詞を聴き取るの難しいものですそこで、こんなによく聴く曲なら、曲名も歌詞も、日本に帰ってから探せばすぐに見つかるだろうと多寡をくくって、まったく意識せずにいました。ところが、帰国してテレビやラジオの歌番組などを注意していても、まったくそれらしいのがありませんでした。

   
    これは?そうじ用ではありません。

(5)数年して、香港へ行くことがありました。
 外出してホテルに戻ると、入り口脇のバーから曲が流れて、聞き覚えがある曲だなと思っていると、「上の3」でした。しかし、その時は「あの曲だ」というくらいの感想でした。

(6)それからまた数年して、近くの古本屋にいると、「上の3」が流れてきました。
 いそいで、ロックが好きという店の親父に、
 「いまの曲名を知ってる?」と訊くと、
 「よく聴いていなかった、有線放送だから、問い合わせればと教えてくれる・・・」
 というので、さっそく電話すると、
 「日にちと、曲が流された時間がわからないと特定できない・・・」
 ということで、お手上げでした。
 
(7)ということがいろいろあって、とうとう我慢できなくなりました。
 どうしたかというと、もうこのころはCDの時代になってましたから、立川市のCD点に行って、店員の前でメロディー歌いました。すると店員がすぐに反応しました。こう見えても、けっこう歌はうまいんですよ。のど自慢に出場したいくらいです。オットー!
 店員が「ABBA]のCDを持ってきて、「I have a dream.」と「Chiquitita.」を聞かせてはくれると、私は見つかって「ニコッ」、店員は1点お買い上げで「ニコッ」と双方ともにハッピーとなりました。
 「I have a dream.」
 キング牧師がいましたね。 

   
    にわのイチゴ

(8)「Woman in love.」はどうしたか・・・。
 ある時、中村雅俊がテレビの歌番組で歌ってました。「ヘタクソ」と思いながら、「ヤッター」と言いつつ、彼のアルバムを検索しました。持ち歌かどうか知りませんが、入ってました。
 その後、歌詞も楽譜も入手して、お気に入りの一つになっています。
 みなさんもどうぞ。

   
     野辺の草草:のびのびと、それが特権

 では。ここで。
 
 

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No.179 非正規雇用者の半生

2024-05-24 04:47:23 | あの日

     バラがにぎやかです。

(1)ひとも他の生き物も、衣食住が足りて生活が成り立っています。これがなくては生きられません。そして、その生活のためにひとは働いています。

(2)私は、最初は自分の学生生活のために働き、その次には、研究者の道と家族を養うために働き、そして「稼ぐひと」という意味でのいわゆる「現役生活」を終わりました。この間に一時期だけ正規職員になったこともありますが、研究者の生活としてはずっと非正規でした。

(3)振り返ってみると、非正規であったために不安定であったといえば不安定でしたが、うまく切り抜けてきました。
 うまくというのは、学生の頃のアルバイトは証券会社の相場書きでしたが、このころは列島改造でも知られる高度成長の時期でもあり、証券会社もまだデジタル化する前でしたから、兜町での株の商いを短波放送で受けて黒板に記入していくアルバイトは不可欠でした。
 その後、スタグフレーションが起こりますが、この時期は、定職についていました。

(4)勉強しようとして定職を離れてから、中野区で塾の時間教師になりましたが、そのころは、塾は数も規模も大きくなっていく走りの時期でしたから、専任講師の誘いを断るのが大変でした。大学院に合格してからは、理解してもらえて、それもなくなりましたが・・・。

   
    これは? 黄色い花です。

(5)その後、留学のために最初の塾をやめて、帰国後は国立・立川・八王子の方の塾に移りましたが。この時がすこし大変でした。
 いろいろありましたが、要するに、この時期の塾は、いくらか大きくなってきていたとはいえ、まだ個人経営ですから、ワンマンなところがでてきます。それに対して、私は、自分のためでなくても、よせばいいのに、おかしいことは意見を言う方です。そうすると、意向に沿わないためにうまくいかなくなります。その結果、3度も塾をやめることになりました。
 その中には、自分が必要とされていると思うから、親身になって提言したにもかかわらず、即日クビということになり、「辞めさせるなら1ヶ月分払え」と要求して支払わせたこともありました。
 
(6)年度の途中で新しい塾を探すのはほとんど困難です。収入が途絶えたために、全集や百科事典などを4~5箱分売ったということもありました。
 しかし、世の中捨てたものではありません。その後、塾の時の腕を買ってくれる人がいて、ある大手の予備校に移りました。おかげで、時給が塾の時の最初は2倍くらいから時期に4倍くらいになり、助かったということもありました。

   
    オリーブがまたまた大きく開いてきました。

(7)このころになると、知り合いの紹介もあり、大学の非常勤講師の口もかかるようになりました。
 ところが、ある大学の社会学部で財政学を教えるようになって3年目に、急にカリキュラムが変わり、それまでは、2年生からの受講だったものが、1年生からいきなり受講できることになりました。
 財政学は、本来は「財政論」というべき科目で、経済学の中でも応用分野の科目です。経済だけでなく、政治や経営などいくつもの分野とまたがるので、2年生どころか4年生からでもよい科目内容です。それが1年生から受講できることにされたわけです。
 そこで、年度初めの講師懇談会の席上で、司会者が「ぜひ忌憚のないご意見を」というので、その事を言いました。すると、すぐに教科主任?が説明にて、「あれは誰でも自由に取れるように配慮したもの」と言うので、「入学したばかりものに、いきなり応用科目を履修できるようにしたといっても、配慮とは言えない」と言い返したところ、物別れとなり、翌年はその講座を廃止、つまりクビになりました。
 専任職が、非常勤職の管理職になっているんですね。

(8)もっとひどい例があります。これは別の大学でのことです。
 2000年の頃から財政学の担当が始まりました。受講者は毎年100~160人くらいいました。まあ、多い方でしょう。出席率60%として、学生がいちばんさぼった時期でも50~70人くらいはいました。盛況でしたから、「任せて大丈夫」と思われたのか、5年目からは「行政演習(財政学)」という公務員試験対策を期待していると思われる3年4年生向けの講座が追加されました。

 その後、財政学は受講者がさらに増えて200~300人に及び、また行政演習は「演習」なのに50~60人は当り前、多い時は131人に及び、悲鳴を上げるほどでした。こんなにいると、毎回のプリント印刷だけでもかなり時間がかかります。

 ところが、2009年に財政学の受講者が57人、行政演習は46人と激減しました。これだと、全員出席しても、その前の最低人数ほどもいないのですから、寂しいものです。これを見て、私はなにか具合の悪いことでも言ったかなといろいろ考えてみましたが、何も思い当たることがありませんでした。(当時はまだハラスメントという言葉は一般的ではありませんでした。)
 仕方なく、心当たりがないままに授業を続けて、翌年度を迎えました。そして、行ってみて驚きました。なんと、財政学の受講者が24人、財政学演習(元の行政演習)は3人でした。明らかに異常とわかりました。

(9)そこで、これまでの履修者を調べてみました。その結果わかったことは、つぎのような結果でした。(2010年以降のみ記載)
          財政学履修者(人)    行政演習履修者(人)
         2年  3年  4年     3年  4年
  2010年 126  18  59     15  24
  2011    0  11  46     20  26
  2012   16   8   0      0   3
   
 それまで、財政学を大半の学生は2年時に履修していたのでしょう。そのためもあって3年次時は少なくなります。4年生は、就活もあり、ついでに登録しておくという人が多く、ほとんど出席しません。
 一方、財政学演習は、就職用ですから、4年生が主体です、来る人はきちんと来ます。

(10)問題はこの原因ですが、ようやくわかりました。2010年に制度変更があったのです。どう変わったかというと、財政学と行政演習は選択科目ですが、その同じ時間帯に必須科目を入れたのです。
 私は、それまで同じ曜日の同じ時間帯に授業をやってきていました。制度を変えるなら、それに伴って影響が出ることはわかっていたはずですから、調べて時間変更なりを要請すればよいものを、何も連絡がないまま・・・。
 何があって邪魔だったか知りませんが、要するに、首切りです。

   
    首を切られちゃってもいいのかい・・・。

(11)いま日本で普通にあることですが、非正規は一般に不利な条件下にあります。だからといっていらないのか、付け足しなのかというと、そんなことはなく、本職と変わらない役割を担う不可欠の一員に組み込まれ、場合によっては、本職よりも非正規の方が主力であったり、人数が多かったりすることがしばしばあります。正規・非正規の区別は外部の人から見たら区別はつきません。
 ところが、給与の面でも、勤務待遇の面でも不安定なのが普通です。そして、そういう非正規の人と一緒に仕事をしている正規の専任の人が、管理職として非正規の人の上に立って取り仕切っている場合があります。

 こういう点、「はむねっと(公務非正規女性全国ネットワーク)」が、いろいろな大手の新聞でも地方新聞でも取り上げられるようになってます・・・。女性は、男性よりももっとひどい状態のままです。ちょっと注意してみてください。
 チョー、長くなりました。

    

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No.178 シャンソン

2024-05-23 04:43:51 | 言葉
    
    夕日に映える朴

 きょうは、少しシャンソンのことです。
(1)1981年に留学から帰って、翌年、すぐにフランス語を始めました。英語・露語・独語についで4つ目です。
 というと、すごいと思われるかもしれませんが、私の語学学習は、「辞書を引ければいい」というのが目標水準です。その理由は、日本語でうまい話ができないものが、外国語で流暢に会話などできるはずがないからです。
 このごろの語学講座を聴いていると、旅行に行ったときに店で値切る練習までしていますが、それはそういう需要がある人のことで、私は、高ければ買わないまでで、値切る気はありませんから、いらない学習となります。
 つまり、基本語と基本文法をいくらか習得すればよいので、ぐっと覚える量が少なくて済みます。あとは、出て来る度合いに応じて、必要なら覚える、使わなければ忘れる。

(2)やっぱり、ちょっと脱線したくなりました。「忘れた例」です。
 だいぶ後になって、スペイン語の講座を勉強した時のことです。
 スペイン語をやったのは、スペイン統一戦線のことや、ゲーリー・クーパーとイングリット・バーグマン主演の『誰がために鐘は鳴る』を見たからです。
 もちろん、上に書いた調子でやりました。古本屋で買っておいた文法書にサッと目を通して、辞書とテキストを手に勉強しました。そして、無事に半年が過ぎ、一応のことがわかりました。その結果どうなったかというと、使わなかったために元に戻りました。でも、ゼロではありません。この講座の最後に、ヒメネス?の詩が紹介されました。(正しく復元できたかは不明。)
 Qué es poesía ?   詩とはなにか。
  Poesía, él est tu.  詩,それは君自身だ。

 う~ん、いいですねえ。ロマンがあります。ネイティブの読んでもらって響きを味わってみてください。

   
   オリーブの花がいくらか開きました。

(3)そうそう、シャンソンです。
 1982にフランス語を始めました。
 最初はフランス革命の関係、のちにはカメラリズム(官房学)の関係もあり、和仏ともにそれなりの文献が集めてあるのですが、結論からいうと、フランス語も、スペイン語と同じ運命というか、結果となってしまいました。
 NHKの語学講座のこの時(4月~9月)の担当者は加藤晴久先生でした。英語の国広正雄先生の時に実力ある人だと思わされましたが、加藤先生もそうでした。
 講座のテンポも、説明内容も、テキストの書き方も、伝えたくて仕方ないと思わせる雰囲気にみなぎっていました。そうして、毎月(4月から9月まで)1曲ずつシャンソンを紹介してくれました。
 ここでは、そのうちの4月から7月の曲名とさわりだけ紹介します。興味がある方は検索してみてください。どれもオススメです。

(4)4月の曲: A la claire Fontaine :澄んだ泉で
   澄んだ泉のほとりを
   散歩していたところ
   あまりに水が美しく
   私は泉で水浴びを
   〔詩は全体で5節あり、下はリフレイン部分〕
   長い間
   あなたを愛したけれど
   これからも/あなたを忘れはしない

(5)5月の曲: Sentimentale:恋はセンチメタル 
   センチメンタルなの
   こうして 踊っていると
   星の下で
   あなたの腕の中に抱かれていると
   〔このあとは4節ありますが、形式はそろっていません〕

 (6)6月の曲: Les canotiers:舟遊び 
   水に沿って、川を下りながら
   舟遊びの舟が滑って行く
   水に沿って、1900年ごろ
   ルノアールが舟遊びの舟を描いた
   生活はこんなに便利ではなかったけれど
   人々はこんなに気むずかしくなかった
   恋びと同士のように舟をこぐのは喜びだった
   今ではみんな高速道路に代わってしまった
   〔このあとは、3節あります。往時への郷愁を歌った揺れるような良い曲です〕

(7)みなさん、ご存じでしたか。私は、この時聴いて新鮮に思いました。
 ちなみに、この後に紹介された曲については次のようになっています。
 7月の曲:Débranche ton Soleil:太陽を消して
 8月の曲:不明
 9月の曲:Ne me quitte pas:行かないで
 
 このあとも加藤先生は担当されたようで、その時につぎの曲をとりあげたようです。
 12月の曲:Hymne a  l'amour:愛の讃歌

   
    ユリが出ました。

(8)いくら勉強しても、しばらく使わなければ忘れてしまいますが、全部忘れることはないので、楽しんでます。どの言葉もおもしろくて耳学問としても最適です。
 今のロシアの状況を見るにつけ、自分がロシア語の道を進んでいたら、と思わされますが、韓国へ行ったとき、電車の中で、隣のボックス席の女性が何かを話してました。何を話しているのだろうかと聞き耳を立てると、一瞬ロシア人女性のように思いました。ところが、もっと聞いていると、韓国語〔朝鮮語〕でした。
 おばさんが話す大声では、味はあっても、あまり興味をそそられせんが、若い女性が話す韓国語はロシア語にも聞こえることがあるんですね。
 またまた、脱線しました。では。

   
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