バラがにぎやかです。
(1)ひとも他の生き物も、衣食住が足りて生活が成り立っています。これがなくては生きられません。そして、その生活のためにひとは働いています。
(2)私は、最初は自分の学生生活のために働き、その次には、研究者の道と家族を養うために働き、そして「稼ぐひと」という意味でのいわゆる「現役生活」を終わりました。この間に一時期だけ正規職員になったこともありますが、研究者の生活としてはずっと非正規でした。
(3)振り返ってみると、非正規であったために不安定であったといえば不安定でしたが、うまく切り抜けてきました。
うまくというのは、学生の頃のアルバイトは証券会社の相場書きでしたが、このころは列島改造でも知られる高度成長の時期でもあり、証券会社もまだデジタル化する前でしたから、兜町での株の商いを短波放送で受けて黒板に記入していくアルバイトは不可欠でした。
その後、スタグフレーションが起こりますが、この時期は、定職についていました。
(4)勉強しようとして定職を離れてから、中野区で塾の時間教師になりましたが、そのころは、塾は数も規模も大きくなっていく走りの時期でしたから、専任講師の誘いを断るのが大変でした。大学院に合格してからは、理解してもらえて、それもなくなりましたが・・・。
これは? 黄色い花です。
(5)その後、留学のために最初の塾をやめて、帰国後は国立・立川・八王子の方の塾に移りましたが。この時がすこし大変でした。
いろいろありましたが、要するに、この時期の塾は、いくらか大きくなってきていたとはいえ、まだ個人経営ですから、ワンマンなところがでてきます。それに対して、私は、自分のためでなくても、よせばいいのに、おかしいことは意見を言う方です。そうすると、意向に沿わないためにうまくいかなくなります。その結果、3度も塾をやめることになりました。
その中には、自分が必要とされていると思うから、親身になって提言したにもかかわらず、即日クビということになり、「辞めさせるなら1ヶ月分払え」と要求して支払わせたこともありました。
(6)年度の途中で新しい塾を探すのはほとんど困難です。収入が途絶えたために、全集や百科事典などを4~5箱分売ったということもありました。
しかし、世の中捨てたものではありません。その後、塾の時の腕を買ってくれる人がいて、ある大手の予備校に移りました。おかげで、時給が塾の時の最初は2倍くらいから時期に4倍くらいになり、助かったということもありました。
オリーブがまたまた大きく開いてきました。
(7)このころになると、知り合いの紹介もあり、大学の非常勤講師の口もかかるようになりました。
ところが、ある大学の社会学部で財政学を教えるようになって3年目に、急にカリキュラムが変わり、それまでは、2年生からの受講だったものが、1年生からいきなり受講できることになりました。
財政学は、本来は「財政論」というべき科目で、経済学の中でも応用分野の科目です。経済だけでなく、政治や経営などいくつもの分野とまたがるので、2年生どころか4年生からでもよい科目内容です。それが1年生から受講できることにされたわけです。
そこで、年度初めの講師懇談会の席上で、司会者が「ぜひ忌憚のないご意見を」というので、その事を言いました。すると、すぐに教科主任?が説明にて、「あれは誰でも自由に取れるように配慮したもの」と言うので、「入学したばかりものに、いきなり応用科目を履修できるようにしたといっても、配慮とは言えない」と言い返したところ、物別れとなり、翌年はその講座を廃止、つまりクビになりました。
専任職が、非常勤職の管理職になっているんですね。
(8)もっとひどい例があります。これは別の大学でのことです。
2000年の頃から財政学の担当が始まりました。受講者は毎年100~160人くらいいました。まあ、多い方でしょう。出席率60%として、学生がいちばんさぼった時期でも50~70人くらいはいました。盛況でしたから、「任せて大丈夫」と思われたのか、5年目からは「行政演習(財政学)」という公務員試験対策を期待していると思われる3年4年生向けの講座が追加されました。
その後、財政学は受講者がさらに増えて200~300人に及び、また行政演習は「演習」なのに50~60人は当り前、多い時は131人に及び、悲鳴を上げるほどでした。こんなにいると、毎回のプリント印刷だけでもかなり時間がかかります。
ところが、2009年に財政学の受講者が57人、行政演習は46人と激減しました。これだと、全員出席しても、その前の最低人数ほどもいないのですから、寂しいものです。これを見て、私はなにか具合の悪いことでも言ったかなといろいろ考えてみましたが、何も思い当たることがありませんでした。(当時はまだハラスメントという言葉は一般的ではありませんでした。)
仕方なく、心当たりがないままに授業を続けて、翌年度を迎えました。そして、行ってみて驚きました。なんと、財政学の受講者が24人、財政学演習(元の行政演習)は3人でした。明らかに異常とわかりました。
(9)そこで、これまでの履修者を調べてみました。その結果わかったことは、つぎのような結果でした。(2010年以降のみ記載)
財政学履修者(人) 行政演習履修者(人)
2年 3年 4年 3年 4年
2010年 126 18 59 15 24
2011 0 11 46 20 26
2012 16 8 0 0 3
それまで、財政学を大半の学生は2年時に履修していたのでしょう。そのためもあって3年次時は少なくなります。4年生は、就活もあり、ついでに登録しておくという人が多く、ほとんど出席しません。
一方、財政学演習は、就職用ですから、4年生が主体です、来る人はきちんと来ます。
(10)問題はこの原因ですが、ようやくわかりました。2010年に制度変更があったのです。どう変わったかというと、財政学と行政演習は選択科目ですが、その同じ時間帯に必須科目を入れたのです。
私は、それまで同じ曜日の同じ時間帯に授業をやってきていました。制度を変えるなら、それに伴って影響が出ることはわかっていたはずですから、調べて時間変更なりを要請すればよいものを、何も連絡がないまま・・・。
何があって邪魔だったか知りませんが、要するに、首切りです。
首を切られちゃってもいいのかい・・・。
(11)いま日本で普通にあることですが、非正規は一般に不利な条件下にあります。だからといっていらないのか、付け足しなのかというと、そんなことはなく、本職と変わらない役割を担う不可欠の一員に組み込まれ、場合によっては、本職よりも非正規の方が主力であったり、人数が多かったりすることがしばしばあります。正規・非正規の区別は外部の人から見たら区別はつきません。
ところが、給与の面でも、勤務待遇の面でも不安定なのが普通です。そして、そういう非正規の人と一緒に仕事をしている正規の専任の人が、管理職として非正規の人の上に立って取り仕切っている場合があります。
こういう点、「はむねっと(公務非正規女性全国ネットワーク)」が、いろいろな大手の新聞でも地方新聞でも取り上げられるようになってます・・・。女性は、男性よりももっとひどい状態のままです。ちょっと注意してみてください。
チョー、長くなりました。