神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.177 シャレード

2024-05-22 05:04:52 | あそび

      アジサイが咲き始めました。

(1)もう詳しいことを忘れてしまいましたが、1960年後半に、毎週が待ち遠しかった歌謡番組として「アンディ・ウイリアムズ・ショー」がありました。
 
(2)これについて何か材料ないかとネット検索したところ、つぎのように出ていました。
 「・・番組はアメリカを代表するボーカリストであったアンディ・ウィリアムスがホストとなり、当時を代表するアメリカの歌手や文化人をスタジオに招いて、歌とおしゃべりのエンターテインメントを展開した。日本においても1966年から1969年にかけて、NHK総合テレビジョンで放送されたほか、スカパー!、ケーブルテレビ向けの「チャンネル銀河」でも放送されている。」
 いまでも見られるようですね。このあと、ちょっと覗いてみようと思います。

(3)上に書かれているように、歌手のアンディ・ウイリアムズが毎回ゲストを招いて、話したり、歌ったりするのですが、雰囲気が明るく、軽快さでした。
 それにしても、1時間番組だったとは、よく持ったと思います。
 でも、「アメリカの歌手や文化人」に格別の関心をもっていなかった私は、どちらかというと流して視聴していて、期待していたのは、番組の最後にアンディが歌う1曲でした。その1曲のために付き合っていた・・・という記憶です。
 毎回、「きょうは何を歌うか」という期待感が番組進行中も強く、アンディが、軽く両手を握り、やや斜に構えるようにしながらこちらを向いて、その日の余韻を締めくくるかのように歌いだす、その雰囲気が好きでした。今も思い出すのはそこです。

    
    ハチさんが花粉にまみれています。

(4)手元に、アンディー・ウイリアムズの代表曲24曲が入ったカセット・テープがあります。ラジカセがあまり調子がよくなく、もう10年以上も聴いていませんが、曲名を見るとどれも懐かしく、多分どの曲も歌えるでしょう???。
 読んでいて、ふと「自分が最初に聞いたのはどれだろうか」と思いました。
 繰り返し聴いたので、もう昔の記憶が入り混じっていますが、多分「シャレード」です。
 ゲストとの楽しい語りのあとに場面がサッと切り替わって、張りのある声で歌い出した姿を今でも忘れません。
 「ムーン・リバー」や「シェルブールの雨傘」もよかったです。

   
   ヒヨドリがピーピーと鳴いています。
    「なにが言いたいんだ」ときいても答えませんでした。

(5)「ゴッドファーザー」は、「ギャング映画」・・・と思って、歌も映画もしばらく疎んじていましたが、あるとき気になってテレビで放映されたのを見ました。
 やはりあまりすきになれませんでしたが、引退した父親が、跡を継いだ息子に、
 「味方のふりをして、抗争相手との仲介話を持ってくるヤツが敵だ」
 というような話をする場面を見て、そこだけは感心しました。これが、現にそういう場面を見るからです。

   
    ウツギを見ていたら、蚊が・・・と思ったら、カマキリでした。
     小さくても、一丁前の格好をしています。
     ここのところずっといます。

(6)オット、1982年のNHKのフランス語講座で月1回シャンソンを紹介していました。きょうはそれを本論にするつもりでしたが、ようやく本筋にたどりついたところで、リミットになりました。続きは明日にします。では。

    
    ことしも、とりあえずアケビが葉が育ちました。

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No.176 落穂拾い

2024-05-21 04:14:00 | 余録
 きょうは、タイサンボク〔泰山木〕の落穂拾いです。
 (なにかを説明をするわけではありません。見るだけです。)

 タイサンボクは朴と同系統の花ですが、朴よりも花弁が広く、葉が厚く、硬い感じがします。そのためか、高みに咲いて泰然としているところは同じですが、朴ほどは風にそよぐという感じがしません。葉の揺れ方の違いもそう思わせるのかもしれません。



(1)上の写真は長岡市の悠久山公園で見たものです。前〔No.92〕に、花の部分を拡大して載せましたが、タイサンボクの雰囲気を知るには、この方が「モア・ベター」*です。
 *「モア・ベター」は、80年代に流行した「和製英語」です。
  ネット検索すると出てきます。『現代風俗史年表』には、・・・まだ見当たりません・・・。

(2)つぎの写真は新発田市の市内で見たものです。
 同じタイサンボクですから、花として違いがあるわけではありませんが、朝日に照らされて「にぎやかに咲いていた」という記憶があります。それも何ヶ所も。

    

(3)つぎの写真はある大学のキャンパスで撮ったものです。
 大木が生い茂る植物園の脇のベンチで休んでいると、遠くでにぎやかな声が聞こえる一画で、静かに咲いているのが楽しめました。

   

(4)見ていると、鬱蒼とした大木の枝の透き間から午後の陽が射し込んで、暗がりにあった花にうまく当たりました。すると、ぽっかりと浮かび上がって、ランプのように幻想的に光り出しました。
   

(5)もっと拡大にしてみましょうか。
   

(6)う~ん、キレイキレイ。
 そう思いながら、あちこちと撮ったところ、折よくモデルが通りました。ありがとぅ!
   

(7)モデルさん、あなたはだ~れ?
 お心当たりの方はお知らせください。モデル料として粗品を差し上げます。
 なお、粗品は、同じ植物園内で撮った次の写真2点のうちのいずれか1つ、ご希望ならば2つです。
  
  粗品1:
    

  粗品2:
    

  では、ご連絡をお待ちします。
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No.175 倉戸山ー鷹ノ巣山

2024-05-20 05:53:13 | 
     昭和記念公園(19日)の朴:やや小ぶりです。

(1)きのうの夜、奥多摩の遭難救助隊が倉戸山で遭難者を救出作業をする番組を見ました。思い出のある山なので、書いておくことにしました。なお、写真は揃いませんでした。

(2)下の地図を見てください。
 南に「奥多摩湖」、北〔右上〕に「日原鍾乳洞」、中央に、左から「鷹ノ巣山・水根山・六ツ石山」があり、「倉戸山」は奥多摩湖から北〔上〕に上がったところあります。
   

(3)この付近のルートを説明しておきましょう。
 この付近を上がる人は、一番高い「鷹ノ巣山」を目指す人、東の「六ツ石山」を目指す人でしょう。
 登りのルートとしては、大きく次の3つです。
 1.北の日原から鷹ノ巣山に上がるルート
 このルートは距離が短く(その分、急登ですが)、登りに最適です。ここを登り切れれば、大概の山は大丈夫です。
 ただし、崩落のため、上のルートは変わりました。変更後は登ってません。
 私は、ここを4回上がりました。一人で2回、友人(一人は中山義秀の孫のAさん、もう一人は宮崎県出身のNさん)を案内して2回です。下りに使ったことはありません。

 2.南の奥多摩湖から上るルート
   奥多摩湖からは、5ルートがあります。
  ① 六ツ石山に上がるルート
 このルートは、急登ですが、登りながらも登ってからも眺望がよくお勧めです。
 私が上った日は、暖かかったとはいえ、まだすこし雪がある時期でした。着くと、小学生くらいの子とその母親とみられる人が食事をしていて、何か事情でもあるのではないかと心配させる雰囲気でした。
 下りは奥多摩まで縦走しました。この下りは快適です。
 
  ② 水根山に上がるルート
 このルートは、小河内ダム脇の水根から水根沢林道を上がるルートですが、時間も長く、沢側に深く切れ込んでいるので、少し注意が必要かもしれません。
 なお、樹林帯や沢筋を楽しむにはよいですが、眺望は得られなかったと思います。
 なおまた、水根山そのものは通過点のような山なので、ここから鷹ノ巣山へさらに上がるか、六ツ石山へ向かうかのいずれかをたどることになります。
 私はここをNさんと下ったほか、カミさんを誘って途中まで歩き、沢の岩場で弁当を食べたことがあります。. 

  ③ 熱海から倉戸山に上がるルート
 「熱海」は、その名前のように別荘地のだった?雰囲気ですが、私が訪れた時はすでに廃れていました。この付近は、少し温度が低いですが、湯が沸くことで知られています。
 このルートを登りに使ったことはありませんが、倉戸山ー榧ノ木山-鷹ノ巣山とたどるわけです。下りに2回使いました。
 そのうちの1回、鷹ノ巣山から下ってくると、下から天女が上がってきました。
 もったいないから、詳しいことは書きませんが、
  「こういう人がこんなところを上がって来たのか。いや、舞い降りて来たのだろう」
 と、まあ、そういういう感じでした。

  ④ 女の湯〔めのゆ〕からのルートと坂本団地とある方からのルート
 私は女の湯から上がりました。坂本からは上ったことがありません。
 冒頭のニュースの遭難者は、このルートのいずれかを上がったもののようですが、推定では、坂本団地の方からと思いました。30度くらいの傾斜のところはどこにもあるので、要注意です。
 なお、私が女の湯から上がったのは、その名が優雅だからですが、どうも「天女」がそこから来たらしかったからです。

  ⑤ 峰谷から鷹ノ巣山に上がるルート
 鷹ノ巣山に一人で登った時に、急に天候が変わったことがありました。その時に、少し急ですが、最短時間で下れるこのルートを下りました。
 なお、降りてからのバスの便少なく、奥多摩湖に架かる峰谷橋まで歩くことになります。上りにつかったっことはありません。
  
 3,東の奥多摩から縦走しながら上がるルート
 私は、このルートを載ったことがありません。下りに2回使ったでしょうか。長いですが、多摩の周囲の場を見ながら下れるのでお勧めです。奥多摩から、鷹ノ巣山を経て、西の「雲取山」へ縦走という人もあるようです。

(4)私は、雲取山ー笠取山ー雁坂峠と雁坂峠ー甲武信岳ー国師岳―金峰山―瑞牆山2回に分けて、奥多摩から奥武蔵の山々と山梨方面を縦走したことがあります。実に雄大です。
 ちなみに、神足勝記は、雲取山には上がりませんでしたが、雁坂峠を越えました。甲武信岳北の「十文字峠」を越えましたし、金峰山に上がり、瑞牆山と思われる山にも上りました。そして、この一帯の全地形を掴みました。
 事故のないようにして、皆さんにも見てほしいと思います。
 また脱線しました。ここで。

   
 
 

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No.174 テレビ:いる?、いらない?

2024-05-19 04:50:30 | 余録

        朴:あこがれ

(1)「このテレビが壊れたらもう買わない」とカミさんによく言います。
 我が家でテレビをつけるのは、第1にニュースを見るため、第2は興味ある番組を見つけたときです。

(2)ニュース番組は、食事時にNHKのを見ることが多いでしょう。
 その理由は、民法は、スポンサーに忖度していないといいながら、まずコマーシャルをどう入れるかで忖度しています。
 コマーシャルが入ると、話が中断します。そのため、続きを見てもらうために、思わせぶりな中断をさせます。そうすると、話に連続性を持たせる必要が出てきますから、コマーシャルの前後で同じ場面を2回は見せられることになります。おまけに、それがイヤな衝撃的場面だったりすると辟易します。

 一言。
 最近は、いろいろな意味で視聴者への配慮が乏しいようにおもいます。
 自分勝手というか、話し方がうるさいばかりで目的がよくわからない、最新技術を使って画像が落ち着かないものが多い・・・と感じます。

 もちろん、うるさい時や嫌な時は消しますが、それまでの間に売らんかなの音声がずいぶん流れます。
 たとえば、ひざ・腰・肩などを痛そうにする人をみせて、「これは・・・の不足かも」と恐怖心をあおり、根拠なく買わせようとします。
 ほかにも、メシドキに「尿もれ・・・」と突然大きな声でしゃべりだして、挙句に、今から30分間以内に・・・。
 そうかと思えば、最初3万円といった値段のものが、女性が「シャチョー」とか言ってねだると、社長が「税込み1万円に値引きする」と・・・。

(3)しかも、これが繰り返し流される・・・。まあ、ある種の公害ですね。
 これがイヤな時は消すし、声を小さくするし、壊れたら買わない・・・となります。

 ちなみに、最近は大谷翔平さんのブームですが、大谷さんが出ても、我が家ではプロ野球をほとんど見ません(見なくなりました)。とくにメシドキはまず見ません。理由は、ガムをくちゃくちゃとか、挙句にペッとやるからです。
 スポーツで、それも自分の仕事場で、まさに醜態。ヒドイことです。

    
    ?:昭和記念公園で

(4)ついでにもう一言。
 「役者とは、
  1.コマーシャルに出て商品の看板持ちをする人のこと、
  2.旅番組に出てドサ廻りをする人のこと、
  3.バラエティ―番組でお笑い芸人の小銭稼ぎの場を奪う人、
  映画が斜陽産業になって、テレビもお決まりのドラマ化して、俳優ではなくなりました。
  ・・・変わりましたね。
 
(5)もちろん、NHKを見るからといって、内容がいいからではありません。広告がないから、という程度のこともあります。このごろは、民放と変わらないくらい宣伝もやってますし、視聴率稼ぎのドタバタのバラエティ―番組も多いようです。アナウンサーのスター気取りも甚だしいようです。
 それだけでなく、NHKは公共放送と言いながら、いろいろなところでかなり偏向があるのを感じます。これはこれで改善されるべきことですが、最近感じるのは、取材力の低下です。目配りの悪さです。
 最近、ある殺人事件がありました。これを報道すること自体は重要と思いますが、しかし、警察が小出しにした犯行手口などの情報を連日事細かに伝達報道するばかりでは、見る側として迷惑です。ブルー・テントに囲まれた同じ事件現場の画像が出て来ると、それだけですぐに消します。
 殺人事件や交通事故などを根掘り葉掘り知らせるのではニュースとはいえません。
 国民が知っておかなければならないことはあるのではないか。それも緊急性があることがあるのではないか。それに対してるNHKとして国民に知らせたい視点、問うべきところは何か、それをがほとんど感じられません。

(6)このごろは、夜の「ニュース845」を見たあと「ニュース・ウオッチ9」が始まると、見出しを見ただけで消すこと多くなりました。
 ただし、ほかの報道番組では苦労している力作があることは見逃せません。この点、いまのテレビが壊れたときどうするか、悩む所です。

   
    うつぎ:庭で

(7)年とってますますやりたいことが多くなりました。理解の面では、むしろ前よりもっと自由に動けるようになりました。
 『神足勝記日記』を見ると、神足は、定年後に『回顧録』をまとめ、『神足家系録』をまとめます。いよいよ高齢化して外出が困難になってくると、廊下を何往復もして脚力の補強を心がけます。気概を忘れない人でした。自分もそうありたい。
 人には個体差があり、分野にもよるでしょうが、私の分野では、50~60はハナタレ。むしろこれからです。
 テレビが、その役割を果たさず、時間つぶしになるだけなら、もう買わない。
 「この点」、わが夫婦は意見が一致して仲がいいです。

 では。

    
     ?:昭和記念公園
 
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No.173 モスクワは・・・ 

2024-05-17 22:31:00 | 余録
   朝焼けの朴

(1)きのうはオグジャワの「グルジアの唄」を取り上げました。テープをお聞かせできないのが残念です。
 そう思いながら書き終わってから、「モスクワは涙を信じない」(作詞:D.スーはレス、U.ヴィズボル、作曲:S.ニキーチン)のことが浮かんできました。これは同名の映画(1979年)の主題歌ですが、歌というよりも語りの口調で始まり、そのまま淡々と口ずさんで歌いきるという感じです。「グルジアの唄」もそうですが、感情をあらわにしない、外から見守るといった感じです。とはいえ、これは、あまり深入りしないことにして、専門家にお任せしましょう。
 私はのちにテレビで放映されたのを見ましたが、古書店で見つけた?パンフが残っています。
   
    大きさ:225×140mm、55ページ
 
(2)当然、もう見たという人もあるかもしれませんが、映画の筋や内容などは、今はネットでだいぶ懇切に紹介されています。この映画には、ソ連の時代の世相や人間模様が描かれていて興味深いところもあります。あちらの雰囲気があるので好き嫌いがあるかもしれませんが、ゆっくり味わってみるのがよいかもしれません。
 ふと思ったことですが、モスクワ(=ロシア)が平和を取り戻そうとしたとき、ロシアがウクライナから手を引いてその先へ行こうとするとき、この歌が歌われるかも・・・。

(3)人に薦めておいてこう言うのも変ですが、私は音楽の方が惹〔ひ〕かれました。
 私は、なんでも面白いところは切り取って別閉じして残しておくのですが、1990年頃のNHK語学講座(応用編)で、「物語ロシア語史」(担当:中沢英彦)、「ロシア民謡と文化」(担当:伊東一郎)、そして、正確な名称が不明ですが、「夏の復習シリーズ/夏期特集/発展シリーズ」ということで、「詩」が取り上げられたようです。
 きのうの「グルジアの唄」ときょうの「モスクワは涙を信じない」は、この3つの講座の仕切り用に挟んであったものです。気に入ったので覚えようとしたものの、どちらも私には歌うのが難しく、ずいぶん練習しました。

   
    オリーブの花

(4)ところで、話が変わりますが、NHKの語学講座はいまでもときどき聞きます。それで思っていることがあります。それをちょっと書いておくことにします。
 今は1回あたりの時間が20分から15分に短縮になりました。5分ですが、4分の1の短縮です。この結果、余談が少なくなったとか、テンポがよくなった面がないとはいえませんが、講師の語り口がせわしなく、内容にゆったり感が乏しくなり、貧困になったように思います。その割にやたらと文法事項が詳しいという感じもあります。
 内容が、外国の文化や良さを理解するというよりも、原文を読んだあと、日本語訳と2・3の要点を急いで言って終りとか、旅行用のおしゃべりとか、値切る練習のような場面があったりして、「おしゃべり養成講座」の感もあります。
 それから、講師の日本語が変だったり、それ以上に、発音協力者であるべき外国人〔ネィティブ」に日本語をしゃべらせるとか、さらに外国人が文法事項を説明して、その日本語の発音が変であったりする場面が耳につくことがあります。
 たとえば、ハングルでの韓国人の発音は、かなりの熟達者でも語頭の濁音の発音が困難で、「かいとう」といったときに、これが「解答」なのか「該当」なのかわからない、というような類のことがよくあります。
 
(5)オット、脱線しました。
 (3)で挙げた3講座、あれはかなりハイレベルです。もう記憶はありませんから、いまテキストを読んでの印象です。
 もちろん、「応用編だから」それもいいのですが、授業は、すぐに面白いとか・役立つとかいうよりも、結局は一人でやらなくてはダメなので、自力でやる気力を喚起する、奮い起こさせる工夫、これが求められていると思います。これが難しいのですが。
 そうそう、このごろは、よい先生が長く担当するということが無くなったようですね。名物講師がいなくなって、担当者が若い人で、ころころと変わる・・・。

 では、また。

   
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