神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.228 明治大正言論資料

2024-07-11 23:48:16 | 文書・文献
【コレクション 18】
(1)日本で見る世界地図は、中央に日本があり、西に朝鮮半島や中国・ロシア、東に太平洋・アメリカというのが普通です。
 しかし、社会の発展、とくに資本主義の発展を歴史的に見ると、ヨーロッパが中心となります。まずイギリスやフランスで経済が発展し、それに続いて西はアメリカ、そして東はドイツ・ロシアそして日本の順となります。つまり、日本は経済の近代化という観点からいうと世界の端にある国ということになります。

(2)これを、経済理論の発展の観点からいうと、まず、中世以来の商品経済が発展してきて、1800年前後の産業革命をへて機械制大工場化した資本主義経済が確立します。この間、アダム・スミスやデイヴィッド・リカードウらの経済理論の形成が見られますが、資本主義が自立すると、こんどは失業や貧困など、資本主義経済の問題点が表面化してきます。
 産業革命がおよそ1830年ころに終わりますが、1840年代には早くも経済恐慌や革命運動が梶まってきて、マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』が1848年に出されます。これは、1868年の明治維新より20年も前のことです。

(3)一方、日本と同じく当時の後進国だったドイツは、先進国英仏に追い付くために国家財政を使って政策的に大企業体(独占体)をつくって対抗しようとします。その財政理論として発展したのがドイツ財政学(講壇社会主義)です。
 そして、ドイツは、資本主義が遅れているという点での問題と、急激に大規模資本主義化したことによる問題が起こって、一気に革命への方向が生まれてきます。そのために、社会主義鎮圧法などの悪法が導入されていきます。

(4)これよりさらに遅れて近代化が始まった日本には、イギリスが資本主義に向かって発展する時代の、自由競争の伸び伸びとしたアダム・スミスの理論と、資本主義が問題点を生み出してきてかげりを見せ始めたころのデイヴィッド・リカードウ理論と、さらに国民を弾圧しながら大企業体をつくって対抗して行こうとするドイツの理論とが、混然として一気に流れ込んできます。
 これは、欧米に出かけた人が、どこの誰のところへ行ったかによって影響のされ方に濃淡があったといってよいわけですが、日本の場合は、伝統的な在来の思想の上に、欧米からの思想や理論が重なって近代思想が形成されていったわけです。
 
(5)長くなりましたが、きょうは『明治大正言論資料』です。
     

 このパンフレットはB5判大、表紙とも12ページです。
 この表紙には、左右両側に署名(サイン)があります。これを読むのも楽しいですか、できるだけ大きくしておきました。ぜひどうぞ。
 内容は次のようになっています。
  1ページ.表表紙(上記)
  2ページ.上4分の3に「刊行にあたって」、下4分の1に「全体の構成」
  3~9ページ.「全体の構成」にしたがって、次の解説
     Ⅰ 近代新聞の誕生
     Ⅱ 大記者の時代  
     Ⅲ コラムの時代
     Ⅳ 戦争報道
     Ⅴー1 内乱と相乗
     Ⅴー2 大陸時代
     Ⅴーー3 差別問題
     Ⅵ 外事新聞
 10~11ページ 組方見本(
 12ページ 「本資料集の特色」
       刊行予定:84年1月末日 
       第1回配本 中江兆民集 東雲新聞 明治21―23年 後藤孝夫編 9800円

 以上です。なお、各解説は8ポくらいの小さい活字で細かく書かれています。そのためもあり、ここでは割愛し、次の項に「刊行の意義」をとりあげておくことにします。

(6)この資料集は、当時すでに入手可能となっていた『幕末明治新聞全集』、『明治文化全集』、『福沢諭吉全集』、『陸羯南全集』を除いて、「入手不能または閲覧不自由な資料を総合的に提供」することを目的としていること、そしてこの刊行の意義を次のようにいいます。

 「1868年にはじまる日本の近代化の百年の歩みは、最近とみに注目されている、この革命のもたらした重要な一側面は、自由な論議の誕生であり、そのメディアとしての新聞の誕生である。新聞は1925年(大正14年)ラジオ放送の開始されるまで、言論と情報の唯一メディアであり、内容的には日本人の public mind の最良の表現が示されている。
 内政または国際関係の重要な局面あるいは危機状況において、このメディアは何を、いかにして伝達したか、また何を伝達しなかったか、それらを歴史の資料として、ここにはじめて系統的・全体的に編集し公刊しようとするものである。」

   
   昭島市郷土資料館

(7)私は、ここを読んで2つのことを思いました。
 一つは、ラジオ放送が開始されるのが1925年であることです。
 政府は、1900年に治安警察法を制定し、これを強化して治安維持法を制定します。これによって、政府に批判的な意見を押しつぶしていきました。とくに、天皇制と私有財産問題で最もマークされた日本共産党が解党的打撃を受けます。
 これは、上に書いたドイツの社会主義鎮圧法ともつながるものですガ、ドイツではその対策が遅れたために、アメ〔福祉などの社会政策〕とムチ〔労働運動や社会主義者弾圧〕のうちのアメが比較的に強化されます。ところが、日本はこのドイツの経験に「学び」いち早く治安維持法などによって弾圧してしまいますから、その後、日本で社会政策が遅れる原因になります。
 福祉や医療などは膨大な経費を必要とします。哀れみでは十分な政策はとれませんし、いまの年金と同じで、財政が苦しくなると、真っ先に切り捨てられます。これを整備し充実させるには、強い政治勢力・圧力がないと政府はやりたがりません。国民がそれを理解するようにならないと、本当に安心できる政策はとらせることができるようになならないものです。
 いまでもそうですが、パーティー券を買ってくれるとか、政治献金をくれる方の意見に傾くのはそういう理由からです。軍事に傾くのも、国際情勢とかいろいろありますが、結局がそういうことです。

 もう一つは、『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)でも出てきますが、神足が、いち早くラ時をを購入していたことです。そうして、当時のおもだった人たちの講演・講義などを聴いて、定年後の「耳学問」がをやっていました。
 神足の晩年を考える場合に、このラジオの問題と新聞などの問題は切り離せません。どこまで手が回るかわかりませんが、注目しているところの一つです。
 
 長くなりました。では、きょうはここで。

   
     西の空
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No.227 ハーバード・ノーマン全集

2024-07-10 23:35:20 | 先行研究
【コレクション 17】
(1)小さいころから、よく本屋に行きました。
 古書店でも普通の書店でも入って背表紙を見て、おもしろそうな本、持っていたくなる本はないかと、それを期待して入ってひとわたり品定めをして、ごくたまには買うというくらいの子供でした。
 その時もいまも、本を読むのはメンドウ。読みたいのでなく、見ていたいというだけ。そこは変わっていないようです。
 群馬県藤岡市立藤岡小学校(のちに第1小学校)の、多分2年生の時、バスの発車までに時間があったので、5丁目にあった古本屋(貸本屋も兼ねていたかもしれません)に興味をもって入ったことがあります。
 店は、昔の上半分ガラスの重い引き戸式の入り口で、中をしばらく覗いてから、ゴロゴロと音を立てながら開けて入りました。中はまだ江戸時代の帳場の雰囲気で、そこにいまの私と同じくらいのジイサンが座って店番をしていました。
 入って、読めもしないのに、ジイサンの前の本をひとわたり見て、ジイサンと目が合うのを避けて、右にしつらえられた棚の方へ目をやりました。そこも小学2年生に読める本などあろうはずはありませんでしたが、だまって棚の上の方の本を見ていると、後ろから言いました。
 「一番上の本、読める? 読めればあげるよ。」
 それで、挑戦しましたが、1冊目から読めませんでした。
 気まずくなり、すぐに出てきてしまいましたが、だいぶ後になって、あのとき読めなかった字は「埋」だ、と確信しました。

(2)きょうは、昨日出てきたハーバード・ノーマンの「全集』です。
 ノーマンは、カナダ大使館員でしたが、ソ連をスパイと疑われて悩み、1956年に47歳という若さで自殺してしまいます。大窪愿二さんは、約20年かけて遺稿を翻訳整理されて刊行にこぎつけました。それが次のパンフレットです。
     

 このパンフレットは、B5判大、表紙とも6ページです。
 1枚の用紙を3等分して、まず左から織り込み、次に右から折り込むと上のようになります。
 
 内容は、次のようになっています。
 1ページ表紙
 2~4ぺージが見開きでは、2~3ページの下3分の1に次の「全4巻の内容」が紹介されています。
   第1巻 日本における近代国家の成立 
   第2巻 日本政治の封建的背景 
   第3巻 安藤昌益 
   第4巻 日本の兵士と農民・歴史随想
 次に、上3分の2を使って、次の5氏の「推薦のことば」が紹介されています。
   桑原武夫 クリオの目で知人
   中野好夫 忘れ得ぬ豊かな思い出
   丸山真男 逝きし者も近し
   遠山茂樹 本来の歴史学とは何か
   ジョン・ダウワー ノーマンよ 蘇えれ
 そして、4ページ目の上4分の3に組方見本、下4分の1に次の略年譜があります。
 
 
 つづいて、5ページ目の上4分の3に「刊行のことば」、下4分の1に次の「編者のことば」があります。
    

 この、前段には編者の思いが語られていて、後段からは、その達成感を読み取ることができます。これは、山に登った時に感じるものと同じです。ぜひ、ゆっくりと読んでみてください。
 なお、岩波書店は「刊行のことば」で、ノーマンについて次のように評価しています。
 「歴史の女神であるクリオは、片手に書物を片手に楽器を持ち、その顔は清く住んでもの思わしげなさまを示しているという。歴史学が文明を進歩させるための学問であるとの確信に立ち、歴史の価値について譲ることのない信条を持ち続けたE・ハーバード・ノーマンは、その生涯の生き方において、「クリオの化身」と呼ぶにふさわしい人であった。」

 最後の6ページ目には、「本全集の特色」・装丁見本・発売予定が記されています。
 発売は1977年4月27日からと記されています。
 
(3)私は、『資本論』のゼミにいたので、ノーマンをいつから、どのくらい読んだか、記憶がはっきりしませんが、『ノーマン全集』が刊行された1977年4月に立教大学の修士課程に入学して、日本経済思想史の逆井孝仁先生の授業に出席できるようになりましたから、すでに岩波新書などでノーマンを読んでいたとは思いますが、『全集』刊行が話題になって、とくに安藤昌益、その前に三浦梅園にも関心をもっていましたから、それまでよりもやや余計に読むようになったものと思われます。
 しかし、御料地・御料林・皇室財政問題に向かうようになってからは、だいぶ遠ざかってしまいましたので、この頃の人がどのくらい研究しているのかは不明ですが、きのう・きょうと、棚から取り出して読み返しました。やはり優れた人でした。
 では。

   
    西の空
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No.226 安藤昌益全集

2024-07-10 00:05:51 | 先行研究
【コレクション 16】
 毎日、夕食後にパンフレットの箱を開けて、きょうはどれにしようかと見ます。前にはそういうことはありませんでしたが、ここのところ、習慣のようになってきました。前日に、明日はこれにしようと決めておいてあるにもかかわらず、やはり見ます。すると、知らず知らずに読みいって、あっという間に1~2時間すぎてしまいます。「耳学問」ということがありますが、これは「パンフレット学問」とでもいったらよいでしょうか。
 みなさんに現物をそのまま全部をお見せできなくて残念ですから、参考のためにいくらかの文章を書くようにしていますが、それでもなかなか現物を手に取ったようなわけにはいかないものですから、とりあえずは、花の写真の時と同様に、見た目を楽しんでいただければそれでよいかと思っています。そして、本屋に行ったとき、お目当ての本だけでなく、どんなものが置かれているか注意てみてください。楽しいものです。大事なのは、自分の目、関心です。

(1)きょうは、『安藤全集』です。
   

 この全集は、書き下し・現代語訳が全16巻・別巻1冊、復刻編・影印版が全5巻、あわせて、全21巻・別巻1からなっています。これが、昭和61(1986)年10月に農山漁村文化協会(農文協)から発行されました。
 パンフレットの大きさはB5判大、表紙とも16ページですから、かなり読みごたえがありますが、全体の構成は次のようになっています。
 1.表表紙(上記) ただし、右上の「昭和62年度 毎日出版文化賞「特別賞」受賞作品」とある箇所は、このパンフレット作成後に受賞が決まったようで、貼付物です。
 2.2~7ページは、農山漁村協会による内容紹介です。この部分の一部は下の『安藤昌益特集』に利用されていますkら、読めそうなところを読んでみてください。
 3.全11巻の構成。
 4.9~13ページは、内容解説。
 5.14~15ページは組方見本。
 6.裏表紙は販売宣伝と装丁見本。

 以上ですが、この全集の画期的なところが、表表紙の中央上に「出版史上初めての全巻復刻・全巻書下し・全巻現代語訳・注解・解説という・・・編集」にあることが書かれています。とはいえ、これを紹介できませんから、代わりに『安藤昌益特集』という小新聞の一部を紹介します。

 
(2)『安藤昌益特集』(パンフレットの2~7ページの一部が掲載されています。) 

  『安藤昌益全集 一』に挿入されていた宣伝紙です。

(3)安藤昌益の名は、すでに少数の人に知られていたということですが、戦後、ハーバード・ノーマン(カナダ人)による研究・紹介で知られるようになりました。わたしもノーマンの次の著作を通して知りました。
 『忘れられた思想家 ―安藤昌益のことー 』(全二冊、大窪愿二〔おおくぼげんじ〕訳、岩波新書、昭和44(1969)年12月)
 この本は、たいがいの図書館にありますから、これは措いて、別の一冊を紹介しましょう。

(4)『安藤昌益』(八戸市立図書館編集、伊吉書院〔八戸市〕刊、昭和49(1974)年6月)
      

 これは、巻頭に司馬遼太郎「昌益雑感」があるほか、「安藤昌益研究略史」や「安藤昌益関係資料目録」のほか、昌益に関する研究や回顧が編集されていて、すでに刊行から半世紀が経過しているものの貴重なものと思われます。
 
    
     チョウセンゴヨウマツ(山梨大学で)

(5)戦いすんで、その分析が始まりました。
 どんな分析結果になろうと、 えばる人はダメです。 ツッケンドンな人はダメです。 ウソを言う人はダメです。 率直でない人はダメです。ひとことで、傲慢な人はダメです。
 ただの個人ならば、「あいつはバカだ」、「ああいうのはキライだ」で済みますが、政治家は違います。ひとたび当選すれば、権力をもちます。その人がわがままを言えば、多くの人がおろおろするハメになります。
 権力は、必ずではありませんが、しばしば腐敗します。腐敗するのは、もともと傲慢だからか、あとから、うまい汁を吸って傲慢になるからです。
 まず、もともと傲慢な人を代表に選ばないこと。不適格者だから。

 では。
    

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No.225 石母田正著作集

2024-07-08 23:56:51 | 先行研究
【コレクション 15】
 きょうは、『石母田正著作集』です。
 この本は、最初、1988年10月7日に刊行されました。その後、2000年9月6日に再刊されました。手元にはこの2回分のパンフレットがありますので、以下にこれを紹介します。

(1)まず、最初の刊行時のものです。
    
    
 この大きさはB5判大、表紙とも8ページです。観音開きになるように、中央で一回、さらに左右から織り込んでいます。
 構成は、上の表表紙と裏表紙(販売案内と装丁見本)、これを開くと、右に岩波書店の「刊行のことば」と「特色」、左に、永原啓二「編纂にあたって」と「編集委員」があります。
 そして、さらにこれを広げると4ページの見開きなります。
 このうちの右から2ページ分の上段に推薦文と下段に「石母田正略年譜」と写真(下に掲載)があります。
 そして、左2ページに「全16巻の内容」が「理論と実証の緊張関係の上に成立した石母田史学の全世を提示!」の「見出し」で掲げられています。
 構成は以上の通りです。なお、内容組方見本はありません。

 次にいくらか内容を紹介しておきましょう。
 1.まず、「刊行のことば」では次のように述べられています。
 「科学的な歴史研究の運動を積極的に推進されただけでなく、様々な分野の知識人たちと手をたずさえ、平和で民主的な社会の確立のために多くの努力を傾注された」
 「天皇制に呪縛され軍国主義に動員された戦時下の日本人の姿を見据えた目で日本の社会と国家の特質を究明するために、世界史的視野のもとで卓抜な問題意識と鋭利な分析方法と優れた表現力をもって切り開いてこられた・・・。」

 2.次に、永原啓二「編纂にあたって」では次のように述べられています。
 「氏の学問がどれほど広い影響をもたらしたかは測り知れないものがあるが、それには少なくとも3つの理由がある。一つは氏の論がつねに鋭く現代に問いかける問題意識を鮮明に示していること、二つは歴史分析の装置と論理が世界史的な視野と科学性を堅持していること、三つは歴史に対する豊かな感受性と文学的表現力を備えていること、である。」

 3.推薦者とタイトル 
   直木孝次郎(相愛大学教授・日本古代史) 不世出の歴史学者
   藤田省三(法政大学教授・日本思想史) 特有の光輝 
   網野義彦(神奈川大学短期大学部教授・日本中世史) すぐれた理論と深い洞察
   山口昌男(東京外国語大学教授・文化人類学) 歴史学と文学との豊かな対話 
 この中で、直木は「氏の学問が着想と実証にすぐれていただけでなく、氏が明確な理論を持ち、実証を通して世界史の法則の解明に貢献した」、藤田は「どの文章を採ってみても石母田氏の書かれたものには多層性があって、一つ一つの層ごとに読者をハッとさせる洞察が提出されている」、網野は「石母田氏の学問の持つ強烈な力の根源は、なによりもその一生を通じて、時代の現実に対し、つねに誠実かつきびしい緊張関係を保ちつづけた氏の生き方そのものにある」、山口は、石母田の著作について述べた後、「生涯の3人の氏の一人として私淑できたことは我が人生の幸せと思う」と述べています。

 4.石母田正略年譜
 
 
 この年譜は、先生の研究と生涯を考えるうえでたいへん興味深いですが、いまそれは措いて、石巻市の出身であること、「歴史学研究」編集長の前に出版関係に勤務されたこと、1973年に闘病生活に入られたことが注目されます。
 このうち、石巻は、前に紹介した(12月30日あたり、No.96あたり)北京構想や御料地設定に関して、神足勝記も巡回していますし、私もずいぶん歩きました。

 つぎに、『歴史学研究』は、後日紹介する予定です。きょうは省略します。

 最後に、1973年に先生の講義を、履修登録せずにモグリで、聴きに行きました。これについてちょっと書いておきます。
 100人くらい入る教室のまん前に座っていると、先生が、カバンを斜に背負って、杖を突いて入ってこられました。年譜によれば、この時はまだ還暦の頃だったことになりますが、病気のせいでしょうか、今でいえば80歳くらいの感じでした。それからすると、上の写真はずいぶん若い感じがします。
 そして、カバンを置くや否や、古代の刑罰には「笞(ち)・杖(じょう)・徒(ず)・流(る)・死(し)」がありました。しかし、このうち流罪と死罪は、庶民には関係ない。主に政敵に対するものです。庶民を殺してしまっては、生産に影響しますから、庶民は、逆らわないように、笞(むち)・杖(ぼう)で叩いて懲らしめて放免すればたりる・・・。」というようなことを説明されましたが、あとはとんと覚えていません。 

 5.写真:写っている人の3人くらいは想像がつきますが、自信がありません。
    
 
 だいぶ長くなりましたから、最初の分はこの辺で切りあげましょう。。

(2)つぎに、再刊時のものです。
    

 この大きさはB5判大、表紙とも4ページです。B4判を二つ折りした体裁です。
 構成は、上の表表紙と裏表紙(販売案内と装丁見本)、これを開くと、いちばん上に「理論と実証の緊張関係の上に成立した石母田史学の全世を提示!」の「見出し」、ついで、上3分の2に、右から、永原慶二「再刊にあたって」、「全巻の内容」、推薦文(上記の直木孝次郎・山口昌男の採録)、つぎに下3分の1に、右から、「石母田正略年譜」、「特色」があります。写真もなく、最初の刊行時のものの簡単なものなって、とくには見るべきところはありません。

(3)きょうは、石母田先生の顔がずいぶんにこやかに見えます。
 私も、ほかの皆さんと同様、ずいぶん勉強させていただきました。
 特に、『日本の古代国家』は何度もハッとさせられ、圧巻でしたが、『中世的世界の形成』を読んだときは、目の前で歴史がググっと動くのを感じました。学恩に感謝です。

   

(4)恩師の宇佐美誠次郎先生は、しばしば「学問は、モードやフィーリングでやってはならない」というように言われましたが、おしゃれどころか、金儲けのためにやっているのを見ます。最近は、原爆の開発者のことが話題になりましたが、学問をすることが人を苦しめることになるのでは、本末転倒です。

(5)きのうの都知事選の結果、だんだんマスコミの対応などもみえ始めてきました。
 選挙も、ムードでやっているうちは国民の幸福につながる結果にはなりにくいですね。立候補する人の見識、選挙民の政治認識の質や高さ、これが決定的に重要です。
 ウソつき・思いつき・キテレツでなく、そういうおちゃらかしでなく、まじめに取り組むことをよしとする目をどう作っていくか、こんどの選挙の重要な教訓と思います。
 NHKはおかしい、それはわかっています。でも全部ではない。どこがおかしいかをきちんと批判して、地道に直していくのが当然。
 奇襲は、戦争を引き起こす、真珠湾攻撃の思想。断じて許せません。

 では。きょうは暑かったけど、さるすべりが赤く燃えてました。
    


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No.224 都知事選挙の日

2024-07-08 00:31:40 | 君へ
(1)7日、きょう、東京は知事選挙でした。私も10時に投票に出ましたが、室外温度計は35・5度くらいありました。でも、まだ平気です。夏は大好き。ひと汗かいても、鉄管ビールで生き返り・・・ます。
 と、よくこういうふうなことを言いますけど、これは多分ウソ。いまは、冷えた麦茶か、できれば麦ジュースが必需品、これが真相です。
 昔は昔なりの方法があって、たとえば、小川や井戸で冷やしたスイカ・トマト・キュウリなどを食べました。もっとも、いまより5度くらい温度が低かったですね。

(2)選挙会場では、大きなヒマワリが待ってました。
 「ウクライナのひまわりと同じかな」と思いながら、1枚を撮りました。
    

(3)あっそうだ、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ主演のイタリア映画「ひまわり」がありました。反戦映画の金字塔ですね。身につまされます。
 身につまされるといえば、ほかにも映画「自転車泥棒」や「鉄道員」なんかもそうですね。
 
(4)そうだ、選挙でした。
 帰りに見たら、10時の投票率は27%ちょっとでした。
 投票場を出て、よその庭先で写真を撮っていると、「暑いのに、ごくろうさん」とやって来ました。
   
    「君の名は」と問えば、「・・・ムシ」と。

(5)家に帰ると、「お帰り」とハモって、跳ねて喜こぶ声がしました。
 あまり跳びはねて足にまとわりついてくるので、
 「おいおい、お行儀よくしないと踏まれちゃうよ」
 と比較的やさしく言ったのですが、やめる気配がありません。それで、 
 「おい、あぶねぇてゆってるだんべ。行儀わりいと踏んじまうじゃねぇか」
 と叱ると、パッと整列しました。
 代々の付き合いで、上州弁ならわかるようになったみたいです。
 夕方の水やりの時に、ついでにかけてかわいがってやりしました。
   
     
(6)夕方、水やりのあと散歩に出ると、うす紫の花が見えました。静かに咲いていました。
 「八千草薫さん」ですね。
 えっ? 
 つまり、その、「さわやか」ということです。
   

(7)選挙の大勢が決まりしたね。
 小池都政のままでいいと思っている人が、まだこんなにいるとは驚きです。
 この8年間の都政を見る限り、さらに4年すると、伏魔殿といわれた都政に近づく可能性があるので、今後はより意識して都政を専門の財政の方から注意しなければと思っています。
 かつての美濃部都政は赤字を作ったと批判されましたが、これは「都民のための政策」を大きくとった結果でした。赤字はもちろん問題ですが、ほかの人たちは違いました。
 「マイタウン東京」をスローガンにした鈴木都政が「誰のマイタウン」を言っていたのかということを考えてもわかるように、その前の東都政、石原都政、その外も、結局、都民は置き去り、最後は腐臭を垂れ流して去っています。
 小池都政も、いますでに腐臭を発しているのですが、「ほかの候補よりまし」と思われたこともあり得ます。まずは選挙結果の分析からやらねばと思います。
    

(8)私は、あきらめません。No.125を見てください。不当なものには、自分が損をしても抵抗する、これが本領です。いまこそ「広津和郎の散文精神」を思い起こしてください。
 嵐で稲が押し流されれば、それを一つ一つ起こすところから始めるしかないのです。

 では、きょうはここで。



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