「 翁 」 能 天下泰平・国土安穏・子孫繁栄・五穀豊穣
キリストは
かつて
「自分の十字架を背負って私に従え」
と申された。
よって
自分のキャパシティーをオーバーした
重すぎる十字架を
背負う必要はない。
最近のテレビや映画等に出ている
芸能人、お笑い芸人、アナウンサーの皆さんは
働き過ぎであり
重すぎる十字架を背負いすぎである。
そこまでの
自己犠牲を
国民は希望していない。
つまり
朝4時やら5時に
きちんとニュース番組を放送せんなん
必要性はもうない(ヤフーニュースがある)。
テレビ業界の皆様は
その自己完結した世界観の中で
未だに
80年代、昭和バブルの感じ
とってつけた不自然なユーモア
視聴者をだらにした感じ
いじめと変わらないお笑い
働き過ぎの自己満足
に固執しているが
国民、視聴者の心は
完全に離れてしまった。
24時間や27時間のテレビなど
誰が観るのだ。
さんまのお笑い向上委員会などという
いじめ番組を
誰が楽しく観るのだ。
もう
いい加減に
テレビ業界は
目を醒まさねばならない。
一般大衆は
大災害や
生活苦に呻吟しているにも関わらず
テレビ業界だけが
浮わつき
誰の悦びにも寄与しない企画をして
莫大な給料を貰って喜んでいる。
すなわち
今の日本は
もはや
ローマ帝国末期に近い
文化的退廃になっている。
そして
その原因は
各自が自分を大切にせず
必要以上の
自己犠牲をし過ぎて
疲弊していることに依る。
人間の存在それ自身に価値があるとすれば
自らを飾る虚飾や
自らの優越を示す、仕事が出来るだの、勉強が出来るだの、お金持ちだのの顕示欲は
無意味だ。
私は
想像を絶するルーズな人間ではあるが
自らを卑下しない。
貧乏な清掃員に過ぎないが
自らの仕事には
圧倒的な誇り、矜持を持っている。
なので
充分な休息をとり
優雅な生活をしている。
とにかく
過ぎたるは及ばざるが如しである。
完
高橋記(観想的な生活)
ハロウィンは
諸聖人の日と死者の日という
カトリックの祭日の前の日に
ケルト人の精霊の祭りを組合せようと
企画された祭りである。
その趣旨は
いきなり
偶像崇拝の異教の習俗を
廃止するようなことをせず
土俗的な習俗を残すという配慮である。
しかし
日本には合わない。
少なくとも
精霊の祭りのはずで
意味不明なおばけ装束を
することは
本旨から外れているし
美的センスが
全く感じられない。
言うまでもなく
カトリックの祭りではないし
サタニック過ぎる。
私は
クリスマスでさえ
24日のイブだけに
教会に来る人々が
好きではない。
ナザレのイエスが
メシアであり
王座に着くであろうとして
みんなでホザンナと言っていたのに
ローマ帝国に捕縛された途端
みんなで石をかつけたり
だらにして
十字架の下から罵倒する人間。
その時
イエスの王国で
大臣になることを夢想していた弟子たちは
逃亡したのだ。
しかし
十字架の下で見守っていたのは
聖母マリア、マグダラのマリア、ヨハネであり
いざとなった時、不利な状況下でこそ
人間の真価があらわになるのだ。
だから
調子の良いときだけ
教会に来るような輩は
だめなのだ。
今まで
どれだけの人々が
宮迫さんや徳井さんの
才能や人格を誉め讃え
莫大な収入を得ていたか。
莫大な税金を納めている以上
少なくとも
税金を納めることすら困難な私より
はるかに社会貢献しているではないか。
宮迫さんや徳井さんの復活を支援せねばならぬ。
何れにせよ
西洋のなんたるかを知らず
その表層の
良いとこどりをする
西洋かぶれ、西洋崇拝は
もう止める必要がある。
おわり
高橋記
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