近代資本主義の定義は
近代社会特有の
経済システム
大量生産、大量消費
金融業の肥大化
多国籍企業の世界支配
帝国主義的な世界戦争(死の商人)と分割統治
といった
主に18世紀以降の
世界経済システムの
あり方を示す。
日本においては
明治の殖産興業以降の経済社会であり
横山源之助がジャーナルした
非人間的な経済のことである。
今日
日本の大企業は
海外進出だの
国内何百店舗の展開などといった
拡大路線をとるか
孫さんの如く
莫大な富を
投資などといった博打、ギャンブルに興じて
悦に入っている。
孫さんの投資とは
博徒の丁半博打と同様のものであり
早晩
実業に回帰すべきである。
そして
公益財団法人を作り
本会に助成して頂くほうが
よっぽど社会貢献であり
本来の投資となる。
何れにせよ
ヒルファーディングの金融資本や
ラルフ・ミリバンドやコッツ
日本資本主義発達史講座や労農派といった
近代資本主義分析は
一理ある。
何故かといえば
マルクス主義は
マルクス自身の深奥の意図とは関係なく
フリーメイソンリー的な
形而上学と象徴の体系を有する
世俗的世界政府主義者の奥義から
照射、イルミネイトされた
プロトコルであるからだ。
そして
近代資本主義を脱するには
家内手工業
個人商店
八百屋
魚屋
駄菓子屋
大衆食堂を
復活させることが
最良の途であり
そのためには
大店法的な法律を改正し
政府、自治体が
産業構造を誘導せねばならぬ。
ハイエクやフリードマン
アダム・スミス
リカードの自由主義は
資本主義の基本綱領であったが
神のみ旨に従う経済活動だけが
神の見えざる手による救いをもたらす
という
当たり前の真理に立ち返るべきである。
アダム・スミスの経済倫理によって
自由放任経済や
民営化や民間主導なる謬説が流布したが
結局のところ
笑顔のファシズムと
古代奴隷社会が
顕現しただけである。
すなわち
フリーメイソンリーの形而上学は
古代エジプト王国のそれと同様のものであり
結果的に
現代経済社会は
古代奴隷王国に相似している。
何となれば
ピラミッドの建築に動員された奴隷と
今日
世界企業のもとで働く人々の奴隷的な労働に
大差はないからである。
完
高橋記(研究分野:経済人類学)