NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

活動の記録。

2019-11-11 | 報告

日時:11月11日

内容:清掃(経田駅前トイレ)。天候悪化のため休養日と為す。

 

感想:

座禅や立禅(意拳等の内家拳の基本鍛練)は

やはり

健康に良いことが

判明しました。

 

 

ポストモダニズムは

そのような所から

もたらされるのであります。

 

 

 

おわり

 

 

高橋記


王座の復活。-その原初形態-

2019-11-11 | コラム

私が憧憬する

往古の王座と祭壇とは

豪華壮麗なる安土桃山文化や

バロック的なものではない。

 

 

寧ろ

堯、舜の如く

質素で

シンプル

 

仁徳を以て

無為の治を為す聖君

である。

 

 

荒魂なる武骨なクロービスが

そのストレートで

素直な欧米人

ゲルマン、ラテン系本来の人柄を以て

 

民百姓と教皇座に

その人生を奉献するところの

素朴な王権である。

 

 

 

私の理想とする王座は

教皇座を蔑ろにして国教会なる

不自然な国教を創作した

ヘンリー8世や

 

自ら戴冠する暴挙を為した

ナポレオンの如くの

 

近代絶対王権のそれではない。

 

 

主権という概念は

宗教と政治すべての

決定権を持つという傲慢な理論であり

 

それは

国王であれ

国民であれ

持ってはならぬ剣であり

人類の平安を毀損してきた元凶の一つである。

 

 

 

 

近代の初めには

国王が主権を持ち

 

次第に

国民が主権を持つという

一般意思の概念へと変節していった。

 

 

一般意思とは

神の意思(御旨)に対する

アンチテーゼであり

 

プロテスタントにおける

一般信徒の多数決原理に

その原初形態を観ることが出来る。

 

 

何れにせよ

板葺きの宮

飾らない王座こそが

本来のあり方である。

 

 

その意味で

板葺き屋根にて大嘗祭を挙行される

今上天皇、徳仁天皇の偉大な徳は

寧ろ

簡素質朴たる

原初の王座を彷彿とさせるものだ。

 

 

 

現代社会は混迷を極め

民百姓は懊悩に苛まれ

ぎりぎりの瀬戸際で

生きている。

 

 

 

しかしながら

古代や中世も

物理的にはもっと過酷な社会だったかも

知れぬ。

 

 

 

しかし

民百姓には

聖なる王と

教皇や司教、司祭に対する

従順と純粋があり

 

芸能、芸術は

その非日常を充たした。

 

 

 

もし

近代の試みが

人類の桎梏となった

過ちの道程であったならば

 

すべての原初に立ち返り

 

日本が

原点回帰の先達

 

近代の超克を為すべきだ。

 

 

 

国民は

天皇皇后両陛下を支え

安倍総理に感謝し

各自の本分を全うすべきであろう。

 

 

 

 

 

 

高橋記(孔孟と黄老の徒)