お教えしていて間違ったことをお教えしてしまうことがあります。
例えば、茶入荘で拝見物を出す時、帛紗を腰に付けてから茶入を出すのか、帛紗は後にするか等を間違えたり・・
また、先日《香付花月》をした時、記録紙で出香のところを、香を焚いた方を書くのに「亭主の名を書くのよ」と言ってしまい、私も後で間違えたことに気が付いたのです。次の稽古で生徒さんから言われてしまいすぐ訂正をしてお詫びしました。しかしこのように復習をして注意してくださる生徒さんは有り難いし、頼もしく思います。
このように間違えてお教えしてしまったときに思い出す言葉が”懈怠比丘不期明日”(けだいのびくみょうにちをきせず。)
これは宗旦が清巌和尚を、建てたばかりの茶室に招いた時の逸話です。
清巌和尚は招かれたことを忘れて出かけてしまい遅く着いたのです。宗旦は待っていたのですが来ないので出かけてしまいました。
清巌和尚はそこで上記の言葉を茶室の腰張に書いて帰ります。”怠け者の和尚に明日はない”という意味。
間違ったことをお教えする我に明日はない・・・・・反省しきりです。
ついでにそれを読んだ宗旦も”邂逅比丘不期明日”(かいごうのびくみょうにちをきせず)と返事をします。
今日今日と言いてその日を暮しぬる 明日の命はとにもかくにも・・・・という意味
ここから裏千家《今日庵》の庵名が生まれたのだそうです。
今日と言う一瞬を大切にする事に永遠がある…これが今日庵のビジョン。
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