書き忘れていましたが、今回のことは、http://oshiete1.goo.ne.jp/qa873942.htmlのところで述べたことをフォローしようとして、これほど壮大になってきてしまったものです。
君が代の頃よりも、気楽に書けますので。
さて、声が変わってしまった聖子さん。この頃、さらなる試練が待ち受けていました。大滝詠一さんとの出会いです。
それまでの経緯を述べておくと、まず80年は、作詞三浦徳子、作曲小田裕一郎、編曲信田かずおというラインナップが中心でした。ところが81年「チェリーブラッサム」で財津和夫さんを迎えたときから、いわゆる売れっ子ミュージシャンが制作に参入する形を取り始めました。
山下達郎さんと竹内まりやさんの夫婦放談によると、以前から聖子さんは松本隆さん作詞の「象牙海岸」(まりやさんの歌)がお気に入りで、ぜひ作詞してほしいと懇願していた(ありていに言えば駄々をこねていた)らしく、7月発売の「白いパラソル」で、ついにその夢を実現します。以後、長きに渡って、松本さんの歌詞が聖子さんの歌を支えます。
ただ、私は、三浦さんがここで消えたのが大変惜しくも思えます。
三浦さんの最後の曲となった「夏の扉」も名曲です。
そしてこの時に歌った聖子さんの歌い方で、私は度肝を抜かれたことがあります。
前々回、
>>歌とは、上手なだけではだめなのではないか、と、おぼろげながら感じ始めていた
と述べました。
もともとは「風は秋色」での、「泣き虫なのは…」の、色香を感じさせる歌い方の頃から考えていたのですが、「夏の扉」では、
「夏の扉をahaけーてー」と言う歌い方をしているのです。「あ」という、普通ならば母音として発音すべきところを、息だけしか出していない。
それが、ちょっと色っぽくて、かっこよくて、かわいい。
こういう歌い方は、誰かが教えてくれるはずがありません。全て、聖子さんの、表現者としての「勘」によるものでしょう。
…歌は、うまい、下手などと言うものを越えるかどうかが問題なのだと、ようやくわかってきました。
気持ちよくさせてくれるかどうかが、最大の問題なのです。もちろんその土台に確固とした歌唱力が求められるわけですけどね。
また、私の場合は男性なので、自分にとっては、女性歌手に対して、擬似恋愛的要素も加わってきたわけです。
だいぶ、話が飛びました。すみません。
大滝詠一さん。当時同じCBSソニー同志、「A LONG VACATION」が大ヒットしていまして、後々わたしも猛烈にのめりこむことになります。(ただしこれは山下達郎さん経由から)
大滝さんは私の尊敬する、大変すばらしいミュージシャンですが、聖子さんにとっては、出会った時期も、状態も最悪だったと言わざるを得ません。
大滝さんは、もともとスタジオで、徹底的に好みの音を作りこむ、無類の凝り性。
当時はフィル・スペクターサウンドを作っていましたから、これが病的なレベルにまでなります。演奏回数、録音回数が半端じゃない。
「風立ちぬ」はシングルですが、その時期、アルバム「風立ちぬ(同タイトル)」に入れる曲も半分は大滝さんの曲だったわけです。思うように声の出ない聖子さんにとって、81年後半は、どれほど厳しい時期であったか、想像するだけで恐ろしい。これが南野陽子さんだったら、大喧嘩していただろうな、と勝手に想像してしまいます。
とにかくこの時期の聖子さんは、見ているだけで胸が締め付けられるほど、つらい時期でした。
君が代の頃よりも、気楽に書けますので。
さて、声が変わってしまった聖子さん。この頃、さらなる試練が待ち受けていました。大滝詠一さんとの出会いです。
それまでの経緯を述べておくと、まず80年は、作詞三浦徳子、作曲小田裕一郎、編曲信田かずおというラインナップが中心でした。ところが81年「チェリーブラッサム」で財津和夫さんを迎えたときから、いわゆる売れっ子ミュージシャンが制作に参入する形を取り始めました。
山下達郎さんと竹内まりやさんの夫婦放談によると、以前から聖子さんは松本隆さん作詞の「象牙海岸」(まりやさんの歌)がお気に入りで、ぜひ作詞してほしいと懇願していた(ありていに言えば駄々をこねていた)らしく、7月発売の「白いパラソル」で、ついにその夢を実現します。以後、長きに渡って、松本さんの歌詞が聖子さんの歌を支えます。
ただ、私は、三浦さんがここで消えたのが大変惜しくも思えます。
三浦さんの最後の曲となった「夏の扉」も名曲です。
そしてこの時に歌った聖子さんの歌い方で、私は度肝を抜かれたことがあります。
前々回、
>>歌とは、上手なだけではだめなのではないか、と、おぼろげながら感じ始めていた
と述べました。
もともとは「風は秋色」での、「泣き虫なのは…」の、色香を感じさせる歌い方の頃から考えていたのですが、「夏の扉」では、
「夏の扉をahaけーてー」と言う歌い方をしているのです。「あ」という、普通ならば母音として発音すべきところを、息だけしか出していない。
それが、ちょっと色っぽくて、かっこよくて、かわいい。
こういう歌い方は、誰かが教えてくれるはずがありません。全て、聖子さんの、表現者としての「勘」によるものでしょう。
…歌は、うまい、下手などと言うものを越えるかどうかが問題なのだと、ようやくわかってきました。
気持ちよくさせてくれるかどうかが、最大の問題なのです。もちろんその土台に確固とした歌唱力が求められるわけですけどね。
また、私の場合は男性なので、自分にとっては、女性歌手に対して、擬似恋愛的要素も加わってきたわけです。
だいぶ、話が飛びました。すみません。
大滝詠一さん。当時同じCBSソニー同志、「A LONG VACATION」が大ヒットしていまして、後々わたしも猛烈にのめりこむことになります。(ただしこれは山下達郎さん経由から)
大滝さんは私の尊敬する、大変すばらしいミュージシャンですが、聖子さんにとっては、出会った時期も、状態も最悪だったと言わざるを得ません。
大滝さんは、もともとスタジオで、徹底的に好みの音を作りこむ、無類の凝り性。
当時はフィル・スペクターサウンドを作っていましたから、これが病的なレベルにまでなります。演奏回数、録音回数が半端じゃない。
「風立ちぬ」はシングルですが、その時期、アルバム「風立ちぬ(同タイトル)」に入れる曲も半分は大滝さんの曲だったわけです。思うように声の出ない聖子さんにとって、81年後半は、どれほど厳しい時期であったか、想像するだけで恐ろしい。これが南野陽子さんだったら、大喧嘩していただろうな、と勝手に想像してしまいます。
とにかくこの時期の聖子さんは、見ているだけで胸が締め付けられるほど、つらい時期でした。