3月6日にジゼル文珍氏のブログへコメントし、私のブログにもお返事いただいてから、まだ2カ月もたっていないのですが、わずかこの2カ月の間に、世の中あまりにも大きく動きすぎてしまいました。
この、震災前の3月初旬、私はテレビ場番組を見ながら、フィフィさんのコメントを通して、いかに私たち日本人が、アラブ、イスラム圏の事情について無知であるかを思い知らされたのでした。以前、やたらに内戦の絶えない中東の事情を調べようとしたことがありましたが、それはそれはあまりにも複雑すぎ、長すぎる恨みの絡み合いの歴史に、早々に調べるのを投げ出した記憶があります。
私も物心ついたころからニュースでは中東情勢の内戦が絶えず、やれクーデターだ、テロだ、聖地だ、聖戦だと血なまぐさい話ばかり。
そうこうするうちに「イスラム」「原理主義」という言葉も同時に報道されてきました。
ですから、私に限らず多くの日本人は、イスラム教について、妙な偏見を持った時期が、誰にも一時期あったのではないでしょうか?
今でもわからないことだらけの宗教ですが、大変まじめで、節制を促し、実用的な人生の知恵に基づく宗教であるように思います。
日本人のような享楽的で、多神教の民族には、必要かもしれないが敬遠したくなる宗教であるように感じます。
で、ビンラディンで、アルカイダで、イスラム原理主義のテロ組織、で、イスラム、です。
ビンラディン容疑者は亡くなりましたが、私たちにとっては、死んでしまったことによって、もっと分からなくなってしまった、というのが、日本人の本音ではないでしょうか?
結局あの9,11は何だったのか。
一説では、もともとビンラディン容疑者は、アメリカとの何らかのつながりをかつては持っていたとか、下手にたたくとアメリカに不利な情報も出てきてしまうような人だとか、今はテロ組織のリーダーとしての力はあまり持っていないだとか…
これから知らなければいけないことがたくさんある中で死んでしまいました。
しかしアメリカの映像を見ると、ずいぶん手放しで喜んでいるアメリカの市民の映像がたくさん流れています。
恣意的だと思ってしまいますよね。そう思うの、私だけではないはずですよね。
これでまた一つ、下手すれば、イスラム教への妙なステレオタイプができ(一応オバマ大統領は、宗教に対しての攻撃的側面は一切ないと強調して言ってはいるのですが)、
誤解を生み、イスラム圏内の方々の不安をあおり、不信感を増加させ、やっぱり、テロ組織の不毛な報復が始まってしまうような、嫌な予感しか感じられません。
アメリカの一方的な報道の仕方は、とても世界を意識したものとは思えませんでした。私は、危険を感じます。
そして、アメリカはパキスタンの隠ぺい体質にも触れ、「政府の見解を問いただしたい」と、次のステップをにおわせています。
言いたいことは分かる。
しかしアメリカよ。あなたたちこそ、何を隠そうとして、ビンラディン容疑者の死亡を誇らしげに語り、闇に葬ろうとしているのか。
公にできない、アメリカの威信を地に落とすような、ヤバい裏事情に関し、「死人に口なし」状態にしてしまったのではないか?
そして、それを知っていて不当な暮らしにあえいでいる地域の人々がきっといるはず。
そこを明らかにして、少しでも分かりあおうとする姿勢を出さない限り、アメリカは、意味もなく敵を増やしていくだけなのではないか?イスラエルの歴史がそれを語っているではないですか。
もちろん私たち日本人こそが、その辺、「バカ」でいてはいけない、重要なところです。マスコミ報道に対して、慎重な判断力、分析力を持たねばならない、日本人の情報リテラシーが問われているのです。
この、震災前の3月初旬、私はテレビ場番組を見ながら、フィフィさんのコメントを通して、いかに私たち日本人が、アラブ、イスラム圏の事情について無知であるかを思い知らされたのでした。以前、やたらに内戦の絶えない中東の事情を調べようとしたことがありましたが、それはそれはあまりにも複雑すぎ、長すぎる恨みの絡み合いの歴史に、早々に調べるのを投げ出した記憶があります。
私も物心ついたころからニュースでは中東情勢の内戦が絶えず、やれクーデターだ、テロだ、聖地だ、聖戦だと血なまぐさい話ばかり。
そうこうするうちに「イスラム」「原理主義」という言葉も同時に報道されてきました。
ですから、私に限らず多くの日本人は、イスラム教について、妙な偏見を持った時期が、誰にも一時期あったのではないでしょうか?
今でもわからないことだらけの宗教ですが、大変まじめで、節制を促し、実用的な人生の知恵に基づく宗教であるように思います。
日本人のような享楽的で、多神教の民族には、必要かもしれないが敬遠したくなる宗教であるように感じます。
で、ビンラディンで、アルカイダで、イスラム原理主義のテロ組織、で、イスラム、です。
ビンラディン容疑者は亡くなりましたが、私たちにとっては、死んでしまったことによって、もっと分からなくなってしまった、というのが、日本人の本音ではないでしょうか?
結局あの9,11は何だったのか。
一説では、もともとビンラディン容疑者は、アメリカとの何らかのつながりをかつては持っていたとか、下手にたたくとアメリカに不利な情報も出てきてしまうような人だとか、今はテロ組織のリーダーとしての力はあまり持っていないだとか…
これから知らなければいけないことがたくさんある中で死んでしまいました。
しかしアメリカの映像を見ると、ずいぶん手放しで喜んでいるアメリカの市民の映像がたくさん流れています。
恣意的だと思ってしまいますよね。そう思うの、私だけではないはずですよね。
これでまた一つ、下手すれば、イスラム教への妙なステレオタイプができ(一応オバマ大統領は、宗教に対しての攻撃的側面は一切ないと強調して言ってはいるのですが)、
誤解を生み、イスラム圏内の方々の不安をあおり、不信感を増加させ、やっぱり、テロ組織の不毛な報復が始まってしまうような、嫌な予感しか感じられません。
アメリカの一方的な報道の仕方は、とても世界を意識したものとは思えませんでした。私は、危険を感じます。
そして、アメリカはパキスタンの隠ぺい体質にも触れ、「政府の見解を問いただしたい」と、次のステップをにおわせています。
言いたいことは分かる。
しかしアメリカよ。あなたたちこそ、何を隠そうとして、ビンラディン容疑者の死亡を誇らしげに語り、闇に葬ろうとしているのか。
公にできない、アメリカの威信を地に落とすような、ヤバい裏事情に関し、「死人に口なし」状態にしてしまったのではないか?
そして、それを知っていて不当な暮らしにあえいでいる地域の人々がきっといるはず。
そこを明らかにして、少しでも分かりあおうとする姿勢を出さない限り、アメリカは、意味もなく敵を増やしていくだけなのではないか?イスラエルの歴史がそれを語っているではないですか。
もちろん私たち日本人こそが、その辺、「バカ」でいてはいけない、重要なところです。マスコミ報道に対して、慎重な判断力、分析力を持たねばならない、日本人の情報リテラシーが問われているのです。