songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

それではみかちぃが戻ってこなかったのは?

2013-07-21 21:14:36 | マスコミ関係
 ここからは、今まで以上に無責任な論となりますので、
あくまでも一つの考え方として読み流してください。


みかちぃのAKB卒業については、後追いの私たちからしても微妙な謎が残りますし、おそらくリアル体験の方々からすれば、もっと謎だったことでしょう。


2008年中盤以降、みかちぃの膝は長く悲鳴を上げ続け、おなじみAX2009ではいすに座っての歌、同じく2009年4月26日のNHKホールでの「てもでも」でも、いすに座って歌っていました。
この間3か月。

まあ、はっきり言って、3か月間では、踊って歌うレベルまでの回復はなかったのだと判断されます。
診断名は「棚障害」とのことでしたが、棚障害の最善の治療法は、激しい運動をしないこと。2か月ほど穏やかな生活をしていれば、回復するもののようです。
1月にみかちぃが休養宣言した時も、きっと運営は、「棚障害」に関するその情報から、2,3か月で復帰できるものとみていたのではないでしょうか。
しかし、4月になっても思わしい回復は見られず。実は、手術をしなければならないぐらいの重い状態だったのではないか、とも推察されます。


その間にも、「AKB+10」という、チームBのための番組があり、そこのコーナーで出演はしていました。
ツイッターによると、B4thの楽曲用の録音もしていたそうです。


休養中にB3rd「パジャマドライブ」は千秋楽を迎え、その、録音していたB4th「アイドルの夜明け」がもう始動していました。
みかちぃポジには、アンダーのメンバー(後のじゃんけん女王、内田さんが主だったかな?)が入り、みかちぃは、休養から半年の間に復帰のめどを立てなければなりませんでした。


2009年7月の記録によると、やはりみかちぃはひざの回復が思ったほど順調にいかず、それ以外の体調不良が相次いだとのことです。


そして、ついに卒業を決意した、という経緯です。


しかし…と、勘ぐってしまいます。
どこか、釈然としない…

では、続けます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「てもでもの涙」本家を愛するがゆえ、過剰な神格化に待ったをかける その3

2013-07-21 15:42:21 | 音楽
<ハモりのマジック>

「こんなに会いたくても こんなに好きでも」

のフレーズをよく聴いてみてください。
二人がただ歌っているだけでゃありません
よく聴くと、違う音程が聞こえてきます。


これが、ハモりです。
デュエットで、ステージでは二人とも同じ音程で歌っていて(ユニゾン)、この音色の輝き、圧力だけでも素晴らしいものです。
しかし、よく聴くと、本人たちの声による、ハモりの音程が聞こえてくるのです。


そう、本家の二人が歌うカラオケには、本人たちによるハモりが、絶妙な音量、音色のバランスで入っているのです。
だから、ステージで披露される本家の「てもでも」には、特にサビになると、大好きな声が3重、4重になってステージを満たすのです。

これが、本家「てもでも」を神たらしめる、隠し味です。


ほかのメンバーによる素晴らしいステージもあるのですが、このハモりの録音は、されていなかったり、ゆきりんの声だけだったり、(複数ステージではないので)粗いバランス調整だったり



ここが、ほかの人たちではどうしても越えられない本家の、最後の壁だと私は分析しています。


とすれば、本家に迫るクオリティーを作るとすれば、

①本家並みの歌唱力があること(基本的能力のことです。無理ではありません)
②バランスと音色を考えたハモりをカラオケに盛り込んでおくこと
③ステージはもとより、DVDなどの動画に上げる際は、「生音」ではなく、(聞こえは悪いが)口パクものを採用すること


不可能なことではありません、
わたしは、本家の「てもでも」が限りなく好きですが、ぜひ、ほかのメンバーにも再現可能な「真の神曲」として歌い継いでいってほしいと願っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする