ここからは、今まで以上に無責任な論となりますので、
あくまでも一つの考え方として読み流してください。
みかちぃのAKB卒業については、後追いの私たちからしても微妙な謎が残りますし、おそらくリアル体験の方々からすれば、もっと謎だったことでしょう。
2008年中盤以降、みかちぃの膝は長く悲鳴を上げ続け、おなじみAX2009ではいすに座っての歌、同じく2009年4月26日のNHKホールでの「てもでも」でも、いすに座って歌っていました。
この間3か月。
まあ、はっきり言って、3か月間では、踊って歌うレベルまでの回復はなかったのだと判断されます。
診断名は「棚障害」とのことでしたが、棚障害の最善の治療法は、激しい運動をしないこと。2か月ほど穏やかな生活をしていれば、回復するもののようです。
1月にみかちぃが休養宣言した時も、きっと運営は、「棚障害」に関するその情報から、2,3か月で復帰できるものとみていたのではないでしょうか。
しかし、4月になっても思わしい回復は見られず。実は、手術をしなければならないぐらいの重い状態だったのではないか、とも推察されます。
その間にも、「AKB+10」という、チームBのための番組があり、そこのコーナーで出演はしていました。
ツイッターによると、B4thの楽曲用の録音もしていたそうです。
休養中にB3rd「パジャマドライブ」は千秋楽を迎え、その、録音していたB4th「アイドルの夜明け」がもう始動していました。
みかちぃポジには、アンダーのメンバー(後のじゃんけん女王、内田さんが主だったかな?)が入り、みかちぃは、休養から半年の間に復帰のめどを立てなければなりませんでした。
2009年7月の記録によると、やはりみかちぃはひざの回復が思ったほど順調にいかず、それ以外の体調不良が相次いだとのことです。
そして、ついに卒業を決意した、という経緯です。
しかし…と、勘ぐってしまいます。
どこか、釈然としない…
では、続けます。
あくまでも一つの考え方として読み流してください。
みかちぃのAKB卒業については、後追いの私たちからしても微妙な謎が残りますし、おそらくリアル体験の方々からすれば、もっと謎だったことでしょう。
2008年中盤以降、みかちぃの膝は長く悲鳴を上げ続け、おなじみAX2009ではいすに座っての歌、同じく2009年4月26日のNHKホールでの「てもでも」でも、いすに座って歌っていました。
この間3か月。
まあ、はっきり言って、3か月間では、踊って歌うレベルまでの回復はなかったのだと判断されます。
診断名は「棚障害」とのことでしたが、棚障害の最善の治療法は、激しい運動をしないこと。2か月ほど穏やかな生活をしていれば、回復するもののようです。
1月にみかちぃが休養宣言した時も、きっと運営は、「棚障害」に関するその情報から、2,3か月で復帰できるものとみていたのではないでしょうか。
しかし、4月になっても思わしい回復は見られず。実は、手術をしなければならないぐらいの重い状態だったのではないか、とも推察されます。
その間にも、「AKB+10」という、チームBのための番組があり、そこのコーナーで出演はしていました。
ツイッターによると、B4thの楽曲用の録音もしていたそうです。
休養中にB3rd「パジャマドライブ」は千秋楽を迎え、その、録音していたB4th「アイドルの夜明け」がもう始動していました。
みかちぃポジには、アンダーのメンバー(後のじゃんけん女王、内田さんが主だったかな?)が入り、みかちぃは、休養から半年の間に復帰のめどを立てなければなりませんでした。
2009年7月の記録によると、やはりみかちぃはひざの回復が思ったほど順調にいかず、それ以外の体調不良が相次いだとのことです。
そして、ついに卒業を決意した、という経緯です。
しかし…と、勘ぐってしまいます。
どこか、釈然としない…
では、続けます。