songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

「てもでもの涙」本家を愛するがゆえ、過剰な神格化に待ったをかける その3

2013-07-21 15:42:21 | 音楽
<ハモりのマジック>

「こんなに会いたくても こんなに好きでも」

のフレーズをよく聴いてみてください。
二人がただ歌っているだけでゃありません
よく聴くと、違う音程が聞こえてきます。


これが、ハモりです。
デュエットで、ステージでは二人とも同じ音程で歌っていて(ユニゾン)、この音色の輝き、圧力だけでも素晴らしいものです。
しかし、よく聴くと、本人たちの声による、ハモりの音程が聞こえてくるのです。


そう、本家の二人が歌うカラオケには、本人たちによるハモりが、絶妙な音量、音色のバランスで入っているのです。
だから、ステージで披露される本家の「てもでも」には、特にサビになると、大好きな声が3重、4重になってステージを満たすのです。

これが、本家「てもでも」を神たらしめる、隠し味です。


ほかのメンバーによる素晴らしいステージもあるのですが、このハモりの録音は、されていなかったり、ゆきりんの声だけだったり、(複数ステージではないので)粗いバランス調整だったり



ここが、ほかの人たちではどうしても越えられない本家の、最後の壁だと私は分析しています。


とすれば、本家に迫るクオリティーを作るとすれば、

①本家並みの歌唱力があること(基本的能力のことです。無理ではありません)
②バランスと音色を考えたハモりをカラオケに盛り込んでおくこと
③ステージはもとより、DVDなどの動画に上げる際は、「生音」ではなく、(聞こえは悪いが)口パクものを採用すること


不可能なことではありません、
わたしは、本家の「てもでも」が限りなく好きですが、ぜひ、ほかのメンバーにも再現可能な「真の神曲」として歌い継いでいってほしいと願っています。
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オフコース yes no【いい歳して歌ってみた】

2013-07-07 21:47:33 | 音楽
オフコース yes no【いい歳して歌ってみた】
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「てもでもの涙」本家を愛するがゆえ、過剰な神格化に待ったをかける その2

2013-07-03 04:52:56 | 音楽
<歌唱力について>


以前の記事でも書いたことがありますが、柏木、佐伯両名の歌唱力については、いまさら私が言及するまでもありません。
どちらも素晴らしい歌声です。

ゆきりんの歌声にはみずみずしさ、ちょっと甘ったるい系のかわいさ、そして何よりも響きがあり(時々からかわれることのあるあの鼻の高さですが、あれこそがゆきりん独特の響き、共鳴を作り出している空間であり、彼女の歌声の命綱となっています)、もちろん表現力は折り紙つきです。


対するみかちぃの歌声は、細く硬質の声。しゃべり声にするとふわふわなのに、歌声にすると、民謡歌手もできるであろう、強い芯の通った、でもかわいさをまとった独特のハイトーンです。
もちろん歌唱力はあります。本人はかつてツイッターで、「歌唱力がほしい」みたいなことを呟いていました。本人なりの課題はきっとあるのでしょうが、私たちから見れば十分魅力的な歌唱力です。

「涙の湘南」「blue rose」などの、生歌と思しき動画を見たことがありますが、やはりあの独特の声は魅力的です。
一人で持って行ってしまう存在感があります。
ご本人は「blue rose」のような路線の曲が好みのようです。が、やや合わないように思われます。

では、この声は唯一無二なのか?



相当の希少価値のある声だと思いますが、神格化されるほどではありません。
AKBメンバーで言えば、前田敦子さん、もう少し若いころの高橋みなみさん、峯岸みなみさん、宮崎美穂さんあたりならば、このレベルの声を再現できると思います。
また、ビデオで見る限り、実際に歌った板野友美さんは、みかちぃと同じレベルの声です。

では、なぜみかちぃレベルに届いているように聞こえないのか

私は、「録音」こそが答えだとみています。いわゆる「口パク」です。

ほかのユニットと比べ、本家二人の歌は、前奏の段階から、音の鮮明さが違っています。
実際の劇場やホールではどうだったのか、今となっては知る由もありませんが、少なくとも現在聴くことのできる映像で流れている音は、
生音(主に観衆の声)に、録音済みの音源がかぶせられているものが多いように思われます。

私の一番好きなフレーズ「雨が好きなこの紫陽花は」の部分は、素早いターンと屈伸をしながら歌いますが、あれを生でやると、どうしても屈伸した時点で強い息が体から押し出されて息の速度が不安定になり、音程が変わったり、強い吐息がマイクに混じったりしやすいのです。
そこが自然に歌えていることのほうが、不自然。
ですから、現在聴くことのできる「本家」の歌声の多くは、かぶせが商品化されていると考えられます。

上で挙げたメンバーたちが、コンディションの良い状態で録音し、かぶせていたら、(特にみかちぃポジションは)それほど遜色ない「てもでも」を、映像上で味わえると思います。
しかしそれでも、本家に決定的に及ばないところができることでしょう。それは、「サビ」の部分です。次回述べます。
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「てもでもの涙」本家を愛するがゆえ、過剰な神格化に待ったをかける

2013-07-01 22:29:40 | 音楽
AX2011てもでもの涙


もはや伝説として殿堂入りしそうな二人のステージ

その後、あらゆるユニットが披露されたが、すべて打ち砕かれてきたと言う印象が持たれています。
それほどこの二人の歌声は素晴らしい。

特にみかちぃポジションに入る人が否定されるがゆえに、みかちぃの神格化は、もはや定番となっています。

佐伯美香さんの声の素晴らしさ、才能は疑うべくもありません。
しかし、過剰な神格化は、かえって本人を固辞させる。
ですから私は、ここで少し冷静に、音楽的な実像に迫ってみたいと思っています。


一つは、歌唱力の検証

もう一つは、他を寄せ付けない音色の秘密です。

せっかくですので、もう一つ、蛇足もつけようと思っています
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