明治期以降に生糸貿易等で財をなした原 三渓が開いた三渓園という庭園が、横浜本牧にあります。一年中季節の花々を鑑賞することが出来、今でしたらサツキやツツジでしょうか。そのほか季節の行事もいろいろ催されます。

高校一年の時だったでしょうか何かの理由で午後の授業がなくなり、同級生の滝川コウイチ君とお弁当を持って何故か三渓園まで出掛けました。
平日でさほど来園者が多くない日でしたので適当な場所でお昼を広げ始めたところ、どこからともなく外国人観光客の一団が現れ、笑顔でうなずきながら我々の間近を通り過ぎて行きます。
内心「弁当じゃなくて花見てね」とか「足元危ないぞ」「宿題やったかー、歯磨けよ」とか思いながら、恥ずかしさに片付けたいのを堪えて笑顔を返し黒船の襲来をやり過ごしたのでした。
またその前後に滝川君の所属する部活にお邪魔したところ、黒帯の雅也君から生まれて初めて縦四方固めの洗礼を受けた懐かしい思い出がよみがえります。
その後大学を出た滝川君は銀行に入行し、最年少の昇進記録をつぎつぎ塗り替えるほどの評価だったらしいと同級生から聞きました。
その滝川君が先月亡くなった事を知ったのは、先日十年振りにあった高校のクラス会でのことです。
それを聞いて、ランダム・ハウス社主ベネット・サーフが自らの墓碑銘に刻まれることを望んだ「彼がいるとそこは少し楽しくなった」というような言葉のあったことを思い出していました。


高校一年の時だったでしょうか何かの理由で午後の授業がなくなり、同級生の滝川コウイチ君とお弁当を持って何故か三渓園まで出掛けました。
平日でさほど来園者が多くない日でしたので適当な場所でお昼を広げ始めたところ、どこからともなく外国人観光客の一団が現れ、笑顔でうなずきながら我々の間近を通り過ぎて行きます。
内心「弁当じゃなくて花見てね」とか「足元危ないぞ」「宿題やったかー、歯磨けよ」とか思いながら、恥ずかしさに片付けたいのを堪えて笑顔を返し黒船の襲来をやり過ごしたのでした。
またその前後に滝川君の所属する部活にお邪魔したところ、黒帯の雅也君から生まれて初めて縦四方固めの洗礼を受けた懐かしい思い出がよみがえります。
その後大学を出た滝川君は銀行に入行し、最年少の昇進記録をつぎつぎ塗り替えるほどの評価だったらしいと同級生から聞きました。
その滝川君が先月亡くなった事を知ったのは、先日十年振りにあった高校のクラス会でのことです。
それを聞いて、ランダム・ハウス社主ベネット・サーフが自らの墓碑銘に刻まれることを望んだ「彼がいるとそこは少し楽しくなった」というような言葉のあったことを思い出していました。
