Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

読書

2020-03-28 |  その他
親しい方が体調を崩され案じておりましたら、「この状況で、大丈夫?」なんて逆にご心配いただく始末です。
何てありがたいことでしょう。



新型コロナウイルス対策に関してニューヨークの街頭でマイクを向けられた人が、「トランプは教養がないから、当てにならない」と答えているのを見て、何か久しぶりに教養という言葉を聞いた気がしました。

それから数日して、休校になったイタリアの高校の校長が生徒に向けたコメントが話題になると、確かに教養って存在するなと感じます。
その中に「こんな時だからこそ良い本を読んだり...」というくだりがありましたが、ちょうど数日前からそんな気分もあって、溜まっていたものから読み始めました。

先ずは、三十三間堂として知られる妙法院門跡門主 杉谷義純さんのお話。
三十三間堂の1001体の観音立像が重文から国宝に指定され、堂内1032体の仏像がすべて国宝指定となった後、昨年初めの講演が載録された会報を気になりながら読まずにいたので、それから。

「修理していただくのは、有難いようで、資金面などいろんな問題があります。歴史的にもいろいろありましたけれども、大名とかそういった権力のある外護者がいなくなりましたが、それに代わって現代は国の補助や大勢の皆様がお参りしてくださって、申し訳ないですけれども、拝観料という形で喜捨を頂戴して、それを積み立てして大修理のときにお出ししてなんとか維持できるという次第です。

ほんの一人二人の権力者ではなくて、大勢の人、国全体、皆様のお力でお守りいただいているなとつくづく感じ入ります。特にこういう時代に、そういう方法で伝わっていくということは有難いなと、思っております。

さて三十三間堂はもちろん後白河法皇の願い・信心、そういったものでできたお堂ですけれども、明治以降になりますと、仏像はなぜ拝むのか、美術品として鑑賞するべきものかといった議論が出てきました。ヨーロッパから哲学はじめいろんな文明が入ってきて、仏像について宗教ということは少し置いておいて、日本人がつくり出したものを素晴らしい芸術品として鑑賞すべきだという考え方が出てきました。和辻哲郎という人の『古寺巡礼』という本もそうですが、人間として生まれて教養を積んで、信仰にとらわれず、その教養の視点からみて啓発されるような仏像は素晴らしい。だからこそ文化的にも価値がある。というような見方も出てきたのです。

ですから、もう少し鑑賞しやすいように光を当ててほしい、もう少し見やすいようにしてほしいなど、いろんな注文が出たり、宗教を排して見ないと本当の姿が見えないというように、どこか発想が逆転しています。そういう見方に対して、今度は反論するような形で、亀井勝一郎という日が、仏像は芸術品ではなく信仰の対象だ。平伏するような気持ちで拝まなければその良さはわからない。と言い、真っ向から違う見方があって、当時この考え方もまた大変人気がでてきました。

日本もいろいろ揺れている時代に、いろんな文化を吸収して、いろんな意見を言う人が出てくる。これは素晴らしいことですけれども、長い悠久の歴史の中できちんと本質を捉えていかないと、捉え方を間違えると、本当に仏様の良さは理解できないのではないかと私は思います。」

一部抜粋させていただきました。
話の本筋から外れますが、面白いのは「教養」が氾濫してた時代と、教養が忘れ去られた今とでは、状況の違いもあって「教養」の扱いがちょっと違います。

次に、スルメのように何度も味わえる西岡常一さんのお話の中から、青山茂さんという方との対話「斑鳩の匠 宮大工三代」という本です。
西岡さんの話を読んでいくと、ここをもっと詳しく聞きたいという気になってきます。
それを代わりに青山さんという方が、かなり細かいところまで聴いてくれるという内容で、たまに開きます。
普通の読書はその後でした。



Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする