先月、白井さんが亡くなられました。
ひと月近く経ち、知り合いの方々が少しづつ白井さんとの思い出をあげていらっしゃるのを読むうちようやく少し落ち着いて来ましたが、気がつくと昔のことを反芻していたりします。
白井さんが仲良くしてくださるようになったのは、牧島さんのお陰です。
ある頃から、「きっと白井さんと話が合いますよ」とか「きっと仲良くなると思うなぁ」と、伺うたびに仰っていただくようになりました。
傍目に見ると味の濃そうな白井さんと、20歳以上離れていてずっと薄味な感じの私が話が合うようには思えませんでしたが、パパがきゅうりと言いますかなすがママと言いますか、ある日その日がやって来ます。
今思えば「かなり変わった人がいますよ」とか「相当イッちゃってる人が一人いる」など事前に牧島さんからご紹介があったかも知れません。
白井さん相手に服の話もないですから、挨拶して最初にお話ししたのはずっと昔のエピソード。
「白井さん、本牧のタケムラさんてご存知ですか?」
「タケムラさん?知らない」
「普段は◯◯って呼ばれてますけど」
「◯◯なら、子供の頃から知ってるよ」
二十歳前後によく出入りしていた店で時々ライブがあって、その日出演予定だった◯◯さんが時間になってもあらわれず、バンドのメンバーがあちこち当たってようやく連絡がつくと、「地元のコワイ先輩と麻雀の最中で、途中で抜けられない」
という事がありました。
◯◯さん自身が地元では一目置かれる存在でしたから、その人が断れない相手って?という話になり、なんでも元町の何とか言う店の人らしい、という話でした。
数年後にこの業界に入ってしばらく後に信濃屋さんに伺った時、おそらくあの時の人は白井さんだろうと見当がつきましたが、20年以上たってようやくご本人に伺うと「そんなことあったの?よく一緒にやってたからそうかも知れない」と笑っていらっしゃいました。
それからしばらくして休みの日に電話を頂くようになり、昼に待ち合わせて市内や都内あちこち出かけましたが、そのうち週一が週二になり、夜イベント等あると週四なんて事もありました。
毎週連絡頂くのは白井さんからで、几帳面ですから出かけられない日まで電話をくれます。
牧島さんの慧眼どおり、気がつけばすっかり仲良くして頂いていたと言ってもいいのではないかと思います。
几帳面といえば、ある時買い物か何かで支払いをしていると、腰の辺りに何か気配を感じました。
見ると私のジャケットのポケットのフラップが片方だけポケットに入ってしまったのを、白井さんが出してくれているのでした。
コートのベルト等も捩れたりしてるのは気持ち悪いと仰っていた白井さんらしい話です。
また銀座など歩いている時に「このウィンドウどう思う?」とか「この服どう思う?」と尋ねられます。
思ったことをストレートに答えると、「そういう感覚を分かるヤツが少ないんだよ」というようなことが何度かあります。
「いいと思って薦めるものを分かる人って、ほとんどいないでしょ」と言われた時は、いずこも同じだなと救われたような思いでした。
「突き詰めるほど、ジレンマですね」
その頃勤めで服の話をする時は相手に分かりやすいよう複雑な所は端折ったり、感覚的な例えや基礎知識がないと例えにならない表現はさけるのが長く習慣になっていましたが、白井さんとお話する時はもちろんそんな斟酌は必要ありません。
深呼吸できるような気がしたものです。
そのペースは白井さんと知り合って最初の入院まで続き、その後もリハビリで歩くように言われてるということでゆっくりではありますが再開しました。
右上の指は白井さんだったか..
その頃出かけても写真撮ってなかったので、撮っていたら面白かったかなと思います。
ひと月近く経ち、知り合いの方々が少しづつ白井さんとの思い出をあげていらっしゃるのを読むうちようやく少し落ち着いて来ましたが、気がつくと昔のことを反芻していたりします。
白井さんが仲良くしてくださるようになったのは、牧島さんのお陰です。
ある頃から、「きっと白井さんと話が合いますよ」とか「きっと仲良くなると思うなぁ」と、伺うたびに仰っていただくようになりました。
傍目に見ると味の濃そうな白井さんと、20歳以上離れていてずっと薄味な感じの私が話が合うようには思えませんでしたが、パパがきゅうりと言いますかなすがママと言いますか、ある日その日がやって来ます。
今思えば「かなり変わった人がいますよ」とか「相当イッちゃってる人が一人いる」など事前に牧島さんからご紹介があったかも知れません。
白井さん相手に服の話もないですから、挨拶して最初にお話ししたのはずっと昔のエピソード。
「白井さん、本牧のタケムラさんてご存知ですか?」
「タケムラさん?知らない」
「普段は◯◯って呼ばれてますけど」
「◯◯なら、子供の頃から知ってるよ」
二十歳前後によく出入りしていた店で時々ライブがあって、その日出演予定だった◯◯さんが時間になってもあらわれず、バンドのメンバーがあちこち当たってようやく連絡がつくと、「地元のコワイ先輩と麻雀の最中で、途中で抜けられない」
という事がありました。
◯◯さん自身が地元では一目置かれる存在でしたから、その人が断れない相手って?という話になり、なんでも元町の何とか言う店の人らしい、という話でした。
数年後にこの業界に入ってしばらく後に信濃屋さんに伺った時、おそらくあの時の人は白井さんだろうと見当がつきましたが、20年以上たってようやくご本人に伺うと「そんなことあったの?よく一緒にやってたからそうかも知れない」と笑っていらっしゃいました。
それからしばらくして休みの日に電話を頂くようになり、昼に待ち合わせて市内や都内あちこち出かけましたが、そのうち週一が週二になり、夜イベント等あると週四なんて事もありました。
毎週連絡頂くのは白井さんからで、几帳面ですから出かけられない日まで電話をくれます。
牧島さんの慧眼どおり、気がつけばすっかり仲良くして頂いていたと言ってもいいのではないかと思います。
几帳面といえば、ある時買い物か何かで支払いをしていると、腰の辺りに何か気配を感じました。
見ると私のジャケットのポケットのフラップが片方だけポケットに入ってしまったのを、白井さんが出してくれているのでした。
コートのベルト等も捩れたりしてるのは気持ち悪いと仰っていた白井さんらしい話です。
また銀座など歩いている時に「このウィンドウどう思う?」とか「この服どう思う?」と尋ねられます。
思ったことをストレートに答えると、「そういう感覚を分かるヤツが少ないんだよ」というようなことが何度かあります。
「いいと思って薦めるものを分かる人って、ほとんどいないでしょ」と言われた時は、いずこも同じだなと救われたような思いでした。
「突き詰めるほど、ジレンマですね」
その頃勤めで服の話をする時は相手に分かりやすいよう複雑な所は端折ったり、感覚的な例えや基礎知識がないと例えにならない表現はさけるのが長く習慣になっていましたが、白井さんとお話する時はもちろんそんな斟酌は必要ありません。
深呼吸できるような気がしたものです。
そのペースは白井さんと知り合って最初の入院まで続き、その後もリハビリで歩くように言われてるということでゆっくりではありますが再開しました。
右上の指は白井さんだったか..
その頃出かけても写真撮ってなかったので、撮っていたら面白かったかなと思います。