12月24日(日)今年締めくくりのダンスを開催し、当日は肌にしみいるほどの寒さのなのか参加者は40名ほどだった。今年は、かってサンデー会の役員を務められた3名の方が亡くなられ会にとっては激動の1年だった。会員の方も骨折、ひざ痛、高齢などで自然に姿が消えていくのは何ともさびしい限りである。また会員の高齢化、役員も80歳を超えるようになり加えて60代のかたの入会がほとんどない。社交ダンスもTVで放映されると盛り上がるのだが若い人(私が思う年代は60代から70歳前半)達の興味が別な方向に行っているのだろうか?横浜市南区老人クラブ連合会では年2回(講習は6ヶ月)実施しているが募集50名のところ今回は38名と年々受講者が減少している。
ダンスは、音楽を聴き、異性との組手、前後左右の動き、清潔を維持、衣装も気に掛けるなど脳の活性化を図り楽しみながら筋肉の貯蓄ができる素晴らしいスポーツである。少なくともサークルに加入することで外へ出かけることでの脳の活性化、衣装を身ぎれいにすることでの精神的刺激など今の私にとっては、会報への投稿、狛犬探索、へそ石採集などの趣味に加えての中心的趣味となっている。
ダンスは、音楽を聴き、異性との組手、前後左右の動き、清潔を維持、衣装も気に掛けるなど脳の活性化を図り楽しみながら筋肉の貯蓄ができる素晴らしいスポーツである。少なくともサークルに加入することで外へ出かけることでの脳の活性化、衣装を身ぎれいにすることでの精神的刺激など今の私にとっては、会報への投稿、狛犬探索、へそ石採集などの趣味に加えての中心的趣味となっている。
横綱白鵬関の様々な行動に不愉快と思う事柄が多すぎる。張り手、かち上げ、ダメだしで勝負が決まっているのに土俵下への突落とし(これにより審判員が骨折した。また日馬富士のようなかばい手を見たことがない) 懸賞金の受け取り表現、前代未聞の立ち合い不成立アピール、土俵下での万歳三唱、貴乃花巡業部長との同行拒否発言などあまりにも不愉快な行動が多すぎる。
平成29年12月21日付産経新聞の一面中央7段抜きで「おごる白鵬の悲劇」と題して元小結 舞の海秀平氏が投稿している。この中で九州場所11日目の嘉風に敗れた一番の行動を批評している。「…ふわっと立った相手のもろ差しを許し一方的に寄り切られた。すると、物言いや待ったをアピールするかのように右手を挙げて土俵下で立ち尽くす。審判から促され、1分以上たってからようやく土俵にあがったが…ことの重大性を認識させるために、1場所出場停止の処分をくだしてもいいほどの愚行だ。白鵬がいなくても土俵が充実していれば興行は成り立つという毅然とした姿勢が相撲協会には求められる。…この国の社会全体がどこか曖昧ではっきりものを言わず、その場の空気に流されてしまう。…」と是非全文を読んでいただきたいと思っている。
「海道東征」への道の著者新保祐司氏は、この著書の中で「日本という国家が抱えている危機は、実に多く存在するが、その基底に威儀や儀典的な形式を失ってしまっていることは、危機の中でも最も根本的なものかもしれない」と著述されている。まさに相撲道にも通じることだろう。
提案だが、相撲の決まり手には、基本技(7手)、投げ手(13手)、掛け手(18手)、反り手(6手)、捻り手(19手)、特殊技(19手)合計82手とされている。この中で横綱白鵬の「張り手」は不快である。白鵬は相撲は格闘技であるから勝つことが一番と勝負にこだわりを持っている。確かに、プロレスやKワンなどでは多用されているが相撲には不似合いな決まり手である。そこで「張り手」を禁止とする改革を相撲協会は実施してほしい。「かち上げ」もプロレスなどでの「エルボー・スマッシュ」と同じようなものである。
また行司による審判に対する物言いも不愉快である。行司は「脇差」を身に付けて軍配を差し違えた場合には、切腹して責任をとりますという覚悟を示している。その行司に異議を唱えることは己も切腹するということである。ということはこの場所は休場することである。
相撲は国技として優勝者には天皇杯が授与されているのである。相撲は歴史と儀式の中での勝負である。ただ勝つことだけを目指す競技ではないことを肝に銘じるべきと考える。
平成29年12月21日付産経新聞の一面中央7段抜きで「おごる白鵬の悲劇」と題して元小結 舞の海秀平氏が投稿している。この中で九州場所11日目の嘉風に敗れた一番の行動を批評している。「…ふわっと立った相手のもろ差しを許し一方的に寄り切られた。すると、物言いや待ったをアピールするかのように右手を挙げて土俵下で立ち尽くす。審判から促され、1分以上たってからようやく土俵にあがったが…ことの重大性を認識させるために、1場所出場停止の処分をくだしてもいいほどの愚行だ。白鵬がいなくても土俵が充実していれば興行は成り立つという毅然とした姿勢が相撲協会には求められる。…この国の社会全体がどこか曖昧ではっきりものを言わず、その場の空気に流されてしまう。…」と是非全文を読んでいただきたいと思っている。
「海道東征」への道の著者新保祐司氏は、この著書の中で「日本という国家が抱えている危機は、実に多く存在するが、その基底に威儀や儀典的な形式を失ってしまっていることは、危機の中でも最も根本的なものかもしれない」と著述されている。まさに相撲道にも通じることだろう。
提案だが、相撲の決まり手には、基本技(7手)、投げ手(13手)、掛け手(18手)、反り手(6手)、捻り手(19手)、特殊技(19手)合計82手とされている。この中で横綱白鵬の「張り手」は不快である。白鵬は相撲は格闘技であるから勝つことが一番と勝負にこだわりを持っている。確かに、プロレスやKワンなどでは多用されているが相撲には不似合いな決まり手である。そこで「張り手」を禁止とする改革を相撲協会は実施してほしい。「かち上げ」もプロレスなどでの「エルボー・スマッシュ」と同じようなものである。
また行司による審判に対する物言いも不愉快である。行司は「脇差」を身に付けて軍配を差し違えた場合には、切腹して責任をとりますという覚悟を示している。その行司に異議を唱えることは己も切腹するということである。ということはこの場所は休場することである。
相撲は国技として優勝者には天皇杯が授与されているのである。相撲は歴史と儀式の中での勝負である。ただ勝つことだけを目指す競技ではないことを肝に銘じるべきと考える。
12月19日(火)ミューザ川崎シンフォニーホールにて交声曲「海道東征」公演に妻とともに出かけた。以前大阪で開催されたとき是非聴きたいとの思いを抱いていたところはからずも近くの川崎で開催されることになり楽しみに待っていた。海道東征は、信時 潔作曲・北原白秋作詩によるものである。これは昭和15年「皇紀2600年奉祝行事」の祝典として、日本建国の神話を日本書紀や古事記にの記述をもとに、国生み、天孫降臨、神武東征、大和政権の自立までが描かれているもので開演から終演まで人による言葉は一言もなく管弦楽、独唱、重唱、合唱がみごとな響きを与えてくれた。作詞は、第Ⅰ章高千穂・第2章大和思慕・第3章御船出・第4章御船謡・第5章速吸と菟狭(うさ)・第6章海道回顧・第7章白肩の津上陸・第8章天業恢弘(かいこう)と8章からなっている。
なお信時 潔作曲「海ゆかば」の演奏も行われた。
海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへりみはせじ
これは「万葉集の巻18にある大伴家持の長歌の一節からとったものである。
なお信時 潔作曲「海ゆかば」の演奏も行われた。
海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへりみはせじ
これは「万葉集の巻18にある大伴家持の長歌の一節からとったものである。
先月、ダンス旅行の帰路に「「道の駅八ッ場ダム」に立ち寄った。現在、八ッ場ダムの本格工事に向けた整備工事が行われている。元民主党議員たちよこの八ッ場ダム工事を中止した政治姿勢をどう考えているのか。地域住民との長期間にわたる交渉の末納得し工事着手のめどが立ち工事を始めた。それを絵空のごとく「コンクリートから人へ」と打ち上げこの工事の続行中止を決定した元民主党の面々、人の心を傷つけ、長期間時間を空費し、工事費用を増大させ、精神的、経済的に莫大な浪費を続けさせた元民主党たちの政治責任はどうなっているのか。当時の国交大臣であった「前原政治」氏は、この失敗をどう考えているのだろうか。ただパフォーマンスで非生産的な行為を続けた前民主党!
現在続行されている「八ッ場ダム」工事の現況をしっかりと見届けダム完成時にはそれなりの発言が必要だろう。
現在続行されている「八ッ場ダム」工事の現況をしっかりと見届けダム完成時にはそれなりの発言が必要だろう。