いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

何ができるのだろう 88編

2005年10月30日 07時29分11秒 | 娘のエッセイ
 私がSさんの家まで送って行った時、「あなたは、僕にとって神様みたいな人
だったのに、もうダメだ」とSさんが言った。それは、彼女が、私と個人的に逢
いたいと言ったのを私が断ったことに対しての言葉だった。

 私は障害者地域作業所に勤めている。そこには二十代から七十代までの心
身に障害を持った人達が通所している。Sさんはその利用者のなかのひとりで、
六十歳になったばかりの男性だった。

 彼は私にとって数人利用者のうちのひとりであり、他の人達と違った扱いを
した記憶はないし、実際にないはずである。けれど、彼は言う。「あなたの
一言があったから、こんなに元気になれたのに」と。

でも、本当に私には彼に何を言ったのか記憶にない。何を言ったのか教えて欲
しいと言っても、彼は教えてはくれない。しかたがないので、恨めしそうな目
をしている彼を自宅のドアの前に残し、その日、私はそのまま戦場へと戻った
のだった。

 地域作業所には、多くの人達が関わっている。利用者の父母や、ボランティ
ア。しかもボランティアのなかでさえ、その立場はさまざまだったりする。

多くの人達が関われば関わるほど、各々の考え方や方針をひとつにするのは
難しい。結局、一番声の大きな人の考え方で運営方針が決まってしまったりす
るのが、ここ地域作業所なのだ。

 例えば、私個人的には、件のSさんと外でお茶をして話をすることぐらい、
したって構わないと思っている。また、家に遊びに来たいという利用者にした
って、来てくれても困らないし、食事をしましょうよ、と誘ってくれる利用者
の奥様とも、出掛けたっていいじゃないか、と思う。

 でも、だめなのだ。職員は、基本的には個人的に利用者と関わってはいけな
いことになっている。それは、皆、平等でなければいけない利用者に差別が生
じるからという理由からだ。いったい本当の平等ってなんだろう・・・・。

 勤務時間を終えても、利用者と職員が「故人」対「個人」で向き合えること
はないなんて。人によって違いが生じたっていいじゃない。ひとりひとりの障
害が違うように、各々望むことだって違うのだから。

ただひとつ言えることは、利用者の人達のことを好きにならなければ、お世話
なんてできないということ。いくら「仕事だから」と割り切ったとしても、
同性であれ異性であれ、嫌いな人間の排泄介助までするのは、しんどい。みん
なのことを同じように好きなのに変わりはないのだ。

 本当の福祉は、プライベートに踏み込んだ時から始まる、と私は思っている。
それぞれのニーズにあったことを提供できなければ、本当の福祉にはならない
と思う。でも、待てよ。私は本当は「福祉」などという堅苦しいことをしたい
訳ではないのかもしれない。きっと好きな人達が喜ぶ顔がみたいだけなのだ、
ただ単に。

 S さんに、私は言った。「sさんと外で会えるのは、きっと私が今の職場を
辞めたあとだね」と。

 毎日、奥さんにガミガミ言われ、愚痴ばかりこぼされるSさんにとって、親子
ほども年の離れた私と会話することが、何よりのストレス解消であり、リハビリ
であるとするなら、いつかその願いを叶えてあげられたらいいのにな、と私は
つくづく思う。


 ◎入院中の娘に利用者からの手紙

   ○ ○○さん土日くみんさいがあるので
     はやく△△の家にきてくださいね。
     まっています。
     あした△△にきてくださいね。

   ○ ○○さんはやく△△の家にきてくださいね。
     わたしもさみしいので△△の家でいっしよに
     わたしと○○さんでいっしょに
     やりましようね。
     はやく○○さんにあいたいです。

 上記は、いずれも二十歳以上の利用者からの娘に対する激励の手紙です。

娘(長女)の妹は、ヘルパーの資格を取得して様々な介護を経験していた。
ある人からは、続けて来て欲しいとその娘さんからも懇願されたり、何もし
なくてもいいから一緒にいて欲しいと言われたり人それぞれに介助の内容、
要望は違っていた。結婚後も暫くどうしてもと言う人の介助を続けていたが
妊娠のためその仕事を辞めることになり、介助継続が出来ないことの納得を
得るのに大変苦労していた。
 妹も、長女の勤務先での催しにはよく出かけていた。ヘルパーの仕事に
携わったのは、その影響からかもしれない。確認はしていないが。今、その
妹は6ヶ月の女の子と楽しく暮らし、その成長振りを毎日、メールでコメント
付き写真を送り続けてきている。 
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悩める美人バレエ教師

2005年10月29日 08時51分12秒 | Weblog
 彼女との出会いは4年前になる。三十代の長身で美人、血液はA型。小学生
から高校生を対象にバレエの指導をしている。昨日お会いした時、インター
ネットを始めたとのことで、宣伝のため私の「ブログ」を開いて少し目を通
してもらい、強引に「お気に入り」に収納してもらった。
 雑談の中で色々な事柄についての話が出た。まずは、私の「驚愕の孫孫運動
会」を読んで頂いて躾けの話になった。彼女は、子供のバレエを指導している
が、技術習得の前にまず礼儀をと言う考えを持って指導している。
 生徒とは、三つの約束をしていると言う。①ありがとう、②こんにちは
③すみませんの励行である。無言で教室に入ってくる子には、もう一度戻って
入ってきてと注意すると狼狽するのはお母さんだという。話を聞いていると、
子供に原因があるということではなく家庭での躾けの欠如がこのような現象を
生み出しているようだ。
 また、二子玉方面でバスに乗車した時に見かけた風景、それは、下車する時
に「ありがとうございました」と言葉を出していく女学生。ほーと、身につま
される思いだった。彼女の学生時代にはそうしていたと、家内に聞くと私もそ
していたと言う。とするとあながち家庭ばかりの問題でもなさそうである。
自分が育った環境では、彼女の言う三つの約束は当たり前のことだった。
 そして、駅で見かける光景に改札口で駅員が乗客に言葉を掛けている。
「ありがとうございました」「おはようございます」「いってらっしゃい」等
の言葉を掛けられた経験を持つ人は大勢居るだろう。私が疑問に思っている
言葉に「ありがとうございます」の掛け言葉である。本当にありがとうなのだ
ろうかと。本来は、目的地まで安全に輸送してもらう、するとの契約で我々は
乗車しているので、その契約を完全に履行してもらえばいいのである。私には
乗客或いは世間に媚びた間違った言葉遣いだと思っている。乗車関係では、
この「ありがとうございます」の掛け言葉は不要だ、と思っている。
 政治の世界も又同じで多くの不満を私は抱えている。彼女のご主人もTVや
日刊紙の報道内容から不満が募り「俺も政治家になろうかな」と独り言。
 私が思うに、国政を預かる議員となった人には、己の「政治家としての信条」
の表明を義務づけ冊子として発刊してもらいたい。勿論、項目を設けてである。
有料でもよろしい。などなど
 彼女とは思わぬ話となり、お母さん方の彼女の評判は「厳しい先生」という
ことらしい。もしそれが嫌でしたら何時でも退会してくださいと表明している
と言う。世間にはこういう方々が多く居るのだと思う。彼女に聞くと祖父に
この言葉の約束を教えられたと。やはり、周りの大人がしっかりしないと。
 その彼女の動作を何気なく見ていて一つの発見をした。
 物事に熱心な人は、自然にその趣味の動作が出てくる。例えば、ゴルフ。駅
構内などで傘を道具に素振りをしていたり、ダンスでも電車内で爪先立ちにな
ったりホールドのポーズをとったりする。まさに彼女がそうだった。ダイニン
グキッチンに立つ彼女は、左足に体重が乗った時には自然に右足のつま先が
伸びている。そして右足に体重が乗れば左足のつま先が伸びてバレエの態勢
である。彼女に聞いたところそうなんです、癖になってしまってとの返答で
あった。
 一芸に秀でている人は、自然にその態勢をとる。礼儀もそうあって欲しいも
のだと願いながら彼女の家を後にした。


 ◎ バレエ(フランス語)
   多くの独舞・群舞によって物語を進行させ、歌詞・台詞を伴わない舞台
   舞踊劇。14~15世紀イタリアに生まれ、16~17世紀フランス宮廷で発達、
   オペラ中にも採用され、後に音楽伴奏・背景を伴う舞台舞踏として独立
   した。

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山との出会い

2005年10月28日 09時02分05秒 | Weblog
 今朝も5時に起き、千波湖周辺を8km程ウォーキングする。澄んだ空気を胸一
杯人様より先に戴くなんて、何と贅沢な事か。四季の変化もまた一層楽しませ
てくれるし、ウォーキングは、私にとって楽しい日課のスタートだ。とはいっ
ても、歩くことが、もとから好きだった訳ではない。
 40代から肝臓、胃潰瘍、十二指腸潰瘍など、病弱で、病院通いと薬は手放せ
なかった。医師の勧めもあって、渋々始まったのが切っ掛けで、「良薬は口に
苦し」正に、湖畔三km歩くのは、当初は,辛いものだったと記憶している。
 何時も、お早うの声が飛び交う時間帯には、歩く人、走る人、思い思いのス
タイルで楽しむ様子が伝わってくる。もうかれこれ20年も続いている。私も歩
くことが楽しくて仕方がない。
 時折千波湖の仲間との会話では、今度どこの山へ行こうかと話題はつきな
い。登山は、「足腰が肝腎」、その為重い登山靴でのウォーキングに仰天。
相当のトレーニングが必要と感じた。
 山の装備についても貴重なアドバイスを戴き、その刺激も手伝って「茨城の
山と渓谷」(書籍)を片手に連日男体山、筑波山に出掛ける程のめり込んだ。
その頃、ベテランのO氏の紹介で「○○会」に入会させて戴き、平成8年7月
27日~29日「雪系渓の針ノ木岳・蓮華岳」の山行に(16名)初めての参加で
あった。
 扇沢から針ノ木岳(2,821m)へ、皆、アイゼンを付けたが、私は無しで
7時間余りの涼しい雪上行を楽しんだ。自然がつくりだした雪渓が実にすばら
しい。猛暑の俗界を離れ、雪上の風景は感動の連続であった。この日は快晴
で、頂上からの展望はよく、黒部湖を眼下に立山連峰・剣岳を目の前に、
五竜・白馬・槍・穂高と、北アルプスの主峰を望む。夜中、ふと目を覚まし
空を見上げて、満天に煌めく星群を見ただけでも、ここに登った価値があっ
た。
 翌早朝、針ノ木小屋にザックを置いて、蓮華岳(2,799m)へ往復2時間、建
気にも可憐に咲くコマクサの大群落にも感動した。
 このような大自然とふれあいが実現でき、先輩諸氏に暑く感謝の意を表した
い。お陰さまで最近は、体も丈夫になり、日本百名山も、現在2分の1程度の
数を踏破できた。この後も一つでも多くの山に挑戦し、山靴の温もりを噛みし
めたい。

 追記
 上記の手記は、私の兄貴が所属するサークルが発刊した「○○会の二十年
の歩み」に70歳のときに記したものである。72歳の現在も月に二三の山
登りをしている。登山費用は、医療関係の仕事に従事して得た収入を充てて
いる。
 兄妹の三人はそれぞれの趣味を持ってこの世を楽しんでいる。兄は山登り、
妹は、東京都立美術館での開催に出展し入選するほどの腕前で今では、趣味
に止まらず書道の先生をしている。私は、社交ダンスの日々で踊りまくって
いる。兄弟れぞれに異なった趣味を持っているが、相手がその道で感動する
事柄はよく理解でき、その素晴らしさをお互いに感じ合っている。
  
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人生最大の目標は

2005年10月27日 10時29分31秒 | ハマ風は踊る
 地球が誕生したのは今から46億年前。人類は400万年前から200万年前に誕
生した。爾来とぎれることなく人類としての遺伝子のバトンタッチを受け継
ぎ今の自分が存在する。人間はだれでも140億の脳細胞という無限の能力を平
等に与えられて生まれてくる。そして、生まれてからの僅か3年間で、脳細胞
は成人の60%と急成長する。”三つ子の魂百まで”と言われるのは,この3年
間がその人の一生に重大な影響を及ぼす重要な時間だからである。
 そして、脳細胞は6歳で大人の90%、10歳で95%、20歳で100%完成するそう
だ。この140億の脳細胞の中には、磨けば一流になれる才能や素質が誰にも
必ず入っている。従って、自己の無限の能力と可能性を信じて努力を続けれ
ば、必ず成功する時がくると。
 人間の価値を機械に換算したところ、計算機、複写機、カメラ、ビデオとビ
デオテープ、テープレコーダとテープ、冷暖房エアコン、映写機、マイクロフ
イルム、カートリッジ100億個等の機能を備えたスーパーコンピューターの
1000台分に相当すると積算された。
 このことは、例え、その道でどんなに優れた人でも、あなたの将来の可能性
を正しく見抜ける人はいないということである。だから誰に何と言われようと
自分の信じた道を全力で前進する、これが「プラス思考」である。
 例えば、女子マラソンの有森裕子選手は、マラソンをやりたい一念から会社
に自分を売り込むが、監督は「ペタペタと走ってバネがない。可能性はない」
と全く将来性を評価しなかった。一方、谷口浩美選手は、大学を出て社会人に
なったとき、監督やコーチからは「マラソンは大成しない」と期待されていな
かったという。
 人生の最大の目標は,自分の人生を最高にすることで、そのためには、プラ
ス発想がどうしても欠かせない。それには、「失ったものを数えるな。残って
いるものを数えよ」であり、人生のあらゆることはその人の考え方次第である。
 アメリカのケイツ博士が、人が吐く息をガラス管に入れ液体空気で冷やして
沈殿物をつくった実験によれば
 ① 怒っている人の沈殿物は栗色
 ② 苦しんでいる人のは灰色
 ③ 後悔している人は薄い赤
 ④ 精神が安定している人は無色であったと。
そして、聖書には「陽気な心は健康をよくし、陰気な心は骨を枯らす」とある。
またドイツの作家ゲーテは「不機嫌ほど大きな罪はない」と、仏教では「和顔
愛語(和やかな顔をし、優しい愛情のこもった言葉で人に接する」と教える。
ゲーテが言うように、不機嫌は周りの人々まで巻き添えにする、すごい伝染力
をもっている。逆に陽気さというものも大きな伝染力を持っている。陽気な人
間は周りを明るくする。
 140億の脳細胞の無限の能力を信じ「マイナス言葉」(不平、不満、心配、
不安、疑い、非難など)を慎み、人にも自分にも意識して「プラスの言葉」を
使うように心掛けたい。言葉には言霊が宿るとも言われている。
そこで、現在活躍している人のプラス言葉をみてみたい。
 ※ 自分には無限の可能性がある              (イチロー)
 ※ 小さいことをマイナスと思ったことはない         (舞の海)
 ※ いかにプラス思考で戦い続けるか…それが僕のテーマ(長嶋茂雄)
 ※ マイナスのことは考えない                 (武 豊)
 ※ 自分がダメだとおもったらダメになる           (千代ノ富士)
 ※ 苦しい時は将来を楽観視するのが一番いい       (谷川浩司)
そして、親父に言われた「プラス思考」という言葉を守っている。とイチロー
は言っている。
 参考 『「プラス思考」夢をかなえる発想法』 三浦弘行著

     平成8年12月10日記
 
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この世の不思議な物語

2005年10月25日 09時21分36秒 | Weblog
 シルバー社交ダンスを始めて今年で五年目になる。色々なダンスサークルに
所属して多くの知人を得た。現職時には考えられなかった生活環境の変化で
ある。
今では、社交ダンスのレッスンが仕事と言ったところである。このサークルの
中に週4~5回会っている○○夫妻が居る。レッスン、ダンスパーティー、ダン
ス旅行等でご一緒して共に楽しんでいる間柄で、その姪御さんが入院している
との話を聞いたが、あまり気に留めることもなかった。
 他県(実家)にいる義弟の嫁さんが肺ガンのため入院したとの連絡があり、
家内と見舞った時にはTVでアメリカの野球を観戦ていたのに入院二ヶ月後に
訃報の知らせが入った。亡くなる一ヶ月前にホスピスで夫と共に過ごし亡くな
る前日まで外気に接しながら早く家に帰りたいと言っていたとゆう……
 多くの生花が故人の周りを飾っていた。その中に、この地方では余り見かけ
ない○○夫妻と同じ姓の生花が目に留まった。初七日を過ぎて帰宅したが両親
は共に85歳でこれからが心配である。
○○は義姉に当たり、故人は姪に当たると言う。なお、話を進めて行くと17年
前の結婚式にも○○夫妻は出席したと……
 慌てて、義弟の結婚式の写真を取り出してみた。○○夫妻と私達夫婦は同じ
写真の中に収まっていた。お互い結婚式の写真を見ながら代わる代わる電話
口で長い時間話し合った。しかも、実家へはニ三度行った事があると もう
驚きの連続であった。こんなことがあるなんて。○○夫妻とは親戚同士であっ
たことになる。
 これも、故人が導いてくれたことだと思う。あの生花が無かったら、恐らく
判らずに交際し、お互いの会話の中に似たような身の上話もあるもんだと思い
ながら左から右へと流れていったことだろう。私にとって、世にも不思議な実
体験であった。

 ◎ホスピス
  癌などの末期患者の身体的苦痛を軽減し、残された時間を充実して生きる
  ことを可能とさせるとともに、心静かに死に臨み得るよう幅のひろい介護
  につとめるための施設。また、家族もホスピスの対象に含まれる。



 
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休学の心配

2005年10月18日 09時08分11秒 | 十八歳の思い出日記
 二月三日(火)曇り風強し 姉の日記(高校三年生)

 北風がびゅうびゅうふきまくり陽のてらないうすら寒い日。こんな寒い日に行
ったら風邪ひくよと言われ又欠席。実は、三年で卒業できるかどうか休学の心
配で私はいっぱいだ。
 弟(私)の耳が悪いので母と厚生病院へ午前中でかけた。父は、足がとても
此の頃疲れると言う。三人も病人がいてごたごたしていたら、卒業後もぶらぶ
らしてねばならぬような病状だったら早く治ると良い。
 町田先生へのお便り又今日も出せない!明日は必ずポストへ入れよう。
お腹が悪くなってしまったので顔面蒼白でまた一日病床につく。心げないね。

  追記 一週間ほど投稿を休みます。
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天と男と左…右

2005年10月17日 08時36分05秒 | ハマ風は踊る
 平成8年5月、埼玉県美里町で出土した6世紀の「馬型埴輪」に、右から乗馬
したことを示す鎧が付いていることが分かったとの報道があった。
 右乗り乗馬文化は、西洋流馬術が流入する以前の日本のほかには、アメリカ
インディアンなど少数の民族に限られていたそうである。明治時代に西欧馬術
を取り入れてから左乗りになったという。自転車を考えてみると大概の人は左
から乗っている。そして、1563年に来日したフロイスは「日本とヨーロッ
パの風習の違い」で、「われらは左足から騎乗する。日本人は右足からである」
と記述している。
 ところで、古代日本では「左」の方が「右」よりも優位であった。その論拠と
して、塚崎幹夫著「右と左の日本史を辿る」によると

   ① 古事記(712年)のなかの陰陽説で「天と男と左」が陽で「地と女
     と右」が陰になっている。
   ② 同じく古事記のなかで、日の神天照大神はイザナギノミコトの左目か
     ら生まれ、右目からは、月の神ツクヨミノミコトが生まれている。
   ③ 古事記でも日本書紀(720年)でも記述の順序は、まず左がでて次
     に右になる。例えば「左目」記述のあとは「右目」が出てくる。
   ④ 座席の順位では、一番目の座席を左座といい左の方が右座より優位
     である。
   ⑤ 古代日本では、左大臣のほうが右大臣よりも上位である。などなど
 また、よく話題になるのが、ひな祭り時の男雛と女雛の並び方である。現在は
内裏雛の側から見て右が男雛、左が女雛が主流となっている。このように男雛
が右になったのは、昭和天皇の即位式の時の写真に倣ったからだと言われて
いる。
 しかし、右に座った男雛もこちらから見れば左側である。この辺に席順の混乱
の原因があるようだ。以来、「左」は「右」に比べて旗色が悪い。漢字の「左」
には、不便、よこしまと言う意味があるし、「左遷」「左前」「左巻」などの
熟語が見られ、かたや「右」は、「座右」の銘「右腕」と頼む等があり「右に
出るもののはない」ということになる。
 そして、「左翼」は、フランス革命時の議会で、議長席に向かって右に穏健派、
左に急進派が座ったのに由来している。

 それでは、日常生活での右回り左回りを少し見てみよう。
   ① 生卵を小鉢に落としてかき混ぜるとき箸をぐるぐると右回り
   ② ふるいを使って、粉や砂をふるいにかけるときも右回り
   ③ ロクロを回すのも右回り、日常の動きでは右回り習慣を選んでいる
     状態が多いようである。これ、地球の自転に関係することか。
 そして、非日常的な動きの場合には
   ① 盆踊りは左回りに踊り続け
   ② 遊びやゲームの回り方も基本的に左回りである。その例として、
     社交ダンスもナチュラルターン(右回転)とリバースターン(左
     回転)を繰返しながら左回りの方向に踊る。
   ③ ジェットコースターなど回転する器具もその回転方向は左回りであ
     ある。このように日常生活の状態を観察するとなかなか面白い。

 また、人の表情には、左右でかなりの違いがある。映画やテレビ等で右側
からと左側から撮ってもらいたいとの話をよく聞く。100年以上前から左脳
は言語脳(知の部分)理性で、右脳(情の部分)が音楽脳と考えられている。
虫の音を日本人は、左脳で聞き、欧米人は右脳で聞くということは、日本人
は虫の音を音楽としてではなく言葉として聞き欧米人はそれを音楽として聞
いている。そこで、日本人は虫の音を快く聞き、外国人は雑音として聞いて
いるとよく言われている。そう言えば、今年は「恋に焦がれて鳴くセミよりも、
鳴かぬ蛍が身を焦がす」と詠まれるセミ時雨も立秋を過ぎてからきかれる
ようになったが、これは、全国的な現象であったようだ。
 それにしても、「左」と「右」。漢字の書く順序でみると「左右」と左が先
かと思えば「右往左往」となかなか味のあるものである。
 世の中には、左から右に文字を並べていく文化と、右から左に並べていく
文化がある。しかし、縦書きの方は、方向について「上から下へ」しかない。

 それでは、「鏡に映ると左右が逆になるが、なぜ上下は逆にならない」の
だろうか?
 
 




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パスタ戦争

2005年10月16日 18時37分25秒 | ハマ風は踊る
 麺の発祥地については、中国、イタリア、アララビア説があり、特に、現代の
のパスタにつながる出現は、古代ローマ時代から小麦粉を水で練り、薄切りに
して調理していたことから麺類イタリア起源説が有力視されていた。
 つい最近、四千年以上前の新石器時代に作られた麺を中国西部で発掘され
たとの報道があった。中国の文献には千九百年前に麺が作られたとの記録が
ありこれが裏付けられ「世界最古の麺」が出現した。

 そのパスタに係る記述を再現してみる。平成8年8月10日記

 米国とイタリアの間で「パスタ戦争(スパゲッテイやマカロニ等)」が始ま
った。伊マスコミは「米国は文化戦争を仕掛けた」「コカコーラとハンバー
ガーを海に捨てよう」などと主張している。これは、米国が伊パスタメーカー
をダンピングしていたと認定して16%の輸入関税をかけることを決めたこと
による。
 かたや、日本と中国。日本人グループが総額230万円もする四卓「満漢全
席」(最高級のフルコース)を注文し、その調理の一部始終を撮影したビデヲ
等を持ち帰った。これに対して「大量のビデヲやフイルムは『中国の文化』で
あり、経済的に換算すると計り知れない金額になる」と現地で議論を呼び起こ
しているとの報道である。また、アトランタ・オリンピックの選手村では、
宗教がらみの食事問題があった。
 ① イスラムでは、偶蹄類の反すう胃を持つ羊とかラクダのたぐいに限られ、
  反すうしない豚は不浄とされる。
 ② ヒンズーでは、豚、牛が駄目である。
 ③ 回教徒は、豚が駄目である。
 ④ キリスト教は、ステーキも豚もOK.
 ⑤ ユダヤは、豚肉は駄目、ほかの肉も血をぬくなど細かい食事規定がある。
  そして、ウロコのない魚介類も駄目だから、エビ、カニ、ウナギなども食
  べられない。
その点、日本にはこのような拘束がほとんどないどころか、日本人ほど、色々 
な食べ物に強い関心を示し、また食美学にこだわる民族は世界中にあまり例
がないそうである。ただ、料理の国フランス人が好む、ハトやウサギを日本
人はほとんど食べない。このように、肉や魚の食べ方に、民族により様々な
タブーと偏見が数多く存在する。
 日本は豊かさが増した結果、美食そして「グルメ」化傾向は一段と増してい
る。世界の各地で食糧危機が叫ばれている折、米国の生態学者が「草・バッタ・
カエル・人間」という植物連鎖を例に試算した結果を発表した。
 それによると「一人の人間を養うのに年間300匹のマスがいる。それだけ
のマスは1年に9万匹のカエルを食べる。9万匹のカエルは、2,700万匹
のバッタを必要とし、それらのバッタは百トンもの草を食い尽くす」と。
植物の連鎖の最上位にいると、自然界で起こるあらゆる異変が食糧危機につ
ながる。
 その意味で、人間の食糧にもなる穀類を牛に食わせ肉に変えて食すること
は、自然界において誠に効率が悪い。また、過放牧などで森林を減らして温暖
化の原因となるガスを放出していると、肉牛の大量生産に警笛が出されている。
そこに狂牛病?
 それにしても、この数年、天候の変動が大きい。平成5年は冷夏で不作、米
の緊急輸入があり、平成6年と7年は猛暑で少雨、平成8年も全国各地で渇水
状態が生じた。これは、日本ばかりでなく、世界各地で気候の振幅が大きくな
っていると専門学者は指摘している。
 今年5月から全国各地で続発しますます猛威をふるっている「病原性大腸菌
O157]による集団中毒は、この気候に関係しているのだろうか。この病原
菌は、日本では、昭和57年に初めて確認されている。
 今まさに夏絶頂。心・耳・眼・口に感じながら、日本の食文化の特徴である
擬音語、パリパリ、カリカリ、シャリシャリ、サクサクと、この暑さに負けず
まずは朝食を。朝食は脳のエネルギー源。朝食を抜けば代謝のストレスになり
知的能力が低下するばかりでなく肥満の原因にもなるとの医学会の見解である。
 健康は食がつくるとも言われている。自分自身の健康維持のためにも
    ① 少肉多菜
    ② 少塩多酢
    ③ 少糖多果
    ④ 小食多噛
    ⑤ 少衣多浴
    ⑥ 少言多行
    ⑦ 少欲多施
    ⑧ 少憂多眼
    ⑨ 少車多歩
    ⑩ 少憤多笑
でありたいと願う健康十訓である。過度の肉食が問題になっている西欧風食生
活に対比される日本的食文化を再発見していきたいものである。
 いま自分が、心がけているのは、少憤多笑であるが、公に対する憤慨はなか
抑えるのが難しいが、「ブログ」のお陰でその発散が可能になった。ブログ様
様で、毎日パソコンの画面に向かっている。

 
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洗濯物の干し極意

2005年10月15日 17時37分58秒 | Weblog
 今は家内と二人の生活。家内は事務員として毎日出勤。私はダンスが仕事の
日々を送っている。
 ということで、洗濯そして干す作業は自発的に私が行っているが、収納は全く
ダメで家内がきれいにたたんで収納してくれる。
 そこで、洗濯物の干し方で一番苦労していたのが、家内のストッキングであ
る。いつもまるまっていて、これを正常な状態に戻す為に、手でくるくると元
へ戻していた。ある日、面倒になり、ストキングの根元から10センチぐらいの
ところを持って、下へ振り下ろした。どうだ!すぱっと、元の状態へ戻ったの
である。
 私の大きな発見である。下へ振り下ろすときれいに元の状態に戻る。気持ち
がいい!
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苦悩する乙女の恋

2005年10月15日 09時02分02秒 | 十八歳の思い出日記
 二月二日(月)晴 姉の日記4(高校三年生)
 
 天気予報の小雪か一日小雨はうらぎられて小春日和。また朝の中が少し寒
かったので今日は登校を中止した。
始めて筆をもった。約一日かかって履歴書を完成した。書く前はとても不安だ
った。一枚目は手がふるえ字も力がなくちじまっていたが二枚目、三枚目には
自信がもて、ああ、私にもこのような力があったのか、嬉しかった。
 女学校でお習字の時間、いつも下手なものときめてしまった。貪って練習し
なかった。その時間は楽しみのないものであった。練習さえすればと、なにか
希望の湧く思いがする。
 賞罰浦和市長より成績優等賞、健康優良賞の受けられたあの頃の事、これ
があれば少しは光ってみえる。字は人間を一生の支配とする。自身と希望とが
私の心を満たせる。
 続いて町田先生へお便りをしたためる。何か私の心の中の思う真実の感情
が先生へ書き表せない。それは、先生をあまりに慕う気持ちがそうさせるのだ。
私に対する先生の思いを、私は安心して大海を抱くように隅から隅まで全部を
受け取ることができない。これは、私の性質の表れといえよう。これを論文家
は感情のやさしい女性型といい、厭世家は卑怯きわまる憎むべき感情だとの
のしる。弱者(私)は前者を無理に開こうとしても後者の暗い強い力にぐいぐ
い引かれて、遂に離れぬ自分の感情の流れに入れられて、自分に負けてしま
ったのである。
西山先生もおっしゃられた。「自分がこうしたら人はああ思いはしないかこう
思われはやしないか」と常に自分を主とせず他人を主として自分と言うものを
その他人に服従させている自分を自分以上に評価したいという卑劣な考え方
と話された。もう一度思いなおしてみよう。この感情が町田先生に対して
(卑劣とはあまりひどいから臆病といっておく)幾分か心あるのを私自らの中
に発見した。
 今日は履歴書、お便り、重荷が同時に下りて肩は軽くなったはずなのに……
やっぱり書き物はいけないのか背中が嫌に疲れてしまった。第二高女で須賀
さん達のHとさわぎまわった頃「Hって、始めね、背中がとってもつかれるん
ですってよ」
松村さんはなんでもないのに肩が背中がなんて、うそをいったり、町田先生は
細いのがお好きよ。やっぱり、あの乙女盛りの何も知らない「肺病」なんてい
うものに淳一の絵を連想させ、夢中でこの恐ろしい病鬼にあこがれていた頃が
一番楽しかった。その病の苦しさ、辛さなんていう事は考えなかったあの頃…
 水戸高女へ転校する際、サイン帖に須賀さんのサインと「Hniならぬよう
にお気を付け遊ばせ」とあったけ。あれをよんでどんなに泣きたいほどなりた
くなって、肺の病になるような弱い体じゃない。そして田舎へきて丸々肥り病
気の恋しくなるほど健康だった。それが夢だに想像しなかった。”肺浸潤”に
なってしまって、今の心境、思い出をたどる道は楽しい、淋しいだけのこのよ
うにひよろひよろとなって痩せてしまった私。淳一の病めるお姉様みたいなん
ていわれても、気の立つた感情をよけい焦せさすばかり、でなければ寂しく
悲しくなる。小関さんでなくても健康なのが幸せになりという事を今度こそ
感じる病期はない。
 ”バラのお姉様”よりお写真入りのお便り、まあなんてスマートな…慶応の
外国語科へ入るのに送る写真だそうだ。ロマンチックでいつもいつも私を愛撫
すろお便りの事を私はひそかに幸福と思っている。斎藤さんがスイートホーム
にお入りになって妊娠しているとか……世の変遷を思わせる。高橋さんのよう
でなく私は、結婚恐怖病だ。それは自分だけしっている事。お産の時、痔の人
は非常に困るという、考えると恐ろしい。
 郵便料金も二月十日から二円五十戦に値上げ、小出さんはどうしたかしら。
ほんとに身を亡ぼしてしまったか。
 畠から里芋をもってきたので久し振りに夜はけんちん汁でとてもおいしかっ
た。夜のお茶がとても消毒液のようなプーンと臭かったので何だか、毒殺事件
のあるこの世の中。みんなで鼻の元へやかんをあてたり、急須を持ち上げたり
大騒ぎしてしまった。
きのうのライスカレーもとてもおいしかった。きのうと今日、ご飯がおいしいの
でうれしい。明日こそ登校する意気でバンド通しをズボンにつけた。
 夕方、父に履歴書を二枚渡す。半紙を二枚折りにして書くものだといわれた。
折角治ったお腹が、けんちんの食べすぎか、あのお茶か、また下痢にもどって
しまった。苦しかった、あのお茶何だろう??
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忘れ得ない恋

2005年10月14日 16時59分12秒 | シルバー社交ダンス風景
 あるダンスサークルの女性。あの時に巡り会った男性が忘れないという。
福島方面に温泉旅行した際に知り合った男性のこと。後日手紙と写真が送られ
てきたが、住所の表示が無いという。そこで、相手方の住んでいる町名を聞い
ていたので、現地まで行って探したが未だに所在は分からない。十五六年前の
話である。
 と言って、写真と手紙を持参して見せてくれた。野次馬根性で拝見した。

 『美しい川、美しい緑の山々、透明で匂いのいい風の流れ、それに開放され

  れた自由な旅心、あの時あなたとの出会いにふさわしい条件が完璧に整っ

  ていたのですね。突然の出会いに、あのような振舞いが自然に出来たのも、

  勿論あなたがとても魅力的だったし、あの自然のたたずまいの素晴らしさ

  に影響されたのでしょうね。

   旅が終わり、俗世界に帰り着いて、あの数時間の出会いを思うと、誠に

  夢幻の彼方の出来事のように思えてなりません。しかし、写真という文明

  の利器は、あれが決して夢幻の世界のことでなかった証となってくれまし

  た。ひたすらになつかしく写真の中の美しいあなたを見つつ、この便りを

  したためています。

   いつしか再開の日に恵まれたら私の最初の言葉は「あなたが好きです。」

  ということに決めてしまいました。お元気でお過ごし下さい。』

という手紙に惚れ彼女は恋をしている。惚れたのは男性自身にであるが、今で
もこのかなわぬ恋に彼女は恋をしている。

 彼女は、カラオケに才能があり優勝を幾度か経験している。そして、ダンス
にも励み楽しい人生を満喫している。
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教育ってなに?

2005年10月13日 10時05分24秒 | ハマ風は踊る
 平成8年11月10日記

 総選挙も終わり、第二次橋本内閣が発足した。世界各国は、日本の選挙結
果を概ね次のように報じた。
 ① 日本国民は安定を望んだ
 ② 日本の改革は鈍化する
 ③ 日米安保関係は安定するが、日米の経済関係は摩擦が増える
 ④ 日本は右翼化し、アジア諸国との緊張が増す
 ⑤ 戦後最低の投票率は、日本の民主主義に問題を残した…などに集約さ
れたが、今度の内閣は、どの様な方向に進んでいくのだろう。

 因みに、立国の三本柱である、租税・教育・治安のうち「教育」について、
今回の選挙で各党が公約した内容をもう一度確認してみたい。

 自 民……6・3・3制抜本改革や教科書のあり方の見直し
 新 進……中高一貫教育など学制改革と研修充実による教員の養成
 民 主……30人学級の実現、高校への全員入学と教科書検定の廃止
 共 産……中高一貫による6・3制充実や違憲な教科書検定の廃止
 社 民……多様な選択ができる柔軟な制度、教科書検定見直し
 さきがけ…高校、大学で福祉、農林、海外の3分野の実習制度導入

加えて、経団連は、10月28日規制緩和の重点事項として、「農業」「運輸」
「金融、証券、保険」「医療、福祉」及び「教育」について要望を出した。
 その「教育」については、①カリキュラム編成の弾力化、②教材選択の弾力
化(教科書選択の自由度の拡大、副教材の届出制への移行)、③遠隔教育の
実施を挙げている。

 国の将来は、その国の教科書を見れば分かると言われている。学校教育を
支える大きな柱は、何と言っても教科書であり、各人の人生観の形成に大き
な力を及ぼすことは、小、中学時代に教科書で学んだ事柄の印象が成人した
後まで鮮明に残っていることからでも分かる。今、歴史教科書で様々な意見が
出されている。

 ところで、明治23年10月30日に発布された「教育勅語」に触れてみた
い。

 『朕惟フニ我カ皇祖宗国ヲ肇ムルコト宏遠二徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ
  臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々ソノ美ヲ済セルハ此レ我カ
  国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝兄弟ニ友
  ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭検己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ
  習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ国憲
  ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶
  翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ
  遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
   斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
  之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテモトラス朕爾臣民ト倶ニ拳々
  服鷹シテミナ其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ』

         明治23年10月30日
           御 名 御 璽

 この勅語の「朕」とか「爾臣民」などの言葉を「われわれ」に置き換えて
みれば。

 『私たち日本人が国民として考えて見ますと、私たちの国は長い歴史を持ち、 
  その間にいいこともたくさんしてきました。私たち国民は信義を重んじ、
  先達を敬い、みんなで心を合わせることを旨としてきました。
  美意識というものを培い、そこに私たちは自国の誇りをみいだしますし、
  子供たちにもそのように教えようと努力しております。私たちは家庭を
  大切にし、敬老精神を持ち、友情を貴び、夫婦愛を信じています。他人を
  尊敬し、自分には謙虚にあろうとしています。偏らない博愛の精神を持ち、
  向学心を忘れず、手に職を持つことを心掛け、知的な人間たらんと望み、
  道徳心の強い人間たらんとし、人々のために尽くし、良い政治を求め、
  憲法と法律に従い、世界の不幸には身を粉にして助けようと思っていま
  す……』
となると林秀彦著「ジャパン、ザ・ビューティフル」で述べている。

 昨今の価値観の多様化という風潮に惑わされる事なく、日本国の日本人
の心の柱となる規範が欲しいものである。これすべて政治の力であり、あら
たに誕生した第二次橋本内閣の実行力に期待したい。21世紀へ向けて!
  

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元総理の忘却

2005年10月12日 08時29分43秒 | ハマ風は踊る
 10月11日、1億円事件に関わる東京地裁で「その日の記憶は欠落している
が、会食出席や小切手の受領は間違いないと思う。……」と証言したとの報道
があった。私より1歳年下である。健康状態は人それぞれであるが、TVで見る
限り、黒塗りの車に乗るその姿は颯爽としている。

 忘却は早すぎるのではないか。忘却とは忘れ去ることなりと言われ、それも
生活の一つの知恵ではあるが、国政を預かり、多くの外国首脳と会談し在任中
はそれなりの功績はあったと思う。その様な方がたかが4人の会合での出来事
を「……と思う」とまるで他人事の状況描写である。思うに、この「…思いま
す」の語法は、明らかに責任を回避しようとする意識が働いていると汲み取る
べきだろう。

一般人が、会合や討論で「私は……と思います」と使用しても許されると思う。
しかし、国の命運を握る立場に合った人が、一般人と同じ語法をされたらたま
らない。

 時に、政治家は、信念云々といわれているが、絶対に「……思います」など
と自分の意見を表現しては困る。小泉総理のように、改革を止めるな。の様に
きっぱりと自分の意思を表現してもらいたい。

 TV,ラジオから流れる様々な人の発言の中にこの「……と思います」の語
法が如何に多いかを注視していただきたい。

 そこで、忘却の彼方にある9年前の衆議院選挙について記した私の思いを
ここに再現してみたい。


 平成8年10月10日記
 10月20日(日)は衆議院選挙の投票日。今回の選挙は、平成5年7月の
衆議院選挙以来3年3ヶ月ぶりであり、小選挙区比例代表並立制で初めて実
施される。

 各党の公約も発表された。その内容も「消費税・経済政策」「行政・政治改
革」「外交・安保」等に大別されるが、ここでは各党の「歴史認識」について
比較してみたい。

 近年、近隣諸国との間に様々な摩擦が生じている。日本もそろそろ、国益を
明確に主張し「謝罪外交」に終止符をの願いから特に取り上げてみた。

1 教科書問題
  ① 昭和57年6月からの2ヶ月間猛烈な教科書騒動があった。「文部省
   が高校歴史教科書で中国への『侵略』の文言を『進出』に変更させた」
   というマスコミの検定非難の報道が連日行われた結果、中国や韓国か
   ら日本政府に抗議が寄せられ大きな外交問題にまで発展した。
  ② 昭和57年8月26日鈴木内閣の宮澤喜一官房長官は「政府の責任
   において教科書の記述を訂正する」と、全面謝罪の談話を出した。
  ③ 昭和57年9月7日の産経新聞大阪版に、「教科書問題『侵略』→
   『進出』誤報の経過」と題して、読者への謝罪記事が出され、以後
   中国の抗議は和らいでいった。問題は、官房長官談話前に、これは
   誤報であることが把握されていたにもかかわらず謝罪したことである。
2 慰安婦問題
  ① 平成4年1月7日慰安婦問題が持ち上がり、訪韓した宮澤首相は韓
   国大統領に陳謝した。
  ② 平成5年8月4日河野洋平官房長官は、慰安婦の強制連行という
   客観的事実をしっかり検証しないまま「我々はこのような歴史の真実
   を回避することなく、これを歴史の教訓とし、歴史研究、歴史教育を通
   じて、この問題を永く記憶に留め、同じ過ちを決して繰返さない」との
   談話が出された。
    しかし、現在に至るまで軍による「強制連行」の事実は一切把握され
   ていないのである。
  ③ 平成9年度に使用される中学校の歴史教科書(7社すべて)に「従
   軍慰安婦」の記述が行われている。
3 領土問題
  ① ロシアとの間には北方問題が大きく横たわっている。
  ② 中国は、尖閣諸島(中国名釣魚島)の領有権を主張し出し、平成8年
   10月7日には4名の者が領海を侵犯を行った。
  ③ 韓国は、竹島(韓国名独島)を40年以上にわたり不法占拠を続け、
   かつ領有権を主張している。

《各党の選挙公約》
  自 民……① 戦没者に対する感謝と鎮魂のため靖国神社公式参拝の実 
          現
         ② 北方四島、尖閣諸島、竹島問題の平和的解決
         ③ 原爆被害者対策の充実

  新 進……① 過去の歴史認識については反省の意思を明確にする
         ② その上で、平和的な行動を推し進めていく

  民 主……① 過去の植民地支配と侵略戦争への反省と謝罪を明確に
         ② 自主的積極外交推進

  社 民……① 植民地支配と侵略戦争を反省,繰返さないことを鮮明に
         ② 非軍事の国際協力

  共 産……① 先の戦争は侵略戦争
         ② 反対した唯一の党として憲法9条を生かすことが教訓

  さきがけ…① 先の大戦のわが国侵略行為が与えた苦痛の反省に立ち
        非軍事貢献と国連改革

 自民党が総選挙の公約の中で、「尖閣諸島および竹島は日本固有の領土
である」及び「靖国神社公式参拝の実現」を明記したことは喜ばしいことで
ある。
 21世紀に向けた時代の礎ともなる今回の総選挙。将来への禍根を残さない
為にも一票の確実な権利行使により、それぞれの思いを議員候補者に託した
いものである。

 追記 この後に、第二次橋本内閣が発足した。
  




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露のように 87編

2005年10月11日 09時55分29秒 | 娘のエッセイ
 『今、自分の周りにある全てのものを捨てて、何処かへ行ってしまいたい』
 ふと、そんな感情が心の奥底から沸きあがってくることが、ままある。
家庭にも、友人にも、恋人にも何も告げずに、突然ボストンバックひとつだけ

を抱えて、ふらっと遠い北の小さな町へ行ってしまったら、どんなにかいいだ
ろう…… でも、なぜ、北なのか。

 やはり『情緒』だろうか? しっとりとしていてほんの少し暗さを含む町、
そんな町となると、やっぱり「北」になる。

 その町の小さな寂れた飲み屋で働き、その日その日だけの為に生きる。
そして、幾つかの刹那的な恋を繰り返し、その果てにひとりの子を身籠る。
子供と、子供の父親と、私の生活は、あくまでも根無し草でーきっと、子供

にとっては最悪の環境なんだろうけれど、それでも三人で、ふわふわした他
人に束縛されない毎日を楽しんでゆける。そんな生き方もいいのではないか。

 いや、積極的にしてみたいとさえ思う。こんなのこと言うと、今の生活があ
ればこそ、そんな呑気なことが言えるんだ、などと怒られてしまいそうだが。

 けれど、落ちるところまで落ちるーそんな中にこそ、ある種の美を感じてし
まうのだ。『恰好良く生きたい』。いつも、私はそう思っている。恰好良くとは、
流行を追いかけて時代の最先端をいくことではなく、私の考えるダンディズ
ムに忠実に、ということである。

 たとえば小さなことでは、人の視線が無くとも背筋は伸ばしていよう、とか。
そういった小さな事柄の積み重ねがあって、いつか恰好良く生きていけた
ら…… と願っている。

 まわりの流れに逆らわずに生きてきて、気が付いたら白寿だった、という
人生も幸福かもしれない。でも、ほんの一瞬だけでいい。

 キラリと光る時があって、あとはすうっと消えてゆく。そんな露のように儚い
人生のほうが、私はうんといい。たとえ、その生き方が他人には不幸に見え
てしまったとしても……

  追記         人を恋うる唄(森進一)
          露地にこぼれた 酒場の灯り
          しみてせつない 放浪れ唄
          おまえがそこにいるならば
          リラの花咲く町もいい
          汽笛きこえる 港もいい……

 これは私の持ち歌の一つ。娘はこんな人生をも考えていたようだ。親とし
て全く知らない心の内。このエッセイは、娘自身の自分の人生を予感させ
るような文脈だなーと今では感じている。.享年34歳。
 娘は「花」を愛し、特に「トルコキキョウ」をこよなく愛でていた。住職
にお願いして、戒名の中に「花」の一文字を入れていただいた。

 ダンス仲間のY・Kさんから頂いた詩

   ○ 慟哭の尽きる 日々なし
              気高くも
                トルコキキョウを
                      愛でし人ゆえ

   ○ 現世に あまたの珠玉
              ちりばめし
                トルコキキョウの
                      麗しの精    
       
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歳月 86編

2005年10月09日 18時02分12秒 | 娘のエッセイ
 早いものだ。あと数ヶ月もすると、私の年令は三十代に突入する。
 まだ私がティーンエイジャーだった頃、三十歳の女の人というのは遥か彼方の
存在だったというのに。

そしてその頃の私は、毎日とても刹那的に生きていたくせに、どこか生きること
にウンザリしていて、私はきっと三十歳になる前にこの世からいなくなっている
はずだと信じていたのに。

 もっとも、三十歳を目前にした今、生きることに意欲的かというと、そういう
わけではない。十代の頃とはまた違った意味で、人生にウンザリしている。

 そして”三十五歳になったあかつきには、この世から消えていたい”などとい
うことを懲りもせずに考えていたりするのだ。

 私がいつまでたっても結婚や出産に積極的に取り組めないのも、心の奥底
に、常にそういった思いがあるからなのかもしれない。

「人生ってなんだろう」などという青臭いことを言うつもりはない。けれど、
流れゆく歳月というやつは、決して私の味方にはなってくれない。歳月は私に
とって恐怖でしかない。

 減り続ける脳細胞。弾力を失ってゆく素肌。そして何より怖いのは、私の目
から鱗を落としては、現実を突きつけてくることだ。歳月は、私に冷静な観察
眼をくれる。

ごく当たり前に見えていた事柄に、多くの?マークがつき始める。両親の夫婦
関係に。自分の家族関係に。

 そして様々な人たちの憎悪に、嫉妬に、思惑に。そして、それらをすんなり
と受け止められる程、私は強くないし、リアリストでもなかった。そのたびに
私は脅え、歳月をうらむ。

 歳月は、神様がくれた最高のプレゼントだと人はいう。どんな辛い事柄も
過ぎてゆく時が忘れさせてくれるからという。

 いつか、私にも歳月が最高のプレゼントだと思える時がくるのだろうか?
それとも、歳月が私の味方になってくれる時は、永久にこないのだろうか…。

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