いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

日本人ておかしいわね?

2007年11月28日 09時41分21秒 | 兎に角書きたいの!
 海外旅行をしてきた妻の友達の話である。
日本人て不思議で変と言うか面白いと言うかビックリすることがあると外国のツアーガイドの言葉である。
 「折角外国へ観光旅行に来ているのに『会話の内容が嫁とか姑とか家族の話ばかりで観光の話が余り出てこない』と言う。そして、日本人ておかしな人達だという。とても外国人には考えられない日本人の感性らしい。折角外国へ来て、外国の地で見たもの食べたものなどの話ではなく、最も関心のあることは家族のこと。
 ここでも、変な日本人と見られている。今の民主党の態度もそうであろう。疑惑の追及は日本国内のことだからいつでも出来る。人物は日本国外へは逃げては行かないのである。
 それに引き換え、油給のことはどんどんと時間は過ぎと理科氏の出来ない事柄である。民主党も少しは大所高所の立場から行動を取ってもらいたい。
 優先度、緊急度を十分に認識して対応してもらいたいものだ。
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自前のダンス大会

2007年11月24日 07時41分03秒 | シルバー社交ダンス風景
 先日、150人ほどが集まった「南区老人クラブ社交ダンス大会」が開催された。アトラクションとして、あるサークルのフォーメーションが行われた。6組によるワルツ・タンゴの踊りをこれまでの練習成果を十分に演出していた。フォーメーション参加者のほとんどは70台であり、我々に大いなる元気を与えてくれた踊りであった。
 会場正面に張られた手書きの横断幕には「平成19年南区老人クラブ社交スンダ大会」と掲げられていた。主催者の挨拶の頃に会場の一部がざわざわとした雰囲気が漂いだした。「幕の字が違う」と言う声である。
 よくよく確認したところ、「ダンス大会」のところが「スンダ大会」となっていたのである。すぐに訂正されたが、思わぬハプニングが起きた。このような大会にはママ有ることである。
 この間違いを見て、回文を思い出した。
「ダンスは済んだ」の言葉である。

 楽しく踊れたダンス大会であった。当日は、横浜市中区の老人会でも横浜技能会館でダンス大会が行われていた。ダンスパーティーは、シルバー族の大いなる楽しみである。
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やじきた道中 てれすこ

2007年11月22日 07時42分38秒 | 兎に角書きたいの!
 昨日家内と「やじきた道中 てれすこ」を鑑賞してきた。中村勘三郎・柄本 明・小泉今日子らが出演するお笑いの映画である。当日は、水曜日で「レデーの日」と言うことで女性が多かった。
 11月9日産経新聞に、有るシーンの部分について俳優柄本 明氏がコメントしている。その部分も面白くどのような演技をするかも楽しみだった。

 記事の内容
 「やじきた道中てれすこ」の中で、柄本明演じる喜多八が首をつるシーンがある。
 「石灯篭の上で、さんざん迷ったあげくに足を踏み外し、松の枝にぶら下がってしまった喜多八が、もがきにもがく。表情と動きで観客を大いに笑わせるシーンだ。撮影は昨年10月に行われたが、実はその日は、柄本 が腰部脊柱間狭窄症の手術を受けて退院した当日だった。」

 全身にパラシートの留め具のような拘束具をつけた柄本は、つり上げられ、落とされ、さんざんに揺さぶられた。服用した抗生物質のせいで、じんましんになりながらも、柄本は心配するスタッフたちに、「大丈夫、大丈夫」と平然と答えていたという。

 この記事を読み、その場面を心して見つめた。全くその気配微塵も見せずに演じていた。役者魂の凄さを見せ付けられた。また、歌舞伎風立ち回りの見事さまるで芝居を見ているようであった。

 「大いに笑えて、じんわり泣ける、国民的エンターテイメント」と宣伝しているが正にその通りであった。
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来年還暦ですよ!

2007年11月21日 08時39分29秒 | 兎に角書きたいの!
 今朝、道路を清掃していると隣家の「えいちゃん」が、おはようございます!今日はあったかいですね、と語りかけてきた。手に持つほうきは動いたまま話を続ける。
                                                                            彼 いやー腰も痛くなったし頭も白くなり、年の過ぎるのは早いですねーと。
 
 私 「えいちゃん」も年をとったね。時間を早く感じるようでは。

 彼 来年は還暦ですよ

 私 ほー すると私と一回り違うね。と言うと彼何を勘違いしたか

 彼 私、23年12月生まれなんですよ。旦那は、22年生まれですか

 私 イヤー違うよ!

 彼 それじゃー23年ですか。と話がかみ合わない

 私 昭和11年ですよ

 彼 ええー 若いですねーと言われまんざらでもなかった。

 この会話、彼は何をどう勘違いしたかは分からないが、朝方のとんちんかんな会話で今日の一日が始まった。
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歌手「北原 明」氏作曲の心意気

2007年11月20日 10時00分26秒 | シルバー社交ダンス風景
 先日、横浜馬車道の「ムーンフラワー」で北原 明氏の歌によるダンスパーティーが開かれ夫婦で出かけた。
 十分に、北原 明氏の歌をバックに気持ちよく、ゆったりと夜のひと時を楽しく過ごすことができた。
 二次会において、北原 明氏も同席され今リリースされている「西都物語」について色々と聞いてみた。西都市は、宮崎県にあり古墳群がある歴史的なところだと言われた。
 西都市から作詞作曲を依頼された歌手「北原 明」氏は、まずその場所に行かれ暫くの時間その場所で瞑想したそうだ。
 日本的古墳群の前から、その付近から聞こえてくる音は、日本的なツツミ、太鼓、三味線と言ったの本的音色が聞こえずに西洋的な音色しか聞こえてこなかったと。その音色は「トランペット」のものであった。
 この「西都物語」のCDを聞いていると、最初の導入メロディー、音色はトランペットである。それが何とも言えない、その場所の情景が想像できる雰囲気のトランペットによる音色なのである。素晴らしい!
 「北原 明」氏は、歌手で作詞作曲をされる。特に音楽学校で学んだわけでなく幼少の頃からジャズなどに親しんでいたと言う。
 音楽、詩に秀でる人の感性には驚きである。今後益々、いい詩、いい曲そして熱情を情愛をこめた歌に期待したい。
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三年連用日記

2007年11月19日 07時47分23秒 | 兎に角書きたいの!
 来年は6回目の年男を迎える。そこで、初めての「三年連用日記」を購入した。これまで日記は付けたことが無い。愛用している手帳に記録していた。
 既に居ない父母はともに連用日記を活用していた。今、母親の日記を読んでいる。一日一日の生活の模様、社会の出来事、家族との感情、身体の心配、子供たちへの心配り、孫の成長、近所付き合い、読みたい本、読んでいる本などなど記述内容は千差万別である。この父母の日記を読んで、来年は年男だし区切りもいいから連用日記を付けようと思い購入した。結構いい値段である。
 私の活用方法は、感銘を受けた言葉、感動した現象を主体にして記述する。そしてその日一日を漢字一文字で表現し10文字程度のコメントを付けよう、と今思っている。
 三日坊主にならないよう今から心して、毎日、購入した「三年連用日記」を手にしている。
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今日はダンス三連荘!

2007年11月16日 07時47分43秒 | シルバー社交ダンス風景
 今日はまる一日ダンスで暮れる。午前は会員30名弱のサークルで女性は男性の三倍と言ったところである。シルバーダンスだから踊りの形よりも集まって雑談し昼食を共にするのが楽しみと言う人が多い。自然にサークル内は和やかにあちこちで雑談の花が咲いている。先生もある程度諦めの状況であるが、楽しいサークルである。
 午後は、先生の居ないサークルで15名弱、レッスン場所は一定しており場所を確保する心配も無く安心して遊べる。
 夕方からは、妻の友達と関内・馬車道にある「ムーンフラワー」へ出かける。会場は30人ほどが踊れるこじんまりとしたホールだが5名による生バンドがあり夜のムードを盛り上げてくれる。
 毎月、第三金曜日には、歌手の「北原 明」氏が歌う。「空港ラストナイト」「西都物語」は、通信カラオケにリリースされている。北原 明氏は、作詞作曲し自分で歌う歌手である。
 歌詞の底流に流れる精神は、愛・優しさをテーマとする心を表現し非常に謙虚で優しさを持つ歌手である。北原 明氏は、日本で始めてダンス音楽を歌った歌手でもあり応援している。
 今日はどんな曲に乗って踊るだろうか!
 
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娘との再会(不思議物語)

2007年11月14日 08時51分35秒 | ハマ風は踊る
 横浜の関内に「あじさい」というカラオケ店がある。
 友達に連れられてその店に行ってきたと、ダンス仲間の女性は次のように私に語った。
 友達はこの店でダンスを楽しんでいる。またカラオケ・ダンスなどを趣味とする男性が来ており、その方と女性は何度か踊っているうちに、いろいろな会話を交わすようになった。
 ある時、女性はその男性から、こんなものを書いていると、「シャンソンに魅せられて」「続・自惚れ鏡」「我が社交ダンス奮戦記」など、八百字に収められた署名入りエッセイの写し二十枚ほどを受け取った。
 平成19年8月24日。その女性が、「貴方は、自分史講座などに行かれているから興味があるかと思って」と、そのエッセイを私に手渡してくれた。
 そのカラオケ店の場所を聞くと、以前その店のママと多少縁があって、妻と私の友人を誘って行ったことがある店であった。が、今は経営者が替わって伊いるとのことであった。
 ダンスレッスン会場で、手渡されたエッセイの写しをペラペラとめくっていたところ、「青いペン15号参加作品」と記された文字が目に止まった。
 まさか!もしや!でも、あの、「青いペン」ではないだろう、とは思いながらも、胸の高鳴りを抑えることができなかった。
 ダンスレッスンを終えて早々に帰宅し、取るものも取り敢えず書棚にある「青いペン」5冊を取り出して、そわそわ、わくわくしながら著者名の確認に入った。
 「青いペン」は、あるエッセイ教室が年に1回程度、生徒のエッセイをまとめ、冊子として発刊しているエッセイ集の表題である。
 娘は、この教室に通っていた。エッセイの提出締め切り近くになると、夜中にもかかわらず原稿用紙に向かって、唇の皮膚にふれながら構想を練っている姿をよく目にしていた。文字数は八百字内と制約されての創作には、その構成に相当くろうしていたようだった。
 家にあるエッセイ集「青いペン」の1冊目には無い。二冊目・三冊目・四冊目にも無い。
 最後の五冊目を、祈るような気持ちでゆっくりゆっくりと、一つ一つ目次を追っていく。と、アッタ! アッタ!何と四十六番目に男性の名前とエッセイが登載されている。その男性の名前を何度も何度も確認しながら……、ウーン!と大きなため息が身体全体を突き抜けていった。この冊子には70名の方のエッセイが収められている。
 何と言うことか。娘が通っていたエッセイ教室と、その男性とは同じ教室でエッセイの作成に励んでいたことになる。
 このつながりは何と不思議なことだろうか。人との出会い、人とのつながりは、この世に存在するということだろうか。
 私は思う。やはりこの世には、人と人とを結ぶ「赤い糸」と言われる糸は存在するんだと言うことを。そして確かなことだと。だから通常あり得ないこと、想像し得ないことに人は遭遇するのだろう。

 「青いペン」に搭載されている娘のエッセイを転記してみる。

 好きな花は、なぁに?
 九月は私の誕生日だった。そこで私は淡い期待を抱きつつ、さりげなく事前に好きな花の名を彼に教えておいた。しかし、当日待ち合わせ場所に現れた彼は、
 「本当は花束も持ってこようと思ったんだけど、名前を忘れちゃってさ」
と言い、私の淡い期待は無残に打ちくだかれてしまった。日ごろ花とは余り接触のない男性にとって、トルコ桔梗という名前は難しすぎたんだ。そう自分に言い聞かせ、空しく自分を慰めるしかなかった。
 好きな花のアンケートを見ると、必ず一位は「薔薇」である。確かに薔薇はいい。花の女王様だ。蕾から始まり、咲ききるまでの間、どの時期をとっても、その姿は魅力的だ。そしてその後も、ドライフラワーやポプリにすれば、いつまでもその姿や香りを楽しむことが出来る。これだけ一本で楽しめる花は他には無い。
 それに、「好きな花は何?」と男性に聞かれた時、薔薇と答えておけば無難だからという理由もあるのではないだろうか?薔薇は男性にとって、覚えやすいし、わかりやすい。結果としてプレゼントして貰う確率も自然と高くなるはずである。
 けれど花好きな女性なら必ず、「薔薇」も好きだけれど、本当に好きな花は……」という花があるに違いないと私には思えるのである。
 三年前ほどのこと、私が通っていたフラワーデザイン学校で、ウェディングショーなるものを催した。場所は川崎の市民プラザである。数名の生徒がドレスを着て、生徒の作ったブーケを手に、しずしずと舞台を右から左へ……という企画である。私もそのモデルの一人に指名された。その時、私が持ったブーケは、トルコ桔梗のブーケと、デンファレと百合のブーケの二種類だった。私は特にどちらを……という意識もなく舞台の上を歩いた。そのつもりだった。ところが後でその時の写真を見、私は意外な発見をし、自分でも驚く。同じはずの私の笑顔が、トルコ桔梗のブーケの時のほうが断然にいいのである。
 たかが花の種類一つで笑顔の質が変わる私も私だが、やはり花の力は凄い!と感心する出来事であった。
 世の男性の方々、好きな人に思いを伝えるための花束を贈る……それは結構なことだけど、彼女が何の花が空きなのか、その辺の取材が欠けている気がするんです。いかが?だって花の好みは十人十色なんですから。
       (筆者は平成十二年五月にご逝去されました)

 慟哭の尽きる日々なし気高くもトルコキキョウを愛でし人ゆえ

 現世にあまたの珠玉ちりばめしトルコキキョウの麗しの精

 この短歌は、ダンス仲間のご婦人が「好きな花はなあに?」を表題とした娘の遺稿集を読まれた感想をこのように表現してくださった。
 娘は、結婚二年目で流産を原因とする病に侵されて享年三十四歳でこの世から姿を消してしまった。
 遺稿集は、娘がエッセイ教室で書きとめたエッセイのうち八十八編を収録し、娘の一周忌に、菩提寺そして縁者にお渡しし、お読みいただいた。
 平成十三年四月二十二日娘の一周忌のとき、菩提寺から墓地に向かう途中で珍しい自然現象に遭遇した。
 「横一線のにじ」が突然大空に現れたのである。四月二十三日付日刊紙にも、その状態のカラー写真が登載報道された。
 報道によれば、「水平環という珍しい現象で、高度5000メートル以上の雲の中で氷の結晶が太陽光を反射して起きる。」そして、埼玉県の熊谷地方気象台の職員は、「みることができた人は幸運です」と。
 エッセイを読んで頂いた喜びで、娘も天国で華やいでいることだろう。娘との間には、過去何度もこのような不思議な現象に、家族ともども巡り合っている。
 例えば、息子の嫁さんが入院していた病院では、出産手当が難しいからと、救急氏やで川崎方面の病院へ向かった。途中、横浜市大付属病院に特別室一部屋が空いているということで、急遽入院が決まった。ここから娘との関係が派生してきた。

① 娘はこの市大病院の裏手にあった愛児センターで産声をあげたこと。
② 娘は、けいゆう病院で亡くなったが、生前の娘の意志で角膜を提供し、そのこ  とに関わった医師は、この市大病院の方であったこと。
③ 市大病院入院三日目に帝王切開で798グラムと超未熟児の元也が息子の第三子  として誕生し、「未熟児網膜はく離」による手術を三度も行った。今では小学  校一年生として元気に通学していることは、娘の角膜提供行為によって網膜は  く離が治癒し、娘に守られたのだろうということ。
④ 平成十二年に開設された市大病院の産科医療は、横浜一の設備と人材を揃えた  最高の病院であったこと。
⑤ 娘はこの市大病院を眺望できる墓地に眠っていること。
⑥ 元也の母親が入室していた入り口には、普段ドライフラワーが飾られている   が、元也を残して母親が退院する日には、何故か、それにしても偶然に、娘の  大好きな「トルコ桔梗」の生花が飾られていたこと。
⑦ 生花のトルコ桔梗は、元也が入院中(143日間)は、「私が見守っているから  安心して退院していいわよ」との娘からのメッセージではないかと。
⑧ 庭にでたとき、お墓参りに行ったときなどに何処からともなくアゲハチョウが  私たちの周りをひらひらと飛ぶ蝶は、娘の化身ではないだろうかと……など。

 娘の法要時に現れたあの珍しい虹は、キット娘と再会するための、そして再会することができた虹の架け橋だったのだと、私ども家族は何時までも何時までもそう思い続けている。

 書きとむる言の葉のみぞ水茎の流れてとまる形見なりける
        新古今和歌集・按察使公通(あぜちのきんみち)

と、遺稿集の巻頭にこの和歌を書き添えて娘への供養とした。

 このエッセイは、ここで完結し、九月十六日に開かれた自分史講座において朗読し、感情が自然にこみ上げてくるなかで、皆さんに披露したところであった。
 ところが、九月十八日の朝、床から離れて庭の草花を眺めながら、家周りの清掃をと思い外に出たところ、隣家のザクロの木から落ちた大きな実が、三個路上にころがり、その先に一匹の蝶が横たわっていた。割れたザクロの実を片付け、その蝶を庭の草花の傍らに埋めた。
 なお家を廻ると、路上で何か動いているものが見えた。大きなミミズのようである。近づいてみたところ、二十センチ程のヘビの子が路面をくねくねと這っていたのである。
 一瞬ドキッとしたが、このままでは人に踏み潰されてしまうと思い、ヘビをほうきで塵取りに乗せ、空き家となっている隣家の庭へそっと放した。
 娘は、昭和四十年のヘビ年生まれで、九月二十三日は四十二回目の誕生日でもある。
 実は、九月十七日の日に、我が家に運び込んで三年になる娘の遺品、衣類・手紙・本などをやっとの思いで、妻と共に整理したところだった。遺品をせいりしたその日の夕方、私が網戸を開けて外へ出ようとした時に、突然、一匹のモンシロチョウが部屋に飛び込んできた。
 モンシロチョウは、部屋を通って妻の居る台所へ……そして妻の周りをひらひらと……
 このあまりにも不思議な十六日・十七日・十八日にわたって起きた現象を「娘との再会」のエッセイに追記しようと、パソコンの前に座ったところ、今度は、金網越しにアゲハチョウがひらひらと舞っている。

 ああー なんということだろうか!
 あまりにも不思議なことばかり。
 娘は、蝶々に化身したのだ!

 今、娘の部屋には、美しい女性を描く画家で、夢二との共通性を持つエルテ(ロシア生まれ)作の、シルクスクリーンに色彩輝く二枚の大きな女性像の絵が飾られている。
 この絵は、独身時代の娘が惚れ込んで、三年月賦で購入した遺品のひとつで、「エルテ」画集に収録されている絵でもある。




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死語となった「多数横暴」

2007年11月13日 08時40分19秒 | 兎に角書きたいの!
 今国会は衆議院と参議院とがねじれ現象で法案審議がなかなか進展しない。衆議院は与党が参議院は野党がそれぞれか過半数を占めていることからである。
 「多数の横暴」と野党は事あるごとによく叫んでいた。今国民の民意の最も新しいのは今回の参議院選挙により野党が過半数を占めた勝利したこの結果に有ると言う。全くその通りである。
 しかし、今の国会運営を見ていると、国策、国益などはすっ飛んで政局にしようと野党、特に民主党は励んでいる。それは、参議院で野党が過半数を超えているからである。何のことはない、数に物を言わせる多数決原理の民主主義に戻ったのである。
 今後、野党特に民主党は議員数のバランスがどう変化しようとも「多数横暴」と決して言ってはいけない。「多数横暴」と言う言葉は、与党にしろ野党にしろ存在しない熟語である。
 政治の世界から「多数横暴」なる言葉を消し去ったのは野党、特に民主党であり、今後この言葉を使用するのは厳禁とされたい。
 言論の府であればそれなりの戦いをしてもらいたい。初めから「反対」では、物事は進まない。
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「心」に思う

2007年11月10日 06時57分45秒 | 兎に角書きたいの!
 娘の孫長女、長男とも世田谷の成育医療センターで産声を上げ元気に大きくなっている。昨日、その病院に「心」の書が掲げられていることを記した。
 早速、婿殿からこのブログに返信があった。
私たちもこの「心」を大切に家庭を築いていくと強いメッセージが寄せられた。その「心」を大切にの心持は、家族全員が名前に心の文字を持っている。
 寧・恵子・愛・芯と。妻にこのことを言ったら、あらまー知らなかったのと飽きられてしまった。
 婿殿夫婦は二人の名前に「心」と言う字があることから子供にもとのことであった。知らぬは私だけ!うかつであった。
 婿どの家族は、「心」を中心に置き楽しい家庭を築いていくことだろ。頑張れ!
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大きな「心」

2007年11月09日 07時51分00秒 | 兎に角書きたいの!
 娘の二人目の産後の検診で孫の面倒を見るため夫婦で同行した。孫娘は元気の塊で一時もじっとしていない。夫婦とも一人の孫娘に振り回されぱなしであった。
 その病院の正面に 縦2m・横3mの和紙に「心」と書かれた書が掲示されている。書道家名は「婁正網」とある。これを見てビックリした。
 婁正網女史は、世界的書道家で産経新聞の「きようの言葉」欄に著名人の言葉を毎日書かれている。
 その大きな「心」の文字のしたに、宋代の詩集が記されている。その詩の内容は

 逢瀬の歓び 別れの悲しみ 人にあれば
 晴れ陰(くもり)りの満ち欠けの 月にあるもの
 昔より ともに全(また)きは 難いかな
 ただ願わくは 人とこしえにあいて
 千里へだつるも
 うるわしき光を共にせむこと

 その病院は、世田谷にある成育医療センターである。思わぬところで、その直筆を拝見して心温まる思いであった。娘家族は元気にいい家庭を築いている。

 
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ポーチュラカ

2007年11月06日 08時38分31秒 | 兎に角書きたいの!
   ポーチュラカ
 
 赤 黄 白 ピンク
 いろんな色が
 あるけれど
 赤があると
 明るくなって 
 黄色があると
 元気になって
 白があると
 落ちついて
 ピンクがあると
 かわいくなって
 時々
 色が交ざってる
 赤と黄色で
 明るく元気に
 ほら
 今日もさいているよ

 この歌を読んで凄い感性を持った人だ。咲く花から見事に人が持つ感情を表現しているなーといっぺんに気に入ってしまった。
 私自身この「ポーチュラカ」の花は知らなかったので妻に聞いた。この歌のようにいろいろな色を持つ花を咲かせる多年草だとのこと。寒さには弱いので日本では1年草とされている。

 この詩を詠まれた方は、9歳の女の子にまた驚いた。
平成19年11月4日産経新聞掲載の「朝の詩」に紹介されている。
 さいたま市西区
   相沢 真由子(9)

 少女のこの観察力、表現力、素直な心持に清々しい一日を過ごすことができました。相沢 真由子ちゃんありがとう!
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「日展」会場に戸惑う

2007年11月05日 09時18分11秒 | 兎に角書きたいの!
 11月3日は私たちの43回目の結婚記念日である。特にこれと言った祝いはないが親交のある陶芸家高橋政男氏から日展の入場券が送られてきていたので二人で上野に出かけた。会場に着いたが何時もの人ごみもなく日展のポスターも無い。おかしいと思い、入場券を確認した。なんと「国立新美術館」とある。毎年上野で開催されているので確認することなく来てしまった。
 それではと言うことで、上野駅近くのレストランじゅらく昼食をとり地下鉄で六本木へ向かった。50年ほど前に味わっていた風景と大きく様変わりしている。俳優座だけは昔のまま。
 日展39回からこの国立新美術館で今後は開催されることになった。作品の展示会場も広くゆったりとしていて気持ちがいい。陶芸部門だけで3時間ほどかかった。作品を順番を追っていくが途中でその繋がりが消えて周りを歩いて次の場所を探さねばならない作品の番号にもう少し改良の余地がある。
 上野では9月28日から10月31日まで「うえの華灯路浮世絵行灯」が開催されていた。地上に10点の行灯がおかれている。夜見たたらさぞ美しい幻想的な世界を作り出していたろうと思わせる見事な浮世絵が描かれていた。
 横は前戻り、妻が「オリオン座からの招待状」を見たいととのことでお付き合いした。109シネマズMM横浜で食事をし鑑賞した。吉永小百合主演で妻はこの人の大フアンである。内容は純愛物語で、お父さんには向かないけどといわれたが眠ることなく最後までそのストーリーを追っていた。
 妻の見たい映画は、「やじきた道中てれすこ」中村勘三郎・柄本 明・小泉今日子11月10日から11月16日・「マリと子犬の物語」新潟中越地震時の柴犬物語である。我が家では19歳三ヶ月も共にした柴犬がいた。今も部屋中柴犬の置物・写真・絵などで埋め尽くされている。
 今日は二人の結婚記念日でゆったりと過ごすことができた。そして、次回の映画鑑賞も約束された一日であった。
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ジヤパニーズダンス(盆踊り)

2007年11月01日 08時31分52秒 | シルバー社交ダンス風景
 昨日私が所属するダンスサークルがダンスパーティーを開催した。参加者120名程で盛大に開催された。南区内で活躍され多くの生徒を指導されている先生方も参加した。内容も豊富で、会費1000円・弁当(赤飯)・お茶・空クジなしの抽選会・ダンスタイム・親交ダンス・トライアルそして今回初めてのジヤパニーズダンスを加えた。
 抽選は、特等・サンハトヤペア宿泊券1本、2等・商品券2本、3等・商品券など5本、4等・15本商品そして参加賞。
 今回からサンハトヤがこのパーティーの協賛者として賛同され内容の濃いパーティーとなった。
 新しく取り入れたジャパニーズダンスは盆踊りで、曲は「女の花ざかり・笹みどり」で会員の女性が歌い炭坑節の踊りで輪になって踊った。初めての試みで50名ほどが輪の中に入ってくれた。ダンスパーティーで盆踊り!次回はどうなるか!
 抽選で3等までに入った人は、パートナーを選んでワルツかタンゴのトライアルが課せられている。私は幸いに2等に当選しワルツを踊った。籤運の無い私だが、今日の運勢はオール○で運勢通りの一日となった。
 もしかして、「あなたの運勢」は、当たるのかもしれない!
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