二月二日(月)晴 姉の日記4(高校三年生)
天気予報の小雪か一日小雨はうらぎられて小春日和。また朝の中が少し寒
かったので今日は登校を中止した。
始めて筆をもった。約一日かかって履歴書を完成した。書く前はとても不安だ
った。一枚目は手がふるえ字も力がなくちじまっていたが二枚目、三枚目には
自信がもて、ああ、私にもこのような力があったのか、嬉しかった。
女学校でお習字の時間、いつも下手なものときめてしまった。貪って練習し
なかった。その時間は楽しみのないものであった。練習さえすればと、なにか
希望の湧く思いがする。
賞罰浦和市長より成績優等賞、健康優良賞の受けられたあの頃の事、これ
があれば少しは光ってみえる。字は人間を一生の支配とする。自身と希望とが
私の心を満たせる。
続いて町田先生へお便りをしたためる。何か私の心の中の思う真実の感情
が先生へ書き表せない。それは、先生をあまりに慕う気持ちがそうさせるのだ。
私に対する先生の思いを、私は安心して大海を抱くように隅から隅まで全部を
受け取ることができない。これは、私の性質の表れといえよう。これを論文家
は感情のやさしい女性型といい、厭世家は卑怯きわまる憎むべき感情だとの
のしる。弱者(私)は前者を無理に開こうとしても後者の暗い強い力にぐいぐ
い引かれて、遂に離れぬ自分の感情の流れに入れられて、自分に負けてしま
ったのである。
西山先生もおっしゃられた。「自分がこうしたら人はああ思いはしないかこう
思われはやしないか」と常に自分を主とせず他人を主として自分と言うものを
その他人に服従させている自分を自分以上に評価したいという卑劣な考え方
と話された。もう一度思いなおしてみよう。この感情が町田先生に対して
(卑劣とはあまりひどいから臆病といっておく)幾分か心あるのを私自らの中
に発見した。
今日は履歴書、お便り、重荷が同時に下りて肩は軽くなったはずなのに……
やっぱり書き物はいけないのか背中が嫌に疲れてしまった。第二高女で須賀
さん達のHとさわぎまわった頃「Hって、始めね、背中がとってもつかれるん
ですってよ」
松村さんはなんでもないのに肩が背中がなんて、うそをいったり、町田先生は
細いのがお好きよ。やっぱり、あの乙女盛りの何も知らない「肺病」なんてい
うものに淳一の絵を連想させ、夢中でこの恐ろしい病鬼にあこがれていた頃が
一番楽しかった。その病の苦しさ、辛さなんていう事は考えなかったあの頃…
水戸高女へ転校する際、サイン帖に須賀さんのサインと「Hniならぬよう
にお気を付け遊ばせ」とあったけ。あれをよんでどんなに泣きたいほどなりた
くなって、肺の病になるような弱い体じゃない。そして田舎へきて丸々肥り病
気の恋しくなるほど健康だった。それが夢だに想像しなかった。”肺浸潤”に
なってしまって、今の心境、思い出をたどる道は楽しい、淋しいだけのこのよ
うにひよろひよろとなって痩せてしまった私。淳一の病めるお姉様みたいなん
ていわれても、気の立つた感情をよけい焦せさすばかり、でなければ寂しく
悲しくなる。小関さんでなくても健康なのが幸せになりという事を今度こそ
感じる病期はない。
”バラのお姉様”よりお写真入りのお便り、まあなんてスマートな…慶応の
外国語科へ入るのに送る写真だそうだ。ロマンチックでいつもいつも私を愛撫
すろお便りの事を私はひそかに幸福と思っている。斎藤さんがスイートホーム
にお入りになって妊娠しているとか……世の変遷を思わせる。高橋さんのよう
でなく私は、結婚恐怖病だ。それは自分だけしっている事。お産の時、痔の人
は非常に困るという、考えると恐ろしい。
郵便料金も二月十日から二円五十戦に値上げ、小出さんはどうしたかしら。
ほんとに身を亡ぼしてしまったか。
畠から里芋をもってきたので久し振りに夜はけんちん汁でとてもおいしかっ
た。夜のお茶がとても消毒液のようなプーンと臭かったので何だか、毒殺事件
のあるこの世の中。みんなで鼻の元へやかんをあてたり、急須を持ち上げたり
大騒ぎしてしまった。
きのうのライスカレーもとてもおいしかった。きのうと今日、ご飯がおいしいの
でうれしい。明日こそ登校する意気でバンド通しをズボンにつけた。
夕方、父に履歴書を二枚渡す。半紙を二枚折りにして書くものだといわれた。
折角治ったお腹が、けんちんの食べすぎか、あのお茶か、また下痢にもどって
しまった。苦しかった、あのお茶何だろう??