土曜日に名古屋に入り、体調を整えた。
本調子でなく、懇親会で飲酒を堪能できなかったが、
長崎大学の沖田先生が、焼酎を飲み始めたので、
消毒と思い、手にした。
22時ごろに後ろ髪ひかれたが、さすがに明日を考え、
ホテルに帰る。
そのおかげか、体調は日曜には戻り、
はじめての「痛み」の講演であるが、
まずまずの講義が行えたと思う。
痛みの様相、痛みの脳内機構、痛みの情報性、痛みの発生機構仮説、
痛みの治療の是非を問うための仮説の検証作業、痛みの意識と言語、
等などについて講義でき、ディスカッションできた。
エリア3,1,2の細かい機能のことについても久しぶりに話した。
痛みの認知機構、情動機構、感覚機構について説明し、
われわれの介入可能性について、
研究室のデータを交えて、仮説を述べた。
日本福祉大学の松原先生や、
名古屋学院大学の肥田先生の講義中の質問に助けられた。
また、話題提供の沖田先生にも話題を中枢神経系にシフトしていただいた。
午後は九州大学の上野先生の講義を聴き、
考えていることが一致している(仮説が一致している)ことを確認した。
上野先生は精神科医だが、代数幾何の数学者でもありながら、
脳イメージング研究者でもある。
Dr. Uenoとは、ミラーセラピーに関する問題(仮説の間違い)提起も一致した。
ラマチャンドランの仮説はすばらしいが、
後続する脳血管障害に対する治療介入をしている
世界の研究者たちの仮説がないのが残念だ。
運動錯覚前の本当の体性感覚はどうするんだ。
臨床は最先端になる必要はないが、
いつも最前線の仮説の検証場所だ。
むろん、教育もである。
研究は最先端になるべく、仮説を思考し続け、
実証を行う手続きである。
それにしても、どこかのお偉いさんが言えば、
それに振り回される。
お偉いさんでなく、仮説に整合性があるか、
そう、自らの脳(履歴、バイアスも含めて)と、
その仮説とを比較照合すること。
人でなく、仮説を検証することだ。
それがない、ただ単に、アメリカでとか、
イギリスでとか、イタリアでとか、
で、エビデンスが・・・とデータに振り回されている。
「仮説」がないものに、「臨床」だろうが、「研究」だろうか、
そこに「創造性」は生まれない。
「妄想」でもいいじゃないか、最初は「上辺」だけでもいいじゃないか。
久しぶりに有意義な勉強だった。
その夜、業界の方向性について語り、
飲酒を解禁したが、翌日早いので、早めのホテルへ。
今日は、名古屋から奈良へ。
仕事があったが、同僚の前岡先生に助けてもらい、
約3ヵ月半ぶりの休みとした。
おかげで「こころ」が少しばかり休んだ。
自分らしさとはなにか。
そう、「らしさ」とは何かを考え、
これから、未来へ、どう表現していくか、
少しずつ考えてみよう。
あと、年内講演2本。
帰省時期を考えよう。
全国各地の方々から「大丈夫か」といただく。
奈良でもなく、近畿でもなく、日本で仕事をしているんだと感じる。
もう1つ前に進めよう。
いつ何時、自分の世界が消えたとしても、大丈夫なように。
表現の戦略に少し決意を持った。