土曜日、高知より大阪にボンバルディアで入る。
そのまま、新大阪のコロナホテルへ。
第8回光脳イメージング研究会会場へ。
昨年の参加以来だ。
会場に入るやいなや、一番前の席に案内され、
スライドの整理ができず、
昨年同様、加藤先生の厳しい講演を聴く。
その後の講演は臨床的で少し減速気味になったが、
昼休みをむかえ、高知の竹林先生、新潟の大西先生と挨拶を交わす。
大西先生も学科長になられ、忙しいにもかかわらず、
依然として研究には精力的だ。
昼休みにスライドの修正をして、
東京大学の松田剛さんの
テレビゲーム時の脳活動研究に関するデータに基づく講演を聴く。
博士論文らしく、アルゴリズムはしっかりしている。
Frontal lobeが働かないから駄目ではなく、他の領域の活動増加が、
それを抑制しているという仮説は、僕の考えにも合致する。
システム脳としての意見としては賛成できる。
働かさない、抑圧させるのにも、
脳科学的には意味あるものだ。
リハビリも同じ。
逆に、働けばいいものでもない。
最近は、働いた、働いたに終始している感が否めない。
空間から時間へ、その研究シフトが必要だろう。
自分の講演は、超高速データ示し、に終始した。
これも戦略である。
飛ばしすぎて意味がわからない人もいたと思うが、
ある層に対する戦略的講演であった。
その意味を理解できた方は、わたしの心理が読めている。
宮井先生から質問をいただいた。
先日の痛み研究会にも共通できるが、
強調できる部分は、日本全国でデータを集め、
統合しながら、よきものへと展開していきたい。
協力できるものがあれば、協力していきたい。
自らの講演を終え、そのまま伊丹空港へ。
高知へとんぼ返り。
翌日、祖母の告別式。
さすがに、母親代わりで、
理学療法士になるための経済的援助をしていただいた
祖母の死はつらく、
ほぼ二人で一緒に住んでいた家の階段に座り込むと、
エピソード記憶がかなりの鮮明さでよみがえってきた。
最後のお別れには、
もうすぐ還暦の僕の父親(まだ若いのだ)はそこに座り込み、
そして号泣した。
男にとっての母親とは何か。
自分の熊本の病院のベッド上にいる母親とダブる。
その祖母のご遺体と、母親の天井を眺めている姿が、
私の脳裏のなかで、
激しく、神経が流れていく。
お骨となった祖母は、
50数年前に亡くなった夫(僕からは祖父)と
めぐり合えただろうか。
あまりの変わりように、
天国の拝眉の得ていない祖父はびっくりしているのかもしれない。
きっと、祖母も30代の女性になっていることだろう。
この世界を包んでいてほしい。
告別式を終え、
高速道路で一路、奈良に。
深夜に帰り着き、仮眠をとり、
月曜、何も無かったように、
授業を2つ、ゼミを1つ行った。
いつもと変わらない、
その世界に幸せを感じるが、
自らの情緒は不安定だ。
情動の回復には、少し時間がかかるかもしれない。
この場を借りて、
我が高校時代の同級生の2人にお礼をいいたい。
自分の名前もいれていない、その告別式の新聞案内に感知し、
来てくれ、そして、家に線香をあげに来てくれた。
ありがとう。
故郷の友は、こころが大人だ。
私も彼らを見習い、何もないことで、腹をたててはならない、
そう思った。
どうでもよいことは、流れに従う。
小津安二郎のことばが過ぎ去っていった。
そのまま、新大阪のコロナホテルへ。
第8回光脳イメージング研究会会場へ。
昨年の参加以来だ。
会場に入るやいなや、一番前の席に案内され、
スライドの整理ができず、
昨年同様、加藤先生の厳しい講演を聴く。
その後の講演は臨床的で少し減速気味になったが、
昼休みをむかえ、高知の竹林先生、新潟の大西先生と挨拶を交わす。
大西先生も学科長になられ、忙しいにもかかわらず、
依然として研究には精力的だ。
昼休みにスライドの修正をして、
東京大学の松田剛さんの
テレビゲーム時の脳活動研究に関するデータに基づく講演を聴く。
博士論文らしく、アルゴリズムはしっかりしている。
Frontal lobeが働かないから駄目ではなく、他の領域の活動増加が、
それを抑制しているという仮説は、僕の考えにも合致する。
システム脳としての意見としては賛成できる。
働かさない、抑圧させるのにも、
脳科学的には意味あるものだ。
リハビリも同じ。
逆に、働けばいいものでもない。
最近は、働いた、働いたに終始している感が否めない。
空間から時間へ、その研究シフトが必要だろう。
自分の講演は、超高速データ示し、に終始した。
これも戦略である。
飛ばしすぎて意味がわからない人もいたと思うが、
ある層に対する戦略的講演であった。
その意味を理解できた方は、わたしの心理が読めている。
宮井先生から質問をいただいた。
先日の痛み研究会にも共通できるが、
強調できる部分は、日本全国でデータを集め、
統合しながら、よきものへと展開していきたい。
協力できるものがあれば、協力していきたい。
自らの講演を終え、そのまま伊丹空港へ。
高知へとんぼ返り。
翌日、祖母の告別式。
さすがに、母親代わりで、
理学療法士になるための経済的援助をしていただいた
祖母の死はつらく、
ほぼ二人で一緒に住んでいた家の階段に座り込むと、
エピソード記憶がかなりの鮮明さでよみがえってきた。
最後のお別れには、
もうすぐ還暦の僕の父親(まだ若いのだ)はそこに座り込み、
そして号泣した。
男にとっての母親とは何か。
自分の熊本の病院のベッド上にいる母親とダブる。
その祖母のご遺体と、母親の天井を眺めている姿が、
私の脳裏のなかで、
激しく、神経が流れていく。
お骨となった祖母は、
50数年前に亡くなった夫(僕からは祖父)と
めぐり合えただろうか。
あまりの変わりように、
天国の拝眉の得ていない祖父はびっくりしているのかもしれない。
きっと、祖母も30代の女性になっていることだろう。
この世界を包んでいてほしい。
告別式を終え、
高速道路で一路、奈良に。
深夜に帰り着き、仮眠をとり、
月曜、何も無かったように、
授業を2つ、ゼミを1つ行った。
いつもと変わらない、
その世界に幸せを感じるが、
自らの情緒は不安定だ。
情動の回復には、少し時間がかかるかもしれない。
この場を借りて、
我が高校時代の同級生の2人にお礼をいいたい。
自分の名前もいれていない、その告別式の新聞案内に感知し、
来てくれ、そして、家に線香をあげに来てくれた。
ありがとう。
故郷の友は、こころが大人だ。
私も彼らを見習い、何もないことで、腹をたててはならない、
そう思った。
どうでもよいことは、流れに従う。
小津安二郎のことばが過ぎ去っていった。