金曜日の朝、前日修正原稿をonlineで送信した原稿が無事にアクセプトされたメールを読み(オンライン化しレスが早い)、
久しぶりに、この内的感覚が得られた。
2009年の5月号のClinical Rehabilitationに掲載される予定となった。
一つの仕事が終了し、
本当言うと、時間があればすぐに終了しないといけないのだが、
こうも講演がタイトだと、自分の仕事を見失っている場合もある。
迷走する自分といったものか・・・迷走神経とはよくいったもので、
それがやられて無動にならなければいいが・・・
金曜は昼から横須賀に向けて出発。
ウイーンから帰国して間もないために、
やはり心身疲労は否めないが、
なんとかムチを入れ、電車にのった。
疲労がピークになっているときは、
ついついグリーン車にしてしまう。
別にグリーンで行きたいわけでもないし、
そういう贅沢をしたいわけでもないが、
体の感覚がそういう選択をさせている。
足の浮腫がひどい。
これも老化なのか、運動不足なのか。
欧州の往復の機内で靴を脱いでいると、
到着してその靴を履こうとすると、
むくんで履けない経験が今回のフライトでは得られた。
横須賀につき、日本作業療法研究学会のメンバーの方々と懇親会を行う。
神奈川県立保健福祉大学の白濱先生が学会長をして、
東先生が実行委員長のようだ。
発達研究で著名な岩永先生や、
うちの大学の田平先生の弟さん(長崎大学・田平隆行先生)にもお会いする。
PTでは我が母校の先輩の菅原先生(神奈川県立保健福祉大学)が入り(乱入し)、
相変わらず、そのバイタリティーに圧倒されながら、
先輩としての訓示を飲みながらいただいた。
いつまでたっても先輩・後輩の関係は良いものだ。
それもロマンティックかな。
もちろん、初対面な先生の志向性を拝聴することが毎週できて、
それもロマンティック。
毎週の飲酒で体がむしばまれないように、なんとか健康に気をつけたいと最近特に思う。
X-JapanのHideの家を通り(菅原先輩に教えていただき)、感動しながらホテルに戻る。
翌日の土曜日、神経科学とニューロリハについて1.5時間話した。
視点は脳の可塑性とリハ介入、そして、手の運動制御と運動学習であったが、
後半の情動や社会性の神経可塑性、
そしてリハ介入に興味をもたれたかたもいられ、
配分を少し変えればよかったと思った。
情緒の視点はいつか話したいと思う。
自分の興味もそちらにうつっているので。
コミュニケーションは人間の原点であり、
良くも悪くも、それで人間は一喜一憂する。
都会的な神奈川県立保健福祉大学をあとにして、
電車にのり、羽田空港まで。
羽田空港からはじめてのスターフライヤーにのり、北九州空港まで飛ぶ。
ボディも黒、シートも黒、そして革張り、国内線だが、個人TVあり。
新しさにひかれながら、北九州空港まで1.2時間のフライトを経験する。
いつも飛ぶ前、滑走路にいる段階で爆睡状態になるが、今回はなかった。
スープを頼めば、ミネストローネだった。
コンソメでなかったことに、ささやかな感動を覚える。
小倉に到着し、シダーグループの研修会を企画しているメンバーのセラピストと懇親。
店に入るやいなや、八幡の病院のメンバーと出会う。
世間は狭い。
悪いこともできない。
どこでだれがみているかもわからない・・笑
小倉リハ学院の中江先生から、母校の先輩としての、ここでも訓示をいただき、
感謝しながら、ホテルへ戻る(正式にはへたれながら・・・これも方言だろうか)
翌日の日曜日、4時間の講演を結構にテンションをあげながら、しゃべった。
入る前は4時間という時間、そして朝の9時からの講演時間に少し憂鬱になっていたが、
しゃべりはじめると、教室という空間がこうをそうして、冗談が連発した。
しかし、のどがまたもややられてしまった。
出力を出しすぎてしまうと、いまの状況の知覚・認知をフリーズさせてしまい、
過度にどんどん出してしまい、悪循環になった。
テンションは控えめにということを自分の身体と脳で感じた。
自己組織化モデル、大脳皮質の学習モデルをちゃんと理解していれば、片麻痺の運動療法もかわるはずである。
ロボット科学にいるひとがセラピストになれば、
もっとリハビリテーション科学が進化するのかもしれない。
人間を作ろうとしている人であるからである。
13時に講演を終え、
江島先生に小倉駅まで送っていただき、嬉しさを感じながら、
熊本に向かった。
博多からはつばめのグリーンである。
これも心身の疲労からと同時に、
つばめレディからコーヒーをもらいたいという欲求である。
つばめのグリーンはドリンクがもらえる。
機内サービスと似ているところがいい。
熊本に入り、家族と合流し、
母親の49日法要に出席する。
つばめから見る田園風景から、
自らの通った初月小学校の久万川の風景が想起され、
一瞬目がくもってしまった。
法要後、浄土真宗本願寺派の僧侶の方から、
人生における生死の考えをいただき、
私利私欲のない清らかな人生のすばらしさを体感しながら、
今を大事にすることの大切さを思った。
自分の人生の終焉を最近よく考えるが、
それまでに、自分自身が金銭名誉でない、
到達できる「こころ(脳)」(自分自身の精神)とはないかをいつも考えていたい。
宗教とは人間がもちえている最高次機能である。
意識とは何か、と考えたとき、いつもその視点にぶちあたってしまう。
手をあわせるとは、他者を思う表現(感謝)であり、
手をあわせて自らの私利私欲を求めるのであれば、平和な世界は作れない。
目をとじめてみて、何を思い、何を感じるか。
しかし、からだがきつい・・・なんていうと、お釈迦様に叱られそうだ。
久しぶりに、この内的感覚が得られた。
2009年の5月号のClinical Rehabilitationに掲載される予定となった。
一つの仕事が終了し、
本当言うと、時間があればすぐに終了しないといけないのだが、
こうも講演がタイトだと、自分の仕事を見失っている場合もある。
迷走する自分といったものか・・・迷走神経とはよくいったもので、
それがやられて無動にならなければいいが・・・
金曜は昼から横須賀に向けて出発。
ウイーンから帰国して間もないために、
やはり心身疲労は否めないが、
なんとかムチを入れ、電車にのった。
疲労がピークになっているときは、
ついついグリーン車にしてしまう。
別にグリーンで行きたいわけでもないし、
そういう贅沢をしたいわけでもないが、
体の感覚がそういう選択をさせている。
足の浮腫がひどい。
これも老化なのか、運動不足なのか。
欧州の往復の機内で靴を脱いでいると、
到着してその靴を履こうとすると、
むくんで履けない経験が今回のフライトでは得られた。
横須賀につき、日本作業療法研究学会のメンバーの方々と懇親会を行う。
神奈川県立保健福祉大学の白濱先生が学会長をして、
東先生が実行委員長のようだ。
発達研究で著名な岩永先生や、
うちの大学の田平先生の弟さん(長崎大学・田平隆行先生)にもお会いする。
PTでは我が母校の先輩の菅原先生(神奈川県立保健福祉大学)が入り(乱入し)、
相変わらず、そのバイタリティーに圧倒されながら、
先輩としての訓示を飲みながらいただいた。
いつまでたっても先輩・後輩の関係は良いものだ。
それもロマンティックかな。
もちろん、初対面な先生の志向性を拝聴することが毎週できて、
それもロマンティック。
毎週の飲酒で体がむしばまれないように、なんとか健康に気をつけたいと最近特に思う。
X-JapanのHideの家を通り(菅原先輩に教えていただき)、感動しながらホテルに戻る。
翌日の土曜日、神経科学とニューロリハについて1.5時間話した。
視点は脳の可塑性とリハ介入、そして、手の運動制御と運動学習であったが、
後半の情動や社会性の神経可塑性、
そしてリハ介入に興味をもたれたかたもいられ、
配分を少し変えればよかったと思った。
情緒の視点はいつか話したいと思う。
自分の興味もそちらにうつっているので。
コミュニケーションは人間の原点であり、
良くも悪くも、それで人間は一喜一憂する。
都会的な神奈川県立保健福祉大学をあとにして、
電車にのり、羽田空港まで。
羽田空港からはじめてのスターフライヤーにのり、北九州空港まで飛ぶ。
ボディも黒、シートも黒、そして革張り、国内線だが、個人TVあり。
新しさにひかれながら、北九州空港まで1.2時間のフライトを経験する。
いつも飛ぶ前、滑走路にいる段階で爆睡状態になるが、今回はなかった。
スープを頼めば、ミネストローネだった。
コンソメでなかったことに、ささやかな感動を覚える。
小倉に到着し、シダーグループの研修会を企画しているメンバーのセラピストと懇親。
店に入るやいなや、八幡の病院のメンバーと出会う。
世間は狭い。
悪いこともできない。
どこでだれがみているかもわからない・・笑
小倉リハ学院の中江先生から、母校の先輩としての、ここでも訓示をいただき、
感謝しながら、ホテルへ戻る(正式にはへたれながら・・・これも方言だろうか)
翌日の日曜日、4時間の講演を結構にテンションをあげながら、しゃべった。
入る前は4時間という時間、そして朝の9時からの講演時間に少し憂鬱になっていたが、
しゃべりはじめると、教室という空間がこうをそうして、冗談が連発した。
しかし、のどがまたもややられてしまった。
出力を出しすぎてしまうと、いまの状況の知覚・認知をフリーズさせてしまい、
過度にどんどん出してしまい、悪循環になった。
テンションは控えめにということを自分の身体と脳で感じた。
自己組織化モデル、大脳皮質の学習モデルをちゃんと理解していれば、片麻痺の運動療法もかわるはずである。
ロボット科学にいるひとがセラピストになれば、
もっとリハビリテーション科学が進化するのかもしれない。
人間を作ろうとしている人であるからである。
13時に講演を終え、
江島先生に小倉駅まで送っていただき、嬉しさを感じながら、
熊本に向かった。
博多からはつばめのグリーンである。
これも心身の疲労からと同時に、
つばめレディからコーヒーをもらいたいという欲求である。
つばめのグリーンはドリンクがもらえる。
機内サービスと似ているところがいい。
熊本に入り、家族と合流し、
母親の49日法要に出席する。
つばめから見る田園風景から、
自らの通った初月小学校の久万川の風景が想起され、
一瞬目がくもってしまった。
法要後、浄土真宗本願寺派の僧侶の方から、
人生における生死の考えをいただき、
私利私欲のない清らかな人生のすばらしさを体感しながら、
今を大事にすることの大切さを思った。
自分の人生の終焉を最近よく考えるが、
それまでに、自分自身が金銭名誉でない、
到達できる「こころ(脳)」(自分自身の精神)とはないかをいつも考えていたい。
宗教とは人間がもちえている最高次機能である。
意識とは何か、と考えたとき、いつもその視点にぶちあたってしまう。
手をあわせるとは、他者を思う表現(感謝)であり、
手をあわせて自らの私利私欲を求めるのであれば、平和な世界は作れない。
目をとじめてみて、何を思い、何を感じるか。
しかし、からだがきつい・・・なんていうと、お釈迦様に叱られそうだ。