金曜日は岡山で講義を19時過ぎまでしたのち、
新幹線に向かい、走り走り、久しぶりの「こだま」に乗り、
西明石まで向かう。
兵庫リハのスタッフと韓国料理店で懇親会をして、
県立広島大学の沖田先生と高知医療学院の高橋先生と、
ホテル近くのロックバーで意見交換を行う。
コースにて教育する方向性について確認する。
翌日、コース開始。
全国からPT、OTが集まる。
理論から基本的な方法論まで。
沖田~人見~高橋~本田先生でバトンタッチしながら進んでいく。
自らの出番がなく、多動症候群のように、
動き回っていたが、しゃべるということが実はすきなんだと実感した。
「俺にしゃべらせろ~」という気持ちがわく。
ライブで「俺に歌わせろ~」という感覚である。
本コースは他の講師の講義を必ず聴き、
自分が何をしゃべるべきか、どのように進めるべきかを
文脈の中から思考し、そしてシミュレーションする。
このプロセスに相当の脳を使う。
脳の情報処理、すなわち認知プロセスの活性化である。
一方向に講演するのではない。
双方向性に情報を処理する。
それが大脳皮質の醍醐味である。
大脳皮質を使うセラピーを教えるセラピストが、
自らが大脳皮質を使わない、当り前のデモを見せるだけの実技であれば、
それは、言っていることとやっていることのかい離になる。
それでは信頼は得られない。
終わって、懇親会。
毎週続く激務に10時過ぎには悲鳴をあげ、
先にかえらせていただく。
翌日は川見先生からスタートして、実践に入る。
目に見える運動を分析することの重要性を話すとともに、
目に見えないものをいかに対話から取り出し、
推論をたて、仮説をつくるかのプロセスの重要性を説く。
この両者をつなぐのがセラピストの脳である。
セラピストには脳が存在している。
セラピストは言われたことをコピーするロボットでない。
コピーしながら、内部にある表象を更新することができる。
それがセラピストの学習である。
見よう見まねだが、見まねにおける自らのからだの感覚の違いを取り出し、
情報化することが大事だ。
患者の身体を動かしながらも、その違いを自らの体性感覚でモニターする。
それこそがプロであり、
体性感覚だけでなく、視覚、聴覚を総動員して、
患者の身体、運動、感覚、精神の変化をとらえることができる。
それが専門家の脳と身体である。
ニュートラルな立場からあえてみても、
認知神経リハビリテーションはその重要性を気づかせてくれると思う。
自分の講義では自虐ネタ(ギャグ)を交えながら、
酔っているのではないかと思われるような講義だったが、
脳と身体の科学について出来る限り平易に話した。
物質的知覚を情報化する脳。
それは「道具」を使用するヒトの脳にとってとても重要な機能だ。
懇親会ではじけ、
二次会で、キャロルのビデオを見ながら、飲み、
栄ちゃんとはもり・・・自分の過去を恩師から公開され、
来ている(受講している)セラピストに驚かれ。。
人に歴史あり。
出会いによって志向性が変わる。
出会いによってネガティブ志向をポジティブ思考に変えることができる。
最終日、症例検討して、
子どもの視覚情報処理について助言し、そして行為と言語の学習についてディスカッションして、楽しい時間を過ごした。
その内容は聞いている人はわからなかったかもしれないが、
複雑な思考を持って患者に臨もうとしている人もいるんだと思ってもらえればそれでいい。
人間は自分が思っている以上に複雑である。
複雑に理論を考えている人は科学的思考に基づくセラピストだ。
セラピストは最先端の科学者ではないが、
最前線の科学者であると思う。
臨床の場は、それを提供してくれる。
いずれにしても、
臨床人生の山を自らが低く設定するこの世の中。
紋切り型に人をみず、高くのぼる山を設定する。
60になって振り返れば、高い山にしてよかったと思うと思う。
養老孟司さんと対談した時、
二人が共感した瞬間が2つあった。
ひとつはなんでもかんでもバリアフリー化して、
自分の身体を使わず、考えない世の中に対するNOであったが、
もう一つが、60代が脳の容量に大きく差が出ていることである。
彼は解剖学者であったために、
脳の容積が60代で大きく差が出ることを教えてくれた。
僕の方は姿勢バランスが専門であるため、
2歳から92歳まで1073名のバランス能力のデータを解析した結果、
60代大きくばらつく点を明らかにした。
50代までのばらつきは少ないが、
60代は小学校の時と同じようにばらつくというものである。
小①と小⑥の身体機能は大きく異なることはだれもが知っている。
その6年間と同様に、60代で大きく差が出るというものである。
これは60代の10年で差が出るというのではなく、
それまでの59年間をどのように生きてきたかの経験で差がつくというのである。
脳の機能も、身体の機能も60代で大きく差が出る。
それまではそんなに影響しないが、
どのように生きてきたか(社会に参加し、脳を使い、考え、喜び、泣き、そして動き)、人生を歩んだか、それが大きく影響する。
生理的な老化ではなく、経験的な老化である。
そのことについて先日も本学の国際生理科学連合会長の金子先生が教えてくれた。
心の持ちようである。
いずれにしても、今回は自意識の中でもよいコースだったと思った。
情報の流れがよかった。
つまり、フリーズしなかったのである。
システムとして機能することの重要性についてコースの流れから理解できた。
最終日の月曜日の帰り際にスタッフから神戸ワイン、とお菓子をいただいた。
家に18時過ぎにつき、
そのまま、寝たら、起きたら朝の10時だった。
身体がそろそろ悲鳴をあげている。
週末がない生活が6週続いているということは45日間ほど1日も休んでいないことになる。
そろそろ限界だと思うが、
栄養剤でだましだましやっていこうかとも思うが、
平日になんとか休みをとろうと自省ならず、自制しようとも思いはじめている。
12月の講演を終え、年末までなんとか「快」でいたいものだ。
新幹線に向かい、走り走り、久しぶりの「こだま」に乗り、
西明石まで向かう。
兵庫リハのスタッフと韓国料理店で懇親会をして、
県立広島大学の沖田先生と高知医療学院の高橋先生と、
ホテル近くのロックバーで意見交換を行う。
コースにて教育する方向性について確認する。
翌日、コース開始。
全国からPT、OTが集まる。
理論から基本的な方法論まで。
沖田~人見~高橋~本田先生でバトンタッチしながら進んでいく。
自らの出番がなく、多動症候群のように、
動き回っていたが、しゃべるということが実はすきなんだと実感した。
「俺にしゃべらせろ~」という気持ちがわく。
ライブで「俺に歌わせろ~」という感覚である。
本コースは他の講師の講義を必ず聴き、
自分が何をしゃべるべきか、どのように進めるべきかを
文脈の中から思考し、そしてシミュレーションする。
このプロセスに相当の脳を使う。
脳の情報処理、すなわち認知プロセスの活性化である。
一方向に講演するのではない。
双方向性に情報を処理する。
それが大脳皮質の醍醐味である。
大脳皮質を使うセラピーを教えるセラピストが、
自らが大脳皮質を使わない、当り前のデモを見せるだけの実技であれば、
それは、言っていることとやっていることのかい離になる。
それでは信頼は得られない。
終わって、懇親会。
毎週続く激務に10時過ぎには悲鳴をあげ、
先にかえらせていただく。
翌日は川見先生からスタートして、実践に入る。
目に見える運動を分析することの重要性を話すとともに、
目に見えないものをいかに対話から取り出し、
推論をたて、仮説をつくるかのプロセスの重要性を説く。
この両者をつなぐのがセラピストの脳である。
セラピストには脳が存在している。
セラピストは言われたことをコピーするロボットでない。
コピーしながら、内部にある表象を更新することができる。
それがセラピストの学習である。
見よう見まねだが、見まねにおける自らのからだの感覚の違いを取り出し、
情報化することが大事だ。
患者の身体を動かしながらも、その違いを自らの体性感覚でモニターする。
それこそがプロであり、
体性感覚だけでなく、視覚、聴覚を総動員して、
患者の身体、運動、感覚、精神の変化をとらえることができる。
それが専門家の脳と身体である。
ニュートラルな立場からあえてみても、
認知神経リハビリテーションはその重要性を気づかせてくれると思う。
自分の講義では自虐ネタ(ギャグ)を交えながら、
酔っているのではないかと思われるような講義だったが、
脳と身体の科学について出来る限り平易に話した。
物質的知覚を情報化する脳。
それは「道具」を使用するヒトの脳にとってとても重要な機能だ。
懇親会ではじけ、
二次会で、キャロルのビデオを見ながら、飲み、
栄ちゃんとはもり・・・自分の過去を恩師から公開され、
来ている(受講している)セラピストに驚かれ。。
人に歴史あり。
出会いによって志向性が変わる。
出会いによってネガティブ志向をポジティブ思考に変えることができる。
最終日、症例検討して、
子どもの視覚情報処理について助言し、そして行為と言語の学習についてディスカッションして、楽しい時間を過ごした。
その内容は聞いている人はわからなかったかもしれないが、
複雑な思考を持って患者に臨もうとしている人もいるんだと思ってもらえればそれでいい。
人間は自分が思っている以上に複雑である。
複雑に理論を考えている人は科学的思考に基づくセラピストだ。
セラピストは最先端の科学者ではないが、
最前線の科学者であると思う。
臨床の場は、それを提供してくれる。
いずれにしても、
臨床人生の山を自らが低く設定するこの世の中。
紋切り型に人をみず、高くのぼる山を設定する。
60になって振り返れば、高い山にしてよかったと思うと思う。
養老孟司さんと対談した時、
二人が共感した瞬間が2つあった。
ひとつはなんでもかんでもバリアフリー化して、
自分の身体を使わず、考えない世の中に対するNOであったが、
もう一つが、60代が脳の容量に大きく差が出ていることである。
彼は解剖学者であったために、
脳の容積が60代で大きく差が出ることを教えてくれた。
僕の方は姿勢バランスが専門であるため、
2歳から92歳まで1073名のバランス能力のデータを解析した結果、
60代大きくばらつく点を明らかにした。
50代までのばらつきは少ないが、
60代は小学校の時と同じようにばらつくというものである。
小①と小⑥の身体機能は大きく異なることはだれもが知っている。
その6年間と同様に、60代で大きく差が出るというものである。
これは60代の10年で差が出るというのではなく、
それまでの59年間をどのように生きてきたかの経験で差がつくというのである。
脳の機能も、身体の機能も60代で大きく差が出る。
それまではそんなに影響しないが、
どのように生きてきたか(社会に参加し、脳を使い、考え、喜び、泣き、そして動き)、人生を歩んだか、それが大きく影響する。
生理的な老化ではなく、経験的な老化である。
そのことについて先日も本学の国際生理科学連合会長の金子先生が教えてくれた。
心の持ちようである。
いずれにしても、今回は自意識の中でもよいコースだったと思った。
情報の流れがよかった。
つまり、フリーズしなかったのである。
システムとして機能することの重要性についてコースの流れから理解できた。
最終日の月曜日の帰り際にスタッフから神戸ワイン、とお菓子をいただいた。
家に18時過ぎにつき、
そのまま、寝たら、起きたら朝の10時だった。
身体がそろそろ悲鳴をあげている。
週末がない生活が6週続いているということは45日間ほど1日も休んでいないことになる。
そろそろ限界だと思うが、
栄養剤でだましだましやっていこうかとも思うが、
平日になんとか休みをとろうと自省ならず、自制しようとも思いはじめている。
12月の講演を終え、年末までなんとか「快」でいたいものだ。