月曜日、修士論文の締め切りは20時。
教育学部の授業を16時過ぎに終えた後、
2名の院生に激を飛ばした。
20時5分前、2名の院生が滑り込んだ。
藤本君の「運動イメージを鮮明化させる言語の分析」、
松下君の「自閉症スペクトラムにおける聴覚的リズムの視覚的情報処理」、
が完成した。
この3日間、まさに徹夜が続いたが、
彼らにとって、この険しい道は、
そして感情の起伏から認知的制御に影響を及ぼしたこの数日は、
きっと次なるステージにとって経験・知恵となるものと信じる。
自らのこれまでの経験を一度、リセットする経験になったとも思う。
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この科学的な手続き過程において、
いかに臨床過程があいまいであり、
自分の先入観で立ち向かっていたのかとも思ってもらえたとも思う。
また図の配置や、
その美的な挿入の仕方、
レジェンドの記載の方法、
記号の半角空け、
文献の正確な記載方法、
など、普段、学会発表のみでは経験しないことに注意が向けられたと思う。
普段、何気なく、潜在的な視覚的注意機構のみを作動していたとは思うが、
今回、実行的な視覚的注意機構を作動する必然を、
僕が、叱咤し、気づくことができ、
これからは、そういったところにも目が向けられるようになった、
すなわち、今までは見えなかったものが見えるようになったと思う。
これはまさに臨床にて患者の動作分析をしている感覚にも通じる。
論文の書き方を今後後輩に指導してもらいたい。
昨日は、12本の修士論文を前に、
感無量になりながらも、
膝がガクガク、疲労はピークであった。
もはや、自分が論文を仕上げた感は一切なくなりつつあるが、
このように他者が、困難から這い上がりながら、
書き上げることに喜びを感じるようにもある。
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自分のステージを上に上げることで、
自分自身もその感覚がよみがえるように、
今後も前頭前野を作動させていきたい。
現役であり続けるということは、
そういうことだと思う。
そうでなく、自分に優しく、
攻めの姿勢がなくなるとは、
前頭前野の「私自身」からおさらばし、
いわゆる辺縁系あるいは脳幹的な「生物自身」になってしまうのだろう。
本日は、授業をして、ゼミを軽くした。
授業は、短期記憶から長期記憶へ、
そして作業記憶へ、と、その発達について述べ、
最後にADHDでしめた。
明日は、記憶力の高め方を高校生相手に出張講義を行う。
まだ内容は決めていないが、
記憶について話し、分類して、
その性質を長期増強から話して、
復習の大事さを話す。
また、海馬の役割について、
その固定化の限界や、
空間と時間の整理の重要性(睡眠)についても話す。
さらに、感情を付与することや、
違う感覚での入力を時にして、
情報化をいくつかの概念化から行い、
その概念化作業に、三人称と一人称の視点をいれ、
いろんな神経回路網をつくることが、
応用につながることも話す。
ま、いつか報われる記憶もあるということも。
さらには、詰め込んで貯蓄するだけでなく、
取り出し、実行することが大事な視点を
ワーキングメモリから話して、
メタ記憶や想像につなげ、
予測、予習の重要性について話す。
あとは学習(可塑性)のためのモデルを
関心、意欲、比較、整理(教科書;一般的なノート)、
整理(自己の自由なノート)から話して、
ベキ関数、あるいは創発につなげ、
家宝は寝て待て(ゆっくり時間をかけろ)へ。
あとは具体論として、
リラックスの必要性(出力を上げると入力しづらい相対的関係)や、
干渉作用(何時間空けるか)、
あるいは、初頭効果と終末効果から、何をいつやるか
あるいは、チャンク化、ってところだろうか。
そんなことをいいつつ、
所詮、繰り返しなのである。
努力に勝る天才なし。
その際、復習(海馬)だけでなく(定期試験には復習のみでもある程度対応可能)、
予習(想像)(皮質)も加えれば、
定期試験でなく、受験にも役に立つのだろう。
そんなことを話せればと思う。
しかし、ここ数日のJOBから、
眠い、眠い。
教育学部の授業を16時過ぎに終えた後、
2名の院生に激を飛ばした。
20時5分前、2名の院生が滑り込んだ。
藤本君の「運動イメージを鮮明化させる言語の分析」、
松下君の「自閉症スペクトラムにおける聴覚的リズムの視覚的情報処理」、
が完成した。
この3日間、まさに徹夜が続いたが、
彼らにとって、この険しい道は、
そして感情の起伏から認知的制御に影響を及ぼしたこの数日は、
きっと次なるステージにとって経験・知恵となるものと信じる。
自らのこれまでの経験を一度、リセットする経験になったとも思う。
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この科学的な手続き過程において、
いかに臨床過程があいまいであり、
自分の先入観で立ち向かっていたのかとも思ってもらえたとも思う。
また図の配置や、
その美的な挿入の仕方、
レジェンドの記載の方法、
記号の半角空け、
文献の正確な記載方法、
など、普段、学会発表のみでは経験しないことに注意が向けられたと思う。
普段、何気なく、潜在的な視覚的注意機構のみを作動していたとは思うが、
今回、実行的な視覚的注意機構を作動する必然を、
僕が、叱咤し、気づくことができ、
これからは、そういったところにも目が向けられるようになった、
すなわち、今までは見えなかったものが見えるようになったと思う。
これはまさに臨床にて患者の動作分析をしている感覚にも通じる。
論文の書き方を今後後輩に指導してもらいたい。
昨日は、12本の修士論文を前に、
感無量になりながらも、
膝がガクガク、疲労はピークであった。
もはや、自分が論文を仕上げた感は一切なくなりつつあるが、
このように他者が、困難から這い上がりながら、
書き上げることに喜びを感じるようにもある。
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自分のステージを上に上げることで、
自分自身もその感覚がよみがえるように、
今後も前頭前野を作動させていきたい。
現役であり続けるということは、
そういうことだと思う。
そうでなく、自分に優しく、
攻めの姿勢がなくなるとは、
前頭前野の「私自身」からおさらばし、
いわゆる辺縁系あるいは脳幹的な「生物自身」になってしまうのだろう。
本日は、授業をして、ゼミを軽くした。
授業は、短期記憶から長期記憶へ、
そして作業記憶へ、と、その発達について述べ、
最後にADHDでしめた。
明日は、記憶力の高め方を高校生相手に出張講義を行う。
まだ内容は決めていないが、
記憶について話し、分類して、
その性質を長期増強から話して、
復習の大事さを話す。
また、海馬の役割について、
その固定化の限界や、
空間と時間の整理の重要性(睡眠)についても話す。
さらに、感情を付与することや、
違う感覚での入力を時にして、
情報化をいくつかの概念化から行い、
その概念化作業に、三人称と一人称の視点をいれ、
いろんな神経回路網をつくることが、
応用につながることも話す。
ま、いつか報われる記憶もあるということも。
さらには、詰め込んで貯蓄するだけでなく、
取り出し、実行することが大事な視点を
ワーキングメモリから話して、
メタ記憶や想像につなげ、
予測、予習の重要性について話す。
あとは学習(可塑性)のためのモデルを
関心、意欲、比較、整理(教科書;一般的なノート)、
整理(自己の自由なノート)から話して、
ベキ関数、あるいは創発につなげ、
家宝は寝て待て(ゆっくり時間をかけろ)へ。
あとは具体論として、
リラックスの必要性(出力を上げると入力しづらい相対的関係)や、
干渉作用(何時間空けるか)、
あるいは、初頭効果と終末効果から、何をいつやるか
あるいは、チャンク化、ってところだろうか。
そんなことをいいつつ、
所詮、繰り返しなのである。
努力に勝る天才なし。
その際、復習(海馬)だけでなく(定期試験には復習のみでもある程度対応可能)、
予習(想像)(皮質)も加えれば、
定期試験でなく、受験にも役に立つのだろう。
そんなことを話せればと思う。
しかし、ここ数日のJOBから、
眠い、眠い。