森岡 周のブログ

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データを採取する前に

2011年12月22日 09時37分33秒 | 日記
ここ数日間は院生の論文を校閲しつづけています.
今度の修士課程修了は8名の予定ですが,
現在,鋭意努力しながら,院生たちは論文を書いています.
博士課程の方は,あとはレフリー次第ですので,他力の状態です.

院生の論文を見ていて,
あるいは昨年度修了の院生の投稿論文を見ていて思ったことは,
自前の結果が乏しいのと,そうでないのがあります.
この結果というのは,効果があったということではありません.

アウトカムの量が少ないために,
関係はあった,差はあったといっても,
自前の結果同士で因果を断定することができないのです.
結局は引用することで文献的考察にならざるをえないのが現状です.
そうなると,結局のところは,推察,推測どまりなのです.
ともすれば可能性という言葉は多様されがちですが,
可能性のための研究であれば,やらなかってもよかったのではないかと思うのです.

もちろん,自前のデータですべて考察することはできません.
最後には,limitationとして可能性を述べますが,
結果のおおもとの考察が可能性どまりであれば,
これは問題です.

研究計画のレベルでアウトカムの吟味というのは大いに必要でしょう.
この問題の背景には,学会発表になれてしまっているのも関係しているのではないかと思います.
これはまったく根拠のない話なのですが,
学会発表の抄録に書くことになれてしまったがゆえに,
簡潔に結果を示すことがほとんどとなり,
結果の項目を充実しながら書くことができなくなったのではないかとも思います.
学会発表の抄録には結果が1行で終わってしまっているのもあります.

原著論文は自前の結果同士を絡めて,
考察することを意識して,結果の抽出をしていくことが必要でしょう.
そうすれば引用は極力抑えることができます.
引用文献が多いのがよいわけではありません.
総説を書いたり,レビューしたり,は引用文献が多い方が情報としてむしろよいのですが,
原著論文は,やはり背景を明らかにして,問題提起するためのものとして必要なぐらいです.
考察においては結果に対して忠実に考察すればよいわけで,
どうしても判明できないときに,引用していくのです.

データを採取するために因果を解決するためのアウトカムを吟味する必要があるでしょう.