秩序のなかの自由は美しい.たとえば,雪の結晶なんかはその一つです.結晶の大きさや形はいくつのもの種類があり,多様性があるけれども,その一つ一つの空間世界はシンメトリーで美しさが際立っています.神経細胞の興奮は多様性があり,人はそれぞれ個性を持ち,対象に対してさまざまな感受性の違いを持っています.ただし,その興奮はあくまでも意識の顕在化に基づくものでして,あくまでも灰白質の神経細胞の興奮ですし,さらにその興奮も意識を顕在化した際に違いが起こるもので,白質の細胞や,さらには潜在的な神経細胞の興奮ではありません.
神経細胞の潜在的な活動はゆらぎ現象の安定化に向けて作用します.一見無秩序に思う神経細胞の自発活動は,秩序立っています.特に,複数の神経細胞が同時に活動する現象であるsynchronizationはその典型で,潜在的に経験なくとも実は,神経細胞の興奮の順序は決められているようです.シナプス結合,そしてそこでの伝達物質の行き来は不安定ですが,この神経活動の同期化現象によって,皮質回路の連結を安定させるという特徴を持っています.そう考えると,これ自体,物理的に埋め込まれたものであるとも考えられ,人は個性があれども,ヒトは生物学的にヒトであるという,埋め込まれた存在であるともいえます.いわゆる非意識における自己創発性であり,外部入力だけの認知行動科学だけの接近では限界があると思います.将来的に認知行動科学や認知神経科学は頭打ちになる可能性が大きいです.いわゆる外部入力がなくとも内部状態を自発的に生み出している脳内現象を明らかにしないと,脳科学自体が壁を乗り越えないことになるでしょう.
これは学習にも言えます.従来は環境との相互作用を強調し,フィードバック情報の蓄積に基づく,フィード・フォワード制御への転換と考えられていましたが,いわゆる非意識における脳内の自発的な神経現象の読み解きを行わないと,やはり学問としての限界が見えてきます.これは社会現象にも同じことが言え,非意識ながら秩序を生み出し,その秩序のなかでの自由度の増大が社会性を構築していくものだと思います.先日,あるテレビを見た際に,取材のルール,秩序(制限)があるからこそ,思考が鍛えられ,良きジャーナリストが生まれジャーナリズムが生まれるという発言を聞いたときに,秩序を生み出す暗黙知というものが自由の底辺にないと,思考(脳)は鍛えられないと思いました.これは教育にも同じことが言え,大学は自由なところですが,それは秩序の上に立つものであり,今の学生の「自由」のとらえ方は,少々,構造的に違うと思っています.神経現象が内部でゆらぎを自発的に変化させながら,秩序を生み出し,そのうえで神経細胞の活動の自由度が生み出されるように,教育もそうあるべきだとつくづく思うのです.これは私自身にもあてはめることができ,脳の神経ネットワークが忙しさから混線になると,その秩序だった揺らぎ自体も奪っていってしまう気がしています.いろいろ反省することが多いです.揺らぎの安定化が自発的にはかられるよう,行動を統御する志向性を身につけないといけないと思っている次第です.
神経細胞の潜在的な活動はゆらぎ現象の安定化に向けて作用します.一見無秩序に思う神経細胞の自発活動は,秩序立っています.特に,複数の神経細胞が同時に活動する現象であるsynchronizationはその典型で,潜在的に経験なくとも実は,神経細胞の興奮の順序は決められているようです.シナプス結合,そしてそこでの伝達物質の行き来は不安定ですが,この神経活動の同期化現象によって,皮質回路の連結を安定させるという特徴を持っています.そう考えると,これ自体,物理的に埋め込まれたものであるとも考えられ,人は個性があれども,ヒトは生物学的にヒトであるという,埋め込まれた存在であるともいえます.いわゆる非意識における自己創発性であり,外部入力だけの認知行動科学だけの接近では限界があると思います.将来的に認知行動科学や認知神経科学は頭打ちになる可能性が大きいです.いわゆる外部入力がなくとも内部状態を自発的に生み出している脳内現象を明らかにしないと,脳科学自体が壁を乗り越えないことになるでしょう.
これは学習にも言えます.従来は環境との相互作用を強調し,フィードバック情報の蓄積に基づく,フィード・フォワード制御への転換と考えられていましたが,いわゆる非意識における脳内の自発的な神経現象の読み解きを行わないと,やはり学問としての限界が見えてきます.これは社会現象にも同じことが言え,非意識ながら秩序を生み出し,その秩序のなかでの自由度の増大が社会性を構築していくものだと思います.先日,あるテレビを見た際に,取材のルール,秩序(制限)があるからこそ,思考が鍛えられ,良きジャーナリストが生まれジャーナリズムが生まれるという発言を聞いたときに,秩序を生み出す暗黙知というものが自由の底辺にないと,思考(脳)は鍛えられないと思いました.これは教育にも同じことが言え,大学は自由なところですが,それは秩序の上に立つものであり,今の学生の「自由」のとらえ方は,少々,構造的に違うと思っています.神経現象が内部でゆらぎを自発的に変化させながら,秩序を生み出し,そのうえで神経細胞の活動の自由度が生み出されるように,教育もそうあるべきだとつくづく思うのです.これは私自身にもあてはめることができ,脳の神経ネットワークが忙しさから混線になると,その秩序だった揺らぎ自体も奪っていってしまう気がしています.いろいろ反省することが多いです.揺らぎの安定化が自発的にはかられるよう,行動を統御する志向性を身につけないといけないと思っている次第です.