blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

一家ちりぢりの責任は?

2024-11-01 20:36:15 | 日記

※一部脚色しておりますのでフィクションとしてお読みください。

 

改まって全員が集められた会議の中身は驚くべきものだった。

売り上げの大方を占める取引が解消される方向となり、当該取引に関係する部署が他社に売られるという。

会社は残りの取引を続けながら存続するが、当該取引にかかわる仕事をしている社員はすでに決まっている受け入れ先への移籍を基本線として話が進んでいる。

詳細その他については未定の部分も多く、受け入れ先からの説明と個別面談の機会は後日用意されているとのこと。

 

そもそもの話として、規模はどうあれ取引先からの信用が盤石なものであったならば「切り売り」の決断をさせられるには至らない。

入社して長いとは言えない私はどういった状況がそうさせたのか、断片的に耳には入るものの正直言って分からない。

長らく、とある会社と何やら係争中という話だけは知っていても中身までは知らない。

ただ、取引先にとっては大切な商品の管理上看過できない事態が起きていて、残念ながら今後全幅の信頼は置きづらいという意思表示があったものと思われる。

 

話だけ聞けば、非は我が社よりも係争先の方にかなりのものがあるらしいが、とにかく中身はよほど詳細に聞かないと分からないし今さら聞く気もないから何とも言えない。

ただ、そういうアクドイ(?)先に何かのキッカケで引っ掛かってしまい、最終的に会社規模の縮小に至った結果責任は我が社の経営サイドには当然ながらある。

経営にとっては小さくなっても会社がなくならずとにかく続けばいいという話かもしれないが、一般の社員は今回の事態により引き裂かれてしまう。

売られる部門の社員は手続きが整いしだい我が社のロゴが入った作業服を脱ぎ、新会社の真新しい作業服で日々を送ることになる一方、存続する部門は当然ながら今まで通りである。

毎日朝礼で輪になっている社員がふたつの会社に分かれていくこと、また毎朝指示を出している上席者も手続き完了の折にはアカの他人になってしまうことには「やりきれない」という思いしかない。

 

私自身はわずか一年と数か月という短い期間とはいえ身に余る仕事をいただき食べさせてもらってきた会社に感謝の気持ちは当然ある。

私にとっては前職でお世話になった「恩人」を追いかける形で応募し幸運にもご縁をいただくことができ、当初は陰惨なイジメにも遭いながら何とか乗り越えて今日までやってこれた。

同時に、事の経緯が見えてくるにつれて怒りのような感情も湧いてくる。

生活の糧をいただいてきたことに感謝こそできても、実態が「信頼にまでは値しない」会社であったとなると何とも表現のしようがない感情に襲われる。

良く言えば細かくない、悪く言えばルールらしいルールがない、何かにつけアイマイな部分をはらんだまま日々が流れていたことは私にとっては結構なストレス要因となっていた。

私は今の勤務地から言って「移籍組」になることが濃厚なので、アバウトそのものと言っていいガバナンスが多少は良い方向に行くことは期待している。

もっと言えば、しっかりとしたルールにのっとって運営される環境を切望していた部分もあるから、個人としては今回の事態はむしろ歓迎すべきことなのだろう。

受け入れ先からの説明はまだだが、調べる限りでは「格が違う」くらいの印象はありガバナンスに関してはほぼ心配はないのではないか。

 

今回のように会社が割れてしまう事態というのは長らく社会人をやってきた中でも初めてのことだ。

ただ、若い頃は僭越ながら企業(財務)分析も担当していた関係で、企業というものを俯瞰的客観的に見る目も多少は残っている。

企業に何らかの変化が起こる時に共通した「兆し」が今回も見られたことを記して記事を閉じることにする。


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10月を振り返って

2024-10-31 20:51:19 | 月末振り返り

毎月最終日はその月を振り返る。

公私ともに大きなトラブルはなく順調ではあったが、こと仕事に関しては日頃ひとり部署でもある関係からかある種の疎外感を感じる日々であった。

自分の仕事が終われば他エリアの手伝いにはできるだけ行っていたつもりだが、よくよく考えれば他エリアのアタマカズとして私は数えられていないし、日頃何かを気にかけてもらえることもほとんどなく、ごく最近ではあからさまに手伝いを拒否されてしまうこともあって、それならと一時的に他エリアとの関わりをやめていた時期もあった。

 

全員が少なくとも私よりはベテランという中で、本来なら私の力などなくともスイスイと日々を終わらせてほしい気持ちはある。

私自身は常に定時を意識した上でそこから逆算して作業量に応じて休憩時間を調節(時には切り詰め)してでも定時内に終わらせるように努めている。

仕事量や人繰りクルマ繰りなどの外的要因で終了時刻には差が出て当然とは言っても、こういつもいつもたかが新人のひとり仕事に遅れを取るというのは本来はおかしいと言いたくもなる。

取っていいと言われるだけの休憩時間を当たり前のように取り、その結果定時に間に合わず遅くまでアクセクと仕事をして、とっくのとうに仕事が終わった人間を巻き添えにするのはいい加減にやめてほしいものだ。

 

そんな10月の最後の方に来て、会社が大きな節目を迎えることになった。

正式な形になるのはあとひと月ばかり後になるため詳細は省かざるを得ないが、会社にとっては何とも複雑としか言いようがない節目であり、しかし客観的に見ればそうなったのも仕方がないと思える。

私自身だけなら悪いことは何一つないとはいえ、毎朝当たり前のように顔を見ているメンバーの一部とはもうわずかのお付き合いとなってしまうことが確定しているのでその寂しさはある。

もともと一体感なるものなどまるでなかった職場ではあるが、朝礼の輪の中の半分以上は師走になればもう会うことができないというのはまだ実感としては湧いてこない。

幸か不幸か様々な職場現場を経験してきた中でも「会社の一部がなくなる」瞬間に立ち会うことは初めてである。

 

繰り返しにはなるが会社にとっては大きな節目と言っても私自身には悪いことは何一つない。

働き方がキツくなるわけでも、ましてや仕事がなくなるわけでもない。

11月は誕生月だ。

誕生月をいいものにするため、10月のアレコレを引きずることなく日々を悔いなく乗り切ることに改めて集中したいと思う。


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口が軽いのは

2024-10-30 19:09:58 | 日記

全員が輪になる機会は毎日の朝礼くらいしかない我が社で珍しく終礼なるものがあった。

文字通り珍しいことで対象者も全員、しかも本来であれば夕方前に帰宅するメンバーもということで「イヤな予感」はした。

果たして中身は予感をはるかに超える重いものであったため詳しくは書くことはできない。

我が社の中だけで済む問題ではないことがその理由である。

ただ一つ言えるのは、我が社の日頃のガバナンスの積み重ねが招いた事態であること、それだけである。

 

あくまで一般論として書くが、経営サイドから「もうひと踏ん張り」とか「今少しの辛抱」などという言葉が出る時はその後高い確率でしぼんでいくかひどい時は終わる。

こういう言葉が出る時点ですでに解決しようがない問題を抱えていることが多い。

技術論ではなく精神論を言うしかない組織はその時点でかなり弱っているということである。

 

私個人に落とせば今後に関して困ったなと思う要素は今のところはない。

今のところはと書いたのは、これまでとはわずかながら変化が見込まれる中でそのわずかが納得できるものになるかどうかが分からないからだ。

望めば同じ場所で同じ仕事を続けていけるようではあり、その基本線上にある限りは受け入れられないことはないだろう。

 

果たして大変に大きな話が飛び出したのち、メンバー間ではやはり話題にはならざるを得ない。

ところが、世の中にはオシャベリという困った種類がいて、私は目撃していないが出入りの業者さんにもペラペラと話していたという。

それを察した上の人が事務所から飛び出してきたというからいかに軽々しく扱ってはいけない話かということなのだが、こういう、煮ても焼いても食えない人物もいるのが残念ながら我が社である。

もっとも会議の中身は「決して口外はしないように」と解散前にクギを刺しておけば済んでいたこと、このあたりも含めた会社としてのワキの甘さが多方面で災いしたことは否定できないと思う。

 

ガバナンスという言葉を出したが、今後はそのあたりが改善する可能性はある。

いい意味で常識にかかった、今よりは厳しく見えても実はそれは当たり前、くらいのガバナンスになるなら私にとっては願ったりかなったりである。

幸いにしてまだ我が社での時間が短いこともあり、私自身はよからぬ習慣に染まっていない自負はある。

むしろ、これまでのユルユルのガバナンスから多少変わって「ついていけない」者が出る可能性はある。

ぬるま湯につかり切っていた人間が淘汰されていくにはいいタイミングなのかもしれない。

 

今のところは「方向」が示されているだけであり、何かを考えるにもこれからと言うしかない状況ではあるが、少なくとも「悪い」ということは全くないので、今後も変わらず日々を誠実に乗り越えていきたいと思う。


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相互不干渉成立

2024-10-24 20:06:42 | 日記
今日は短く。

仮に現場をエリア1及びエリア2として、私を2とする。

やはり1側はあくまでも私を拒んで日々を回すつもりのよう。

寂しいことだがそれが現場の意思ならば仕方がない。

こうなれば1と2は全くの相互不干渉でよい。

どちらかがいかに多忙でも手出し口出し一切ナシ、場所の融通もナシ。

これからは自分のことだけやって終わればサッサと帰る。

以上。

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2024-10-23 22:01:48 | 日記

我が現場は構造上「ここに行けばこれがある」ということにはなっていない。

出ていくもの入ってくるもの、またその分量も日々違うので同じ場所でも昨日あったものと今日あるものが違うことは珍しくない。

成り行きにより、棚の中の見ばえがやや不格好になることもあるのは仕方がない。

 

不格好になれば整頓するのがメンバーの一つの役割でもあるが、ずいぶん前のたいそうヒマなある日、通常なら整頓には参加しないメンバーにも覚えてもらおうということで、ある人が責任者から声がかかってやり始めた。

すると、全く同じ製品が離ればなれになっていたので並びにできないかと日ごろ整頓をしている某メンバーに申し出た。

だが、返ってきた答えは「事情が分からない人間はヘタに触るな」という何ともつれないものだった。

今までやったことがないからやってみましょうと言われて初めてやっている人に対する答えとしてはあまりにも冷たいと感じたものである。

 

私は横にいて見学しているだけであったが、ちょうどタイミング的には各列の「空き数」をカウントした直後であった。

毎日のカウントに基づいてその日の入荷物の入れ場所を決めるのだから、心情的には並びにしたくなるモノであっても空き数カウント後にそれが変わるような整理をしてはせっかくのカウントが無駄になってしまう。

だから、初めて挑戦している人に対する答えとしては「気持ちは分かるけど、空き数を調べた直後だからタイミングとしてはNGだね」と言えばよかった。

 

我が社は運送屋さんでもあり倉庫屋さんでもあるが、盆前にあった宴会に参加した時、倉庫メンバーは幹事と私だけであとはドライバーさんだった。

気の張らないメンツというのは本当で、ずいぶんカラッとした雰囲気を感じたものである。

となりの芝生は何とやらなのかもしれないが、私のいる倉庫はドライバーさんの世界とは違って何とはなしにジメジメとした雰囲気があると常々感じていたし、それは今も変わらない。

上に書いたやり取りでも分かるように「事情が分かる人間が増えすぎては困る」と思っているメンバーが確実に何人かいるのがその原因である。

みんなが少しずつでも新しく仕事を覚えて全体として徐々にでもレベルアップすれば日々の仕事も早く終わることができてラクだなどという発想は毛頭なく、自分たちが主導権を取れる状況が少なくなってしまうことを恐れているようにしか思えない。

 

職場そのものや日々の仕事に関しての情報が、仕事をしていてあまりにも流れてこないと感じているのは私だけではないはずである。

情報をあえて流さず自分たちだけで抱え込んで自分たちの思い通りに職場を動かしてやろうという、ある種の特権・権益が自分たちには「ある」と信じているようだ。

だが、歴の浅いメンバーとて人生経験は長いのでそのあたりのことは薄々でも気づいてはいて内心かなり不満はあるのが分かる。

日々懸命に前向きに動いているように見える他のメンバーも、実は彼らに無用にオラつかれるのがイヤで仕方がなく動いているに過ぎない。

両手にもならない数のメンバーのごく一部とそれ以外の間に残念ながらこれほどまでに深い溝ができてしまっている現状では、カラッと明るい雰囲気になどなりようがない。

 

今の今まで自分たちだけが心地いい生ぬるい空気の中で仕事をしていきたいと思い、空気を変えそうな人間はあらゆる手を使って排除してきた集団が強いものであるはずがない。

人が足らないなりに強い組織であろうとすればひとりひとりが全ての担当をひと通りできるくらいでなくてはいけないのに、いつまでも自分たちだけ現状維持で、面倒なことは下にやらせればいいというのでは組織としては弱る一方、自ら滅びを選択しているようなものだ。

我が現場は、短期的には人が足らないなら「補充」もいいが、中長期的には人の大幅な入れ替えも含めた「補強」が必要な段階にどうやら来ていると言わざるを得ないのである。


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いや、ホンマ、マジで、何してんねん

2024-10-17 21:54:45 | 日記

3連休が明けたが我が現場は特に変わりはない。

来週あたりからまた仕事が活発になるとはいうが、朝礼などで話題になる「仕事」とはもっぱら出す方のことで、入れる方の仕事である私とはほとんど関連がない。

出す方は活発ではないが入れる方は今週はかなり活発なので私自身は忙しい。

忙しいが再三書いている通り私のエリアはひとり部署なので誰かが手伝いに入ることはない。

あまり無理はしたくないが、定時を意識してヤバいと思えば多少休憩を削って定時内に終わることを優先させる。

時間の使い方や管理も任されている以上、時間が足らないと思えば捻出するのは当たり前のことだ。

 

私が入ってからは現場には新しい人が入らないので今のところはいちばん歴が浅いのは私である。

同じくらいに入った人もいるが病欠期間がかなり長くなってしまい「出場回数」ということで言えば私のほうが多くはなった。

とはいえ、このままなら永遠の下っ端という立場は変わらないことになる。

ただ、下っ端だからといってひたすら腰を低くしているかといえばそうでもないからか、至るところで私の悪評をまき散らしている人もいるようだ。

私は仕事場で会う人は仕事ぶりでしか見ないこと、またいかにも清潔感のない人はいわゆる生理的に無理ということが合わさってかなり適当に扱っている人もいるのでそういう人に好かれることは永遠にないし、好かれなかったところで人生に何ら影響はない。

 

いちばん社歴が浅いのが私ということは、私以外は全て私よりベテランということである。

ひとり部署の私を差し置いて、ベテラン総出で毎日の業務に当たっているのはそれだけ仕事の密度も濃く量も多いからではあるが、できばえの良し悪しは別として終了時刻が早いのはたいがい私の方である。

人繰りクルマ繰りなどいろいろな外的要因があることはもちろん承知の上だが、たかが下っ端のひとり仕事にこうも毎日「惨敗」していてどうするのかとは思う。

私自身は、早く終わって余裕ができても、自分のことが終わったからいいや、ということにはせずできる限りは手伝いはしているつもりである。

 

しかし私のエリアは、誰かに手伝ってほしくてもスペースの都合や他のメンバーが本格的には担当したことがないので事実上手伝える人がいない。

私の方が終了が遅くなる日もあるにはあるが、そういう時は全員とは言わないがサッサと帰ってしまわれる日もあり正直不公平感はある。

不満をためてもしょうがないので「それならアンタらよりはよ終わったろやんけ!!」と思って毎日やっているのが結果的に毎日の早期終業につながっている。

 

実際に言われたわけでもないので推測でしかないが、ここのところは、日中は別の仕事をしている私をあくまで遠ざける形で日々の仕事を回そうとしているようにも感じられる。

日々私からの情報が必要な場面も、直接は聞きに来ないで短時間勤務の高齢の方に聞きに行かせるくらいだから、現場として何らかの意思でそういう方向に舵を切ったものと思う。

ベテラン勢の意地と言うにはあまりに低レベルで何と言っていいのか分からないが、張れるだけの人数を張り時には短時間勤務者にも残業をさせてまで仕事をしているのにもかかわらず、たかが私ごときのひとり仕事にほぼ毎日遅れを取っているようでは「何してんねん」と言われても反論するのは難しいのではないだろうか。

 

我が現場における何ともイビツな力学、薄気味悪いジメジメ感は、一部のメンバーが抱える「特権意識」から来ているものと思っているが、それについての考察は次回とする。


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危険な賭け

2024-10-15 21:26:35 | 日記

3連休とはいうものの外出したのは土曜の1日だけ、それもそれほど無理な行程でもなかったはずなのに日月とほぼ眠りこけてしまった。

昼夜問わず、横になったと思ったらもう眠っているような状態で、これは担当替えから3か月あまりの見えない疲れだろうと考えるよりない。

9月の終わりには上半期の棚卸があって、これには我が社ばかりでなく取引先の皆さんも参加した。

全く滞りなく在庫のカウントは終わって変な差数も出なかったのでひと安心ではあったのだが、担当替え以降では初めての本棚卸ということでかなり緊張があったことは確かだ。

日々いろいろなことを乗り越えてきて、知らず知らずの疲れがたまっていたとするならゴロゴロも決して無駄ではなかったと言える。

 

連休が明けたところで現場には大きな変化はない。

明るい人は明るいし暗い人は暗い。

動く人は動くし動かない人は動かない。

ジメジメしている人がたかだか3日の休みでカラッとした人間にはならない。

 

我が現場では、入ってくる人がことごとくつぶされて辞めていった時期があるらしい。

辞めていった人がいるから私が今いると言われればそうなのだが、一挙手一投足にダメ出しをして精神を病むまで追い詰めてでも新しい仲間となるはずだった人を排除してきた歴史があるというのはそれこそ何とジメジメした職場であろうか。

直接的に攻撃を仕掛けるのはいつも決まった人間である。

今の私から見れば救いようがないほどにスキルが足らないし参加できる仕事も極端に少ない。

何でこんな人間に振り回されていたのかと思うくらいだが、入ったばかりで何も分からないうちはやはりつらかった。

何人かは仕掛けがハマり実際に辞めているので当人にはそれが成功体験として刷り込まれてしまい、新しく来た人間には飽きることなく同じ手を使うのが入って間もなくの時期に分かった。

 

しかし、こういう人間の愚かなところは、相手が度重なるイジメにもへこたれず会社に出続けそのうちに仕事に慣れてしまうという可能性を全く考えないところにある。

自らの地位を脅かされるのではないかという身勝手な恐怖からありとあらゆる手を使って排除することでアタマがいっぱい、なまじ何人かで成功しているのでどういう接し方をすれば他人が嫌がるかはよく学習できているため仕掛けが成功しないはずがないと思っている。

それでもそれを何とか乗り越えてしまう相手が現れた時、こういう人間は非常にもろい。

しまいに当初散々アオり立てていた相手からアオり返されるなどということになるとこれはもはや当人にとっては地獄である。

 

何も分からない相手をアタマからつぶしてしまおうと考える人間のレベルなど、作業もそうだが人としても多寡が知れている。

わずかな成功体験に酔いしれ調子に乗って同じ手口ばかり使って何とか自分を守ったところで、引っかからない、へこたれない相手に当たってしまえば何もかもが雲散霧消する。

今イジメている相手が時を経て慣れるとか上達するとかの可能性をわずかでも考えない、下手をすると仕事で上回ってくるかもしれないということすらアタマに浮かばない状態で他人をイジメることがいかに危険な賭けかということである。

賭けに負けた瞬間から当人にとっては毎日が生き恥となって、ついにはイジメた相手からもバカにされることになれば果たしてそんな日常に耐えられるのかとすら思う。

それでも今さらそんな人間が劇的に変わるはずもないので、私が在籍し続ける限りは思い切り冷ややかな目で見つめ続けると決めて記事を閉じることにする。


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絶景に会ってきた

2024-10-14 10:52:19 | 休日

順番通りとはいえ今週は土曜が休みで、今日を含めて貴重な3連休となっている。

あらかたの人間は休みだがこの祝日でもわずかに会社は動いていて、動くからにはわずかな人数は出社している。

出ている人のことも考えてなどとは小指のツメのアカほども思わないが、土曜も含めて動かさなくてもいい状況が早く来ればいいとは思う。

取引先との関係性や昨今の社会情勢を鑑みると短期的には無理と言っていいが、中長期的には魅力ある職場として新規の応募が殺到するくらいでなくてはいけない。

働く動機のほとんどが生活(=お金)である以上「これだけやってコレか…」などと思われるレベルでは新しい人は来ないし、来てもすぐに去って行ってしまわれては元も子もない。

残念ながら計算しづらい人員もポツポツ出始めている現状、速やかに手を打つ必要があることは書いておきたい。

 

さて、天気には恵まれているこの週末、初日は長野県白馬村に行ってきた。

富山から近い信州となると白馬小谷エリアが手っ取り早いし、スケールの大きな景観は何度足を運んでも飽きないから、ありがたいエリアが近くにあるものだと思う。

今回は栂池八方のメジャーどころを通過して少し南にある五竜を初めて訪れた。

 

 

今ではスキー場といえどもスキーシーズンだけではなかなか苦しい部分もあり、いわゆるグリーンシーズンをどう使うかは知恵の絞りどころであるが、幸い白馬小谷はそのあたりは充実していて各場それぞれで見どころも豊富にある。

10月中旬にわざわざ高所に行くとなれば当然平地より早く訪れる紅葉が目的だ。

ゴンドラ終着地点の景観。

 

 

ここからもう1本リフトに乗って遊歩道に入ると一面色づいた素晴らしい景観があった。

 

 

遊歩道のハイライトとも言える「地蔵ケルン」。

 

 

JR白馬駅からのアクセスが容易な八方や栂池と比較して、それほど離れてもいない五竜はやや地味な印象はあるが、穴場としておくにはあまりにももったいないという思いを強くした。

帰り道のついでに日に1本だけ大糸線内を走る特急あずさ号を撮影。(見出し画像)

 

往復200kmを超えるドライブの翌日は昼寝も含めて眠りこけるばかりであった。

今日はまだ午前だが今からあわててどこかに飛び出す元気はない。

相変わらずあわただしい平日に備える一日となろう。

いつも書いているように、今は休日をすべて動き詰めにすると明らかに平日に影響するようになっていて、このあたりはやはりだんだんと無理がきかなくなっているということだろう。

今週末は初日に多すぎるほどの収穫があったのでこれ以上の欲はかかないことにしようと思う。


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日没近し?

2024-10-06 22:54:05 | 休日

今週は休みが日曜だけ、貴重な休日だが家にはこもらず富山市内に出て買い物などをして帰った。

自宅の駐車場を管理するおじさまから大量のサツマイモをいただいたので、富山からの帰りにはいったん実家に寄った。

何かを持っていっても必ず何かを持っていくように促されるのはありがたいの一言である。

親がまだ健在のうちにもっとしてあげられることはないか考えたりもする。

 

明日からまた仕事の日々が始まるが、1年以上経ったからこそ見える景色というものもある。

1年も在籍すれば現場がどういった力学で動いているのかに加え、各人の作業レベルや仕事に対する取り組み方や考え方まで見えてくる。

私自身は半ばひとり部署と言っていいところに担当が変わって、日々の段取りや在庫の整頓はもちろん休憩や食事のタイミングなど、仕事に関わるあらかたの部分を自分で管理する日々である。

ただただ指示を受けて動かされるばかりだった時期とは違って気分的には余裕も生まれているが、当然ながら責任も伴うので緊張感は増した。

それでも「誰にでもできる仕事ではない」という気持ちは持っているし、在籍まる1年経つ前に私がわずかなエリアとはいえ「任される」状況を想像できた人はいないだろうから自信をもって日々にあたっていっていいのだと思う。

 

私が今の担当になったのは前担当者がしばらく病欠したのがキッカケであった。

私は当人のことは長らく同じエリアを守ってきた功労者だと思っているが、当人自身は復帰後に熟知していたエリアを去る形になって内心は寂しい思いも持ったかもしれない。

それでも後任の私にあれこれ指図するようなことは一切なく与えられた仕事に集中して取り組んでいるのには頭が下がるし、私は私で仕事にまつわるアレコレを休憩時間などに話すこともある。

他のメンバーを眺めても、今のエリアの担当として「気持ちが分かる」のは当人しかいないからだ。

 

当人以外にもごくわずかとはいえ通じ合える相手ができてきて、最初はいろいろあったが辛抱してここまでやってきてよかったと思える。

全員になじむ必要はみじんも感じない。

残念ながら人間の集団、こちらがどんな行動をしたところで何から何までアタマから否定したい人間もいる。

そういう人間のレベルは、作業はもちろん人としても多寡が知れているから無理をしてなじむ努力はせず内心で見下ろしていればよい。

仮に目に見える攻撃をされればこちらにはいくらでも反撃できる余裕と根拠はある。

プライドだけは高いポンコツほど文句を言おうとして盛大に噛んでしまうこともあるのは気持ちに余裕がない証拠であって、ハナから勝負になっていないのである。

 

個人レベルでは気になることはほとんどなくなったが、組織としては高齢化著しい中で病欠者がこのところ多数出て人繰りクルマ繰りが非常に苦しくなっているのは心配である。

事務方にも苦労はあるだろうが、現場サイドの人間としては日ごろ先頭で采配を振るう若い社員の精神的な疲労が気にはなる。

どう計算しても「かなり足らない」中で日々を無理やり回しているのが現状で、無理やりが長く続けばほどなくパンクする。

人は入れたいのだとは思うが応募がなければ永遠に来ないし、仮に来ても定着するとは限らない。

新しく入って事情が分からないうちにと一挙手一投足にダメ出しをしてつぶしてしまおうとする不届き者も現に存在する以上、人手不足が一朝一夕に解決するようには思えない。

 

人手不足はジワジワと組織の力を奪ってしまうものだが、見る人が見れば組織が一瞬で倒れる可能性もあるのは「安全」に対する取り組みである。

仮に所管の役所が抜き打ちで我が現場に入ってくれば間違いなく大目玉を食らう。

およそ現場と呼べる場所で、一般社員、上席者、外部のお客さんも含めて、およそ9割がたがヘルメットをかぶらないのは異常というよりない。

安全第一の看板もむなしく今我が社に第一に必要なのは売上であり利益であるということなのだろうか。

目の前の業績の方が現場の社員よりも大事ということなのか。

ある日一日を切り取って全日を動画に収録し外に流せば間違いなく我が社は「飛ぶ」。

晩秋の夕暮れのように「つるべ落とし」という事態になってからでは遅いのである。


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墓穴

2024-10-05 23:08:14 | 日記

今日は土曜当番、少しヒマになったところで指示役から声がかかって、とある仕事を命ぜられたので昼ご飯に前後してかなり長い時間倉庫の中にこもることになった。

当日は土曜日ながら多量の入荷物があるのであらかた倉庫内の運搬で過ぎていくかと思いきやそれはしなくてもいいと言う。

命ぜられた仕事だから黙々とやってはいたが、その間にもモノは倉庫内をどんどんと移動する。

運搬作業には大型ドライバーさんの姿もあった。

 

本来、倉庫内の運搬は私も含めた倉庫メンバーの仕事であり、ドライバーさんは我が社とメーカーさんの往復に集中してもらって取り下ろしと運搬の負担はなるべくかけないのが筋である。

ドライバーさんだってフォークリフトには乗れるので手伝いに入っていただく分にはありがたいが本来業務を超える負担であることには相違ない。

ただでさえ人が少ないところ、倉庫のメンバーである私を運搬からあえて削って別作業にあてた意味が分からなかった。

運搬の間はドライバーさんは当然クルマを動かせない。

何往復も必要だった今日、明らかな時間のロスになるのは小学生でも分かりそうなものだからだ。

 

指示側がなぜこんな判断をしたのかは分からないが結果的には明らかなミスであったと言わざるを得ない。

私を含めて仕事を終わらせてしまった人間が掃除やヒマつぶし程度の仕事をする中で、指示者も含むたった2人だけがアクセクと定時間際まで作業に追われていた。

ドライバーさんを本来業務に集中させていれば今日の仕事など余裕を持って終わらせることはできたのに、私を本来の流れから外して結局収束時間が危うくなるなどミスを通り越して大チョンボと言われても仕方がない。

日ごろ現場の采配を一手に引き受けて奮闘する姿は私自身お手本にするべきところ多しとして見てきたが、ややもすると何もかも抱え込みがちなところも無しとは言えず、ここ最近は不可解な采配も目立つ。

珍しく今日は作業上のミスも目撃したし、今週は特にナーバスな感じではあった。

 

とはいえ、休んでいる人間が現場を回せるはずもなく、動かす側は出てきている人間をうまく使う必要がある。

今日のように誤った使い方をすれば、定時に達することなどほとんどない土曜すらギリギリになる。

指示役の腹のうちは知らないが、あまりに露骨なことをするなら平日は今日どころの騒ぎではなくなり、文字通り墓穴を掘ることになると警告してエントリーを閉じることにする。


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