土曜は10年以上ぶりにコースに出てゴルフをしました。
苦労することは予想していたものの、4人いるうち自分だけが別の競技をしているようでした。
今回は親しい先輩の誘いということもあり、自分なりにやる気を持って練習もして臨みましたが、終わってみて「今後の人生にゴルフが必要なのかどうか」を悩むことになってしまいました。
たかが久々の1回くらいでと言われるかもしれませんが、今はとても前向きな気持ちにはなれないのが本音です。
私自身は10月から職場が変わって、当然ながら仕事の中身も周囲の人間も変わりました。
まだひと月も経たない段階でスンナリ慣れることは難しいと言えばそれまで、しかし日を重ねるごとに疲れが増幅しているのを感じます。
前にいた部署のようにあからさまに足を引っ張るような人間はおらず、人間どうしの関わりだけでつらくなる場面はあまりないとは思いますが、仕事そのものが自分の容量を超えているような気がしています。
一見華々しく見える経歴やTOEICの点数もあくまで遠い過去のものであり、事実今年の夏に受けたTOEICの点数は自己最高の7割程度で、仕事で英語を使うレベルからははるか遠いところまで落ちてしまいました。
現在の部署に引っ張ってもらった根拠となる能力が今の自分にはすでにないという不安の中で、周囲の期待に応えられない日々が続いているのです。
2014年は、人の縁を感じる出来事が異常なまでに多く、新しい広がりがいくつもできました。
必要とされていろいろな場所に顔を出すことができるありがたさを噛み締めつつも、今の生活リズムではいつか心身が悲鳴を上げないかという恐怖があります。
何しろ一度壊れている体、もう一度となると取り戻すにはまた年単位の時間がいります。
ゼイタクと言われるかもしれませんが、増えすぎたつながりの中で何かを捨てざるを得ない場面があるのかもしれません。
もはや能力に見合わない過大な期待を背負う現状への不安、将来に対する漠然とした恐怖、練習の成果がまったく生かされなかったゴルフの結果など、いろいろなものがアタマの中でごちゃごちゃになって、自室で一人涙するなど最近ではなかったことでした。
生きていればいい時ばかりではありません。
今はガマンして一日一日を積み重ねるしかありません。
せっかくいい流れで来ていた2014年が後味の悪い形で終わらないようにしたいものです。
苦労することは予想していたものの、4人いるうち自分だけが別の競技をしているようでした。
今回は親しい先輩の誘いということもあり、自分なりにやる気を持って練習もして臨みましたが、終わってみて「今後の人生にゴルフが必要なのかどうか」を悩むことになってしまいました。
たかが久々の1回くらいでと言われるかもしれませんが、今はとても前向きな気持ちにはなれないのが本音です。
私自身は10月から職場が変わって、当然ながら仕事の中身も周囲の人間も変わりました。
まだひと月も経たない段階でスンナリ慣れることは難しいと言えばそれまで、しかし日を重ねるごとに疲れが増幅しているのを感じます。
前にいた部署のようにあからさまに足を引っ張るような人間はおらず、人間どうしの関わりだけでつらくなる場面はあまりないとは思いますが、仕事そのものが自分の容量を超えているような気がしています。
一見華々しく見える経歴やTOEICの点数もあくまで遠い過去のものであり、事実今年の夏に受けたTOEICの点数は自己最高の7割程度で、仕事で英語を使うレベルからははるか遠いところまで落ちてしまいました。
現在の部署に引っ張ってもらった根拠となる能力が今の自分にはすでにないという不安の中で、周囲の期待に応えられない日々が続いているのです。
2014年は、人の縁を感じる出来事が異常なまでに多く、新しい広がりがいくつもできました。
必要とされていろいろな場所に顔を出すことができるありがたさを噛み締めつつも、今の生活リズムではいつか心身が悲鳴を上げないかという恐怖があります。
何しろ一度壊れている体、もう一度となると取り戻すにはまた年単位の時間がいります。
ゼイタクと言われるかもしれませんが、増えすぎたつながりの中で何かを捨てざるを得ない場面があるのかもしれません。
もはや能力に見合わない過大な期待を背負う現状への不安、将来に対する漠然とした恐怖、練習の成果がまったく生かされなかったゴルフの結果など、いろいろなものがアタマの中でごちゃごちゃになって、自室で一人涙するなど最近ではなかったことでした。
生きていればいい時ばかりではありません。
今はガマンして一日一日を積み重ねるしかありません。
せっかくいい流れで来ていた2014年が後味の悪い形で終わらないようにしたいものです。