blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

4月を振り返って

2010-04-30 22:57:00 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
先月などは書くことが見当たらず難渋したものだが、「明日」が何とか見通せる状況にようやくなった。
精神的な安定というのはやはり大きなもので、行き先が決まった下旬以降は更新の回数が増えている。

今日の午後は富山市内に出かけたが、とある用事が済んだ後に携帯を見ると、これからお世話になる会社からの着信があった。
さっそく電話をかけてみると、今回採用に関わってくれたYマネージャーではなく、現場責任者とも言うべきKさんが電話に出た。
このKさんもかつてお世話になっており、私が連休明けから参上することはすでに伝わっていたので、「またよろしくね~」と優しい言葉をかけていただいた。
その後Yマネージャーが電話を変わり、持ってくるものなどの連絡を受けた。
持ち物といっても、作業服は用意してもらえるし、後は内履きくらいのものだが、すでに空きのスニーカーがあるからそれを使えばいい。
スーツにネクタイという、しちめんどくさい格好をしなくていいことが実は非常にうれしい。

大きな節目となった4月であるが、身内はじめ周囲への「借り」がまだまだ大きい現状、これからが本当に大切だ。
この時代にむしろ伸びている企業、また周りの方を含めた職場環境や労働条件その他もろもろ、素晴らしい環境で働ける。
特に昨年経験したいくつかの「ありえない環境」のことを思えば、「行って帰って来るほど」という形容でも収まらない。
今からの環境で勤まらなかったら、本当にその次はない。
その覚悟を持って、身内はじめずっと心配をかけてきた人々に安心してもらわなくてはならない。

2010年も、はや3分の1が過ぎた。
努力むなしく無為に流れてしまった4ヶ月間を忘れられるよう、あとの3分の2は充実した時間を送りたいと思う。

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昭和の日に「天皇賞」を考える

2010-04-29 23:12:12 | 日記
本日は「昭和の日」である。
昭和天皇の誕生日ということで、私の世代では「天皇誕生日」のイメージがまだ残る。
現在の天皇誕生日はもちろん今上天皇の誕生日である12月23日に移っており、4月29日は、現在は5月4日に移った「みどりの日」を経て、2007年から現在の「昭和の日」となったので新しいといえば新しい祝日と言える。

現在の国民の祝日は、元をたどれば「皇室」にちなむものがほとんどであり、戦後にその色彩が意図的に薄められてしまったものも多いのだが、そのあたりについての詳細は浅学である私が述べる立場にはない。
然るべき研究者のご意見を参照され、それぞれの意見をお持ちいただきたい。
昭和の日から、本日は強引に「春の天皇賞」に話題を持っていく。

1957年以降、昭和天皇がご存命のうちは、春の天皇賞は曜日に関係なく4月29日に行われていた。
私が競馬に手を染めたのは平成の世に入ってからのことなので、その事実については実感はないが、今も昔も「特別中の特別」なレースであることには変わりなく、いわゆる「天皇盾」が関係者にとっての最高の名誉であることは揺るがない。

現在はGⅠも距離体系が整備され、レースの数も増え、また近年は海外の選択肢も増えたために、距離3200mで行われる春の天皇賞は残念ながらやや小粒ともいえるメンバーになることが多くなった。
とはいえ、どのGⅠも横並びにしか見えないような近年の宣伝の仕方にはやや違和感がある。
天皇賞のような長い歴史と伝統を備えた格式高い競走は、特別の予算を割いて特別バージョンの宣伝をしてほしい。

特別ということで言えば、私が競馬を始めた頃は、GⅠ競走はその日の「第10レース」に組まれていることがほとんどだった。(東京優駿と有馬記念は第9レース)
つまり、通常よりは1日あたり1レース(もしくは2レース)少なかった。
そのこと1つで、自然と「やはりGⅠあるいはGⅠデーは特別なのだ」と学習したものだ。
巨大組織であるJRAも、売り上げ減に悩む現状では1レースでも多くやりたいのは分かるのだが、せめてGⅠの日は1日11レース(もしくは10レース)にはならないものだろうか。

現下の財政事情では、春競馬たけなわの今の時期でもそれほどの大勝負ができないのはつらい。
しかし、もともと中長距離が好き、加えて古馬のレースにより興味を持つ私だから、ほんの少額でも参加をしてみたい。
今年は「ある系統の血」がカギになると踏んでいることから、すでにトンデモナイ組み合わせも頭に浮かんできているのだが・・・。

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素敵なご夫婦

2010-04-28 22:51:03 | 日記
今日は夜に実家での用事があった。
長らく仕事に恵まれずギリシャばりの財政難に陥ったことから、不本意ながら「金融支援」を依頼するという「針のムシロ」必定の用件であった。
実際に貸し手からはとてつもない責められ方をしたのでさすがに落ち込んだ。
しかし、今の立場を考えればこのような「生き恥」もやむを得ない。
悔しい気持ちはあっても飲み込むよりほかはない。
今から始まる仕事に腹をくくって取り組み、真に自立することが今日の屈辱を晴らす唯一の道である。

実家に行く前には、魚津市内にある某喫茶店を訪ねた。
最近は久しく会っていない方などに頻繁に連絡を取っているが、こちらのお店もその1つである。
いろいろとお世話になってきた方々にコンタクトを取りたくなるのも、やはり行き先が決まって先に光が見えてきたからこそである。
行き先未定のままフラフラと訪ねて行ったり連絡を取ってみたりというのはなかなかできないし、会話も続かないだろう。

その店は初老のご夫婦でやられており、ダンナさんとは過去、職安の斡旋による職業訓練(パソコン)の場で4ヶ月一緒に勉強したという縁がある。
それほど頻繁には行かないが、行くたびに温かく迎えてもらえる。
人柄も穏やかな素敵なご夫婦で、一度行くと話が尽きないので私にとっては貴重な場所だ。

私自身、北海道にいた時に心身ともに「ガス欠」となり自殺寸前という危機があった。
退職をして地元に帰ってからは、今度は職業が安定しないという辛い時期を長く過ごしてきた。
そんな暗い話も嫌がらないで親身に受け止めてもらえるのは、このご夫婦もこれまでの人生で大変な苦労をされてきたからである。
何度も苦難を乗り切って来た方独特の吹っ切れた明るさを持っていて、思わず元気が沸くような言葉さえいただける。
本当にありがたいことであるし、その明るさの何分の一かでも見習っていきたいものだ。

今のように1人で暮らしているからこそ、無理にでも外との接触はしたい。
外に出てみればいかに自分を気にかけてくれている人が多いかに気づかされる。
ささいなあいさつ1つでもいい、いろんな人と関わっていれば自分が本当に「ひとり」ではないことが分かる。

どんなに格好が悪くても、たとえ周囲に迷惑をかけても、生かされているうちは生きる。
それは「権利」ではなくて、ある意味「義務」と言っていい。
せめてもの義務を果たしてから悔いなくこの世を去る。
いずれこの世を去る1人の人間として、これだけは忘れないでいようと思う。

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節目の日

2010-04-27 22:57:15 | 日記
昨日のことになるが、午前は次にお世話になる会社に顔合わせに行った。
事実上内諾済みという中でも、やはり面談と言う場は緊張が大きい。
これをもってほぼ正式に方向が定まってほっとしている。
大型連休明け近辺から行くことになるようだが、体が資本であり健康管理と生活のリズムには気をつけたい。

面談が終わった後、かつて10年以上も前に職場でお世話になった方に連絡をとってみた。
実際に会話するのは約1年数ヶ月ぶりだったが、その方は最近仕事を辞められたという。
事情はうかがい知れないが、家庭に戻った今の生活は心底幸せとのことだった。
こちらは、その1年数ヶ月の間もずっとバタバタの先が見えない状態、今回ようやく先の見通しが立てられる状況になったので、その報告も兼ねて連絡をした。
話は尽きず、長電話という格好になってしまったが、またゆっくり顔を見て話をしてみたい。

一度自宅に戻ってスーツを脱ぎ一休みした。
夜には友人が今回の件で一席設けてくれていて、それまでは昼寝をするような時間もあったが、早めに自宅を出て富山市中心部の書店などを冷やかした。
19時前に待ち合わせをしていたが、仕事帰りの友人は少し遅れてやってきた。
半分は管理職的な立場にあるために、若い人のフォロー(尻ぬぐい?)で時間を食われたようだ。

さて、彼に任せていた店に入ると、その店の店長さんがなんと高校の同級生であった。
最近彼から「会わせたいヤツがいる」という内容をしきりに匂わされていたのだが、その店長さんがそうだったというわけだ。
私にとっては、高校を出てからまったく連絡や交流はなかったので文字通りの20数年ぶりということになった。
長らく県外にいたようだが、ほんの数ヶ月前に地元に戻ってきたということだった。

不思議なもので、他人行儀もほんの数分のこと、ほかのお客さんもハケた後は3人でこの夏の同級会やかつての思い出話ということになった。
どれだけ長い間連絡や交流がなくても、底の底ではつながっているものなのだなと感じた。
思った以上に楽しい時間となったことに感謝をしたい。

いろんな意味で新しい気持ちになることができた1日であった。

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80円の日の丸

2010-04-24 20:23:53 | 日記
昨日外出したときに、いつもながら中古屋さんを冷やかした。
それほどサイフにお金もなく見て回るだけのつもりが、なぜか80円で小さい日の丸の旗が売られていたので買ってきた。
部屋の外にも中にも飾るスペースがないので、今は特に旗のためということでなく適当な場所に差し込んである。

あまり祖国の国旗に強烈な思い入れまではないまま生きてきてしまったが、昨今の世の中の動きを見るにつけ、しだいに「日本」を意識する(させられる)ことが多くなった。
このままいつまでもノホホンと日本人であり続けられるのか、いよいよ危機的な状況に差しかかっていると言っていいからである。

過去には、今から思えばまさしく「極左・反日」イデオロギーのかたまりのようなトンデモ教師もいて、純粋な(?)高校1年生を洗脳しようと試みていた。
学校から使用を指示されていた教本をまるで無視して、自腹で買ったのかは知らないが勝手に違う本を配って1年間通してしまった。
二言目には「コクミンシュケンだよー!」と吠えることから、コクミンシュケンはしばらく学校ではモノマネのネタにまでなっていた。

コクミンシュケンなるものがいかに日本にとって危険な思想であるか知らなかったことが今さらながら恥ずかしい。
主権は国民ではなく国家にあるという当たり前の事実を認識するのに膨大な時間を費やしてしまった。

国家という言葉には、家という字が入る。
単純に個人の家に置き換えれば、お隣さんといえどもむやみに赤の他人から口出しをされたら嫌だろう。
ヘタなことを言う人間とは、時にはケンカするのも仕方がない。
国家もそれと同じように考えれば、まるで進んで他国に資するような政策を連発している現政権がいかに危険な存在かが分かるはずなのだ。

このままずっと日本人でいたいという当たり前の欲求さえ奪われる危機を目の前にして、あらためて木っ端の一個人として何ができるのか。
80円の日の丸をしげしげと眺めて考えるのも無駄なことではないのだろう。

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身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

2010-04-21 22:34:53 | 日記
寝坊グセが付いてしまったわが身を叩き起こし、今日は会社を2つ回った。
昨日付けで書いたように、観光方面への思いを捨て、昨日紹介を受けた、まったく違う業種の会社に行った。

結果から言えば、2つ目に行った先で「ほぼ決定」の方向が出た。
形式上は1年更新の契約社員だが、過去の経歴も評価していただき、長く活躍してほしいということまで言っていただいた。
本当にありがたいことだし、自身の今後のメドもようやく付いてホッとしている。

実は、今は亡き「グッドウィル」の派遣スタッフという身で暮らしていた頃、この会社さんの現場で数ヶ月お世話になっていたことがある。
現場と言うからには、力仕事も多々あって、時には息があがってしまうような作業もある。
そんな中でも、少しずつ仕事を覚え、また周りも現場系にしては品のいい方々ばかりで大変働きやすかった記憶がある。
現場のトップの方にも信頼していただき、派遣会社のほうには常に「ご指名」で申し込んでくれていたようだ。

あれから3年ほど経って、私もずいぶんあれこれ遠回りをしてきたが、今ここに来てかつての信頼がまだ消えていなかったことは奇跡的ですらある。
わずかな期間であっても、目の前のことをキチンとやっていれば必ず見てくれている人がいるということが改めて実感できた。
本当に最後のチャンスと思って、恩返ししていきたい。

何とか旅行業の資格を生かせる方向にと思い観光方面にこだわって、業の立ち上げなどの貴重な経験もできた。
しかし、観光は結局お客さん商売であり、かつセールスの能力もどうしても必要だ。
この部分は私はやはり不向きだから、あきらめ時が来たということでいいのだろうと思う。

旅行は大好きだが、それを仕事とすることをあきらめた先に幸運があった。
今日の題名はコトワザの1つらしいが、そういう意味を込めたつもりである。

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切り替えて

2010-04-20 22:54:54 | 日記
昨日の苦い思いはあるものの、私に仕事が必要である現実は変わらない。
今日の日中も職安に足を運んだ。

私はいつもハローワーク富山の「本所」ではなく「別館」のほうに行っている。
本所は尋常でない混雑ぶりであるが、別館は時間帯にもよるが仕事検索のPCも相談窓口も「待ち」はないに等しい。
本所との違いといえば、紹介状がオンラインで出ず「手書き」になることくらいだ。
不本意ながら別館の常連である私は、職員さんが挨拶までしてくれるようになっている。
男女2名ずつの職員さんは、お世辞ではなく本当に親身に話を聞いてくれる。

私は男性のMさんの所に相談しに行く。
ここのところ立て続けに相談しているのでMさんにも顔が割れている。
魚津漁協との件は朝方に連絡があったらしいが、昨日付けの記事の経緯をかいつまんで話した。
Mさんは「そうですか・・・」と言ってしばし絶句されていたが、単なるグチを受け止めてもらっただけでずいぶん楽になれた。

グチは早々に切り上げ、気分を切り替えて今日も2件相談してみた。
これを書いている時点で2件とも早々に手続きが進みそうなのはありがたい。
履歴書を仕上げて心の準備をしよう。

今回相談した仕事は大まかに言って「作業系」である。
過去の本欄でも、私の性格がお客さん商売に向かないことは何回か書いてきている。
しかしいざ探すとなると、特に観光方面への「未練」がなかなか断ち切れなかった。
資格があるから面接にはたどり着くが、心の奥底にある不安がやはり先方にも伝わってしまって結局は失敗する。

バリバリの文系である私の経歴だけ見れば「作業系はもったいない」と言ってくれる方もいるかもしれない。
しかし、私自身にお客さんという摩訶不思議な人種に対応できる能力がないのだから仕方がない。
方向性として、ひたすら地道にコツコツとできる仕事、欲を言えばあまり他人とベラベラ話さなくても済む仕事のほうが、長続きということを考えれば賢明というのが今の思いだ。

1つ大きな決断をしたのだから、あとは早くいいご縁をいただけるように努力する。
明日にはもう面接が1件控えている。

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不信をバネに!

2010-04-19 23:53:56 | 日記
今日の夕方、先週の今日に面接に行った「魚津漁業協同組合」から連絡があった。
単なる合否の連絡かと思ったら、条件付きでの採用という何とも怪しいものだった。
担当者が言うには、私の顔色が赤黒く見えるために何か身体的な病気を抱えているのではないかと思っており、健康診断でも受けてもらって異常がなければ採用ということだった。
ちょうど1週間前のやり取りでは、顔色について私は「地黒です。よく言われます」と答えていて、それ以上の質問はなかった。
今になってそんなことが問題になるのはなぜか、少し失礼な話にも思えるが、と問うてみると、過去に健康状態を偽って入り、その後虚偽が判明したため解雇した人間がいるから、との説明だった。

これだけのことなら、この厳しいご時世、異常さえなければ職にあり付けるのだからさっさと診断を受けてしまえばいいではないかという論は成り立つ。
私自身なかなか長期の職に就けず、まともな健康診断というといつ以来だか分からなくなっているから、多少の心情的なモヤモヤは排してもこの際受けておく機会にしておけばとも考えた。

しかし、私は結局、魚津漁業協同組合にはお世話にならないことにした。
ここまでの過程での先方の対応について、すでに私の中では不信感が芽生えていたからである。

職安で先方が「求人を急いでいる」ことを聞いた当方は、郵送でもよかったのだが履歴書を4月1日に富山市からわざわざ持参した。
しかし、急いでいると言いながら、次の連絡が来たのは4月10日でしかも郵便であった。
郵便には、12日に面接ということで書いてあって、応募者多数のために連絡が遅れたことを詫びる文言が一行だけあった。
ここまでならまだあり得ないことでもない。

さて、12日に面接が終わり14日に結果を伝えるということだったが、その14日には「17日まで待ってもらえないか」との連絡があった。
何だろうと思いつつ17日まで待ってみたら、今度はその日のうちには何も連絡が来なかった。
いや、実際は私のケイタイに1度だけ着信があったのだが運転中で出られず、クルマを止めて数分後にかけ直したら今度は先方が出ない。
時間を置いて何度もかけたが、やっぱり誰も出なかった。
先方からかかってくるかもと待ってもみたが、結局かかっても来なかった。
その日は実家方面にいたので、もしかして自宅の固定電話に留守電でも入っていないかと思ってあせって自宅に帰ったが固定電話にも何も入っていなかった。
ちなみに、私のケイタイと自宅の固定電話どちらにも留守電機能がちゃんと付いている。
本当に17日のうちに何かを伝えようと思えばいくらでもできたはずであるし、いざとなれば担当者が自分のケイタイ番号でも留守電に入れておけばいくらでも連絡はついたのだ。

そこまでの伏線があって、ようやく今日になって連絡があり、しかもその内容が「あなた本当は病気じゃないのか?」という話だから、おいそれと「ハイ、分かりました」といくわけがない。
早く仕事がしたいのはヤマヤマだが、今回は「せっかくだから」とか「もったいない」という気持ちにすらなることができなかった。

もともとの生まれ故郷に住む方と電話で言い争い、大きな禍根を残すことになったのは残念だ。
しかし、私自身が信じられないと感じた場所で無理やり働いても長続きはしない。
今回の自分の判断には全く悔いはない。
またさっそく明日から前を向いて動くのみである。

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日米首脳「会話」その他

2010-04-18 20:50:14 | 日記
いつもは見ないNTV系の「バンキシャ!」を見ていたら、先日の鳩山首相と米国オバマ大統領との10分間のやり取りは、現地アメリカでは「会談」ではなく「会話」という扱いだそうである。
重要な順番に、Meeting(会談)→Discussion(議論)→Talk(会話)ということだが、Talkで終わってしまったのは実質鳩山首相ただ一人だったらしい。
新聞には「Loopy」(頭がちょっと×××くらいの意味)などとも書かれて、日本人なら「失礼な!」とも言いたくなるが、残念ながら今回は「そう言われても無理もない」としか思えないのが悲しい。
混乱の原因は間違いなく日本側にあるからである。

政治の世界では新党その他の動きが急だ。
様々な動きに対し、様々な報道が出る。
少なくとも私が応援できるのは、簡単に言えば「日本が好き」な政党だ。
どうも日本が嫌いな人が多いように思われる現政権では、今後どこの首脳とオハナシしても「会話」で終わらされてしまうだろう。

その他、週末のあれこれをツラツラと。

阪神タイガースの金本選手の「連続フルイニング出場」が1,492試合で止まった。
03年にFA移籍してきて、チームの雰囲気を変え、03年、05年の優勝に貢献した最大の功労者だ。
そのことはまず大前提としたいが、チームの柱としての存在感が強大すぎたことがある種の「タブー」を生んだとは言えないか。
今日の試合では代打で出て「連続試合出場」は継続したものの、これに関しては衣笠祥雄選手の「2,215試合」まではあまりに遠い。
ずいぶん前から満身創痍を押して出続けてきたはずで、シーズン中とはいえここは思い切って体のケアに専念する方向にはならないものだろうか。

競馬の皐月賞が行われて、1番人気のヴィクトワールピサが快勝した。
岩田騎手はスタートであまり前に行かず、馬群の内にもぐって道中少しずつ少しずつポジションを上げていった。
直線に向いても外には行かず、わずかな内のスペースをすり抜けるように出てきた。
クラシックの1番人気馬で、前が詰まる危険もある中でなかなかあの進路は選択できない。
前哨戦である弥生賞で武豊騎手も内々でタメて乗って結果を出したが、今回は13番枠からわざわざ内に行ったから余計に驚いた。
岩田騎手も含めて、超の付く一流騎手は「思い切り」のレベルが違うことをあらためて思い知った。

週末は実家に顔を出して少しリフレッシュした。
つらい状況は相変わらずだが、誰かに何かを話すだけで幾分かは気が楽になる。
毎日というわけにもいかないが、心にいろいろたまってきたらガマンせずに外に出そう。
まったくの「ひとりぼっち」など絶対にありえないのだから。

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ある優良企業の実態

2010-04-14 23:38:35 | 日記
もう昨年の春の話になるが、某有名企業の営業スタッフとして参加することになった。
富山市の中心にあり、名前を聞いて知らない人はまずおらず、事業内容や株主構成から見て「つぶれようがない」会社だ。
しかし、そんな優良企業が、ブラック企業よろしく「求人誌の常連」になっていることはあまり知られていない。

ちょうどその頃、新規顧客の伸び悩みから、新たに戸別訪問中心の営業部隊を結成することになっていて、私はその一員としていったん縁をもらった。
すでに部隊のボスたる人物は決まっていて、兵隊は派遣会社から4人寄せ集めてのスタートであった。

せっかくの機会であったから意欲を持って臨んだのだが、ボスのほうが「超」が3つくらい付きそうな体育会系の人物で、人の意見はまったく聞かないタイプであった。
日常の仕事は、じゅうたん爆撃の如くの「飛び込み」「竹槍」スタイルで、間もなくこれはボスの前職(悪名高き某不動産会社D)での手法をそのまま踏襲したものと分かった。
それだけなら「ダメもと」でガンガン訪問すればいいだけの話だが、とにかく「監視」のためにしょっちゅうテリトリーにやってくるので、兵隊としてはうっとうしくてしょうがなかった。
ちなみにD社の営業マンはGPSケイタイを持たされて常時居場所を把握されながら働いているという。
ボス自身は環境が変わったのに、「見張ってでも働かせる」という前勤務先の手法をそのまま持ち込んでやっているわけである。

そんな環境で、私自身は程なく精神的に消耗してしまい、やむなく縁を切ることになったが、本心から「ずっといなくてよかった」と思う。
その後の仕事探しで求人誌や職安をチェックすることが多くなったが、この営業部隊の求人は、私が去ってから1年以上も経った今でもほぼ途切れることがない。
最初はAという派遣会社が単独で関わっていたようだが、最近ではMPとかSSあたりの派遣会社にまで広告が出ているから「よほど定着率が悪い」のだと思う。
ごく最近職安にも求人票を出して応募が殺到しているというが、言えるものなら「やめとけ!」と言ってあげたい。

直接的には、今も居座っているKというボスの「ムチャクチャさ」が影響しているとは思うが、間接的には、戸別訪問営業というシンドイ仕事に「生え抜きの人間を絶対に使おうとしない」この企業の姿勢にも問題があると言わざるを得ない。
1年間も求人広告が途切れないくらいだから、私も含めて何人入れ替わったか数え切れないくらいではないかと思うが、何人入れ替わっても「どうせ派遣の人間だから」くらいにしか思っていないのだろう。
本来は、ボスKの上司である「大ボス」S氏あたりが歯止めを利かせなくてはいけないはずだが、Kの「やりたい放題」が現状ということだろう。

真性体育会系の害毒は、県を代表する優良企業にも及んでいる。
商品内容にそぐわない強引な営業スタイルが表立って批判の対象になるのも時間の問題かもしれない。
もしそうなれば、この優良企業はトカゲのシッポ的にKを切ることになるのだろう。
私がいた頃から自らの保身にご執心だったKの断末魔の叫びを聞いてみたいものだ。

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