注目の米国大統領選挙はトランプ氏の圧勝に終わった。
我が国の報道を見れば接戦かハリス氏有利との言説ばかりで、選挙が終わった今となっては各局こぞって見苦しいばかりの言い訳・負け惜しみ大会となっており、米国本国同様に我が国のメディアも「青組」(民主党寄り)であったことが一般レベルでとうとうバレてしまった。
当たり障りのない話題はともかくも、今後はメディアの言うことをそのまま受け取る愚というものが周知されていくだろうし、米国国民が今回はメディアに騙されなかったという意味でまさしく画期的なことではあったろう。
勝敗ということで言えばトランプ氏の強さというよりはハリス氏が弱すぎたことも大きく作用したものと思う。
現職の副大統領として、大統領であるバイデン氏が早い時期から何かとおぼつかない状態(かなり言葉を選んでおります)となって存在感を示す時間はたっぷりとあったはずが、それを実現させる能力や知性が根本的に足らなかったということに尽きる。
前大統領として4年間の実務経験に加えカリスマ性もあるトランプ氏とは格の違いがあったと言わざるを得ない。
格という字を使った言葉には格式だとか合格だとか性格だとかいろいろある。
格式などと言うと由緒正しい家柄にでも生まれなければ備わらないようにも思えるが、エエトコの子に生まれなくても「品格」くらいは持ち合わせることはできるだろう。
さほど裕福ではなくとも、言うほどの地位や名誉に浴していなくとも、日々の心持ちを清く保ち、時にはつらい経験ですら力に変えていくような生き方をしていれば自ずと品格はにじみ出てくるものである。
本人があえて言葉にはしなくとも、品格もしくは気品のたぐいは当然他人にも分かる。
卑しい品格しかない者は気品ある者を勝手に憎み始めその人を攻撃するかひたすら無視するしかなくなって余計に卑しくなるばかりである。
いかに財産を人さまよりひと桁ふた桁多く持っていようと、本人の口から「世の中カネよ」などという言葉が出てしまう向きは、品格などカケラもないただの俗物と言わざるを得ずマトモに相手をするべき対象ではない。
我が社のようなごくごく小さな環境にあっても人によっての品格の差は歴然としてある。
品格のない者はとにかく何をやらせてもダメか全く大したことがないばかりか、本人には自信もないのでやたらに他人にマウントを取ろうとすることでしか存在を示すことができない。
人生の中で品格を磨く訓練を全くしていないからそうなるので、何十年生きてこようと努力してこなかったのだから身についているわけがない。
ただただその日その日を食べたいだけ食べ遊びたいだけ遊び飲みたいだけ飲んで寝たいだけ寝てと、ひたすら怠惰に生きてしまえば品など備わるはずはない。
たとえ下品な話題でも言葉づかいひとつで上品とまではいかなくてもクスッと笑ってもらえる話くらいにはできる。
品のない人間はいわゆるオブラートに包むということができないので下品な話はそのままド直球の下品な話になる。
オブラートに包める包めないは語彙力の問題であって、言葉の選択肢が乏しい者にいくらそれを言ってもムダであるから、要は人生でいかに学んだかが品性に直結すると結論づけていいのだと思う。