毎月最終日はその月を振り返る。
10月はまだあと一日あるが、週明けが極端に物量が多く、たぶん仕事から帰ったら早々に寝てしまうので振り返りは今日にすることにした。
最近はあまり私的なことを書いていない。
10月になれば少し標高の高い場所では紅葉が盛りとなっていて、今後徐々に平地に下りてくる。
ここ二週の週末は天気にも恵まれ、職場のベテランさんにもすすめられてまだ行ったことがなかった場所にも出向いて楽しんできた。
携帯の電波すら届かない場所に行って、しばし憂き世のあれやこれやを忘れるのは大切なことだ。
10月はまた、ここのところ再度流行り出したと言われるレコードやカセットなどのアナログメディアを聴けるように自室に機器の導入もした。
最近のCDラジオタイプの機器はコンパクトで置き場所に困らない代わりに低音のパワーに欠ける。
音響機器はやはり機器そのものに奥行きがないとダメだ。
かといって高級な機器というわけでもなく製造は21世紀初期のものだから驚くほど安く手に入れられたというわけである。
さて、10月のわが現場は物量もすっかり落ち着き、夏場のように追われるように仕事をする場面はなくなっている。
出るものが少なくなれば当然入るものが増え、これから冬を越すまでは置き場所の確保に悩み続けることになる。
どんな計画になっているかは知る由もないが、現状の在庫が読めているのかと思うような入り方をされると横の連絡の悪さを疑わざるを得ない。
10月は横だけでなく縦の関係性が怪しいと思われる事案にも出会った。
月の真ん中に判明したミスの報告が部署のトップに行くまでに一週間、その報告からあらためての事情聴取に動くまでにさらに一週間を要した。
何をもってミスと定義するかは会社によって違うとは思うしそこは変えようがないといっても、その定義そのものがいわゆる「常識」からずれていないかどうかは実際に運用する人間が考えなくてはならない。
何らかの原因で特定のある日に客先にあるべきものが現場から見つかったら通常はミスであるが、今の現場では顧客や社内の営業さんがクレームを入れてきたもののみをミスとカウントしているようだ。
すなわち、客観的に見て届くべきものが届いていなくても、オオゴトにさえならなければミスにはカウントしないというのである。
だから、10月中に運搬中に誤って現場に転げ落ち会社の敷地から出るべきものが出なかったケースはお客さんが怒らなかったということでもってミスにはカウントせず、ミスゼロ連続日数という数字が何事もなかったかのように伸びていったのである。
会社や学校など組織というものにはそれぞれ独特のルールがあるし、ルールそのものには一定の意味があるとは思う。
ただ、ルールそのものを自らを甘やかす手段に用いれば、外部から多くの人材を作業者として頼る環境では当然のように疑問が出る。
外からやってくる人間はただただ怠惰に生きてきたのでは決してなく、それぞれにいろんな経験をしている。
その経験を基にして出てくる疑問を、ウチでは・・・などと言って何が何でも正当化しようとすれば事態はたちまちこじれる。
外部から来る人間は日頃利用するだけ利用して、ひとつミスでも犯せば腕組みをして仁王立ちという場面は何回も見るのに、自分たちのミスは認めることもしないしどうかすれば隠そうとする。
そういう姿を見せられると、日頃指示に従って動いている立場からして信用しろという方が無理である。
決してすべてとは思わないが、残念ながら自らの乏しい実力や貢献度を棚上げして、ただただ「社員かそうでないか」で物事を考える人間がいるということであろう。
それは会社としての教育か一部の人間の意識だけのことかは分からない。
外部の人間には厳しく社員どうしは傷を舐めあう体質があるとすれば問題だし、そうだとすればそれは立派な差別であって、社員とそれ以外の壁は作らないという日頃の掛け声は全くのウソということである。
私も今の環境に来て間もなく一年になろうとしている。
率直に「会社まるごとがダメダメ」という感覚は全くなく、管理職の中でも現場に近い方の人間が上の指示を都合よく捻じ曲げて運用しているように思う。
外部の人間に直接指示を出す人間の思想が差別的であることが、この一年、特に春先からここまでの半年間のバタバタぶりで説明できてしまう。
仕事に行き詰まれば、今いる人間の誰でもいいから知恵を借りて乗り切らなくてはいけないのに、外部の人間には決して頭は下げられない。
乏しい能力をいくら結集しても乏しい結果しか生まれないことは分かってはいても、つまらないプライドが邪魔をして自分たちで自分たちの首を絞めてしまっている。
こんな状況は短い時間では解決しない。
11月の振り返りも同じようなことを書くことになるのか。
あるいは月末の到来を待たずして、彼らが自分たちで重ねたウソの重みにつぶされるのか。
11月は私の誕生月でもあるが、何か面白いことが起こりそうな予感がするのである。
10月はまだあと一日あるが、週明けが極端に物量が多く、たぶん仕事から帰ったら早々に寝てしまうので振り返りは今日にすることにした。
最近はあまり私的なことを書いていない。
10月になれば少し標高の高い場所では紅葉が盛りとなっていて、今後徐々に平地に下りてくる。
ここ二週の週末は天気にも恵まれ、職場のベテランさんにもすすめられてまだ行ったことがなかった場所にも出向いて楽しんできた。
携帯の電波すら届かない場所に行って、しばし憂き世のあれやこれやを忘れるのは大切なことだ。
10月はまた、ここのところ再度流行り出したと言われるレコードやカセットなどのアナログメディアを聴けるように自室に機器の導入もした。
最近のCDラジオタイプの機器はコンパクトで置き場所に困らない代わりに低音のパワーに欠ける。
音響機器はやはり機器そのものに奥行きがないとダメだ。
かといって高級な機器というわけでもなく製造は21世紀初期のものだから驚くほど安く手に入れられたというわけである。
さて、10月のわが現場は物量もすっかり落ち着き、夏場のように追われるように仕事をする場面はなくなっている。
出るものが少なくなれば当然入るものが増え、これから冬を越すまでは置き場所の確保に悩み続けることになる。
どんな計画になっているかは知る由もないが、現状の在庫が読めているのかと思うような入り方をされると横の連絡の悪さを疑わざるを得ない。
10月は横だけでなく縦の関係性が怪しいと思われる事案にも出会った。
月の真ん中に判明したミスの報告が部署のトップに行くまでに一週間、その報告からあらためての事情聴取に動くまでにさらに一週間を要した。
何をもってミスと定義するかは会社によって違うとは思うしそこは変えようがないといっても、その定義そのものがいわゆる「常識」からずれていないかどうかは実際に運用する人間が考えなくてはならない。
何らかの原因で特定のある日に客先にあるべきものが現場から見つかったら通常はミスであるが、今の現場では顧客や社内の営業さんがクレームを入れてきたもののみをミスとカウントしているようだ。
すなわち、客観的に見て届くべきものが届いていなくても、オオゴトにさえならなければミスにはカウントしないというのである。
だから、10月中に運搬中に誤って現場に転げ落ち会社の敷地から出るべきものが出なかったケースはお客さんが怒らなかったということでもってミスにはカウントせず、ミスゼロ連続日数という数字が何事もなかったかのように伸びていったのである。
会社や学校など組織というものにはそれぞれ独特のルールがあるし、ルールそのものには一定の意味があるとは思う。
ただ、ルールそのものを自らを甘やかす手段に用いれば、外部から多くの人材を作業者として頼る環境では当然のように疑問が出る。
外からやってくる人間はただただ怠惰に生きてきたのでは決してなく、それぞれにいろんな経験をしている。
その経験を基にして出てくる疑問を、ウチでは・・・などと言って何が何でも正当化しようとすれば事態はたちまちこじれる。
外部から来る人間は日頃利用するだけ利用して、ひとつミスでも犯せば腕組みをして仁王立ちという場面は何回も見るのに、自分たちのミスは認めることもしないしどうかすれば隠そうとする。
そういう姿を見せられると、日頃指示に従って動いている立場からして信用しろという方が無理である。
決してすべてとは思わないが、残念ながら自らの乏しい実力や貢献度を棚上げして、ただただ「社員かそうでないか」で物事を考える人間がいるということであろう。
それは会社としての教育か一部の人間の意識だけのことかは分からない。
外部の人間には厳しく社員どうしは傷を舐めあう体質があるとすれば問題だし、そうだとすればそれは立派な差別であって、社員とそれ以外の壁は作らないという日頃の掛け声は全くのウソということである。
私も今の環境に来て間もなく一年になろうとしている。
率直に「会社まるごとがダメダメ」という感覚は全くなく、管理職の中でも現場に近い方の人間が上の指示を都合よく捻じ曲げて運用しているように思う。
外部の人間に直接指示を出す人間の思想が差別的であることが、この一年、特に春先からここまでの半年間のバタバタぶりで説明できてしまう。
仕事に行き詰まれば、今いる人間の誰でもいいから知恵を借りて乗り切らなくてはいけないのに、外部の人間には決して頭は下げられない。
乏しい能力をいくら結集しても乏しい結果しか生まれないことは分かってはいても、つまらないプライドが邪魔をして自分たちで自分たちの首を絞めてしまっている。
こんな状況は短い時間では解決しない。
11月の振り返りも同じようなことを書くことになるのか。
あるいは月末の到来を待たずして、彼らが自分たちで重ねたウソの重みにつぶされるのか。
11月は私の誕生月でもあるが、何か面白いことが起こりそうな予感がするのである。