見出しの写真は昨日夜の某所の空に出ていた月である。
肉眼だと月だとハッキリ分かるが、スマホのカメラでは何が写っているのか分からないということになった。
さて、前の休日を利用して、長年使ってきたMac miniとiPhone6sを売りに出してきた。
近々出てくるであろうiOS15のサポートはiPhone7以降ということになったためか、6sの査定はほんのしばらくだけ持っていた初代SEの売却時よりも低かった。
しかし、たかだか2012年後期のMac miniが思わぬ高評価となり、全体としてはニンマリということになった。
当時わざわざPCをAppleにした理由は、ことPCに関してはAppleのシェアは圧倒的に低くウイルスの標的にされにくいということと、OSの更新にお金がかからないということであった。
時を経て、Windowsで数年一度の行事となっていたサポート切れによる半強制的な買い替えキャンペーンは、マイクロソフトとウイルス対策ソフトを作る会社とのいわば共作ということが分かり、この点ではAppleが大変良心的な商売をしていたことになるので、手放した今もそのことには感謝している。
さすがにOSの進化にハードが追い付かなくなり、いわゆるクルクル状態が頻発するようになったため、PC需要を簡便なAndroidタブレットに移行すると決めた時点で手放すことは決定したのである。
ほんの少し財布がふくらんだので、その中からほんの一部を使って、今年最初の競馬のG1レースである「川崎記念」に参加することにした。
中央競馬しかやらない人にとっては、年の最初のG1はフェブラリーステークスということになるが、地方競馬にも相当の思い入れがある筆者にとっては川崎記念は見過ごすことはできない。
◎は①カジノフォンテン(船橋)に打ち、○は実績上位の⑧オメガパフューム(JRA)として予想を組み立てたが、逃げてレースを引っ張った①が後ろに何もさせない絶妙なペース配分で堂々逃げ切り、左回りと小回りに不安があった⑧は2着がいっぱいという結果、馬連と馬単を的中させることができた。
JRA勢が圧倒的に強い中で、地方所属馬の優勝はかつて中央馬と互角に戦いG1を6勝したフリオーソ(船橋)以来10年ぶりというのも、地方馬びいきの筆者にとってはうれしいことであった。
店舗という場所で仕事をしていると、自らは一言も言葉を発せずともすべて自分の思い通りに事が運ぶと勘違いしている人の何と多いことか。
直前の勤務では、レジがいったん済んでからレジ袋を要求されたことが2回あった。
店員は両手に缶コーヒー2つくらいではレジ袋がいるかいらないかはわざわざ聞かない。
小さな袋でもほしいと思うなら言えばよいのだが、聞かれなかったから、とでも言わんばかりの体で「あれ?袋は?」などとはどれだけ他人任せの態度なのかと思う。
数ある生物の中で人間にしか与えられていない言葉というものを全く使わないで、自分の意思をしかもアカの他人である店員に伝えようなどというのは本来神業に近いことであって、店員をAIロボットか何かと同じように考えてもらっては困る。
業種を問わず、全てに至れり尽くせりの日本流は他国から見れば驚きでもあろうが、残念ながらそれが日本人から思考力という大切な能力を奪い、受け身な人間ばかりを大量生産する原因になっていることにいい加減社会は気づくべきである。
メディアの言うままを信じこんでさして強毒でもないウイルスに恐怖し、自らは厳重にマスクをして、時には他人に忠告までたれる人間が増えたのはその証だ。
戦後、娯楽にどっぷりと浸からされて、日本人は骨抜きになった。
平成以降の30数年で便利なものやお店が増えるにつれて、いわゆるマナーの類いも落ちるところまで落ちた感がある。
直近の一年だけ見れば、何かと行動を制限されて閉塞感が漂う世の中で、店舗のような比較的自由に振る舞えるスペースに日頃の鬱憤のハケ口を求める人間が多くなっている。
一昨年までの、本当に自由な世の中がいかにありがたく、またボヤボヤしているといつの間にか何もかも奪われるかもしれないという状況に我が国は早く目覚めないといけないのだと思う。
肉眼だと月だとハッキリ分かるが、スマホのカメラでは何が写っているのか分からないということになった。
さて、前の休日を利用して、長年使ってきたMac miniとiPhone6sを売りに出してきた。
近々出てくるであろうiOS15のサポートはiPhone7以降ということになったためか、6sの査定はほんのしばらくだけ持っていた初代SEの売却時よりも低かった。
しかし、たかだか2012年後期のMac miniが思わぬ高評価となり、全体としてはニンマリということになった。
当時わざわざPCをAppleにした理由は、ことPCに関してはAppleのシェアは圧倒的に低くウイルスの標的にされにくいということと、OSの更新にお金がかからないということであった。
時を経て、Windowsで数年一度の行事となっていたサポート切れによる半強制的な買い替えキャンペーンは、マイクロソフトとウイルス対策ソフトを作る会社とのいわば共作ということが分かり、この点ではAppleが大変良心的な商売をしていたことになるので、手放した今もそのことには感謝している。
さすがにOSの進化にハードが追い付かなくなり、いわゆるクルクル状態が頻発するようになったため、PC需要を簡便なAndroidタブレットに移行すると決めた時点で手放すことは決定したのである。
ほんの少し財布がふくらんだので、その中からほんの一部を使って、今年最初の競馬のG1レースである「川崎記念」に参加することにした。
中央競馬しかやらない人にとっては、年の最初のG1はフェブラリーステークスということになるが、地方競馬にも相当の思い入れがある筆者にとっては川崎記念は見過ごすことはできない。
◎は①カジノフォンテン(船橋)に打ち、○は実績上位の⑧オメガパフューム(JRA)として予想を組み立てたが、逃げてレースを引っ張った①が後ろに何もさせない絶妙なペース配分で堂々逃げ切り、左回りと小回りに不安があった⑧は2着がいっぱいという結果、馬連と馬単を的中させることができた。
JRA勢が圧倒的に強い中で、地方所属馬の優勝はかつて中央馬と互角に戦いG1を6勝したフリオーソ(船橋)以来10年ぶりというのも、地方馬びいきの筆者にとってはうれしいことであった。
店舗という場所で仕事をしていると、自らは一言も言葉を発せずともすべて自分の思い通りに事が運ぶと勘違いしている人の何と多いことか。
直前の勤務では、レジがいったん済んでからレジ袋を要求されたことが2回あった。
店員は両手に缶コーヒー2つくらいではレジ袋がいるかいらないかはわざわざ聞かない。
小さな袋でもほしいと思うなら言えばよいのだが、聞かれなかったから、とでも言わんばかりの体で「あれ?袋は?」などとはどれだけ他人任せの態度なのかと思う。
数ある生物の中で人間にしか与えられていない言葉というものを全く使わないで、自分の意思をしかもアカの他人である店員に伝えようなどというのは本来神業に近いことであって、店員をAIロボットか何かと同じように考えてもらっては困る。
業種を問わず、全てに至れり尽くせりの日本流は他国から見れば驚きでもあろうが、残念ながらそれが日本人から思考力という大切な能力を奪い、受け身な人間ばかりを大量生産する原因になっていることにいい加減社会は気づくべきである。
メディアの言うままを信じこんでさして強毒でもないウイルスに恐怖し、自らは厳重にマスクをして、時には他人に忠告までたれる人間が増えたのはその証だ。
戦後、娯楽にどっぷりと浸からされて、日本人は骨抜きになった。
平成以降の30数年で便利なものやお店が増えるにつれて、いわゆるマナーの類いも落ちるところまで落ちた感がある。
直近の一年だけ見れば、何かと行動を制限されて閉塞感が漂う世の中で、店舗のような比較的自由に振る舞えるスペースに日頃の鬱憤のハケ口を求める人間が多くなっている。
一昨年までの、本当に自由な世の中がいかにありがたく、またボヤボヤしているといつの間にか何もかも奪われるかもしれないという状況に我が国は早く目覚めないといけないのだと思う。