blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

動けなかった

2024-11-24 20:03:33 | 休日

前回の更新から2週間近くが経った。

この間特に何をしたとは言えない。

会社には連絡の電話一本きりで顔を出していない。

かと言って遊びほうけていたわけでもない。

この2週間は文字通り動ける体調になかった、これに尽きる。

 

昨年夏、まだ猛暑のさなかに縁をいただいて働き始めた会社、新入りには苛烈な環境ではあったが何とか踏ん張りつつ作業のスキルも少しずつ向上させていくことができた。

今年の夏前には小さなエリアながら自分の担当をもらって、特に大きな間違いもなくやってこれた。

担当替え以降は自分のアタマで考えて段取りしながら日々を送ることができて充実感もあった。

しかしその仕事はある日突然目の前からなくなって、それまでの意欲や少しはあった会社への思い入れは消し飛んだ。

あったはずの心のガソリンはあえなく底をつき、食事や睡眠その他もろもろ当たり前の日常サイクルまでが狂うことになった。

 

今はこうしてPCに何とか向かうことができるまでになったが万全とは言い難い。

会社のある意味岐路というタイミングでこの現状は口惜しいとしか言えないが、仕事で貢献できるメドが立たない状態では続けたくても続けられないことは会社には伝えてある。

優先すべきは自分自身の健康であり我が身を削ってまで何かに尽くす必要はない。

徹底的に休むことに注力した結果、幸いにして今は短い時間であれば外にも出られるようになった。

少しずつでも良くなっていけば次への意欲も自然とわいてくる。

 

次に関してはまだ何も決まっていないし決められる状態にもないから何とも言えない。

ただ、いくら仕事内容が肌に合っても周囲があまりにも「自分とはかけ離れた世界」である危険を感じればそこは考えざるを得ないし、実際今の会社ではそこがいちばんの悩みのタネだった。

多様性だなんだとヤカマシイ世の中ではあるが、どうしても共存が難しい場合は互いに離れざるを得ない場合があるのも残念ながら現実である。

うまくいかなかった場所は誰のせいでもなく「自分が場所選びを間違えたから」と受け止め、今後は決して同じ轍を踏まないようにしたいものだ。


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レベル〇〇

2024-11-02 21:17:32 | 休日

本欄は主にPCで更新している。

フリック入力にはずいぶん慣れたが長文を打つには間違いが多すぎて時間がかかるのでスマホではほとんど更新しない。

数年前までガラケー的にタップ連打で入力していたころに比べると少しは進歩した。

 

PCを立ち上げてEdgeを起動すればマイクロソフト(MS)のポータルサイトMSNが出る設定にしてあるが、先頃終わったMLBのワールドシリーズ(WS)のスタッツを見てみた。

選手名がアルファベット表記になっていて、一般にテレビなどで流れる名前とは違って「本名」で記されている。

WSでMVPに輝いたフリーマン選手なら「Freddie Freeman」が「Frederick Freeman」である。

打順は下位ながら安定した働きをしてきたキケ(Kike)・ヘルナンデス選手になると「E.Hernandez」と出るからアレッ?と思うのだが、本名は「Enrique Hernandez」だと知れば納得というわけである。

 

さて、本日は私の誕生日である。

近年はスマホなどのゲームになぞらえて「今日でレベル(Lv.)〇〇になりました」という言い方が多くなった。

このレベルは一年ごとに確実に上がっていくもので避けることはできないし、それに反比例してビジュアルやフィジカルが衰えるのもまた避けられない。

外見や体力が落ちていくのは仕方ないが、せっかく年齢を重ねるからには内面のレベルくらいはせめて上げたい。

幼少の頃にイメージしていた50代と比較して今の自分の姿は本当に幼いと言わざるを得ないが、それ以上に幼かった若い自分と比較すれば多少はマシになった部分もあるだろう。

 

人生も長くなればどんな中身であれイヤでも経験は多くなり、経験から学んだことが今の行動に現れてくる。

楽しいことつらいこと、突然の悲しみや人間社会の醜さ、その他もろもろひっくるめて今の私があり、まだまだ足りないところだらけとはいっても日々少しずつでもマシになっていけたらいい。

50代当初には様々な要因から先をあきらめかけたことさえあったが、今ここまで生きてきてやはり年齢は「重ねるもの」であり、生きろと神様に言われている限りは生きるべきだとの思いを強くしている。

日々少しずつでも進歩して昨日の自分を超えていくことができるならいうことはない。

この世を去る時に「もっと思うように生きればよかった」と言う人も多いと聞くが、日々昨日よりよい自分でいられたならこの世を去る瞬間が最高の自分であるはずだから何も悔いる必要はない。

 

中身を若く保とうと思えば、好奇心や新しい知識への欲求といったところは重要だろう。

いい意味での刺激物を体に取り入れていかないことには内面も腐っていく一方である。

世の中にはまだまだ分からないこと知らないことはたくさんあるし、自分ごときよりもはるかに次元の高い世界で生きている人もたくさんいる。

世の中、上には上がある。

学べる対象と思えば年齢は関係なく、高校生や中学生からでも学ぶことはできるだろう。

50代は「鈍感力」にはちと早い。

当面は、少なくともレベル〇〇にふさわしい人間でいるため、日々アンテナを高くして世の中に敏感な人間であり続けたいと思う。


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絶景に会ってきた

2024-10-14 10:52:19 | 休日

順番通りとはいえ今週は土曜が休みで、今日を含めて貴重な3連休となっている。

あらかたの人間は休みだがこの祝日でもわずかに会社は動いていて、動くからにはわずかな人数は出社している。

出ている人のことも考えてなどとは小指のツメのアカほども思わないが、土曜も含めて動かさなくてもいい状況が早く来ればいいとは思う。

取引先との関係性や昨今の社会情勢を鑑みると短期的には無理と言っていいが、中長期的には魅力ある職場として新規の応募が殺到するくらいでなくてはいけない。

働く動機のほとんどが生活(=お金)である以上「これだけやってコレか…」などと思われるレベルでは新しい人は来ないし、来てもすぐに去って行ってしまわれては元も子もない。

残念ながら計算しづらい人員もポツポツ出始めている現状、速やかに手を打つ必要があることは書いておきたい。

 

さて、天気には恵まれているこの週末、初日は長野県白馬村に行ってきた。

富山から近い信州となると白馬小谷エリアが手っ取り早いし、スケールの大きな景観は何度足を運んでも飽きないから、ありがたいエリアが近くにあるものだと思う。

今回は栂池八方のメジャーどころを通過して少し南にある五竜を初めて訪れた。

 

 

今ではスキー場といえどもスキーシーズンだけではなかなか苦しい部分もあり、いわゆるグリーンシーズンをどう使うかは知恵の絞りどころであるが、幸い白馬小谷はそのあたりは充実していて各場それぞれで見どころも豊富にある。

10月中旬にわざわざ高所に行くとなれば当然平地より早く訪れる紅葉が目的だ。

ゴンドラ終着地点の景観。

 

 

ここからもう1本リフトに乗って遊歩道に入ると一面色づいた素晴らしい景観があった。

 

 

遊歩道のハイライトとも言える「地蔵ケルン」。

 

 

JR白馬駅からのアクセスが容易な八方や栂池と比較して、それほど離れてもいない五竜はやや地味な印象はあるが、穴場としておくにはあまりにももったいないという思いを強くした。

帰り道のついでに日に1本だけ大糸線内を走る特急あずさ号を撮影。(見出し画像)

 

往復200kmを超えるドライブの翌日は昼寝も含めて眠りこけるばかりであった。

今日はまだ午前だが今からあわててどこかに飛び出す元気はない。

相変わらずあわただしい平日に備える一日となろう。

いつも書いているように、今は休日をすべて動き詰めにすると明らかに平日に影響するようになっていて、このあたりはやはりだんだんと無理がきかなくなっているということだろう。

今週末は初日に多すぎるほどの収穫があったのでこれ以上の欲はかかないことにしようと思う。


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日没近し?

2024-10-06 22:54:05 | 休日

今週は休みが日曜だけ、貴重な休日だが家にはこもらず富山市内に出て買い物などをして帰った。

自宅の駐車場を管理するおじさまから大量のサツマイモをいただいたので、富山からの帰りにはいったん実家に寄った。

何かを持っていっても必ず何かを持っていくように促されるのはありがたいの一言である。

親がまだ健在のうちにもっとしてあげられることはないか考えたりもする。

 

明日からまた仕事の日々が始まるが、1年以上経ったからこそ見える景色というものもある。

1年も在籍すれば現場がどういった力学で動いているのかに加え、各人の作業レベルや仕事に対する取り組み方や考え方まで見えてくる。

私自身は半ばひとり部署と言っていいところに担当が変わって、日々の段取りや在庫の整頓はもちろん休憩や食事のタイミングなど、仕事に関わるあらかたの部分を自分で管理する日々である。

ただただ指示を受けて動かされるばかりだった時期とは違って気分的には余裕も生まれているが、当然ながら責任も伴うので緊張感は増した。

それでも「誰にでもできる仕事ではない」という気持ちは持っているし、在籍まる1年経つ前に私がわずかなエリアとはいえ「任される」状況を想像できた人はいないだろうから自信をもって日々にあたっていっていいのだと思う。

 

私が今の担当になったのは前担当者がしばらく病欠したのがキッカケであった。

私は当人のことは長らく同じエリアを守ってきた功労者だと思っているが、当人自身は復帰後に熟知していたエリアを去る形になって内心は寂しい思いも持ったかもしれない。

それでも後任の私にあれこれ指図するようなことは一切なく与えられた仕事に集中して取り組んでいるのには頭が下がるし、私は私で仕事にまつわるアレコレを休憩時間などに話すこともある。

他のメンバーを眺めても、今のエリアの担当として「気持ちが分かる」のは当人しかいないからだ。

 

当人以外にもごくわずかとはいえ通じ合える相手ができてきて、最初はいろいろあったが辛抱してここまでやってきてよかったと思える。

全員になじむ必要はみじんも感じない。

残念ながら人間の集団、こちらがどんな行動をしたところで何から何までアタマから否定したい人間もいる。

そういう人間のレベルは、作業はもちろん人としても多寡が知れているから無理をしてなじむ努力はせず内心で見下ろしていればよい。

仮に目に見える攻撃をされればこちらにはいくらでも反撃できる余裕と根拠はある。

プライドだけは高いポンコツほど文句を言おうとして盛大に噛んでしまうこともあるのは気持ちに余裕がない証拠であって、ハナから勝負になっていないのである。

 

個人レベルでは気になることはほとんどなくなったが、組織としては高齢化著しい中で病欠者がこのところ多数出て人繰りクルマ繰りが非常に苦しくなっているのは心配である。

事務方にも苦労はあるだろうが、現場サイドの人間としては日ごろ先頭で采配を振るう若い社員の精神的な疲労が気にはなる。

どう計算しても「かなり足らない」中で日々を無理やり回しているのが現状で、無理やりが長く続けばほどなくパンクする。

人は入れたいのだとは思うが応募がなければ永遠に来ないし、仮に来ても定着するとは限らない。

新しく入って事情が分からないうちにと一挙手一投足にダメ出しをしてつぶしてしまおうとする不届き者も現に存在する以上、人手不足が一朝一夕に解決するようには思えない。

 

人手不足はジワジワと組織の力を奪ってしまうものだが、見る人が見れば組織が一瞬で倒れる可能性もあるのは「安全」に対する取り組みである。

仮に所管の役所が抜き打ちで我が現場に入ってくれば間違いなく大目玉を食らう。

およそ現場と呼べる場所で、一般社員、上席者、外部のお客さんも含めて、およそ9割がたがヘルメットをかぶらないのは異常というよりない。

安全第一の看板もむなしく今我が社に第一に必要なのは売上であり利益であるということなのだろうか。

目の前の業績の方が現場の社員よりも大事ということなのか。

ある日一日を切り取って全日を動画に収録し外に流せば間違いなく我が社は「飛ぶ」。

晩秋の夕暮れのように「つるべ落とし」という事態になってからでは遅いのである。


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なんだったんだろ

2024-08-25 10:36:12 | 休日

長い盆休みも明け日常が戻った。

それにしても盆を境にしてのこの忙しさは一体なんなのか。

現場も事務方も圧倒的な物量を前に目の前でいっぱい、商売には付き物とはいえ変更や追加の嵐、加えて絶対に書けないレベルでの「2024年問題」の象徴的な出現など、バタバタという言葉ひとつで片付けるには組織自体が間に合っていない印象すら受けた。

 

自分の仕事は周囲の流れとは少々離れた位置にあり極端に仕事量が上振れした感じはないが、自分のことが終わったから帰っていいという雰囲気では毛頭なく、16時半に自分の仕事を終えても帰るのは20時を過ぎることもあった。

一日のうちのかなりの割合が他の手伝いというのは自分だけのことを言えば正直おもしろくない。

しかしそういう曇った気持ちでやっていると不思議と自分のこともうまく回らなくなって焦る。

本来我々の仕事には関係ないドライバーさんも総掛かりになっている状況でひとりだけスカしているわけにはいかない。

 

今週は土曜当番だったが、自分の担当業務は金曜のうちに終わっていて朝の段階ではすることが決まっていなかった。

ただ他の担当では週明けに向けてまだまだやることがたまっていたようで、結局私自身は今の担当になる前にやっていた仕事を中心に一日を過ごすことになった。

久々にやって失敗しないか心配ではあったが、一年近く引き受けていた仕事は幸い体にしみついていて、何事もなく所定の数量を終えることができた。

本来月金でもつらいところ月土でほぼほぼフル稼働はさすがに体にこたえる。

貴重な日曜は、今本欄を更新してその後はどうしようかという状態だ。

昼寝も含め思い切り休むのが常道だろうが、ごみ捨てや買い物などしたいこともないではない。

早いうちに雑事は済ませて、引き続き忙しい予定の週明けに備えるのがいいだろう。

 

なんだったんだろといえば、ちょうど2週前に会社の面々と飲む機会があった。

その時はその時で楽しかったしその席に呼んでもらえたことにも感謝している。

しかし盆休みが明け全員が集合しても誰もその会のことを話題にしない。

朝一番には幹事役の先輩に「お疲れ様でした」と声をかけたが、返ってきた言葉は「オレ何も覚えとらん」という素っ気ないものだった。

お酒が進み日付が変わったような段階でそれ以降の記憶がないのは分かるが、一次会が終わった21時半くらいのことまで記憶にないとはさすがに思えないし、お疲れ様でしたに対する返答としては何だか不自然にも思えた。

二次会では誰がどう見てもいちばんハジケていたのは自分だったので、好意的にとらえてくれる方がいた一方で、当方が「幹事を立てていない」などと不快に思った方もいるかもしれない。

気の張らないメンバーの集まりといっても振る舞いとして全員を納得させることはほぼ無理である。

 

私自身、仕事の時は仕事のことしか考えないしいつも難しい顔をしている。

フキハラ(不機嫌ハラスメント)と言われるのは不本意だが、他人の危険な行動には声を上げるし身勝手な行動にはイライラもする。

だからといって私自身は日々仕事でいっぱいいっぱいで趣味ひとつない無味乾燥な人間ではない。

今の現場で宴会に出るのは初めてだったにしろ、私の場合は普段仕事では見せない姿をかなり強烈に体現したものだから今は周囲がどう接していいか分からなくなっているのかもしれない。

楽しい宴会の後で互いの親睦が深まったかと思えば、私にとってはどうやら遠心力のようなものが働いてしまったようである。

もとより「読まれやすい」人間ではいたくなく、そういう人間は何かと他人に付け込まれるのは自身の体験でよく知っている。

仕事も目一杯、遊びも目一杯やった結果が「遠心力」ということであれば、心持ち的にはほとんど「無敵」であると言えるので、他人をバカにしない範囲で自信を持って日々を過ごしていっていいのだと思う。


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自由の使い方

2024-08-18 21:40:50 | 休日

長いお盆休みも今日で終わり、また明日から日常が戻る。

明日の準備は休み前に整えているから心配はないし、お盆期間は総じて休息にあてる時間が長く肉体的な疲れは取れた。

それでも休み明けというのは何かとスンナリとはいかないことも多い。

まずは忘れ物などしないでしっかりと準備して出ていくことが必要だ。

 

さて、表立って外出というと金曜日に富山市内のお仲間に久々に会いに行ったくらいである。

今年前半は遠出や飲みはセーブしてお金回りに余裕を持たせることにこだわってきたが、目標に近いところまでようやく来たのでお盆に一度だけと決めて出ていった。

自分を支えてくれている体にいつも簡単な食事ばかりでは申し訳なくたまにはいいものを入れてあげたい。

お店のマスターとも歓談しながら楽しく食事をすることができた。

食事が終わればいつものコース、中心街に流れて目一杯楽しんできた。

ひとたび目一杯行ってしまうと次の日はもう一日グッタリとなり、このあたりは若い頃とはやはり変わってしまったようだから、今後は要所は押さえつつ回数は控え目になっていくだろう。

昨年末から今年のお盆まで約8ヶ月しっかりガマンがきいたのだから、一度禁を解いたからと言って毎週通い詰めに戻るなどということはない。

 

通い慣れたお店でおしなべて楽しく過ごすことはできたが今回は意外な展開となった。

カラオケもあって基本的に何を歌おうと自由、周りのお客さんも思い思いにマイクを取って好きな歌を歌って楽しんでおり、私もその中のひとりとしていた。

するとママさんから、とあるバンドのずいぶんと古い、しかもシングル曲でもなく間違っても有名ではない曲のリクエストをもらった。

私自身はその曲はそれこそ腐るほど聴いてアタマには入っていて、人前では初めてながら何とか外さないで歌い切ることができた。

いかに国民的とも言われるバンドの曲でもなかなか知られていないし歌ってくれる人がいなかったというからこれはこれで一つの貢献はできた。

 

それはそれでひとつ良かったことと言えばそうだが、わざわざお店まで来てマイクを取るからにはあわよくば周りの人も巻き込んで盛り上がりたいという欲が私にはある。

それを実現するには自分が歌いたい歌ばかりではダメだし、まして他人様のリクエストも本来は良くない。

自分が歌って楽しく、かつ誰にでも分かる歌も少しは混ぜたいと思う。

スナックにはもはや若い世代は来ないご時世、80年代アイドルの某曲でいったら案の定周りがついてきた。

ママのリクエストにこたえられたことは楽しかったというよりホッとした感覚、しかし自ら選んで盛り上げに行って盛り上がったこの場面はその夜でいちばん楽しかった。

 

基本的には自由に振る舞っていいとされる場所であっても、その自由の使い方はやはり考える。

自由のコマを10与えられたら10使い切らないと気がすまないと言うなら自分はわざわざアカの他人がいるお店には足を運ばない。

不特定多数の他人がいる場所に行くという時点で使える自由はもはや10ではなくある程度は制約される。

どうせやや限られた自由になるのだからそれをどう使うか、どう使えばたまたま出会っているに過ぎない周りの方々も楽しくなれるかが自分の中では優先となる。

その結果が80年代男性アイドルの某曲ということであった。

 

ひとくちに自由と言うが、自由が保障された中でどう振る舞うかが人の中身を決めると言ってもいい。

ダメだと決まっていないから、ダメだとどこにも書いていないから「いい」と考えるのは本来の自由ではない。

不文律という言葉があるように、いちいち決めごとにしなくても、いちいち張り紙などしなくてもいい事柄はたくさんあって、大方はそれに従って暮らしている。

どれだけ年齢を重ねようとそこが分からない人間は永遠に子供のままであり、子供のままこの世を去ることになる。

せめて年齢相応と言われたいのであれば、自由の使い方について日に5分でもいいから考えたほうがいいのではないかと思う。


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お盆の過ごし方

2024-08-15 17:17:01 | 休日

せっかくの長い長いお盆休みももう半分を過ぎ、残りは3日あまりとなった。

この間特に遠出をしたわけでもなく特別なことをしたわけでもない。

休みに入る前日に会社の面々と大騒ぎしてその翌日はグッタリだったのは仕方がないとして、12日から15日までの4日間は至っておとなしく過ぎている。

したことと言えば、7月のうちから徐々に進めてきたダンシャリ(ただ捨てるのではなく売ってお金に替えることも含め)の最終便を片付けたくらいである。

興味本位で取り寄せたはいいもののロクに使いもしなかった変なガラケーやら、Windowsを動かすにはややキツくなったPCやらを片付けたら、一部は本当にいいのかと思うような値段が付いた。

このひと月でいろいろなものを入れ替えたが、売却分の代金を差し引くとそれほど大きな出費はしないでこれまでよりもいい機種に入れ替わったのだから万々歳だろう。

 

お盆期間はまだまだ平地は暑い時期で、毎年のように一日は避暑に出かけていた。

富山県内なら立山山麓か有峰湖あたり、県外なら栂池高原か八方尾根あたりに足を伸ばして、平地より10度前後は低い快適な世界を味わってまた平地に戻る。

残念ながら今年はお盆前があまりにバタバタとして日々をこなすのに精一杯、お盆期間は何をしようかという計画を立てる暇もなかったため、外出は近場を場当たり的に回るだけで、ほとんどは休息と体のケアになっている。

自宅に近いスーパー銭湯に行って久々に足を伸ばして入浴して、低周波(電気)風呂で酷使した体をほぐしてもらうと心なしかたまった疲れが抜けたように感じられる。

 

思い返せば昨年の今頃は、現在の現場に行くことは決まっていたが正式に出ていくのはお盆明けで、約4ヶ月にもなったブランクからようやく脱しようというところだった。

人間とはゲンキンなもので、仕事についたらついたでいろんなものと戦わなくてはいけないしそれまでの経験から???となるようなことにも数多く出会うことになって、それはそれでストレスや不満不安は感じないと言えばウソになる。

ただ、仕事がない状態の不安より、体は疲れているがとりあえず今は盆明けに行くべき現場があるので精神的にはずいぶんマシである。

今年の前半は遊びや遠出をセーブして「力をつけ直す」ことにこだわった結果、ずいぶんと心配の少ない状態に戻ってきた。

しばらくご無沙汰していた富山市内のお仲間にもこのお盆中には一度だけだが会いに行ける。

楽しむ時には思い切り楽しんで、週明け以降の糧としたい。

 

お盆休みが明ければ今の現場でようやく一年を迎えることになる。

入った当初は執拗なイジメにも遭ったし、まる3ヶ月くらいの時がいちばん苦しかったのを覚えているが、今はほんの小さなエリアながら在庫の管理を任されるところまで来た。

どうやっても、何をしてでも私を排除したい勢力がいまだうごめいていることは知っているが、一度の宴会を通じて孤立してはいないことは確認できたし、盆明け以降そういった連中には毎日見たくない現実を見せつけ大いに恥をかいてもらって、結果的に永久凍土の中に眠らせておくことができれば最高だ。


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印象が変わった、らしい

2024-08-13 19:53:22 | 休日

我が社、と言うよりは我が事業所と言った方がいいが、大お取引先様の日程に合わせる形で11日から18日まで長いお盆休みにあずかることになった。

この休みに入る前はまさに「2024年問題」が象徴的に出現した時期として記憶されるだろう。

出したい製品、運びたい荷物があっても何せクルマが決まらないので日々の仕事が遅れに遅れる。

おまけと言っては何だが我が事業所のドライバーさんの絶対数も足りているとは言い難くルーティンワークにも大きく影響するありさまで、特に8月に入ってからは仕事が終わって自宅に着いたら食べてすぐに寝るだけという日々が続いた。

 

そんな最近の動きもあって、休み前の10日には有志で慰労のための会を持つことになっていた。

幹事役は私が属する倉庫のメンバーで、倉庫からは幹事以外は私だけ、後はドライバーさんという中身であった。

隣の芝生は何とやらという話かもしれないが、せっかくの集まりに倉庫のメンバーが異常に少ないのは幹事がドライバーさんたちのカラッとした雰囲気の方を好んだからだろうと思う。

そんな中に呼んでもらってありがたい限りだし、上役や本拠地の偉い人がいるようなメンバーではなく至って気の張らない集まりということで楽しみにしていた。

 

時間通りに始まった会は思った通り和やかに進んで、程なく二次会に流れることになった。

カラオケ付きのスナックともなれば私にとっては慣れた舞台、いつものごとく何の遠慮もなく普段通りに振る舞った。

すると年代はずいぶん違うが音楽的な趣味が一致する方がいて、大半はその方と話や時間や歌をともにすることになった。

当人曰く「(私に対する)印象がずいぶん変わった」という。

何でも同じドライバー仲間(宴会には呼ばれていない)からかなり悪い話を聞かされていたという。

それは無理のない話で、そのお仲間さんは仕事の説明をしてもロクに聞かないで勝手に物事を進めてしまうので私はその人はかなり適当に扱っている。

言っては何だが見るからに清潔感に乏しい歩く生活習慣病といった風情で、話も自分中心で言いたいことしか言わないからドライバーさんの間でも決して好かれてはいないようである。

 

こういうある意味とんでもない種類の人というのは自分に自信がなく仕事でもミスが多いため、私のような昨日今日来た人間が分かったようなことを言うのを大変イヤがる。

自分に自信がなく仕事のスキルに乏しいかスキルを発揮する体力にも疑問が残るタイプほど、私が本欄でよく書くところの「脳内設定」に問題がある。

自分より後に入った人間は永久に自分より劣っていなければならないという設定は、人間はいつかは仕事に慣れて時には成長するという前提を真っ向から否定するものでハナから話にならない。

二言目にはオマエと違ってオレは何もかも分かっているというようなことを言うわりには、ある日にはトラック一台分の荷物を丸ごと破壊してしまったのだから、どうヒイキ目に見ても何もかもを分かっている人とは言えないだろう。

 

今回の会を通じて、今後も毎日のように関わるだろう人の中で、仕事以外の話もできて私に対する印象も良くなった人に出会えたのは幸運であり素直にうれしい。

対して、お酒も入った場で自分をさらけ出すだけさらけ出した結果、ついていけないとか言って私から離れるとか近寄れないとかいう人が出てくるとすればその人は残念ながらそこまでの人であって、私としても文字通り適当に扱っていくしかない。

どれだけ言葉を尽くしたところでくだらないプライドを抱える人間ほど意地でも変わらないので、そういう向きは放っておくしかないのである。


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命じられたのは経験

2024-07-28 21:30:08 | 休日

猛暑が続く中、我が現場も毎日が大変である。

暑さばかりが原因とは思わないが、接触や破損などの事故に加えて出荷間違いが連続して起きるなどしたため、いつもは朝礼に出てこないトップが出てくる事態となった。

朝から一喝を食らってその後は平和平穏になったかといえばそうでもなく、ある日には、とある先から「届いた箱が汚い」と苦情が来たという報告があった。

対象の製品は私自身前の担当でよく触っていたもので、保管場所によりホコリで真っ黒けになっているものは作業場に置いてあるブラシで払って荷姿を仕上げていたものである。

それが真っ黒けのまま取引先に行ったというのは明らかな手抜きであって、ミスあるいはヒューマンエラーとは次元が違う。

手抜きが苦情につながるというのは恥ずかしいことであると同時に仕事としてはゴミである。

私が担当の時に出なかった苦情が私が外れてからひと月もしないうちに出るというのは、つまるところ他のメンバーのレベルの問題と言わざるを得ない。

 

さて、いまだによく分からない社内ルールにより7月に4回ある土曜日は3回出勤することになった。

3回目であった昨日は月曜日のための準備を午前中には終わらせ、後は空き棚の状況調査と整理整頓をしていたがいよいよやることがなくなった。

先週に大人数をかけてこなした手作業もまだ完全には終わっていないようで、どこか他に手伝いに行ける現場がないか上の人に申し出た。

まだ本現場が完全には片付いていなかったのでいったんは手伝いを命じられて入ろうとしたところ、まるでイヌでも追い払うかのようなしぐさで拒否されたので、アホくさ、となって階上に上がって休憩していた。

するとしばらくして上の人がわざわざ階上まで上がってきて、別の現場でやってほしいことがあると言ってきた。

私自身行ったことがない場所ではなく道に迷うことはないと思ったが、カギを開けてひとりで作業をしてほしいという。

手伝いで手作業をしに行ったことはあるが、そこにあるフォークリフトを触ったこともなければ状況など見てみないと分からない。

ひとりの手作業でできることなど多寡が知れている中であえてひとりで、と言うからには命じられたのは作業そのものではなくその現場での「経験」ということであったろう。

カギを開けることから始めて中を見渡し状況を把握して何をどう動かしてどこに置くか、などなど、ひと通りの段取りをしてできる限りのことを時間までやって来いということであったろう。

いきなりだろうが、ひとりだろうが、数時間でもその現場を任されたわけなので、誰の監視もない中でも適度に休みながらしかしサボることはなく、差し当たりの目標の数量をこなすといい時間になっていた。

土曜日が勤務の週は週明けから気が重いのは確かだが、平日とは違った経験をすることも多い。

本現場にいてつれなく追い払われるくらいなら今日のような経験を申し出てでもしたいと思う。

 

少なくとも我が社にあって「本現場に置いておくしかない」と思われるようでは作業者としては物足りない。

フォークリフトにも立ち乗り式と着座式があって、本現場は立ち乗りだが昨日行った現場は着座であった。

免状を持っているものとして、立ち乗りしか乗れないなどというふうには間違っても思われたくない。

普段本現場で指図を出している層も着座式は経験がほとんどないようで、いきなり乗れと言われて乗れるようには見えないが、立ち乗り式を私の目から見ても異次元クラスで乗りこなす人が着座式に乗れないはずがない。

立ち乗りも着座も動く原理は同じだから「触りさえすれば絶対に」乗れる。

免許講習でしか乗ったことがないからと言って仕事の場で触ろうともしないのは逃げているのと同じであって、それなら着座式のリフトがある現場には出したくても出せないとなり本現場にいるしかない人になってしまう。

それを言うなら私も経験時間としては立ち乗りと着座は9割1割である。

1割しかない経験でも、いきなり命じられた現場に行ってとりあえず事故も起こさずに作業を終えて帰ってくることができるのだから、本来なら申し出てでも経験時間の少ない方式に触る努力は必要だしそうするべきだ。

 

今の現場に来て一年近く、少なくとも普段を過ごす本現場は、文字通り「本現場にいるしかない人」が重要な役割を与えられて下々に指図をして動いているというのが真実と気づいた。

万一、本欄が当人たちの目に触れることがあるとするなら、少なくとも立ち乗りしか乗れないなどという汚名は晴らす努力をしてほしいものである。


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3連休初日

2024-07-13 21:41:14 | 休日

運よく今週は土曜が休みで、祝日担当は直近の当番であるゴールデンウイーク中の某日に出席していたからここも休みとなり3連休となった。

初日の今日は予報よりは天気に恵まれて外にも出やすかった。

物好きが高じてずいぶんと増えていた古いスマホやタブレットにガラケー、持ってはみたものの結局あまり使わなかった小さなカメラなど、それほど買い取り額も期待できないものばかりをたくさん持って富山市内に向かった。

もともと購入時も安く手に入れていたものばかりで査定がほとんど付かなくても全く問題はなかったのだが、4Gガラケーひとつとデジカメひとつが思いのほか高く取ってもらえ、望外の結果となった。

一部では根強い人気のあるタフネスが売りの某端末には一種類だけガラケー風の折りたたみモデルがある。

しかし製造時期はかなり前だし買った時点でジャンク扱いだったのに、レア機種でしかも人気のあった方の赤色、加えて充電用のクレードルも一緒だったことがよかったのかもしれない。

カメラの方も液晶画面には黄ばみがあったしレンズにはやや汚れもあったと思うのだが、いいのかと思うような値段が付いた。

日本製の人気シリーズだったことが幸いしたとしか考えられない。

 

お金が返ってきたからと言ってパッと使うのは今日のうちはガマンしようと思ったが、最後に訪れた某店には電子キーボードにスタンドと譜面置きが付いて本当にそれでいいのかという値段のものがあったので思わず買った。

ACアダプターが欠品していたことが安さの理由だったようで、家にあるミニキーボードのACは合わず、しかし対応アダプターをネットですぐに見つけてポチったので、間もなく使い始めることができる。

キーボードは今はできないが、過去に50歳を過ぎてキーボードを始めたという立山山麓にある某ペンションのオーナーのことを思い出した。

夜には食事のスペースを少し暗くしてオーナーのピアノタイムがあったのはいい思い出である。

楽器ができるといってドラムだけというのも一般的には理解されがたいところはあるし、各地の駅や空港にあるピアノをさらりと弾いてみたいという思いも湧いてきて、破格の安さを言い訳に衝動買いとなったわけである。

自宅には寝床という抗い難い誘惑があるわけだが、せっかく自宅に専用のスペースを取ったのだから根気よく練習して年内には一曲か二曲はモノにしたいと考えている。

 

衝動買いひとつしたところで今日のところは働かないのに財布の現金が増えるという良き日となった。

ただ、夏の賞与のことは当日(20日くらいか?)になるまで分からないから勢い任せの散財はもうわずかの時間ガマンである。

あるならあった、ないならなかった、結果が分からないと大きな動きは取りにくい。

今年の前半は街にもほとんど出ないで力を蓄える期間として何とか粘ってきたので、もう少し辛抱して出られる計算が付いたら大いに楽しみたいし、いただける額によってはやや大きめの買い物や久々の遠出を展望することもできる。

特に遠出に関しては全都道府県庁所在地訪問という目標がだいぶ前から残っていて(あと3都市)、今年中に一つか二つは片づけ、来年早々には最後の一つに行ってめでたく達成したいのである。

 

望外の連休もあと2日、ここのところの「超」人員不足で先の予定がまったく立てられず今もって日曜月曜の予定は決まっていない。

さらにもう一段の断捨離ネタもあるにはあるので、ひと思いに手放せるモノは手放してスリムな形にしていけたらよい。

同じ機能のモノがいくつもあったところで自分だけでは管理するのも大変だし、今後は楽器の練習も日常の中に加わってくる。

限られた時間の中で好奇心と睡眠時間のバランスをうまく取ってやっていきたい。


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