blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

3月を振り返って

2010-03-31 21:40:52 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
といっても、3月は何を振り返っていいものか。

ままならぬ状況が続く中、不安と闘う日々が続く。
しかし、いかにあっても歩みを止めてはならぬ。
ヒザを抱えてうずくまっているだけでは奇跡すら起こらない。

世間は4月から新しい年度に入る。
私は引き続き前を向いて、少しでも早く新しい局面を迎えたい。

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不運か、劣化か

2010-03-30 22:29:31 | 日記
最近は職業相談で富山市の真ん中によく出る。
いろいろと手続きを踏む中で、職員さんから求人側に連絡を取ってもらうケースがある。
いたって普通に伝達してもらっているつもりだが、ここ最近相談している2件は、求人側が明記している連絡先にどうしてもつながらなかったり、つながってもその後の求人側からの連絡がなかったりと散々なことになっている。

最近相談した2つの先は、国立大学関係の某所であったり、公的な機関であったりと、とりあえずは「いかがわしい」とは思えないところである。
パッと見は信用できそうな先でも、ごくごく簡単な連絡すらままならないので、担当の職員さんですら「いい加減だな・・・」とボヤくことしきりである。

ハローワークの求人の中には「本物でない」ものが多数混ざっていることは周知の事実であるが、仮にも国や自治体の名前が入った所の求人なら「本物」と普通は思う。
それでも、ここ数日の、常識的なやり取りさえマトモにいかない現状には、「裏の事情」を疑いたくもなってくる。

ここ数日のことは単なる不運なのか、あるいは人心の劣化なのか。
世の底辺にいて、信じることの難しさを痛感している。

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話したい、伝えたい

2010-03-28 23:39:17 | 日記
今のように外との接点が少ない状況だと、まったく他人と会話をしない日もある。
それほどオシャベリ好きとは言えない私でも、まったく言葉を発しないまま1日が終わるのはさすがに寂しいと感じてしまう。
だから、コンビニで物を買うときなどにも「お願いします」と一言添えるようにしている。
それ以上のヨタ話を店員さんとしたいわけではないが、何がしかこちらから言葉を発するだけで気分は違う。

クルマに乗っていて間に入れてもらったりしたら、手を上げたり頭を下げたり、というのも立派な会話だろう。
自動車という閉め切られた空間どうしでは音が聞こえないから、ちょっとした動作を言葉の代わりとして相手に伝える。
伝わったと感じられれば、やはり気持ちはいい。

数日前には仕事探しのために富山市内の真ん中に出て、「ヤングジョブとやま」の係員さんに話しかけてみた。
私は年齢的にヤングジョブとやまの「対象外」であるが、ジュースの自販機があるので時々中に入ることがある。
前回書いた若い人の就職難について少し話を振ってみたが、あまり会話が発展しそうになかったので、いい加減なところでやめた。
それでもジュースを飲み終わって、「ありがとうございました」と言って出てきた。
特に反応もなかったが、自分から他人と話そうとした、ということで十分だ。

私は決して話し好きではないけれど、いくらかは「会話をしたい」という欲求はあるのだろう。
いつもいつも直接は話せない人には、電話やメールをするのもよい。
一方通行ではあるが、こうやって本欄に独り言を書くことも1つの発信であり表現だろう。

最近は私も思い通りにならないことばかりで「世の中なんて」「人間なんて」とつい考えて落ち込み、寂しい気持ちになったりする。
でも、そんな気持ちもこうやって文字にして残すことができているうちは、まだ少しは他人を信じられているということなのだろう。
「はけ口」を失ったとき、人はいとも簡単に「危険水域」に突入する。
「ひとりではない」ことを常に肝に銘じ、命あることに感謝をして日々を過ごしたいと思う。

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厳しいな、でも・・・。

2010-03-26 21:29:46 | 日記
不景気のために新卒の人すらなかなか就職するのが難しい状況らしい。
新卒の看板をなくさないよう、学校が後押しする形で卒業を延期する制度も作られているようだ。
そんな策を使って1年2年待っても「有利」になるとは限らないが、当の年代の人々にとっては切実な問題で、私の時代には考えも付かなかった事態だ。

私は93年の卒業で、92年卒までの「超売り手市場」から急に冷え込んでガラッと雰囲気が変わった年だ。
冷え込んだとはいっても、私のような人間でも新卒の看板で何とか社会に滑り込むことはできて、卒業を控えてどこにも決まっていないなどという人間は、少なくとも私の周囲にはいなかった。
それから先は年を追ってさらに悪くなる一方であったから、まだ「不幸中の幸い」くらいの世代であったろう。

それが今は、「滑り込みセーフ」すらなかなかかなわないのが現状だ。
幸いどこかに入ることができた人々も、バブル崩壊以後、切られるときはアッサリ切られるという現実を、親の世代あたりで実体験しているかもしれない。
今の若い世代に、上の世代が「夢」や「希望」などと言っても実感がわかないのは無理はなく、「がんばれば何とかなった」時代の人間の言葉などは絵空事に近いのかもしれない。

今は社会から滑り落ちている私は、若い人の心配をしている余裕は本来なく、自分の心配も必要である。
今週は、面接からさんざん待たされた案件が電話一本で吹っ飛んでしまった。
ダメならダメで早く言ってもらえれば動きようがあったが、半月ほど身動きが取れず結局ダメということでショックは大きかった。

学生さんでも難しい時代に、やがて40を迎えようという人間が難しいのは当然だが、挑まないことにはどうにもならない。
何回振り出しに戻されても、「振り出しの後ろ」がない以上、前に進むよりない。

20代の頃、会社の、大変優秀だった同期がガンに散った。
ごく近い身内や同級生の中にも、病によって無念を噛み締めながら若くしてこの世を去った人間がいる。
世界を見渡せば、ある日突然の災害やテロなどで命を落とす人がたくさんいる。
そんな「生きたくても生きられなかった」人々を思えば、どんなに苦しくても、生かされているうちは生きなくては失礼だろう。
今は周囲に迷惑や心配をかけていても、生きていなければ恩返しができない。
「迷惑をかけるから」とこの世から逃げ出して「迷惑をかけない」ことは絶対にないのだから。

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「守備に手ごたえ」って・・・。

2010-03-22 19:40:21 | 日記
久しぶりによい天気となった。
昨日付けで地元のプロ野球チームである「富山サンダーバーズ」の話も書いたが、今日の高岡市内での練習試合に足を運ぶことにした。
チームにとっては18日の新潟アルビレックス戦が悪天候で流れたことから、今シーズン初の対外試合であった。
相手は県内の企業チーム(=アマチュア)であったから、少なくとも勝利を期待したファンは多かったはずだが、大した見せ場もなく2-4で敗れてしまった。

自宅に帰ってPCを開いたら、某TV局のサイトに「守備に手ごたえ」とあった。
確かに記録上の失策はゼロで、盗塁阻止や本塁補殺といったいいプレーもあった。
しかし試合全体を眺めれば、まったくクロスプレーにならない三塁打が2本、逆風でもないのにセンターが前に守りすぎて頭を越される、捕手の2塁への送球がツーバウンドになってやすやすと進塁、などなど球場に失笑が広がるようなプレーも多かった。
よくもまあ軽々しく「手ごたえ」とか「進藤新コーチの就任効果」などと書けるものだ。
そこまで無理やりにホメようとしなくてもよかろうに。

守備は横に置いても、今日は投手陣が今ひとつだった。
出てくる投手がもれなく走者をタメる「劇場型」では見ているほうはたまらない。
13本も安打を許してよく4点におさまったと思う。
相手にもうひと押しあったらもっと点が入っていておかしくなかった。

もちろん今年初の実戦ということで全て思い通りというわけにもいくまいが、アマチュア相手に内容的には「完敗」であった。
私設応援団のリーダーにまで「今日の試合はノーコメント」などと言われているようでは情けない。
開幕まであと2週間足らず、県外遠征も含め実戦の機会はそう多くない。
長いシーズン、せめてプロとして見るに堪える内容を県民に示してほしいと願う。

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身のまわりの偽善

2010-03-21 22:32:34 | 日記
未明から風が強く、何度も目が覚めてしまった。
午前中に外出するときにはクルマにはべっとりと黄砂がついていた。
商売用のクルマを扱っているところは大変だったろう。
はるか大陸から飛んでくるものを防ぐ手立てはない。

自然現象の前では人間も右往左往するのみだ。
天気が悪ければ、電車は止まるし、飛行機も飛ばない。
毎度のように駅員やアテンダントに当たり散らす人間がテレビに出てくるが、こういう人間に限ってさして緊急の予定はない。
混乱に乗じてストレス解消のために駅や空港にやってくるのは、阪神ファンになりすまして道頓堀に飛び込むチンピラと同類だ。

プロ野球は昨日からパ・リーグが開幕し、次の金曜日にはセ・リーグも始まっていよいよ春本番である。
地元には独立リーグのチームもあって、早いものでもう4年目になる。
こちらは開幕が4月3日で、明日は確か練習試合が組まれていたはずだ。

私は球場にはよく行っているのだが、適当な場所でじっくりと観戦したいほうだ。
当初から私設応援団も結成されているものの、メガホンを振ったり、歌を歌ったり、タオルを回したり、には参加しない。
いつも書いているが、お金を出して遊びに行っている場所でまで「人の言うことを聞く」ことはないと思っているからだ。

富山の応援団に関しては、某掲示板サイトでスレッドが立っているように、あまり評判はよろしくないようだ。
サイトをのぞくまでもなく、遠巻きにながめていても「いかにも」と言う感じの人間が目立つ。
全てではないだろうが「地元の野球チームの応援」を隠れ蓑にして騒ぎに来ているだけの人間もいるように見える。

このような人間の精神構造は、環境保護などというキレイ事を言って他国の船を実力で妨害するシー・シェパードあたりとよく似ていると思う。
耳障りのいいことを言っておけば、あるいは大衆に受け入れられそうな大義名分さえあれば何をやってもいいというのは本末転倒であろう。
表向きは「善意」を装って、やっていることはヤクザ行為、またはその後押しというのが実は「純粋な悪人」(?)よりもうさんくさい存在なのだ。

他人の偽善をかぎ分け、また自らも偽善に陥らないよう、生活レベルから気をつけたいと思う。

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来るものが来た

2010-03-18 22:14:36 | 日記
今月は10日くらいまでは花粉の影響が出なかったが、先日よい天気になってついに恒例の症状が出てきた。
症状といってもいろいろあって、目がかゆいなどもあるものの、私は特に鼻に来る。
リアルな表現になって申し訳ないが、鼻水がサラサラで油断すると落ちてくる。
常に鼻面を押さえておくわけにもいかないから悩ましい。
あまり鼻をかむのをガマンすると、今度はクシャミが止まらなくなる。

今年はまだ飛散量が少なめということだが、もうしばらくはイライラする日々が続く。
長い人では2月の中頃から春の大型連休あたりまで悩むようだが、私は3月の10日頃から始まって、桜の頃にはだいたい終息するのでシンドイ時期は1ヶ月もない。
長い付き合いとはいえ、毎年に区切ればこの程度で済んでしまうのは恵まれているのかもしれない。

私の場合、今の時期のスギ花粉にはもちろん反応しているのだろうが、自室を掃除するような時にも同じような感じになる。
花粉に弱いというよりは、ハウスダストも含めた「微粒子」に弱いのかもしれない。
軽いながら皮膚も少し弱いから、アレルギー持ちなのは確かなのだろう。

鼻のムズムズも春が近い証拠と思って、前向きに乗り越えていきたい。

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同窓会

2010-03-14 23:13:12 | 日記
私が卒業した高校でも、年に1回、世代を越えた形の同窓会をやる。
幹事は「40歳世代」となっていて、今年は私が属していた学年の人間が役目をする。
どういう決まり方をするのかは知らないが、各世代の代表者は10年以上先の分まですでに決まっている。
全体の代表者は1人だが、もちろんその人間がすべて丸抱えというのでは負担が重い。
私の代ではクラスが6つあったから、クラス別の取りまとめ役もいて、連絡その他もろもろは分担体制となっているようだ。
「同窓会」のほうは本当に大仕事で、それこそ地場の名士のような方も多数来場されるだろう。
相当な大人数となる集会を仕切ることになる担当者にはひとまず敬意を表したい。

さて、せっかくの機会ということで、「同級会」的な集まりも企画されているようだ。
事務方のほうでは現住所などのデータ集めをやっているようで、なぜか愛知県在住の友人を通じて現住所の問い合わせが来たので伝えた。
現在私が富山市にいることを知っている人間はほとんどいない。
残念ながら近年あまり地元の人間との交流がないため、とりあえず「存命」であることだけでも分かってもらえたらと思う。

今でもそうだが、高校時代も「群れる」のが好きではなく、いくつか存在した「派閥」のどれに属することもなく、最終的には1人で行動することが多かったから、取っ付きにくいイメージは多くの人間が持っていただろうと思う。
自分のことを自分から明らかにすることもほとんどなかったから、当然と言えば当然だ。
自分からドアを開けない人間に対して、他人がドアを開けてくれるはずはなかった。
高校生活の3年間が楽しかったかと問われれば、普通に「YES」とは言えない。
しかし、それは誰のせいでもなく、自分のせいなのである。

とはいえ、せっかく県内に住んでいるのだし、メチャクチャ待ち遠しいとまでは思わないものの、出られるものなら出てみたい。
トシを食っても、同級生は同級生だ。
大いに刺激をもらって、その後の糧となるような何かを得られれば御の字だ。

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アポなし訪問

2010-03-12 22:41:22 | 日記
今日は昼から県西部で面接を抱えていた。
何回やっても、こういう場は緊張する。
話下手、アピール下手は自覚しており、今回もうまくいったとは思えないが、隠し事だけはしないように心がけた。
飾ったところで先方には絶対にバレる。
さらけ出してダメなら悔いは残らない。
富山市の真ん中から出てきてくれた派遣会社の担当者にもこの場を借りて感謝したい。

さて、面接の後は旧福岡町にある某施設を訪ねた。
かつて何度か仕事上でお世話になった所で、ちょうど帰り道でもあり顔を出すことにした。
ちょうど私と面識のあるO女史が出勤の日で、思いがけずしばらくそこで時間をつぶすことになった。

その施設は、3月末をもって管理会社が変わるということである。
O女史はその時点で仕事がなくなるということで、自分のことはよそにやはり心配だ。
今の管理会社が「その後の面倒を見る」度量があるとは思えない。
自社で管理する施設なのに、その施設の従業員を身内としてマトモに扱っていないという情けない実態がある。
ちなみに、その会社は「常に求人が出ている会社」であることを付け加えておこう。

実際に昨年の9月にお世話になった時にも書いたが、O女史は大変聡明な方なので、「会話が成り立つ」気持ちよさを感じることができる。
決して頭ごなしなモノの言い方をしないので、いい意味で、飾ったり気を使ったりする必要がない。
こういう方が真に「レベルの高い」方なのだろうと思う。

O女史は本欄も時々読んで下さっているようでありがたい限りである。
よくよく考えれば、もう直接はお会いできないかもしれない方なので、よかったら本欄にコメントの1つも入れていただければ、とお伝えした。
顔を見ることはできなくなっても、気の合うお話し相手としてつながっていられるのなら、また幸せなことだろうと思う。

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今さらながら・・・。

2010-03-09 23:59:59 | 日記
ベテランのバンドである「JAYWALK」のメンバーがクスリの所持で逮捕された。
犯罪行為によるものだから「あ、そう」という感じだが、残念といえば残念だ。

JAYWALK自体は、作品を集めているとかはなく、特に思い入れはない。
ヒット曲である「何も言えなくて・・・夏」(当時はJ-WALK)を知っている程度で、いい曲だとは思ったが、その後何年かして別バージョンがいくつか出てしまってがっかりしたのを覚えている。

この曲に関しては、あまりよくない思い出がある。
私が3年前の夏に魚津市にあるコミュニティーFMのスタジオに呼ばれたとき、自作のご当地ソングをかけてもらい、私はスタジオ裏に引っ込んだ。
その後、パーソナリティーのS氏が「今の僕の気持ちです」とわざわざ言って「何も言えなくて・・・夏」をかけた。
S氏はスタジオの裏でも同じことを言っていたので、きっと私の曲については「何も言う気にならない」ということだったのだろう。
魚津市役所に勤務する同級生の手前、感情をあらわにすることはできなかったが、番組冒頭からの「今日はオッサンが来ている」との発言も含め、仮にもゲストに対しての振る舞いとは思えなかった。
毎週金曜日の昼間の「ただしゃべっているだけ」のくだらない番組はまだ続いているのだろうか。

その2週間後に市が主催するイベントに出演したときにもS氏の顔を見たので挨拶をしたが、それはそれは素っ気無いもので、ある意味人間性を疑ったのは言うまでもない。
この時にはスタジオのある「海の駅蜃気楼」のR支配人も見かけたので挨拶をしたが、こちらとは目も合わせず「あーあー、がんばってください、はいはい」とこれまた素っ気無いものであった。

次の年にご当地ソングの第2弾を作って役所に宣伝に行ったが、反応はなしのつぶて、その1ヵ月後には突然、「蜃気楼恋歌」という別の歌をご当地ソングとするプロジェクトが立ち上がり、大々的に歌手のオーディションまでやって公認ソングとして発売してしまった。
観光協会か商工会のメンバー内部で歌を作ったのだろうと思うが、これこそまさに随意契約そのものではないか。

こういうことがあったため、役所としての「魚津市」は嫌いになった。
観光資源がないとは言わないが、別のアプローチで観光振興をと考えた一人の市民をないがしろにした罪は重い。
生まれ育った土地である「魚津」そのものは好きでも、魚津をテーマにした歌を作ることは今後ないのだろうと思う。

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