blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

10月を振り返って

2010-10-31 23:59:59 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
やや散財ぎみになったのは反省だが、久々に県外にも出てリフレッシュできた。
ひとまず冬のボーナスまでは緊縮財政でいくしかないとはいえ、仕事のほうは順調だし、限られた収入の中で何とかこねくり回すことはできている。
昨年の今頃を思えばずいぶんと精神的にも安定して、自立した「いい生活」になっている。
何せ昨年の10月末といえば、高岡市内の「暴力社長」から逃れたはいいものの、その後については途方に暮れていた時期だからだ。

その仕事だが、10月末で早いものでカムバック後から半年が経った。
あえて「カムバック」という表現を使ったのはもちろん派遣社員として今の職場にお世話になった期間が念頭にある。
当時はひとつの担当にただ張り付いている毎日であったし、社員と派遣には溝があった状況で特に交流はなく、本当に「働きに行っているだけ」という感じではあった。
今は何かと頼られる(寄りかかられる?)場面も増えたし、リフトや4トントラックなど乗り物にもスイスイ乗っている。
館内のいくつかのパートも担当できるようになり、いくばくかの戦力にはなっているのだろう。
また半年経過ということは、契約上の「試用期間」も無事乗り越えた格好になる。
あとは1年更新の契約社員という立場上、更新してもらえる存在であり続けることが必要だ。
人間関係は常に心配の種ではあったが、幸いにして、ごく一部の腹黒く嫉妬深い人間を除いては周囲との関係も良好だ。
出社がうっとうしく思えた日は今までほとんどない。

プライベートだが、新しい住まいでの生活にはすっかり慣れた。
周囲は便利だし、広くはないが自室は快適だ。
懸念された騒音やニオイ(近隣にニワトリを飼っている家あり)も気にならなくなり、休みの日など日中でもいつの間にか眠っていることもある。
何だかんだで人間には対応力というものが備わっているようである。

仕事では半年の節目を迎える一方、明日が「30代最後の日」という節目でもある。
両親はじめ周囲がかつて期待したような状況で40歳を迎えることはできそうにない。
今もって嫁なし家なしお金なしの「ナイナイづくし」の状況であるが、時間を巻き戻せるはずもない。
波乱や変化が多すぎた30代の10年で得た経験や知恵を今後に生かし、まずは健康で落ち着いた生活を送ることが必要だ。
それが周囲へのせめてもの償いになればいい。
仕事を失うのは困るが、それ以外は失うものはほぼないから、ひたすらに前を向いて、ある場面では貪欲にもなりながら日々をただただ誠実に積み重ねたい。
まっすぐで広い「王道」を行けば、そうそうめったなことにはならないと信じている。

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駆け込む前に

2010-10-30 21:54:02 | 休日
先週に続いて金曜夜は実家に世話になった。
もちろん毎週と決めているわけではないものの、今日は午前に魚津市内で用事があった。
毎日滑川市まで通勤しているので、いったん富山市の自宅まで帰るのが面倒な場合に寄ることが多い。
もちろん家族といえども世帯が違うわけなので、できるだけ「無連絡」では行かないようにしている。

さて、土曜とはいいながら実家の姪っ子甥っ子(=兄夫婦の子供)はクラブ活動などで朝から忙しい。
たまたまだが、二人を母親と手分けして運ぶ段取りになり、甥っ子のほうを魚津市の桃山運動公園に送っていった。
ここまで来ると妹の家が近いことから、ここはあえて無連絡で顔を出した。
朝早い時間帯はだいたい在宅していることが多いが、幸い外出はしていなかった。
二人の妹の子供には幸い嫌われてはおらず、たまに顔を出すとずいぶん喜んでもらえる。

家電のエコポイントが12月から半減することになり、11月は駆け込み需要が予想される。
まだアナログテレビを使っている妹の家でもそろそろテレビをと考えているようで、今回の政策のことも含めて話すうち、市内の量販店に一緒に行くことになった。
自分の用事は昼頃なので、開店直後あたりの時間帯に行けば問題ない。
土曜日で広告が入ったこともあり、開店前には10人ほどすでにいた。

リビングに置くメインのテレビということで、40型前後のものを一緒に物色した。
兄二人と違ってお金にはけっこうシビアな彼女だけに、電気代などのことも気にはなっていたようだが、結局は「見え方の好み」が大事なのである程度時間をかけて見てもらった。
すると、店舗という環境はあるにしてもやはり液晶の見え方は「明るすぎ」「白っぽい」ということになり、42型ながら手頃な価格のプラズマテレビという方向で行くことになりそうだ。
プラズマテレビも最近は消費電力の面で液晶との差も縮まっており、またあまり語られないことだが液晶パネルの寿命が約6万時間に対し、プラズマパネルのそれは約10万時間ということも話すうちにますますそちらに傾いていった感じだ。

もったいつけたような書き方をしているが、私が妹にすすめたモデルは私の自宅にあるものと同じである。
まだ家族の誰もが私がテレビを買い替えたことを知らないのだが、私自身今あるテレビをとても気に入っており、家族のテレビもそれをすすめようとは思っていた。
私が買った9月の初旬よりもなお価格が下がっており、今のエコポイントを考えれば実質5万円台の買い物だ。
もちろん買うのは彼女だが、エコポイントの申請などは早めに済ませたいところであり、早々には決断して新しいテレビが入るものと思う。

今回はわずかな期間ながらテレビ売り場の販売員をやった経験が生きた。
もともとプライベートでもクルマや家電の「スペック」を調べるのが好きなので、たいがいのことには答えることができる。
実家も同じテレビにしてくれないかと思うのだが、新し物好きの父親が「難関」(?)で、LEDバックライト式の液晶タイプがライバルにはなるだろう。
LEDバックライトの技術は「これから成熟」というのが実態で、現在店頭にあるモデルはやはり白色の強さが気にはなるが、最終的に選ぶのは私ではないのでそこは任せようと思う。

台風はこちら北陸にはあまり影響はなさそうだが、給料日支給当週の散財は避けたく、明日は競馬の天皇賞にわずかに投資する程度だろう。
明日は月の最終日なので10月を振り返ることにする。

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予防接種

2010-10-28 20:53:38 | 日記
月末日が近づいているのに、わが部署は一向に落ち着きを見せない。
工場から製品を運び、すぐに在庫にして即出荷する流れが今日もあった。
大きい目で見ればわが社がお客さんを待たせている状況であることから、本部が言ってくればこちらとしては対応せざるをえない。
医薬品という商品は「安定供給」が建前で、言い換えれば「あるのが当たり前」でなくてはならない。
わが社としては国の支援などの「追い風」も受けて注文が増えているのはいいものの、逆に生産が追いついてなく、安定供給とは程遠い状況にある。
長くわが部署にいる人に聞けば、昨年の同時期と比較しても仕事量は格段に多いようだ。
ありがたい話ではあるものの、社員の体の負担は日に日にたまってきている。

そんな毎日が続いている中、今日は早々に仕事を終えることができた。
特別にヒマだったわけではなく、季節性のインフルエンザの予防接種が17時から予定されていたからである。
部署の上層部も気を使ってくれて、17時になる前に声かけをして早めに接種の会場に移動するように促してくれた。
今日ばかりは接種を受けない人に残務を任せる格好になり、こちらは注射一本終わればそのまま帰ることができたので、定時上がりと同じような時刻に自宅に着くことができた。
たまにはこういう日もないと一週間が本当に長い。

昔は注射といえば、傷口をよくもむとか、風呂には入れないとかの制約があったものだが、今日のお医者さんがしつこく言っていたのは、風呂には入っていいが傷口はこするなということと激しい運動はするなという二つであった。
毎日それなりに汗をかく職場にいてシャワーのひとつも浴びられないのはきついと思っていたのでこのあたりはホッとした。
技術の進歩なのかどうかは知らないが、予防接種自体が久々だっただけに意外な感じがしたものだ。

注射一本打ったからこれで安心ということではもちろんなく、日々の予防策ももちろん大切で、ますます気温が下がってくるこれからの季節は特に油断は禁物だ。
今の仕事は「明日に引っ張る」ことはなく、その日その日をしっかり片付けていけばよい。
精神的にはこの点はずいぶん楽で、あとは不節制や寝不足などによる体力的な疲れの蓄積から何かにかかってしまうのがこわい。
平日なら、他人からすればもったいないとも思える時刻に床についているが、なにぶん体が資本であるし、体質的に短めの睡眠では翌日に響くため、例えば日付が変わってから寝るようなことはほとんどない。
特別なことではなく、私にとってはこれが一番の健康法である。
今の環境に来て半年くらいになるが、幸い皆勤賞で来れているのも早く寝ているからにほかならない。

何かの病気にかかれば外にも出られずストレスもたまる。
動けることのありがたさは動けなくなって初めて分かるものだが、そうなる前にしっかりとケアをしながら日々を乗り越えたい。

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気が合う存在

2010-10-27 22:31:09 | 日記
9月から入られたM氏だが、他の年長者が軒並み定時の17時上がりをしていく中にあって、私と同じような時間までがんばってくれる。
定時を超過するといっても1時間か1時間半のことで、事務や営業をやっている人からすればどうということはないだろうが、なにぶん体力を使う仕事であるため17時の時点ではかなり疲労が来ていることがほとんどだ。
ましてやこれまで現場仕事の経験がなく私より8つも年上のM氏にとっては、このところの「異常が正常」ともいえる忙しさにあって、今日までのまる2ヶ月ほどは本当に大変であったろう。

さて、そんな「ほぼ同期」ともいえるM氏とは、仕事中のみならず休み時間もいろいろと話すことが多くなった。
これまで見ていて仕事の飲み込みは早いし、アタマのよさを随所に感じることのできる人だから、会話をしていてもストレスがない。
今日の帰り際にはこちらから血液型の話を振ってみたが、M氏も私と同じB型であった。
すると期せずしてM氏から「だから(私と)気が合うんだ」という言葉が出た。
8つも年上の人から気が合う存在だと言ってもらったことは大層ありがたい。
私自身は、ウェブサイトにも書いている通り「本に書いてあるようなB型気質」の持ち主なのだが、何となく相通ずるものを私も感じてはいたところで「やっぱり」という話になった。
血液型なんて日本人だけが気にしているという話もあるが、私が気が合う人はだいたいがB型であるから、血液型分析もそうそう捨てたものでもないと思う。

そういえば、いつも飲みに連れて行ってくれるTK氏もB型だが、今から思うとどういうキッカケから始まって今のように一緒に深夜まで飲むような付き合いができるようになったのかが分からないくらいである。
人間どうしのウマの合う合わないは付き合いの長さとはまったく関係はなく、極端な話「会った瞬間」というのもあるだろう。
考えれば考えるほど不思議ではあるが、気の合う存在がすぐそばにあるから、今は非常にありがたい状況の職業生活ができていると感じる。
無論、どうやっても合わないだろう人も何人かはいるのだが、それらを気にしたところで仕方がない。

毎月の最終週は今までの傾向からすればわりあいヒマなのだが、現在は会社全体が大きな変化を迎えようとしているところ、加えて決算月に向けての押し込み気味の仕事もありで、もはやこれまでの常識は通用しなくなっていると言ってもいい状況だ。
硬直した考え方では現在のダイナミズムについていけない。
アタマを柔らかくして、新しい試みには腹を決めて前向きに取り組んでいくことが必要だろう。
明日以降も、ウマの合う人たちとヤイノヤイノ言いながら、明るく楽しく仕事をしていきたい。

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その後はどうなるか

2010-10-26 21:22:01 | 日記
昨日付けで、ずいぶんお世話になった黒部市内の旅行代理店が店舗を閉鎖した。
初めて利用したのはちょうど3年前の今頃で、恒例の(?)東京遠征のチケットをお願いしたものだった。
それほど高い旅行もできず、用事もさほど多くなく、大したお客ではなかったと思うが、かつての職場が近かったことで立ち寄る回数だけは多くて、顔を覚えてもらったことはうれしかった。
旅行に出たときには心ばかりのおみやげを買っていったりなど、私なりに精一杯のお付き合いをさせてもらった。

旅行業ではいわゆる「大手三社」の内の一つの系列にある店舗であったが、全国的に見れば新店が出る一方で、黒部のように残念ながら閉鎖になるところもある。
収益事業としてやっていることだから当然といえば当然だが、よく応対してもらったN女史によれば「通告」はわりあい唐突なものであったらしい。
会社というものの常として、後ろ向きの話はギリギリまで当該の現場には伝わらないものだが、ここもその例外ではなかったことになる。

この会社の店舗は、今までは富山市内に二つと黒部市に一つあったものが、今日からは富山市内の二つのみとなった。
まだ8月頃の話だったと思うが、それとなくNさん自身は今後どうなるのか聞いてみたところ、どちらの店かは分からないが富山に異動になるようなことを言っていた。
今から思えば何となく言いにくそうな感じもあったので、あるいはそれはイクスキューズで、実際は例えば新しい道に行かざるを得ないとかになったのかもしれない。
店舗が一つ減ったからといってそれぞれの店舗の人員には限りがあり、黒部の人間がそのまま二つの店舗に振り分けられることなどないだろうからである。
店長さんだったY氏あたりもどこか新天地に旅立ったのか、少し気になる。

黒部の営業所は、店長さんはじめ皆さんとても親切で、いつも気持ちよく話をすることができた。
なにぶんそれほどマーケットの大きくない新川地区ということで、店舗の質だけでは追いつかない部分もあったろうと思う。
何年かは働いた職場がなくなるというのは従業員の方々にとっては寂しいことだろうが、それぞれが新しい環境で活躍してくれることをただただ祈るのみである。

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寒くなります

2010-10-25 20:48:33 | 日記
9月の中ごろを過ぎてようやく酷暑から解放され、最近は社内の喫煙スペースの空気も心地よい。
仕事で激しく動いても、汗が出ているのはその時だけで、しばらく休むといつの間にか乾いている。
いかにも秋らしい、20℃前後の気温というのは本当に過ごしやすい。

ところが明日には一時的とはいえ冬型が強まって、最高気温は14℃の予想である。
天気図を見れば真冬のそれを見るような感じだから、冷たい雨がしとしとと降る1日になりそうだ。
まだ普段の仕事は半そでで通しているが、明日ばかりは冬用の作業服を着なくてはならない。

毎日規則正しいリズムで働いているからか、時間の経つのが本当に早く感じる。
暑い暑いと言っていたと思ったら、もう1ヶ月もすれば寒い寒い季節の到来だ。
降雪のひどい時には何時に自宅を出ればよいか、自家用車に加えて今は仕事で4トントラックも運転するから冬場はどんなイメージで運転すればよいのかなど、アタマで考えることが今から山ほど出てくるだろう。

寒くなればインフルエンザあたりにも気をつけなくてはならないが、今は新型と季節性どちらにもケアが必要だから悩ましい。
会社では季節性のほうの予防接種をしてくれるようなので有料だが申し込んだ。
インフルエンザで、38℃を越えるような高熱が出たときの苦しさは筆舌に尽くしがたい。
できることはやっておくのが賢明だ。

もう冬が近くなってきて、各週末はだんだん貴重になってくる。
本当に寒くなる前には紅葉が至るところで見られるので、雪が降る前にいろいろと訪ねてみたいと思っているところだ。
近場で隠れた名所でもあればなお素晴らしい。

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プレーオフについて

2010-10-24 20:28:12 | 日記
最近までプロ野球のほうではクライマックスシリーズ(以下CS)があって、セは中日、パは千葉ロッテが勝ち上がった。
今は野球をはじめ、いろんな競技でいわゆる「プレーオフ」制度が導入されている。
米大リーグなどでは「ポストシーズン」とも呼んでいるが、強豪チームに長年いる選手などはポストシーズンだけでイッパシの数字ができてしまい、短期決戦に強いだ何だなどと語られることもある。
今日はメジャーリーグのナ・リーグ優勝決定戦をたまたまテレビでやっていたので、ヒマに任せて見ていた。

日本のCSに関しては、私自身はまず「否定派」という立場を明確にしておく。
もちろん決められたルールの中で行われた勝者にケチをつけるものでは毛頭ない。
パ・リーグでは3位だった千葉ロッテが日本シリーズに勝ち上がったが、ファーストステージからずっと「敵地」で戦い、ファイナルステージでは相手に1勝が先に与えられていた。
3位チームとしてかなりの不利な条件を与えられていながら勝ち上がったのだから、そのこと自体は大変素晴らしい。

ただそのことと制度自体を論ずることとは別だ。
半年間の長いリーグ戦で優勝したチームどうしでは必ずしもなく、ヘタをすれば「3位どうし」で日本一を争うことも考えられる。
リーグ戦の1位終了は「リーグ優勝」として記録に残るのは賛成だが、わずか数日の戦いでその喜びが消し飛んでしまうような結果が出たりするのは、優勝チームやそのファンにとってあまりに酷だろう。
2つのリーグにわずか6チームずつしかない日本の野球であえて3位にまでチャンスを与える必要があるのかどうか。

米大リーグのポストシーズンは「地区優勝チーム6+ワイルドカード2」の8チームでの争いだ。
当然勝負事だからワイルドカードのチームが勝ち上がる事もままある。
その結果、ワイルドカードから「世界一」になったチームも誕生したし、ワイルドカードどうしでのワールドシリーズも実現している。
表面的にはやはり地区優勝を背景にしないチームが世界一になる可能性もある制度だが、メジャーで「30分の8」に入るのは、日本の「12分の6」よりは大変だろう。
また「各リーグで最高勝率をあげた2位チームを拾う」というワイルドカードの制度は、時に、ある地区の2位チームの勝率が他地区の1位の勝率を上回ることがあるための救済措置という面もある。
所属地区では2位でも「他地区なら優勝同然」というチームにようやく与えられるのがプレーオフの権利で、それなりに高いハードルを設けてあるとは言えるのではないか。

他競技では、例えばリーグ戦の1位~4位がプレーオフに出るものの、順位はまったくリセットして1回戦総当たりでやってみたり、反対にボウリングのようなステップラダー方式にして下位チームへのハンデを付けたりと様々だ。
私個人としては「長いレギュラーシーズンの結果が尊重される」制度であれば賛成できるし、そうでない制度には賛成できないということだ。

プレーオフ制度には多分に「興味の持続」≒「集客」の思惑もあって、特に日本のCSあたりにはそのニオイがプンプンするものだから余計に「あーあ」という気分になる。
日本のプロ野球に関しては、スッキリ1位どうしで日本シリーズといかないものか。
短期決戦ならではの試合展開はCSでも多数見ることはできたが、たとえそういう舞台が日本シリーズだけでも十分にその醍醐味は味わえるはずであろうと思う。

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10月17日の行状(2)

2010-10-23 14:49:33 | 旅行
金曜の夜は実家に顔を出したため、土曜の日中に更新している。
仕事は相変わらず忙しかったが、特にネタになるようなこともなく、今週は先週の土日の旅行記で埋めてしまうことになった。

さて、友人よりも一足早く競馬場に着いたので、さっそく第1レースから馬券に参加した。
正直言って下級条件の馬のことはサッパリであり、新聞を頼りに予想はしてみるもののなかなかうまくいかない。
前半戦は芝もダートも「行ったもの勝ち」の様相で、これなら地方競馬を予想するようにやればよかったと後悔することしきりであった。

友人とは予定通り11時前に合流し、確保していた席に座ってもらった。
11時の段階でも2人分の座席くらいはラクに見つかりそうな状況だったようで、私や友人が競馬を始めた平成初期の頃とはずいぶん違う。

新馬戦の二鞍はパスして、場内のホールで催されるトークショーを見に行った。
秋華賞当日ということでゲストは女優の菊川怜さんであった。
京都には撮影等でよく来るようだが、競馬場は初めてで馬券も初めてということであった。
女優さんなのでキレイなのは当たり前だが、事前に勉強をされたのか競馬用語も難なく口にされていて、やはりアタマのいい方なのだろうとあらためて感じた。

なかなかヒットが出ず苦戦したが、第7レースの芝2400m戦で中穴を1ついただきとりあえず当日の「大けが」は回避できた。
午前の反省を生かし、逃げ残りをアタマに入れて考えてうまくいった。
しかし、第8~第10レースはダメで、当日の収支は秋華賞と府中牝馬Sにかかることになった。

府中牝馬Sは、軸に推したコロンバスサークルが見せ場なく完敗。
秋華賞は、人気でも4kgながらキッチリとマイナス体重で出てきたアパパネを軸に取った。
結果はご存知の通り、7年ぶりの三冠牝馬の誕生を目撃することができた。
終始外を回しての圧勝、時計も優秀で、三冠の中では最も楽に勝った印象がある。
馬券のほうは「京都内回り2000m」を意識しすぎて差しタイプを軽視したため2着馬が買えずこれまた完敗であったが、こればかりは仕方がない。
ちなみに菊川怜さんのトークショーでの予想はズバリ的中していた。
長くやっているから当たるとは限らない。
むしろ初心者の頃、「素直な」(?)買い方をしていた時のほうが的中率はよかったような気がする。

競馬場に着いたら真っ先にと思っていた「ライスシャワー碑」へのお参りだが、帰り際に立ち寄ることになった。
相変わらず訪れる人も多く、花やニンジンもやはりたくさんあった。
人間の都合で「ヒール」「刺客」呼ばわりされた経歴もある彼だが、1頭の、血の通った普通の競走馬であったことには変わりない。

高架化が進む工事現場のそばを通りながら京都方面行きのホームへ。
JR京都駅へ向かうため、途中で近鉄電車に乗り換えた。
大学時代はよく乗った電車だが、久しく京都府の南部や奈良方面には行っていない。
北陸からも、近鉄をからめた便利なきっぷが出ているので使ってみるのもいいだろう。

JR京都駅で夕食をとり、職場へのおみやげを買って帰路についた。
京都を出てから、石川県に入ったあたりまでの記憶がないくらい車内で眠りこけた。
それほどに、前夜祭も含めた競馬観戦の2日間は中身の濃いものになった。
ワガママのきつい私に付き合ってくれた友人2名には本当に感謝をしたい。
私自身はできれば今年中にもう1度どこかへ遠征したいと考えているが、会社も今後ダイナミックな変化を迎える時期に当たり、仕事との兼ね合いを見ながら検討したいと思っている。

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10月17日の行状(1)

2010-10-21 20:55:53 | 旅行
午前様になるまで飲んでいても、身に付いている体のリズムは簡単には変わらないようで、7時台にはもう目が覚めた。
せっかくなので、NHK総合の「おはよう日本」を見た。
土日担当の守本奈実キャスターが私のお気に入りである。
タレントっぽい女子アナには興味がなく、語弊があるかもしれないが「普通っぽい」人が好みだ。
ルックスだけでなく、アナウンサーの商売道具である声が抜群によいことも注目する理由である。

さて、競馬場での待ち合わせは11時ごろを予定していたが、ホテルでウダウダするのもなんだし、午前中に特に行きたいところもナシということで、早めに京都競馬場に向かうことにした。
開催日は京阪電鉄の優等列車が淀駅に臨時停車してくれるが、私が乗ったのは最近開業した中之島線に向かう快速急行であった。
特急用と違いロングシート車だが、シートにくぼみが付いていてあまり隣の乗客とくっつきすぎない配慮がされていた。
新型だけあり乗り心地は良く、ものの20分足らずで淀に着いた。

どの程度まで進んでいるのか気になっていた淀駅の高架化事業だが、大阪方面行きのホームのみができていて、京都方面行きはまだ工事中であった。
毎日電車を通しながらの工事だから一足飛びには行かないだろうが、完成すれば開催日の街中の混雑もずいぶん緩和されるだろう。
競馬場へは直結の通路ができていて、入場券売り場を経てパドックの近くまで行くことができた。

さて、9時ごろに競馬場に着いたのだが、当日発売分の指定席にまだ空席があった。
友人の分まで一緒に買うことはできないのであきらめたが、それよりもGⅠ当日の9時を過ぎてまだ指定席が買えるということに大変驚いた。
後で調べたら当日の入場者数も4万人台ということで、私が20代の頃には考えられない数字だ。
京都では「143,606人」という入場者数レコードがあるが、ちょうど15年前、95年のエリザベス女王杯でのことである。
私はその中の1人として観戦したが、帰り道はなかなか駅までに行くのも大変だった記憶がある。
現在はネット投票なども簡単に入会できるとはいうものの、GⅠレースの開催場としてはいかにも寂しく感じてタメ息をつきたい気持ちにさえなった。

そんな状況だったので、一般席ながらゴール前の場所を、友人の分まで難なく確保できた。
そのあと手荷物を預けに行き、場内を携帯カメラで撮りながら散策した。
画像のほうは後日ウェブサイトにアップしたいと思う。

字数が増えてきたので、かんじんの競馬のほうは次回の記事に回し、旅行記の最終回としたい。

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10月16日の行状(2)

2010-10-20 20:15:58 | 旅行
夕方に河原町三条にあるホテルに入ってからは、しばらくテレビを見てゆっくりした。
ちょうどセリーグのクライマックスシリーズ「阪神×巨人」の第1戦、その後は男子ゴルフの日本オープン3日目と興味深い内容だったので、ひと寝入りする予定がついつい見てしまった。

友人との待ち合わせは夜の7時、高島屋の角だった。
当初私が「阪急前」を提案したものの、今は阪急百貨店そのものがない。
場所的には同じだし、ホテルからも近い。
少し早めに出て寺町の電気街を歩いたが、ずいぶん寂しい感じになっていた。
大型店の郊外もしくは駅チカという出店スタイルが定着し、旧市街にある電気街というのは秋葉原や大阪の日本橋を除いてはずいぶん様子が変わっているのかもしれない。

名古屋からの友人と私は早めに着き、神戸からの友人がほぼ時間通りに来て、予定の3名が揃った。
神戸から来た友人はその日は勤務日で、仕事からそのまま来たような格好をしていた。
京都でいい店を知っているとの話だったが、実際には適当に探すことになり木屋町通りを三条方面に向かって歩いた。
いろいろな業態の店ができて呼び込みの数がかなり多かったのには閉口したが、結局手頃な居酒屋を見つけて1次会が始まった。
お互いに勤務地は違うものの、富山県を基盤とする企業に働いており、仕事上で何となくつながっていることが分かって興味深い2時間であった。
1次会で神戸からの友人は帰ったが、勤務日にわざわざ7時に京都に間に合うように来てくれたことには感謝をしたい。

さて、私と名古屋からの友人が残った2次会は、私のワガママで祇園にある某ライブハウスに一緒に行ってもらった。
大学生の4年間に加えて社会人になってからの3年間も京都で過ごしたのだが、会社の宴会が相当に盛り上がって最後にそこに行くことが何度もあった。
誰でも知っているオールディーズを存分に聴かせてくれ、システムも分かりやすく値段もリーズナブルだ。
何より雰囲気が最高で大好きな場所だったから、今回はぜひ行きたいと思っていた。

私自身が20代以来の十数年ぶりであったにもかかわらず、ハウスバンドの名前から何からがまったく変わっておらず、スタッフの皆さんもこまめに動くし、とても心地よい空間であった。
曲が曲だけに年配の方も多く、そういう方たちが立ち上がって踊る光景は他ではなかなか見られないものだ。
私たちは、常連さんとおぼしき人たちに混じってというのも何となく気が引けたので踊りだすまではいかなかったが、今になってみるともう一段階楽しめたかもしれないなどと考えたりもする。
私はライブハウスのような空間には慣れているが、友人のほうは新鮮に感じてくれたようで、そういう意味では誘ったかいがあった。
一人でも気軽に寄れるところではあるが、今度来るときはぜひ女性連れで来てみたい。
その時は、無理やりにでも一緒に踊り狂ってもらうつもりだ。

結局午前様となったため、翌日の競馬観戦は昼頃を目がけての現地集合ということでいったん別れた。
翌日の行状についてはまた明日以降に。

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