blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

11月を振り返って

2024-11-30 21:12:23 | 月末振り返り

毎月最終日はその月を振り返る。

できれば振り返りたくない月だが、振り返らないのは本欄の趣旨に反するので無理やりでも振り返る。

 

組織の一員として仕事に従事できたのは11月11日までだった。

夏前からわずかなエリアではあるが一任をされて日々奮闘していたところを何の話し合いもなく根こそぎ奪われ、ある日突然私は現場の中で宙ぶらりんになってしまった。

私のエリアに入り込んできたリーダー氏は私のエリアの仕事は完全には把握しておらず作業の手がたびたび止まるのが見ていて分かったが、振り向けば前日までその仕事をしていた私がいるから聞けばよいものをかたくなに聞こうとしなかった。

それに輪をかけるように「〇〇さん(私の前にエリアを担当していた人)の忌引の時にやったことがあるからオレはできる」と必死にアピールしていたことも考えると、私の力など少しでも借りたくないという意思表示ととらえざるを得なかった。

 

我が社(旧社)は11月30日をもって一部事業を新たに参入した会社に売り渡し、会社規模を縮小して明日12月1日以降も存続する。

旧社の方はどうなるか分からないが、本来であれば私を含めた倉庫メンバーは事業の継続性を重んじ全員新会社に移籍できるはずであった。

継続性というからには社員の関係性も基本的には継続されることは予想され、旧社では指揮系統を任されていたリーダー氏はじめ数名が会社が変わるからと言っていきなり横一線にさせられることは想像しづらい。

事実リーダー氏本人が「上司とは言っても、仕事(事情)を知らない人たちだから引っ張っていかねばならない」とたいそう意気込んでいたのは新会社においても自身が中心でいたいとする思いの発露とも取れたが、当人の一連の言動から当人が展望する未来の中に私がいてはいけなかったと取れる要素が大きいと感じたので、その時点で私は新会社への移籍はまずあきらめた。

旧社に残って存続する部門に協力しようという思いもあったが、安全面その他従業員を必ずしも大切には見ていない体質に加え本欄にはどうにも書きづらい不透明な要因もあって、その線もあきらめることにした。

 

精神的なダメージもあってまだ体は万全ではない。

毎朝誰よりも早く出社して皆が始業時刻即動けるように準備をしてきたこと、定時終業を意識して時には休み時間も削りながらやってきたことなど数え上げればキリがないが、自分の中ではやるだけのことはやってきたから悔いはない。

私が考える普通と周囲が考える普通とが違っていたとするならそれは仕方がないことである。

通ってきた道、経験してきたことの違いにより、互いにかかわりあわない方がよい、共存しない方がよいと分かった場合は離れざるを得ない場合も世の中にはある。

生きていてムダなことは何一つない。

今しばらくは時間をいただき、まずは体の回復に努め、いずれの日にかまた元気に社会に関わっていけることを念願するものである。

 

※気分や体調しだいとはなりますが、本欄は随時更新していきますので引き続きよろしくお願いいたします。


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動けなかった

2024-11-24 20:03:33 | 休日

前回の更新から2週間近くが経った。

この間特に何をしたとは言えない。

会社には連絡の電話一本きりで顔を出していない。

かと言って遊びほうけていたわけでもない。

この2週間は文字通り動ける体調になかった、これに尽きる。

 

昨年夏、まだ猛暑のさなかに縁をいただいて働き始めた会社、新入りには苛烈な環境ではあったが何とか踏ん張りつつ作業のスキルも少しずつ向上させていくことができた。

今年の夏前には小さなエリアながら自分の担当をもらって、特に大きな間違いもなくやってこれた。

担当替え以降は自分のアタマで考えて段取りしながら日々を送ることができて充実感もあった。

しかしその仕事はある日突然目の前からなくなって、それまでの意欲や少しはあった会社への思い入れは消し飛んだ。

あったはずの心のガソリンはあえなく底をつき、食事や睡眠その他もろもろ当たり前の日常サイクルまでが狂うことになった。

 

今はこうしてPCに何とか向かうことができるまでになったが万全とは言い難い。

会社のある意味岐路というタイミングでこの現状は口惜しいとしか言えないが、仕事で貢献できるメドが立たない状態では続けたくても続けられないことは会社には伝えてある。

優先すべきは自分自身の健康であり我が身を削ってまで何かに尽くす必要はない。

徹底的に休むことに注力した結果、幸いにして今は短い時間であれば外にも出られるようになった。

少しずつでも良くなっていけば次への意欲も自然とわいてくる。

 

次に関してはまだ何も決まっていないし決められる状態にもないから何とも言えない。

ただ、いくら仕事内容が肌に合っても周囲があまりにも「自分とはかけ離れた世界」である危険を感じればそこは考えざるを得ないし、実際今の会社ではそこがいちばんの悩みのタネだった。

多様性だなんだとヤカマシイ世の中ではあるが、どうしても共存が難しい場合は互いに離れざるを得ない場合があるのも残念ながら現実である。

うまくいかなかった場所は誰のせいでもなく「自分が場所選びを間違えたから」と受け止め、今後は決して同じ轍を踏まないようにしたいものだ。


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答え合わせ

2024-11-12 14:40:07 | 日記

11月11日、いつものように職場に行き朝礼の時間を迎えた。

そこで現場のリーダー氏から突然告げられたのは、先週まで私がやってきた担当を今日から廃止という提案だった。

事実上のひとり部署になっていたことで私と他メンバーとの溝がどうたらこうたらと説明があり、表向きは誰もがどこのパートに行っても回るようにするという建設的な提案に見えた。

しかし話としては、私が何かと現場リーダー氏を無視して事を進めているのではないか、それは許さないとでも言うような、ひたすら責められるような中身で、週の初めから全員の前で吊るし上げにされることになった。

 

朝礼がハケて仕事に入ろうとしたが、先週までやってきた仕事には全く触らせてもらえず、仕事はすべてリーダー氏が指示するからということで一日が始まった。

いくら何でもある日突然仕事を取り上げられて面白いはずはなく、お互いに感情的に高ぶってもおり一時は言い合いから軍事衝突寸前にまでなった。

いったん互いに感情をおさめ、互いの目を見ながら話す中で注目すべき一言があった。

リーダー氏自ら「正直、自分も(私が)苦手で避け気味だった」と。

その上で「(これからメンバーが離ればなれになるので)自分と同じ職場を希望するなら言うことを聞いてほしい」ということであった。

 

これを美しい話で終わらせるつもりは毛頭ない。

過去の記事を読んでいただければ分かるが、どうもある時期から私をなるべく関わらせない形で現場を回そうとしているのではないかという推測が出てくるはずで、当人がそれを裏付ける発言を自ら行ったことになる。

こちらは避けられているのではないかと疑心暗鬼となっており、当人は当人で実際に私を避けて仕事を進めていたというなら、最近のコミュニケーション上の不足や食い違いは「私だけの責任ではなかった」のである。

そこを朝礼では言わないで私は朝礼で吊るし上げに遭い、しかし私個人には事後に告白するという後出しジャンケンも甚だしい言動にはもはや返す言葉もない。

 

会社から命を受け絶対的な権限を持って長年現場を采配し、作業レベルとしても誰がどう見ても群を抜く存在であり、私自身も、直接の会話は少ないながら尊敬もしお手本にしてきたと言ってもいい当人なら誰に対しても自信を持って接することができるはずで、苦手で避け気味になる部下など本来は存在しない。

苦手というのはあくまで方便、要は「自ら叩く必要に迫られた」ということではないだろうか。

これまでは、当人と年代のよく似たパワハラ気質の人物(これとて事務職で入社したものの上席者の指導に耐えられず現場にやってきてなぜか現場でパワハラをしている)が、ある程度の技量を持って入ってきた人物をことごとく攻撃することで排除してきた歴史がある。

リーダー氏は「口が悪い」で片付けてはいるが、いまだにそのような人物に大した注意や警告もせず放置しているのは、「自らが手を下さずして台頭する人物を排撃してくれていた」からではないのか。

 

我が社は近日中に一部を他社に売り渡すことが決まっている。

会社が変わればこれまでの従業員など全員クビ、も考えられた中で、事業の継続性を重視して希望する従業員は移籍により引き続き同じ仕事に従事できるというある意味大甘の条件が示されている。

さりとて、今の会社で長年にわたり揺るぎない地位を得ていた当人にとっても、会社がまるごと変わってしまえばどこまでこれまでの優位性を保てるかは分からない。

新会社の判断ひとつでこれまでの関係性が逆転する可能性も全くのゼロではないところで、先手を打って苦手(=私)を排除しておく策に出たのではないだろうか。

 

上記が、とりわけ10月以降の我が職場での私を取り巻く事象の答え合わせとなる。

直接の指示者であるリーダー氏自らの発言も踏まえてのものだから、単なる憶測にとどまるものではない。

つまるところは、空気を変えそうな人間は手段を選ばず排除するというのがこれまでの我が現場、ということであり、長くいる人間はたかが新人を集団リンチにかけてでもその空気を守りたいということである。

私は、周りにとってはうるさい話も多々してきたし、出る杭であったというなら今回ことわざ通り見事に打たれたことになる。

打たれて先どうするかは分からないが、少なくとも移籍によって今通っている職場で仕事をし続ける選択肢はなくした。

我が社で存続する部門に身を置くか、それとも我が社にすら別れを告げ全く別の道に進むのか。

労働者の権利(有休)を使って数日職場とは距離を取った今、じっくりと考えてみようと思う。


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ついにバレた

2024-11-09 21:09:06 | 日記

※一部脚色につきフィクションとしてお読みください。

 

我が社は現場をいくつか持っていて、日頃はメンバーはそれぞれに分かれて作業をしている。

本日は土曜日で某現場のメンバーが休みとなっていて、いつも仕事をしている本現場に出社早々、そちらに向かってほしいとのお達しがあった。

メンバーの休みくらい事前に把握できていそうなものだが、今日の今日、しかも今すぐという話は全く予想外のことでさすがに当惑した。

積み込み先の車両は先に着いて待っているだろうとのことで、一も二もなく会社の車でそちらに向かった。

 

車両は案の定先に着いていて荷物の段取りも含めてずいぶんお待たせすることになったが、何とか無事にお役目を果たして午後の早いうちには再び本現場に戻ることができた。

すると、日ごろ私が作業をしているエリアが大量の入荷物で「侵犯」されていて、土曜当番の他のメンバーが運搬しているさなかであった。

ハケてしまわないとこちらの残務が片付かないので手伝いに入ろうとすると「ジャマだから入るな」と言われるので後はホッタラカシにしていたが、これがまあ遅い遅い。

いつまで経っても荷物はハケずこちらは待ちぼうけを食らうばかりであった。

 

恐らくは私が朝一番から別の現場に行ってしまったので夕方まで帰ってこないだろうとタカをくくって私の作業エリアに大量に並べておいたものが、私が案外早く戻ってきたので大あわてで片付けだしたというのが真相だろう。

しかし、入るなとまで言われてなお手伝いに入るほど私もお人好しではないので現場の床掃除などをして時間をつぶしていた。

ここ数回はいつもそうなのだが、大して忙しくもないこの土曜日に定時ギリギリまで作業をして、結局定時には終わったもののやりたいことを最後まで終わらせたようには見えず、定時が来てしまったから仕方なく終わったように見えた。

 

あまりにも愚かだと思うのは、手伝いに入れる人間がひとりいるのにそれをあえてハブって、結局作業が定時に間に合わなかったことだ。

態度だけは大型新人である私がさぞかし煙たいだろうことは承知の上だが、いざ完全に私にバックレられてしまえば全く大したことのない土曜の仕事さえ時間内に終わらせられない。

つまらない意地を張ったところで、ひとりをハブって仕事を回せるほどの能力はないことが完全にバレたのである。

 

こんなメンバーでももう一方の班よりははるかにマシという状況では、これからやってくる「黒船」(我が社は近日に部門譲渡されることが決まっているのでその譲渡先のこと)にはとても対抗できない。

ザイゴ(田舎)の中小に長年いて染みついたナアナアの風情のままでは、東証プライム上場企業を親に持つ会社のやり方には絶対についていけないと断言する。

もとより経営者の変更となれば、受け入れ会社側は自社の精鋭を送り込んで「従来の従業員など全員即刻クビ」が当たり前であるところ、事業の継続性を重んじてあえて私を含めた従来のメンバーを「事情を分かっているから」ということで受け入れるという大甘の提案をしてくれている。

そのありがたみを全く分かっていないように映るのは同じ現場のひとりとして甚だ残念と言わざるを得ない。

 

一定の期間、食い扶持を稼がせてもらったことには感謝できても、我が社がいかなるものであったかは十分に身に染みたし、恐らく事態が落ち着くまでにはもうひとふた波乱はある。

いかに他社との係争が原因とは言っても、現役の管理職が一時的とはいえ身柄拘束などということがあった会社はさすがに初めてである。

もう間もなくすれば、いかにも素性の悪そうなギラギラの装飾を施した庸車が出入りすることはなくなり、銭湯お断り系の絶対に半そでにはなれない人間の出入りもなくなる。

そんな文化はまっぴらゴメンであり、それ系のものに触れることが今後なくなっていくとすれば私個人としては非常にいい流れが来ていると言えるのだろう。


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格の違い

2024-11-07 20:23:15 | 日記

注目の米国大統領選挙はトランプ氏の圧勝に終わった。

我が国の報道を見れば接戦かハリス氏有利との言説ばかりで、選挙が終わった今となっては各局こぞって見苦しいばかりの言い訳・負け惜しみ大会となっており、米国本国同様に我が国のメディアも「青組」(民主党寄り)であったことが一般レベルでとうとうバレてしまった。

当たり障りのない話題はともかくも、今後はメディアの言うことをそのまま受け取る愚というものが周知されていくだろうし、米国国民が今回はメディアに騙されなかったという意味でまさしく画期的なことではあったろう。

 

勝敗ということで言えばトランプ氏の強さというよりはハリス氏が弱すぎたことも大きく作用したものと思う。

現職の副大統領として、大統領であるバイデン氏が早い時期から何かとおぼつかない状態(かなり言葉を選んでおります)となって存在感を示す時間はたっぷりとあったはずが、それを実現させる能力や知性が根本的に足らなかったということに尽きる。

前大統領として4年間の実務経験に加えカリスマ性もあるトランプ氏とは格の違いがあったと言わざるを得ない。

 

格という字を使った言葉には格式だとか合格だとか性格だとかいろいろある。

格式などと言うと由緒正しい家柄にでも生まれなければ備わらないようにも思えるが、エエトコの子に生まれなくても「品格」くらいは持ち合わせることはできるだろう。

さほど裕福ではなくとも、言うほどの地位や名誉に浴していなくとも、日々の心持ちを清く保ち、時にはつらい経験ですら力に変えていくような生き方をしていれば自ずと品格はにじみ出てくるものである。

本人があえて言葉にはしなくとも、品格もしくは気品のたぐいは当然他人にも分かる。

卑しい品格しかない者は気品ある者を勝手に憎み始めその人を攻撃するかひたすら無視するしかなくなって余計に卑しくなるばかりである。

いかに財産を人さまよりひと桁ふた桁多く持っていようと、本人の口から「世の中カネよ」などという言葉が出てしまう向きは、品格などカケラもないただの俗物と言わざるを得ずマトモに相手をするべき対象ではない。

 

我が社のようなごくごく小さな環境にあっても人によっての品格の差は歴然としてある。

品格のない者はとにかく何をやらせてもダメか全く大したことがないばかりか、本人には自信もないのでやたらに他人にマウントを取ろうとすることでしか存在を示すことができない。

人生の中で品格を磨く訓練を全くしていないからそうなるので、何十年生きてこようと努力してこなかったのだから身についているわけがない。

ただただその日その日を食べたいだけ食べ遊びたいだけ遊び飲みたいだけ飲んで寝たいだけ寝てと、ひたすら怠惰に生きてしまえば品など備わるはずはない。

 

たとえ下品な話題でも言葉づかいひとつで上品とまではいかなくてもクスッと笑ってもらえる話くらいにはできる。

品のない人間はいわゆるオブラートに包むということができないので下品な話はそのままド直球の下品な話になる。

オブラートに包める包めないは語彙力の問題であって、言葉の選択肢が乏しい者にいくらそれを言ってもムダであるから、要は人生でいかに学んだかが品性に直結すると結論づけていいのだと思う。


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レベル〇〇

2024-11-02 21:17:32 | 休日

本欄は主にPCで更新している。

フリック入力にはずいぶん慣れたが長文を打つには間違いが多すぎて時間がかかるのでスマホではほとんど更新しない。

数年前までガラケー的にタップ連打で入力していたころに比べると少しは進歩した。

 

PCを立ち上げてEdgeを起動すればマイクロソフト(MS)のポータルサイトMSNが出る設定にしてあるが、先頃終わったMLBのワールドシリーズ(WS)のスタッツを見てみた。

選手名がアルファベット表記になっていて、一般にテレビなどで流れる名前とは違って「本名」で記されている。

WSでMVPに輝いたフリーマン選手なら「Freddie Freeman」が「Frederick Freeman」である。

打順は下位ながら安定した働きをしてきたキケ(Kike)・ヘルナンデス選手になると「E.Hernandez」と出るからアレッ?と思うのだが、本名は「Enrique Hernandez」だと知れば納得というわけである。

 

さて、本日は私の誕生日である。

近年はスマホなどのゲームになぞらえて「今日でレベル(Lv.)〇〇になりました」という言い方が多くなった。

このレベルは一年ごとに確実に上がっていくもので避けることはできないし、それに反比例してビジュアルやフィジカルが衰えるのもまた避けられない。

外見や体力が落ちていくのは仕方ないが、せっかく年齢を重ねるからには内面のレベルくらいはせめて上げたい。

幼少の頃にイメージしていた50代と比較して今の自分の姿は本当に幼いと言わざるを得ないが、それ以上に幼かった若い自分と比較すれば多少はマシになった部分もあるだろう。

 

人生も長くなればどんな中身であれイヤでも経験は多くなり、経験から学んだことが今の行動に現れてくる。

楽しいことつらいこと、突然の悲しみや人間社会の醜さ、その他もろもろひっくるめて今の私があり、まだまだ足りないところだらけとはいっても日々少しずつでもマシになっていけたらいい。

50代当初には様々な要因から先をあきらめかけたことさえあったが、今ここまで生きてきてやはり年齢は「重ねるもの」であり、生きろと神様に言われている限りは生きるべきだとの思いを強くしている。

日々少しずつでも進歩して昨日の自分を超えていくことができるならいうことはない。

この世を去る時に「もっと思うように生きればよかった」と言う人も多いと聞くが、日々昨日よりよい自分でいられたならこの世を去る瞬間が最高の自分であるはずだから何も悔いる必要はない。

 

中身を若く保とうと思えば、好奇心や新しい知識への欲求といったところは重要だろう。

いい意味での刺激物を体に取り入れていかないことには内面も腐っていく一方である。

世の中にはまだまだ分からないこと知らないことはたくさんあるし、自分ごときよりもはるかに次元の高い世界で生きている人もたくさんいる。

世の中、上には上がある。

学べる対象と思えば年齢は関係なく、高校生や中学生からでも学ぶことはできるだろう。

50代は「鈍感力」にはちと早い。

当面は、少なくともレベル〇〇にふさわしい人間でいるため、日々アンテナを高くして世の中に敏感な人間であり続けたいと思う。


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一家ちりぢりの責任は?

2024-11-01 20:36:15 | 日記

※一部脚色しておりますのでフィクションとしてお読みください。

 

改まって全員が集められた会議の中身は驚くべきものだった。

売り上げの大方を占める取引が解消される方向となり、当該取引に関係する部署が他社に売られるという。

会社は残りの取引を続けながら存続するが、当該取引にかかわる仕事をしている社員はすでに決まっている受け入れ先への移籍を基本線として話が進んでいる。

詳細その他については未定の部分も多く、受け入れ先からの説明と個別面談の機会は後日用意されているとのこと。

 

そもそもの話として、規模はどうあれ取引先からの信用が盤石なものであったならば「切り売り」の決断をさせられるには至らない。

入社して長いとは言えない私はどういった状況がそうさせたのか、断片的に耳には入るものの正直言って分からない。

長らく、とある会社と何やら係争中という話だけは知っていても中身までは知らない。

ただ、取引先にとっては大切な商品の管理上看過できない事態が起きていて、残念ながら今後全幅の信頼は置きづらいという意思表示があったものと思われる。

 

話だけ聞けば、非は我が社よりも係争先の方にかなりのものがあるらしいが、とにかく中身はよほど詳細に聞かないと分からないし今さら聞く気もないから何とも言えない。

ただ、そういうアクドイ(?)先に何かのキッカケで引っ掛かってしまい、最終的に会社規模の縮小に至った結果責任は我が社の経営サイドには当然ながらある。

経営にとっては小さくなっても会社がなくならずとにかく続けばいいという話かもしれないが、一般の社員は今回の事態により引き裂かれてしまう。

売られる部門の社員は手続きが整いしだい我が社のロゴが入った作業服を脱ぎ、新会社の真新しい作業服で日々を送ることになる一方、存続する部門は当然ながら今まで通りである。

毎日朝礼で輪になっている社員がふたつの会社に分かれていくこと、また毎朝指示を出している上席者も手続き完了の折にはアカの他人になってしまうことには「やりきれない」という思いしかない。

 

私自身はわずか一年と数か月という短い期間とはいえ身に余る仕事をいただき食べさせてもらってきた会社に感謝の気持ちは当然ある。

私にとっては前職でお世話になった「恩人」を追いかける形で応募し幸運にもご縁をいただくことができ、当初は陰惨なイジメにも遭いながら何とか乗り越えて今日までやってこれた。

同時に、事の経緯が見えてくるにつれて怒りのような感情も湧いてくる。

生活の糧をいただいてきたことに感謝こそできても、実態が「信頼にまでは値しない」会社であったとなると何とも表現のしようがない感情に襲われる。

良く言えば細かくない、悪く言えばルールらしいルールがない、何かにつけアイマイな部分をはらんだまま日々が流れていたことは私にとっては結構なストレス要因となっていた。

私は今の勤務地から言って「移籍組」になることが濃厚なので、アバウトそのものと言っていいガバナンスが多少は良い方向に行くことは期待している。

もっと言えば、しっかりとしたルールにのっとって運営される環境を切望していた部分もあるから、個人としては今回の事態はむしろ歓迎すべきことなのだろう。

受け入れ先からの説明はまだだが、調べる限りでは「格が違う」くらいの印象はありガバナンスに関してはほぼ心配はないのではないか。

 

今回のように会社が割れてしまう事態というのは長らく社会人をやってきた中でも初めてのことだ。

ただ、若い頃は僭越ながら企業(財務)分析も担当していた関係で、企業というものを俯瞰的客観的に見る目も多少は残っている。

企業に何らかの変化が起こる時に共通した「兆し」が今回も見られたことを記して記事を閉じることにする。


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