blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

朝礼

2009-10-01 20:00:00 | 日記
昨日付けでも書いた、7時半から始まるという朝礼があった。
こんな時間から朝礼をするのは、わが社のはす向かいにある某建築営業の会社くらいだろうが、それはさておき、経験する前に予想していたことは2つある。

①7時半には始まらない。
②単なる社長の一人舞台。

結論から言えば、①は外れ、②は予想以上の大当たりであった。

何せ初めてのことで自宅を早めに出たこともあり、会社に着いたのは私が一番乗りであった。
立場上カギは持たされていないことから中に入ることができず困ったが、ほどなくM営業所長が登場してカギが開いた。
PCのセッティングをしていたらちょうど時間となり、唐突にラジオ体操第一が始まった。

体操が終わると朝礼となったが、社則だか何だかの型どおりの唱和があって、そのあとはウンザリするような社長の長話であった。
このあとに会議も控えているというのに、名指しの罵倒やら自慢話やら、内容の乏しさは思っていた以上であった。

長い話の中でも情けないのは、自分の言葉がほとんどないことである。
新聞記事などをあれこれ紹介するのだが、借り物の言葉ばかりを並べても説得力はない。
新聞に出るような経営者たちは、ただの一流ではなく「超一流」の方ばかりである。
わが社の社長もある新聞に連載を持っているらしいので、かろうじて一流であることは認めるが、日々の努力なるものをあからさまに自分から口にし、社員の努力のなさを朝礼の場で嘆くような人物が超一流とはとても言えない。
所詮ただの一流が超一流の言葉を借りて社員を諭すのは「虎の威を借る狐」そのものであろう。
一流と超一流の差はまさにここにあると言っていい。

さんざんしゃべって最後には「君達はレベルが低い」で締めくくるのだから立ちんぼで聞いているほうはたまらない。
朝礼のあと昼過ぎまである会議でも内容は同じようなものであったろう。
5時間近く、壊れたレコードのような話が続くのだから社員の方はかわいそう過ぎる。

昨日も書いたように、いかに自分がすごいかをことさら強調したがるのは、言うほどの中身がないことの裏返しである。
今日は中国の建国60年で軍事パレードがあったが、目的は「力の誇示」以外の何者でもないのであって、このあたりは北朝鮮なども同様だろう。
話せば話すほど、いかにも薄っぺらな実像が分かってくるのである意味おもしろい。
やがて数ある肩書きが取れていったとき、いったいどれほどの人間が本気で支えてくれるかはかなり疑わしい。
いや、実はそれが本人にも分かっており、失うものが多くなり過ぎて怖いから、自分のキャパシティーをも超えた仕事を引き受けているのかもしれない。
その証拠といっては何だが、一流の人間にしては机の整理整頓がまるでできていない。
整理整頓も立派な仕事であり、忙しいなどと言い訳するようでは超一流の座はますます遠い。
他人事ながら、あまりにも哀れな人間の姿として同情するよりほかはないのである。

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