愛知に来てからひと月あまりが過ぎた。
土地が違えば当然言葉も違う。
愛知県は名古屋市を中心として人口が多いから、いわゆる名古屋弁は少なくとも富山弁よりはメディアに露出する機会も多いだろう。
芸人さんやタレントさんがやや大げさにマネをしているのもこれまで多く聞いてきた。
果たして、短い期間ながら実際に周囲の人の言葉を聞いていると、テレビなどでよく聞いていたステレオタイプな名古屋弁はトンと聞かない。
デラだのガヤだのといった世間に流布しているものは、これまであまり聞くことができていない。
これまでで最もよく聞いているのは「~でえ」とか「~だでえ」という言い回しである。
私がいる職場はベテランが多いし、どちらかというと同世代より上の人が使う印象はあるが、最近は電車の中で若い女性も使っていた。
こういう言葉使いは誰かに似ているとモヤモヤしていたのだが、元騎手で評論家の安藤勝己氏の話し方がそうだと気付いた。
出身は愛知県で、岐阜県の笠松競馬で活躍していた方であり、インタビューやツイッター上でも名古屋弁に近い話し方になることがある。
職場にはアンカツさん同様に飄々とした性格の方がいて、言葉がそっくりだからイメージがダブって思えるほどである。
最近はその方の後ろについて仕事を教わっているので、いずれ言葉がうつらないか心配(?)である。
富山に帰って「~だでえ」などと言ってしまうことはないと思うのだが…。
私は競馬が好きだから、安藤元騎手に関しては親交の深いライターさんが書いた本も何冊か持っているし、馬券の上でも大変お世話になった。
まだ氏が笠松所属だった1995年、笠松の強い3歳牝馬をパートナーに中央競馬のクラシック戦線に挑んだことは忘れられない。
桜花賞トライアルを圧勝し一躍注目を浴び、本番の桜花賞では一番人気を背負って4着だったが差はわずかだった。
氏の名前が全国区になったのはこの年からで、やがて中央競馬への移籍を果たし、その後の活躍は私が書くまでもないだろう。
この年私は社会人三年目、職場でも桜花賞戦線のことはチラリと話題になった。
桜花賞で氏が乗るライデンリーダーが4着に敗れたと知った時、30代の某先輩が「所詮草競馬の騎手が…ハハッ」と言い放った。
私は氏が笠松では圧倒的な存在であることを知っていたから、その反応は仕事で怒られるより腹が立った。
「にわか」を全否定するつもりはないが、表面的な結果だけでそう発言するのはいかにも底が浅いと思った。
地方競馬所属の騎手にそうやすやすとG1のタイトルを持って行かれてはたまらないと思う中央所属騎手の意地は当然ある。
スタートが良くなかったこともあるが、他の馬にマークされて道中はずっと包まれていたことを考えると、0.4秒差の4着は大健闘だった。
その先輩が今どこでどうしているのか、私は会社そのものも変わったから知る由もない。
あの桜花賞以後のアンカツさんのキャリアを紐解けば、氏が単なる草競馬の騎手でなかったことは分かるだろう。
私自身は、それ以来あまり裏付けのない下手な発言は避けようと思うことができたから、反面教師としてはいい先輩に出会ったのかもしれない。
土地が違えば当然言葉も違う。
愛知県は名古屋市を中心として人口が多いから、いわゆる名古屋弁は少なくとも富山弁よりはメディアに露出する機会も多いだろう。
芸人さんやタレントさんがやや大げさにマネをしているのもこれまで多く聞いてきた。
果たして、短い期間ながら実際に周囲の人の言葉を聞いていると、テレビなどでよく聞いていたステレオタイプな名古屋弁はトンと聞かない。
デラだのガヤだのといった世間に流布しているものは、これまであまり聞くことができていない。
これまでで最もよく聞いているのは「~でえ」とか「~だでえ」という言い回しである。
私がいる職場はベテランが多いし、どちらかというと同世代より上の人が使う印象はあるが、最近は電車の中で若い女性も使っていた。
こういう言葉使いは誰かに似ているとモヤモヤしていたのだが、元騎手で評論家の安藤勝己氏の話し方がそうだと気付いた。
出身は愛知県で、岐阜県の笠松競馬で活躍していた方であり、インタビューやツイッター上でも名古屋弁に近い話し方になることがある。
職場にはアンカツさん同様に飄々とした性格の方がいて、言葉がそっくりだからイメージがダブって思えるほどである。
最近はその方の後ろについて仕事を教わっているので、いずれ言葉がうつらないか心配(?)である。
富山に帰って「~だでえ」などと言ってしまうことはないと思うのだが…。
私は競馬が好きだから、安藤元騎手に関しては親交の深いライターさんが書いた本も何冊か持っているし、馬券の上でも大変お世話になった。
まだ氏が笠松所属だった1995年、笠松の強い3歳牝馬をパートナーに中央競馬のクラシック戦線に挑んだことは忘れられない。
桜花賞トライアルを圧勝し一躍注目を浴び、本番の桜花賞では一番人気を背負って4着だったが差はわずかだった。
氏の名前が全国区になったのはこの年からで、やがて中央競馬への移籍を果たし、その後の活躍は私が書くまでもないだろう。
この年私は社会人三年目、職場でも桜花賞戦線のことはチラリと話題になった。
桜花賞で氏が乗るライデンリーダーが4着に敗れたと知った時、30代の某先輩が「所詮草競馬の騎手が…ハハッ」と言い放った。
私は氏が笠松では圧倒的な存在であることを知っていたから、その反応は仕事で怒られるより腹が立った。
「にわか」を全否定するつもりはないが、表面的な結果だけでそう発言するのはいかにも底が浅いと思った。
地方競馬所属の騎手にそうやすやすとG1のタイトルを持って行かれてはたまらないと思う中央所属騎手の意地は当然ある。
スタートが良くなかったこともあるが、他の馬にマークされて道中はずっと包まれていたことを考えると、0.4秒差の4着は大健闘だった。
その先輩が今どこでどうしているのか、私は会社そのものも変わったから知る由もない。
あの桜花賞以後のアンカツさんのキャリアを紐解けば、氏が単なる草競馬の騎手でなかったことは分かるだろう。
私自身は、それ以来あまり裏付けのない下手な発言は避けようと思うことができたから、反面教師としてはいい先輩に出会ったのかもしれない。